『江戸川乱歩推理文庫64 書簡 対談 座談』 江戸川乱歩 講談社 4月10日発行
★小酒井光次宛 大正十二年七月一日付
★小酒井光次宛 大正十二年七月二十二日付
『幻想文学』 27号 幻想文学出版局 9月15日発行
→ 『近代日本の紋章学』 長山靖生 青弓社 平成4年10月30日発行 ※改稿
探偵小説に対する不木自身の興味は、その当初からミステリーとホラーの双方にほぼ均等に振り向けられていたように思われる。(中略)この“怪異”への想いは、人間の内的な、あるいは外的(肉体的)なそれも含めての不可知=神秘への本能的知覚に由来するものだったろう。
(中略)
彼は怪異なもの、不可知のものに深い興味を寄せ、それを研究し、また小説を書くことでそれに迫ろうとした。何故惹かれたのか、その理由は分からない。分かるような気はするが、気がするのと本当に分かるのとは全く別のことだ。ただ明らかなことは、不木はそれらに独自のロマンティスムを見出し、激しい情熱を込めて怜悧な観察の目差しを注ぎ続けたということだ。そして日本のモダンホラーは、小酒井不木をもって嚆矢とするという事実だけだ。
ガーンズバック流の《サンエンティフィクション》が、もっぱら科学的アイディアの奇抜さに頼った、小説としては陳腐極りないものだったのに対して、小酒井不木の作品は、科学的知識とそれに基く予見的な技術と人間の心理の問題とを常に対峙させ、その相剋から独自の文学的香気を生んでいる。科学の光が強ければ強いほど、残された、どう仕様もない割り切れぬ“想い”の闇は深まって行く。かくて不木は、日本SFの始祖であるばかりでなく、幻想SF派の開祖でもあったのである。
怜悧な客観的描写と混乱した主観。何ものとも言い定められない人間という有機体の複雑な心理の諸相。整理すると隠蔽されてしまう真実の曖昧さ。この曖昧なるものを曖昧なままに描こうとしたため、不木の小説ではしばしば主人公の心理は矛盾し混乱し、併せて提示された冷静な状況分析と相俟って、不思議な世界を現出させる。それは事実そのものの姿であるが故に見馴れぬ醜悪さを私達に感じさせる。
(前略)彼にとって探偵小説とは、あくまで事件を通して人間の心理の奥にある“怪異なる何ものか”を描き出す一種の幻想文学であり、小手先のトリックそのものや、単なる変態的な猟奇趣味に陥ることを激しく嫌っていた。
『世界日報』 9月11日発行
→ 『古書の味覚』 山下武 青弓社 1993年1月18日発行
コナン・ドイルやヴァン・ダインをはじめ、小酒井不木、松本泰ら同業者の死亡記事もあるが、あくまで探偵小説との関連からスクラップしたもので、呆れるほど自己中心的なのは彼がいかに徹底したナルシストであったかがわかって興味深い。