『幻想文学』 33号 幻想文学出版局 1月15日発行
【一九二三〜一九二七】
幻 二六年から二七年にかけては、乱歩の充実した仕事ぶりをはじめ、小酒井不木、水谷準、夢野久作、瀬下耽、渡辺温ら、「新青年」系作家の活躍が目立ちます。
怪 「新青年」には新感覚派もプロレタリア派も呉越同舟で顔を出して、誌面に活気があふれてる感じがするね。ほかにも「文芸時代」の怪奇幻想特集号をタルホが編集したり、耿之介が「奢■都」誌上で一大幻想文学叢書の企画をぶちあげたり、梅原北明が「変態資料」をはじめとするエログロ雑誌を精力的に発刊したりと、伝説の雑誌が目白押し!
『欧米推理小説翻訳史』 長谷部史親 本の雑誌社 5月10日発行
→ 初出:『翻訳の世界』(1989.5〜1992.5 未確認)
(前略)すぐれた医学者であると同時に、随筆で推理小説に言及したのを雨村に見込まれて『新青年』の常連寄稿家となった不木は、手堅い考証随筆や研究を発表したり、英語やドイツ語の原書を渉猟した成果を紹介していた。先に掲げた雨村の文章を裏づける事例としては、不木が大正十四年の『新青年』に、前年でイギリスで出たばかりのフレッチャーの新作 The Mysterious Chinaman の読後感を寄稿している。
『欧米推理小説翻訳史』 長谷部史親 本の雑誌社 5月10日発行
大正十一年ごろ、森下雨村の慫慂で『新青年』に犯罪や探偵に関する随筆を寄稿していた不木が、学生時代からの親友の古畑種基がドイツに留学中であったのを幸い、面白そうな本があったら送ってくれるように頼んだところ、S・A・ドゥーセの作品が送られてきた。ドゥーセ(Samuel August Duse, 1873―1933)はスウェーデンの作家だが、古畑種基が探して送ってきたのはドイツ語訳の版である。そこで不木は、最初に長篇「スミルノ博士の日記」を鳥井零水名義で翻訳し、大正十二年一月から四月にかけて『新青年』に連載した。これが相当に好評であったと見えて、完結と同じ四月から間髪を入れずに「夜の冒険」の連載が始まっている。この「夜の冒険」は同年十月まで続いたが、その際には総額五百円の犯人当て懸賞も催されており、ドゥーセという作家に期待する編集部の意気込みが感じ取れよう。
それ以来、ドゥーセの作品は小酒井不木の専売特許のような形で翻訳出版されている。(中略)かくして不木の尽力によって、S・A・ドゥーセの名前は戦前の推理小説ファンの間に印象づけられたのであった。
さて話題をもとに戻すと、小酒井不木が移入したドイツ文化圏の推理小説で特筆すべきものには、もうひとつパウル・ローゼンハインのジョー・ジェンキンズ・シリーズがある。前述のドゥーセの本とともに、古畑種基がドイツから送ってよこしたもののひとつに、一九一九年に出版された Die Drei auf der Platte und Anderes というものがあった。これはジェンキンズを探偵役とする作品六篇を収めた短篇集で、その表題作が「乾板上の三人」として『新青年』大正十二年五月号の誌面を飾ることになった。(後略)
『ミステリーの毒を科学する』 山崎昶 講談社ブルーバックス 5月20日第1刷発行
この「愚者の毒」という俗名は結構有名になり、わが国でも東北帝国大学教授であった小酒井不木が同名のミステリーをものしているのですが、世の中が進んできたことを知らない毒殺犯人だけは「死因など絶対わかるはずがないワ。お医者様だって胃腸障害と区別できないっていうじゃない」と何とか隠れおおせたつもりでいても、その道のエキスパートの手にかかるとすぐアシがつくというためにつけられたものらしいのです。
専門家と一般市民の間の化学常識のへだたりが、この時代から次第に大きくなってきたことをそれとなく表現した俗称といえるかもしれません。
『ミステリーの毒を科学する』 山崎昶 講談社ブルーバックス 5月20日第1刷発行
東北帝国大学教授であった小酒井不木の『毒及び毒殺の研究』にも引用されていますが、フランスのさる造花商が他の女性と結婚したさに、邪魔になった細君をコルヒチンで毒殺したらしいと訴えられたが、彼はこのコルヒチンは商売物の造花の染色用に買ったものであると主張し、死体からも検出できなかったので無罪となったという例が報告されています。
造花の染色用に使うというのは、どうみてもおかしいのですが、一九世紀当時ならば、まだ裁判化学や鑑識化学も今日ほどには発展していなかったのですから、微量のアルカロイドの検出ができなかったのも無理ないことでした。
『近代日本の紋章学』 長山靖生 青弓社 10月30日発行 ※初出より改稿
→ 初出:『幻想文学』 27号 1989年9月
『近代日本の紋章学』 長山靖生 青弓社 10月30日発行 ※初出より改稿
→ 初出:『殺人論』 小酒井不木 国書刊行会 1991年10月30日発行
『幻想文学』 36号 幻想文学出版局 11月10日発行
こうして趣味的に「悪魔的」なるものに惹かれる研究者たちの人脈は、大正期に入るとさらに当時隆盛しつつあった心理学や犯罪学の研究と相俟って、小酒井不木、古畑種基、浅田一、小南又一郎らへと広がっていく。彼らは欧米における「悪魔憑き」に相当する狐憑きについての研究なども行っているが、彼らの興味の抱き方は、あくまで対象との距離をおいた部外者のそれであったし、むしろ彼らの心情としては神や悪魔などという不可視の存在の名において語られる人間の営為を、人間存在の内部の現象として説明し尽くしたという、まことに近代的な知的冒険心に基づくものなのではあっただろう。
『名古屋近代文学史研究』 第101号 11月28日発行
平成二年(一九九〇)はアガサ・クリスティの生誕百年にあたるということで、書店にクリスティの本が一斉に陳列された。折からの推理小説ブームを反映したものであろう。ところが同じ生誕百年にあたり、同じ探偵小説家の小酒井不木については、地元名古屋でも何の催しもなかった。不木はもう忘れ去られた作家であったのだろうか。
『郷土文化』 47巻2号 12月15日発行