『郷土文化』 45巻3号 3月15日発行
『大正の探偵小説』 伊藤秀雄 三一書房 4月30日発行
孤蝶より以上に、初期の「新青年」に寄稿した啓蒙家に小酒井不木がいる。雨村が大正十年九月の「東京日日新聞」に連載されていた彼の随筆「学者気質」を読んでいると、その中に「探偵小説」の一項を見つけた。
(中略)
雨村が筆者の小酒井不木に原稿依頼すると、快くひきうけ、早速原稿を送って来て、本腰になって犯罪文学を研究するから、有朋堂文庫百冊をはじめ、手もとにある犯罪文学の文献を片っ端から送って欲しいとの手紙が添えてあった。
その後は、研究、随筆、翻訳、のちに創作もと次々と原稿が送られ、当時の探偵小説の宣伝、啓蒙にもっとも尽力した功労者となったのである。
『大正の探偵小説』 伊藤秀雄 三一書房 4月30日発行
話が前後したが、大正十四年に乱歩は「大衆文芸」発刊の二十一日会に加入している。
(中略)
はじめ乱歩は、不木を通じてこの会の加入の勧誘状を受けると躊躇したが、元来探偵小説娯楽論者の不木が加入したので、勧めに応じている。
この会に参加することは、探偵小説の特殊な稀少性を自負する乱歩にとっては、探偵小説が、大衆小説の一部分のように見られる懸念があったからだ。しかし、結局は、乱歩、不木の加入によって、稀少性の勿体付けの文学ではなく、大衆文芸の一つだと見られる要因となった。第一次「大衆文芸」は、大正十五年一月号から創刊され、昭和二年七月号まで通巻で十九冊を発行し廃刊している。
『大正の探偵小説』 伊藤秀雄 三一書房 4月30日発行
甲賀三郎は中学時代に涙香・ドイルを愛読していたが、小酒井不木の場合は涙香は晩学であったようだ。しかし、真剣に涙香研究に取り組んだふしがある。(後略)
『ミステリーと化学』 今村壽明・山崎昶共著 裳華房 6月20日発行
この作品(※)が書かれて15年ほど経って、旧制の熊本中学(現在の熊本高校)に通っていた筆者は、ドキドキしながらページを繰るのに忙しかった。ちょうど、男女の間のことがわかり始め、学校では生理、幾何、代数を習っている頃とて、−の曲線と−の曲線をミックスすると+の曲線になるというアイディアが中学生向きだったのであろう。
(※)「恋愛曲線」
この作品(※)は、ヒ素が愚人の毒であることを知っていると面白味が増すように書かれている。では、なぜにヒ素が愚人の毒なのだろうか。端的にいうと、ヒ素で殺人を犯すとその使用を必ず発見され、犯人特定に確実な証拠となるからである。(後略)
(※)「愚人の毒」
『新青年傑作選第2巻 怪奇・幻想小説編(新装版)』 立風書房 7月1日発行
『週刊読書人』 9月16日発行
→ 『古書の味覚』 山下武 青弓社 1993年1月18日発行
古書会館を出て紀田氏とお茶を飲んだ際も話に出たが、膨大な巻数の割に個々の作家の作品中、重要なところが抜けているのがこの全集の泣き所で、特にその感が深いのが六巻と三十三巻の『國枝史郎集』である。探偵作家の内、小栗虫太郎や夢野久作が収録されてないのは発行年度の関係でやむをえないが、甲賀三郎、大下宇陀児、松本泰、小酒井不木らの人気がないのも、「現代大衆文学全集」の古書価がこれまで長らく低迷してきた原因の一つだったのでは。
『犯罪文学研究』 小酒井不木 国書刊行会 9月30日発行
→ 『怪獣はなぜ日本を襲うのか?』 長山靖生 筑摩書房 2002年11月25日発行
『週刊読書人』 10月28日発行
→ 『古書の味覚』 山下武 青弓社 1993年1月18日発行
探偵小説黎明期の功労者も長らく忘れられていたが、このほど国書刊行会のクライム・ブックス刊行を機に、半世紀ぶりで不木の『犯罪文学研究』『殺人論』の二著が装いを新たに甦ることとなった。右に『毒及毒殺の研究』を含めた不木の三大研究は――浜尾四郎の同種の著作と共に――内外犯罪の文学的・探偵小説的研究の金字塔として、今日なお余人の追随を許さない。探偵作家としての業績もさることながら、不木の真骨頂はやはりこの方面にあったというべきだろう。
『殺人論』 小酒井不木 国書刊行会 10月30日発行
→ 『近代日本の紋章学』 長山靖生 青弓社 平成4年10月30日発行 ※改稿
『新青年ミステリ倶楽部』 中島河太郎編 青樹社 12月10日発行
はじめ海外探偵小説の状況に暗く、また適任の翻訳者を探すのに苦労したが、当時は国際条約に加盟していなかったので、すぐれた作品を発掘し、愛好する作家を見出すに従って、アマチュアが翻訳して「新青年」に持ちこむという状態だった。
西田政治、浅野玄府、田中早苗、妹尾アキ夫、延原謙、坂本義雄、谷譲次、横溝正史、和気律次郎、吉田甲子太郎らが、それぞれ競いあったことが、「新青年」の評価を高からしめたのである。
こうして翻訳家のほうは期せずして集まったが、雨村としては探偵小説の研究、評論家も欲しかった。当時は欧米の大衆文学に通じている人は乏しく、わずかに英文学者馬場孤蝶、評論家の長谷川天渓、英学者の井上十吉といった、いくらかでも広汎な英文小説の読者に頼る他はなかったが、そのあとに登場したのが小酒井不木であった。
不木は生理学を専攻し、東北帝大教授に任じられたが、病気のため療養中であった。その随筆で探偵小説に触れてあったのを見た雨村は、早速寄稿を依頼して、以後研究、随筆にはじまって、翻訳、創作を精力的に発表した。その成果は『毒及毒殺の研究』、『殺人論』、『犯罪文学研究』などで、東西の文献や伝承、事実譚、探偵小説に例証を求め、啓蒙的研究書として歓迎された。
『郷土文化』 46巻2号 12月15日発行