参考文献/資料集 1994(平成6)年

(公開:2006年1月23日 最終更新:2020年4月29日)
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2月

座談会 ミステリーの父・江戸川乱歩 / 出席者:中島河太郎/平井隆太郎/山村正夫/藤田昌司

『有鄰』 315号 2月発行
→ 『うつし世の乱歩』 平井隆太郎 河出書房新社 2006年6月30日発行

中島 「新青年」は探偵小説を重んじているけれども、日本人の作家は対象にしていないわけです。「新青年」が短いながらそういう募集をしていたら、そこに応募するのが当然ですが、それをわざわざ馬場孤蝶という翻訳家のところに送ったのは孤蝶に目を通してもらって、どこかに出してほしかったわけでしょうね。
 ところが、孤蝶は忙しくて読みはしないので、催促して返してもらって、やっと雨村に送って小酒井不木に激賞された。だから、非常にプライドが高く、単なる投稿原稿二十枚ぐらいのじゃ落着かないわけですね。

4月

画家の罪?

『叢書新青年 小酒井不木』 博文館新社 4月25日発行

(前略)謎解きの点からすれば、「画家の罪?」には本格推理的な味は少ない。だが、射殺されたスウェーデンのゴル男爵とその夫人、男爵夫人の旧友、秘書、画家レヒネルの夫人などをからませた法廷でのやりとりは、のちに不木の作品の特徴となる心理的探偵術の手法の原形と考えられる。正体不明の日本人・後藤三郎の風采が怪盗ルパンに似ている点もおもしろい。探偵小説としてのできばえを問うのでなく、大衆作家・不木の初期の作品として読むなら、それなりの価値のあるものといえよう。

一匹の蚤

『叢書新青年 小酒井不木』 博文館新社 4月25日発行

いつもの不木の血みどろの世界とはすこし違う、どこかうら寂しいジンタの音が聞こえるような作品である。殺人の方法論から言えば、胃の中のナイフが被害者を体内から刺殺するというアイディアは面白いが、奇術師という特殊な人物を使っているとしても実際はまず不可能な殺人であろう。しかし犯人捜しの過程で蚤を登場させ、医学的なペダントリーをちらつかせながら、犯人たちを追ってゆく部分には、いかにも本当らしさが感じられる。(後略)

跳ね出す死人

『叢書新青年 小酒井不木』 博文館新社 4月25日発行

十二歳になる令嬢の弟と大学生が活躍するあたりは、前年から始まっている少年科学探偵のシリーズとのアナロジーが感じられるだろう。

小酒井不木論 血に啼く両価性の世界 / 天瀬裕康

『叢書新青年 小酒井不木』 博文館新社 4月25日発行

(前略)権田萬治は、「解剖台上のロマンチシズム」(『日本探偵作家論』昭50、幻影城)において、不木の作品を〈科学者の目で凍結された残酷な夢〉と評したあとで、〈一般に、氏の文章は何者かに訴えかけるような文章が多い〉と重要な指摘をしているが、不木は誰に訴えたかったのだろうか?
 読者に訴えるだけなら、月並みすぎる。一つの可能性として考えられるのは、母親たちだろう。実母、継母、乳母、義母……不木は「女性の異常心理」(『小酒井不木全集』第七巻、昭4、改造社)のなかで、性的いかもの食いの「卑しさを恋ふ心」や、ロマンに満ちた「泰西女賊伝」など十二編を提示しているが、彼の意識の深層には、おどろおどろした女性観・母性観があったにちがいない。
 これに関して指摘しておきたいのは、不木の内宇宙、精神内界におけるアンビヴァレンス(両価性)の問題である。これは、両面価値とか反対感情併存などとも訳されている心理学・精神病理学用語で、同一人物ないし同一対象物に対する、愛と憎しみとの相反する感情あるいは態度が共存することである。たとえば碁敵のような趣味的なものから、男女間の異常心理まで多くの場合がありうるが、不木には実母や継母に対して、かなり強いアンビヴァレンスがあったように思えるのだ。

 たしかに不木の短編には、生理的スリラーとか医学的恐怖小説といった範疇さえも超えた、ジーキル・アンド・ハイド的な苦悩に満ちた不安感を起こさせるものがあるのだが、それは、おそらく出生時から続いた宿命的なアンビヴァレンスに関係があるようだ。それが内宇宙の基調的な旋律となり、時には反語的な言葉の遊戯を生み、あるいは必要以上のこだわりをみせる医学者と作家にわかれるのだが、ポーが分裂症の傾向を示したのに対し不木にはそれがなかったのは、精神的・経済的な余裕があったからであろう。

