『大阪人』 第60巻 1月号 大阪都市協会 1月1日発行
この後の昭和三年、「サンデー毎日」が乱歩・不木らを含む作家グループ「耽奇社」同人に六大都市をテーマにした小説を依頼したとき、当然のように大阪を舞台にした小説を依頼されている(だが、結局は書けずに、親友の横溝正史に「角男」を代作してもらった)。乱歩はすでに東京に移住していたにもかかわらず、いまだ「大阪の作家」と見られていたのかと察せられるが、それはあくまで他からのイメージで、彼自身にそういう自覚はなかったのではないかと私などは考えてきた。
だが、この一文はそうではなかったことを示している。にもかかわらず、父・繁男が大正十四年九月に数え年五十九歳で亡くなったことも大きかったのだろう。乱歩は彼にとっての“故郷”であった大阪の地を離れることになる。
『中日新聞』尾張版 1月7日
蟹江町出身の作家小酒井不木(ふぼく、一八九〇−一九二九年)にちなむ「小酒井不木賞俳句コンテスト」が今年も同町で開かれ、実行委員会が作品を募集している。
同コンテストは、日本の探偵小説の草分けとして活躍し、俳句にも親しんだ不木の生誕地碑の完成を機に、同町のまちづくりグループ有志が声を掛け合って一昨年から始め、三回目となる。
作品のテーマは、ふるさとの風情か、不木に関すること。小中学生以上なら誰でも参加できる。
『おとなの工作読本』 No.10 誠文堂新光社 3月1日発行
→ 『夢見る趣味の大正時代 作家たちの散文風景』 湯浅篤志 論創社 2010年3月30日発行
さらに、顕微鏡は違った方面にも利用されていった。犯罪事件における捜査の時である。少年向けの探偵小説のなかの話であるが、衛生学の研究者で肺結核にも悩まされていた探偵小説作家小酒井不木は、次のように描いている。
(中略)
「髭」を顕微鏡で観察して、犯人への手がかりにしていくという「科学的」な捜査方法。この少年探偵俊夫君を主人公とした物語シリーズは、『子供の科学』大正一三年一二月号から連載された「紅色ダイヤ」を嚆矢としている。少年探偵塚原俊夫君はわずかな証拠からいとも簡単に新たな事実を見つけていくのだが、この俊夫君のみならず大正時代の少年探偵は皆、素晴らしい「科学的」な知識を持っていた。これは科学万能の夢を抱けた大正時代の探偵小説モードであるのだ。もちろん『子供の科学』をはじめとする、さまざまな雑誌の読者である少年に対する科学啓蒙でもある。
『月経と犯罪―女性犯罪論の真偽を問う』 田中ひかる 批評社 3月1日
→ (加筆・修正)『月経と犯罪 “生理”はどう語られてきたか』 平凡社 2020年12月16日発行
『中日新聞』尾張版 3月10日
小中学生の部には、町教委の協力で町内の学校から千八百五十人が参加し、三十四人の句が入賞。また、高校生以上の一般の部では、百七十九人から三百二十三句の応募があり、その中から入賞十四点、入選十一点が選ばれた。
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表彰式は二十一日午前九時半から、蟹江町図書館の不木生誕地碑前で行われる。式の後、医師の加納泉さんが「不木を語る」の題で講演する。
『中日新聞』尾張版 3月22日
第三回「小酒井不木賞」俳句コンテスト(中日新聞社など後援)の表彰式が二十一日、蟹江町図書館で開かれた。
同町出身の作家で、俳句にも親しんだ小酒井不木(一八九〇−一九二九年)の業績をたたえ、文化的なまちづくりを推し進めようと、住民有志らでつくる実行委員会が主催。
『朝日新聞』名古屋版 3月22日夕刊
日本の推理小説の草分け的存在である小酒井不木が江戸川乱歩に贈った書入りの額が、不木の故郷の愛知県蟹江町に帰ってきた。(後略)
『中日新聞』尾張版 3月23日
乱歩の孫で雑誌編集者の平井憲太郎さん(五五)が長年所持していた額(縦五〇センチ、横一四二センチ)で、不木が乱歩に贈った二つの額のうちの一つ。不木が好んだ「子不語」の文字が書かれている。
