参考文献/資料集 1993(平成5)年

(公開:2006年1月23日 最終更新:2017年9月29日)
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1月

(古本界)古本旱と「現代大衆文学全集」

『古書の味覚』 山下武 青弓社 1月18日発行
 → 初出:『週刊読書人』 1991年9月16日

(古本界)小酒井不木再評価の機運が盛り上がる

『古書の味覚』 山下武 青弓社 1月18日発行
 → 初出:『週刊読書人』 1991年10月28日

(本の窓)乱歩の遺産『貼雑年譜』

『古書の味覚』 山下武 青弓社 1月18日発行
 → 初出:『世界日報』 1989年9月11日

第六章 鞍馬天狗のモデルが古書店を訪れるとき

『推理小説に見る古書趣味』 長谷部史親 図書出版社 1月20日発行 ※初出より改稿
 → 初出:『日本古書通信』 1990年3月(未確認)

 この『大衆文芸』は「二十一日会」という同人組織の機関誌で、同人には長谷川伸、本山荻舟、平山蘆江、白井喬二、矢田挿雲、土師清二、国枝史郎、小酒井不木、直木三十五、江戸川乱歩、正木不如丘、池内(※1)三の十二名が連なっていた。現時点から当時の時代小説を眺める上で、実に錚々たる顔ぶれが揃っている反面、小酒井不木、江戸川乱歩ら異色の名前も見える。推理小説を独特の知的文学と捉え、日本の大衆娯楽読物とは切り離して考えていた乱歩が参加したのは、先輩格の不木に誘われたからであった。一方、医学者としての本務の傍ら推理小説を愛好した不木には、大衆文芸の勃興に尽力することによって、推理小説を大衆に広めたいという意図があったのではないかと考えられる。

(※1)原文ママ。「祥」の誤植。

6月

大沢鉦一郎年譜

『生誕100年記念 大沢鉦一郎作品集』 名古屋画廊 6月1日発行

大正14(1925)年 32歳
この頃、小酒井不木作の探偵小説『疑問の黒枠』の挿絵を描く。

大正15(1926)年 33歳
名古屋新聞夕刊連載小説(小酒井不木『名古屋見物』)の挿絵をマッチの軸と墨で描く。

医文学者のまなざし──小酒井不木、望 / 小酒井海千香

『叢書新青年 聞書抄』 湯浅篤志・大山敏編 博文館新社 6月3日発行

――ところで、医学を志して東北帝大の助教授に任じられたのにもかかわらず、探偵小説に手を染めるとは何ぞやという空気はあったのですか。
小酒井 それは本当に体が悪くて、医学研究ができなかったからという事情もあったのでしょう。ニースで療養所にいましたでしょう。お金がいるんですね。それで私の母が言っていましたけれど、不木さんの奥さんが畑をどんどん売って仕送りをしていたそうです。そうしないと療養所生活が続かないんです。ところが、ニースの医者にあと一年の命だ、と宣告されてしまったらしいのです。だから日本に帰ることにしたようです。不木さんは日本に帰ってきてから初めて、ほとんど実家の土地が売られてしまったことを知らされたものですから、名古屋に新しく家を建てることにしたのです。

不木と乱歩の幻想都市

『Nagoya発』 24号 6月発行

8月

6 探偵小説論争にみるジャンルとしての確立

『日本ミステリー進化論』 長谷部史親 日本経済新聞社 8月25日発行

 日本推理小説の草創期においては、自薦他薦を問わず他の分野から進出してきた作家が少なくない。ジャンルそのものが新しいのだから、これは当然といえば当然の話にはちがいないが、やはり総本山ともいうべき『新青年』の初代編集長の森下雨村が、つてを頼ったり自ら発見して各界に寄稿を仰いだ賜物でもある。前に述べた医学博士の小酒井不木にしても、請われて考証随筆類を『新青年』に連載しているうちに、実作にも手をそめるようになった。不木の場合は徹底していて、いざ書き始めると通俗ものや少年向け作品など何でもいとわず執筆し、推理小説の振興に大いに貢献している。

10月

黄金時代 大正12年〜大正15年 江戸川乱歩誕生 / 鈴木貞美

『新潮日本文学アルバム 江戸川乱歩』 新潮社 10月10日発行

 懸賞募集に外国作品の翻案的なものしか集まらないことを嘆いていた森下雨村は、江戸川乱歩より送られた二作を即座に読んで感激し、掲載を約束した手紙を送るとともに、小酒井不木に批評を頼んだ。不木は、帝大出の医学博士で、イギリス留学の後、病で医学の道から離れ、怪奇伝説や神秘現象についてのエッセイなどの文筆で知られていたひと。