小酒井不木研究史 / 長山靖生

『叢書新青年 小酒井不木』 博文館新社 4月25日発行

 このように多方面にわたる幅広い知識を背景にしての目配りのユニークさが当時の不木人気の理由の一つだったのだが、それが同時に、その後の評価の低迷をもたらす一因ともなったように思われる。
 これらの追悼文の類を読んでいて感じるのは、不木はそのエンサイクロペディストぶりと世話好きな性格によって、どの分野の人々からも深く信頼されていたということであり、しかしその一方で、不木の志向するところの全体像を把握していた人間は、おそらく彼の身近にもいはしなかったということだ。実際、医学者仲間は彼を、病のために学究としての道を断念し、文学に遊んだ人間とみなし、また作家仲間は、どこかで彼をディレッタントと思いなしていた。不木の多岐にわたる驚異的な活動のとらえどころのない広がりは、ともすると個々の分野における彼の活動を趣味的で余技的なものに見てしまった嫌いがないとは言えない。

(前略)この〈恐怖を喜ぶ心〉と〈謎を解きたがる心〉という二重性こそ、不木の人間観察の基礎をなす認識だった。そもそも不木が活躍した一九二〇年代という時期は、モダニズムという機械的で直線的なものが肯定される科学信仰の強まった時代であるとともに、エロ・グロ・ナンセンスが流行し、猟奇犯罪が増加して、その報道がマスコミ媒体によって煽情的に報道されて一般市民に娯楽という形で享受されるという時代でもあった。一見矛盾するかに見えるこれら進歩と退廃のそれぞれに向かう欲求が何の不思議もなく同居していたのがこの時代である。そしてそれは人間の内奥に潜む趣向の二重性を示すものだったと言ってよいだろう。この合理と不合理のせめぎあいの狭間に〈探偵小説〉というジャンルを確立しようというのが、不木の考えだったと思われる。

小酒井不木年譜

天瀬裕康作成 『叢書新青年 小酒井不木』 博文館新社 4月25日発行

5月

「屍を」解説 / 山前譲

『屍を』 春陽堂 5月発行

6月

小酒井不木 / 横井司

『日本現代文学大事典』 明治書院 6月20日発行

小酒井不木
こざかいふぼく
明治二三 1890・一〇・八〜昭和四 1929・四・一。小説家・随筆家。本名光次。愛知県生。東京大医学部卒。森下雨村の勧めで大正十一年から「新青年」に随筆・論文を寄稿。海外作品の翻訳紹介を経て、十四年には創作にも着手。理知と恐怖を融合した抒情的作品『人工心臓』(大15)『恋愛曲線』(大15)『闘争』(昭4)、随筆集『殺人論』(大13)『犯罪文学研究』(昭1)などがある。『疑問の黒枠』(昭2)は黎明期の本格長篇として名高い。(全)『小酒井不木全集』全一七巻(改造社、昭和4〜5)

7月

「空中紳士」解説 / 山前譲

『空中紳士』 春陽堂 7月10日発行

8月

「南方の秘宝」解説 / 山前譲

『南方の秘宝』 春陽堂 8月10日発行

9月

土曜日はちりとてちん:名古屋と縁深く 乱歩と不木 / 田端成治

『中日新聞』 9月3日(土) 夕刊 第11面

 不木は本名光次。医学博士。愛知県海部郡蟹江町の人で、県立第一中学(現旭丘高校)から三高を経て、東京帝国大学医科大学(現東大医学部)卒。大学院で血清学、生理学を研究、一方で「生命神秘論」なども発表した。
 東北帝大医学部助教授に任じられるとともに、アメリカ留学。ここでエドガー・アラン・ポーに傾倒、これが、探偵小説の世界に踏み込む大きなきっかけになる。
 この後、イギリスに渡るが、ここで結核が再発、帰国後、東北帝大教授に任じられたものの、任地に赴くことなく、蟹江町で療養生活に入る。
 このころ創刊された雑誌「新青年」を舞台に不木の活躍が始まる。随筆、翻訳、そして探偵小説の実作。この世界の先駆者の一人である。
 大正十二年、居を名古屋市御器所町北丸屋、今の鶴舞四丁目に移す。この年、乱歩の処女作「二銭銅貨」の原稿が「新青年」の編集長、森下雨村から送られてきた。感激した不木は「二銭銅貨を読む」を書いて絶賛、「二銭銅貨」本編とともに「新青年」に掲載された。探偵小説作家・江戸川乱歩誕生である。
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 不木はその後、やはり名古屋在住の伝奇作家・国枝史郎らと、探偵小説合作グループを結成、大きな話題になったりしている。
 不木は昭和四年死去。乱歩は「小酒井不木全集」の刊行に尽力、恩に報いている。
 不木の名を知る人は少なくなった。しかし、今、探偵小説界の先駆としてだけでなく、SF界で再評価が高まっている。

