『古書の味覚』 山下武 青弓社 1月18日発行
→ 初出:『週刊読書人』 1991年9月16日
『古書の味覚』 山下武 青弓社 1月18日発行
→ 初出:『週刊読書人』 1991年10月28日
『古書の味覚』 山下武 青弓社 1月18日発行
→ 初出:『世界日報』 1989年9月11日
『推理小説に見る古書趣味』 長谷部史親 図書出版社 1月20日発行 ※初出より改稿
→ 初出:『日本古書通信』 1990年3月(未確認)
この『大衆文芸』は「二十一日会」という同人組織の機関誌で、同人には長谷川伸、本山荻舟、平山蘆江、白井喬二、矢田挿雲、土師清二、国枝史郎、小酒井不木、直木三十五、江戸川乱歩、正木不如丘、池内詳(※1)三の十二名が連なっていた。現時点から当時の時代小説を眺める上で、実に錚々たる顔ぶれが揃っている反面、小酒井不木、江戸川乱歩ら異色の名前も見える。推理小説を独特の知的文学と捉え、日本の大衆娯楽読物とは切り離して考えていた乱歩が参加したのは、先輩格の不木に誘われたからであった。一方、医学者としての本務の傍ら推理小説を愛好した不木には、大衆文芸の勃興に尽力することによって、推理小説を大衆に広めたいという意図があったのではないかと考えられる。
(※1)原文ママ。「祥」の誤植。
『『新青年』趣味』 第2号 『新青年』研究会 3月6日発行
『生誕100年記念 大沢鉦一郎作品集』 名古屋画廊 6月1日発行
大正14(1925)年 32歳
この頃、小酒井不木作の探偵小説『疑問の黒枠』の挿絵を描く。
大正15(1926)年 33歳
名古屋新聞夕刊連載小説(小酒井不木『名古屋見物』)の挿絵をマッチの軸と墨で描く。
『叢書新青年 聞書抄』 湯浅篤志・大山敏編 博文館新社 6月3日発行
――ところで、医学を志して東北帝大の助教授に任じられたのにもかかわらず、探偵小説に手を染めるとは何ぞやという空気はあったのですか。
小酒井 それは本当に体が悪くて、医学研究ができなかったからという事情もあったのでしょう。ニースで療養所にいましたでしょう。お金がいるんですね。それで私の母が言っていましたけれど、不木さんの奥さんが畑をどんどん売って仕送りをしていたそうです。そうしないと療養所生活が続かないんです。ところが、ニースの医者にあと一年の命だ、と宣告されてしまったらしいのです。だから日本に帰ることにしたようです。不木さんは日本に帰ってきてから初めて、ほとんど実家の土地が売られてしまったことを知らされたものですから、名古屋に新しく家を建てることにしたのです。
『Nagoya発』 24号 名古屋市 6月発行
自由奔放な想像力にあふれる伝奇小説『神州纐纈城』が二〇年代の名古屋で書かれていたことに、私ははっとさせられた。さらに、名古屋在住の探偵小説作家小酒井不木の呼びかけにより、小酒井、国枝、そして宝塚の土師清二、京都の長谷川伸、そして、東京の江戸川乱歩が集まって、合作組合「耽綺社」が結成され、毎月一回、名古屋七本松にあった料亭「寸楽」に集まっていたという。これについては江戸川乱歩『探偵小説四十年』にくわしい。乱歩、長谷川、土師は、大須ホテルに泊まっていた。このホテルは元遊女屋で、迷路のような建物だったそうである。
耽綺社は一九二七年に結成され、話題になり、『名古屋新聞』や『新愛知』などにとりあげられた。また寸楽で雑誌『新青年』の座談会なども開かれている。一九二九年の小酒井の死によって、耽綺社は解散している。国枝史郎は、一九三三年に、十数年間の名古屋生活に別れて、東京に出た。
『Nagoya発』 24号 名古屋市 6月発行
大正九年一月、新雑誌『新青年』が創刊。文壇では自然主義全盛の後、『改造』がジャーナリズム界をかっ歩していたころのことである。翻訳探偵小説を主軸として、徐々に読者層を広げつつあった『新青年』に必要だったのは、読者より一段高い立場に立って探偵小説を説く啓もう家であった。
不木は自宅で療養につとめる傍ら、各方面にわたって執筆活動を続けた。大正十年、『東京日日新聞』(毎日新聞の前身)に連載された随筆『学者気質』の中で探偵小説を論じた一項を読んだ森下雨村は、不木が探偵小説愛好家であることを知り、研究随筆、翻訳小説の執筆を勧めた。『毒及毒殺の研究』『殺人論』『犯罪文学研究』など、医学者としての視点を生かした不木の犯罪学研究は読者の知的好奇心をそそるものばかりだ。
小酒井不木は、未開拓であった推理小説普及に貢献した第一人者である。中島河太郎は「これらは単なる通俗医学の紹介ではなかった。東西の文献や伝説、事実譚に例証を求めながら、きわめて興味深い叙述を工夫しており、特に文芸作品、探偵小説の引用も豊富で、研究書というより医学と文学の交渉を物語る啓蒙書ともいえる」と述べている。また、一連の仕事は随筆家、医学解説者として繁忙を続ける中での業績であるだけに、その博識と意気込みには目を見張る。
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小酒井不木は名古屋を舞台とした探偵小説を数多く創作している。中でも長編探偵小説『大雷雨夜の殺人』(一九二七年)には、大須の蓬莱座や栄町広小路本町角カフェー・アンナなどが登場し、都市の情景が生き生きと描写されている。
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日々刻々と変ぼうしつつあった都市名古屋は、探偵小説家たちに鮮やかな幻想都市のイメージを吹き込んだ。彼らの筆にかかると、名古屋の町が途端に猟奇的で、享楽的で、退廃的な様相を帯びてくる。
『日本ミステリー進化論』 長谷部史親 日本経済新聞社 8月25日発行
日本推理小説の草創期においては、自薦他薦を問わず他の分野から進出してきた作家が少なくない。ジャンルそのものが新しいのだから、これは当然といえば当然の話にはちがいないが、やはり総本山ともいうべき『新青年』の初代編集長の森下雨村が、つてを頼ったり自ら発見して各界に寄稿を仰いだ賜物でもある。前に述べた医学博士の小酒井不木にしても、請われて考証随筆類を『新青年』に連載しているうちに、実作にも手をそめるようになった。不木の場合は徹底していて、いざ書き始めると通俗ものや少年向け作品など何でもいとわず執筆し、推理小説の振興に大いに貢献している。
『新潮日本文学アルバム 江戸川乱歩』 新潮社 10月10日発行
懸賞募集に外国作品の翻案的なものしか集まらないことを嘆いていた森下雨村は、江戸川乱歩より送られた二作を即座に読んで感激し、掲載を約束した手紙を送るとともに、小酒井不木に批評を頼んだ。不木は、帝大出の医学博士で、イギリス留学の後、病で医学の道から離れ、怪奇伝説や神秘現象についてのエッセイなどの文筆で知られていたひと。