参考文献/資料集 1954(昭和29)年

(公開:2008年1月14日 最終更新:2025年1月15日)
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9月

不木先生のこと / 岡戸武平

『たんざく』 第1号 日本短冊研究会 9月10日発行

参照: 翻刻テキスト「不木先生のこと」

11月

夫を語る / 平井隆

『別冊宝石』 42号 11月10日発行
→ 『うつし世の乱歩』 平井隆太郎 河出書房新社 2006年6月30日発行

 運がいいと言えば、主人は処女作「二銭銅貨」がみとめられ、本来ならば五年も十年もかかる、無名作家の時代もなく、世に出られたことが第一でしょう。
 これには、森下雨村さんが見出してくださり、そのあとは小酒井不木さんが熱心に後援してくださったお蔭だと思います。

耽綺社の頃 / 土師清二

『別冊宝石』 42号 11月10日発行

 江戸川さんと最初に会つたのは『大衆文芸』の同人二十一日会の席上であつたかとおぼえている。
 その後小酒井不木、江戸川乱歩、本山荻舟、国枝史郎、平山蘆江、長谷川伸、私などが、月一回、名古屋で集まるようになつた。会の名は、小酒井さんか、江戸川さんの思いつきで、『耽綺社』とした。馬琴の『耽奇漫録』から出ている。
 会場は大須の大須ホテル。ホテルという名にあまりふさわしくない旅館で、この家は大須に遊廓があつたときの妓楼をそのままホテルにしたもので、薄暗い小部屋が沢山あつた。
 引きつけであつたらしい広い座敷で、皆は無目的に話合つた。そのうちに合作で大探偵小説『飛機睥睨』ができたり、喜多村緑郎氏のための脚本ができて、御園座で上演されたりした。小酒井さんの発案で『豊川稲荷御利生記』を新聞に連載しようではないかという話もあつた。名古屋は豊川様の御利益圏内にある故であつた。

小酒井さんの一周忌に集まつてから後は『耽綺社』も自然解散のようになつた。『耽綺社』は江戸川さんの首唱で、同人がそれに和して、病弱で名古屋から外へは出られない小酒井さんのまわりを、おのおの花を持つて集まつて、ニ三日を過ごそうという無言の肯きが、通い合つたからだつた。

12月

伝記小説 江戸川乱歩 / 中島河太郎

『探偵倶楽部』 12月号
『乱歩の幻影』(筑摩書房・1999(平成11)年9発22日発行