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乱歩宅の応接間に長く飾ってあったため、額には、出入りしていた友人や知人、編集者らのたばこのヤニが染み付いているが、資料館では、その汚れにも歴史的価値があるとして、あえて洗浄しないことにした。
『年報』 第二十六冊 蟹江町歴史民俗資料館 3月26日発行
(8)文化財研修会
当町出身の探偵小説作家小酒井不木と、江戸川乱歩の往復書簡集「子不語の夢」が平成十六年十月に出版されたのを機に開催した。
期日 平成十六年三月六日
場所 蟹江町中央公民館分館 三階会議室
テーマ 「子不語の夢〜不木が乱歩に夢みたもの」
講師 小酒井不木研究家・HP「奈落の井戸」主宰 阿部崇氏
参加者 三十八名
『戦後創成期ミステリ日記』 紀田順一郎 松籟社 4月14日発行
→ 初出:『SRマンスリー』 SRの会 1962年6月発行
『朝日新聞』名古屋版 4月18日夕刊
推理小説を書く数学者は世界にも例がないらしいが、理系の推理作家は結構いる。ファン必携という「日本ミステリー事典」(新潮社)に項目として上がる推理作家512人のうち、大学理工医学部など理系学歴を持つのは66人(13%)。戦前の甲賀三郎、小酒井不木、戦後の高木彬光、山田風太郎、最近では森博嗣、東野圭吾など理系出身の有名作家は少なくない。
『冥宮ミステリーファイル ちょっと探偵気分』 本島幸久 講談社 5月17日発行
毎年年末になると『このミステリーがすごい!』が楽しみ。というわけで極私的に――
(中略)
(短編) 国内・海外合わせて
瓶詰の地獄 夢野久作
湖畔 久生十蘭
恋愛曲線 小酒井不木
とむらい機関車 大阪圭吉
蝋人 山田風太郎
オレンジの半分 加納朋子
遠くで瑠璃鳥の啼く声が聞こえる 麻耶雄嵩
開いた窓 サキ
ジェミニー・クリケット事件 クリスチアナ・ブランド
妖魔の森の家 ジョン・ディクスン・カー
トリッキーでプラスαのある作品が好きですね――
『部落問題研究』 第176号 6月発行
「感傷主義」なる決めつけでわれわれの同情者・理解者・支援者を遠ざけてはいけない。我のみ「科学的」な医療知識を身につけており、そうでない民衆は国家犯罪に加担したのだという「一億総懺悔」「国民総加害者」論に思考を流し込む態度を常に警戒しなければならない。
木下杢太郎に何ら責任無く作り上げられた「感傷主義批判文学史観」は一面冤罪の文学史である。(中略)老婆アリョーナの如く「冷たい性質」を持った「私の養父」には実は隠された苦悶――「恐ろしい病即ち癩病」があったとする作品の根底には癩患者に対する惻隠の情が横たわっている。「あなたは法律上の死刑よりもなほ一層恐ろしい刑罰を受けられることになりました。」とは、「毎日養父に昇汞水の注射をし」続けた孝行息子が密室完全犯罪をしても恬として恥じない西村博士に投げつけた、抑制された罵倒語なのである。
『うつし世の乱歩』 平井隆太郎 河出書房新社 2006年6月30日発行
→ 初出:『有鄰』 315号 1994年2月発行
『うつし世の乱歩』 平井隆太郎 河出書房新社 2006年6月30日発行
→ 初出:『別冊宝石』 42号 昭和29年11月発行
『第三回「小酒井不木賞」俳句コンテスト 俳句抄 折々草句集』 小酒井不木俳句コンテスト実行委員会 7月19日発行
その当時、不木先生がどんなことを言っておられたか、私の祖父は加納精一郎といいますが、その精一郎宛に不木先生が書いてくださった手紙が残っております。それは現在も「小酒井不木全集」の中に残されておりますが一端を御披露したいと思います。
『名古屋近代文学史研究』 第158号 名古屋近代文学史研究会 12月10日発行
不木の作文がようやく入賞するのは、五年生になってからである。しかも、二回とも三等に入賞している。これは充分に満足できる順位だと思われるが、不木は「遂に満足な結果を得ず」と述べている。一位を狙っていたのに、三位までしかとれなかった、ということだろうか。不木が三等に不満だったかどうかはわからない。あるいは満足な結果が得られなかったという点も、不木の記憶違いかもしれない。また、「それにも拘はらず今は売文を業として暮らさねばならぬ」と続けるために、作文が入賞しなかったことにしておいた、という可能性もある。