真紅の原稿用紙 / 長山靖生

『人工心臓』 小酒井不木 国書刊行会 9月10日発行

「白頭の巨人」解説 / 山前譲

『白頭の巨人』 春陽堂 9月10日発行発行

10月

自意識と通俗―小酒井不木を軸に― / 浜田雄介

『日本近代文学』 第51集 日本近代文学会 10月15日発行

 

江戸川乱歩誕生

『江戸川乱歩アルバム』 平井隆太郎監修・新保博久編 河出書房新社 10月20日発行

「二銭銅貨」は探偵小説好きの著名人、医学者(のち探偵小説作家)小酒井不木(一八九〇〜一九二九)の絶賛を添えて発表された。初の創作集『心理試験』の序文も不木の手になる。不木は乱歩の才能を愛し、終生励まし続け、乱歩も敬慕の念を絶やさず、不木没後は全集刊行に尽力した。

屋根裏の乱歩者 / 芦辺拓

『幻想文学』 42号 アトリエOCTA 10月31日発行

共演者は探偵趣味の会の人々多く新進作家横溝正史氏、水谷準氏等で、女優には、某家の令嬢をわずらはす事に決定してゐるが、同じ探偵小説家小酒井不木博士もこの事業に大賛成をしてゐる

11月

第一章 新人作家の布陣

『日本推理小説史 第二巻』 中島河太郎 東京創元社 11月30日発行
→初出:『推理界』 1967(昭和42)年10月号

第二章 大正期の「新青年」の増刊

『日本推理小説史 第二巻』 中島河太郎 東京創元社 11月30日発行
→初出:『推理界』 1967(昭和42)年11月号

第三章 作家専業の乱歩

『日本推理小説史 第二巻』 中島河太郎 東京創元社 11月30日発行
→初出:『推理界』 1967(昭和42)年12月号

第五章 本格派と変格派

『日本推理小説史 第二巻』 中島河太郎 東京創元社 11月30日発行
→初出:『推理界』 1968(昭和43)年2月号

第六章 乱歩登場前後の作家

『日本推理小説史 第二巻』 中島河太郎 東京創元社 11月30日発行
→初出:『幻影城』 No.16 1976(昭和51)年4月1日発行

第七章 探偵趣味の会

『日本推理小説史 第二巻』 中島河太郎 東京創元社 11月30日発行
→初出:『幻影城』 No.23 1976(昭和51)年10月1日発行

 新聞記者を中心とする活動力は、会の設立された四月から五ヶ月後の九月に、機関誌「探偵趣味」を誕生させたほどであった。これも星野(春日野)の尽力で、大阪のサンデー・ニュース社が印刷を引受け、発行元は探偵趣味の会となっている。
 同誌発行時の発起人は伊藤恭雄、井上豊一郎、井上爾郎、西田政治、本田緒生、大野木繁太郎、和気律次郎、春日野緑、横溝正史、村島帰之、山下利三郎、松本五郎、顕考与一、甲賀三郎、小酒井不木、江戸川乱歩、水谷準、平野嶺夫の十八人であった。

第九章 前田河・乱歩論争

『日本推理小説史 第二巻』 中島河太郎 東京創元社 11月30日発行
→初出:『幻影城』 No.11 1975(昭和50)年11月1日発行

第十章 甲賀三郎の登場

『日本推理小説史 第二巻』 中島河太郎 東京創元社 11月30日発行
→初出:『幻影城』 No.13 1976(昭和51)年1月1日発行

 昭和戦前期の探偵文壇の代表的存在といえば、江戸川乱歩と甲賀三郎、大下宇陀児が挙げられよう。いずれも大衆娯楽誌や新聞を舞台にできる職業作家であって、あとはまだ専門作家としてほとんど自立し得なかった。
 それよりもう一時期まえの大正末期になると、江戸川、甲賀に並んで小酒井不木によって代表されていた。探偵趣味の会が発行元で、春陽堂から発売された「探偵趣味」は、この三人の共同編集の形をとっている。

第十五章 葛山、小酒井、妹尾その他

『日本推理小説史 第二巻』 中島河太郎 東京創元社 11月30日発行

12月

日本ミステリーの歴史における乱歩 / 江口雄輔

『国文学 解釈と鑑賞 特集 江戸川乱歩の魅力――生誕百年』 至文堂 12月1日発行