【データ】
初出: | 『京都日出新聞』 明治44年3月4日〜5月23日(休載:4月8日) 第4面に掲載 連載(全80回) |
署名: | 不木生 |
章題: | 掲載一回を一話とし、各話にサブタイトルを付す。 |
挿画: | (作者不明) |
備考: |
藤枝勝清の妻・雪子は幼くして両親に死に別れ、兄とも生き別れになった孤独な身の上。しかし夫は優しく、姑も自分を娘同然に可愛がってくれる。そして女中のお清とは姉妹同様に仲が良く、彼女は平穏な日々を送っていた。しかし転地療養先で出逢った美女・芳江に迷った勝清は、彼女を小石川の一軒家に住まわせ、そこに通い始める。その頃雪子は妊娠していたが、夫は芳江の所に入り浸って振り向いてくれない。おまけに仲の良いお清の結婚が決まり、藤枝家を去る事になって雪子の悲しみは募る。
所変わって朝鮮半島。総督府で書記を務める井上時雄と大村は、親友・近藤の死に心を痛めていた。先頃須磨で起こった、行李詰め死体事件の被害者が近藤本人と判り、容疑者である馴染みの芸者・お花とその情夫・六太の行方を探偵が追っているが、二人の行方は洋として知れないのだ。そして井上にはもう一つ、二十年来消息の知れない妹・雪子という大きな心配があった――。
絶望の果てに死を選ばんとする雪子と、朝鮮から妹の危急を知り駆けつけようとする時雄は無事に再会出来るのか、というのがメインストーリー。「あら浪」とは「人生の荒波」の事であり、主人公の雪子ばかりでなく、登場人物それぞれが多かれ少なかれこの「荒波」に翻弄される様子が描かれる。作者が指向した物語は、錯綜する運命によって織物の如く描かれた因果応報の世界、一種の仏教的世界観だったのだろうか。だとしたらそれは実に低い次元に止まっていると言わざるを得ない。
夢の中で現れる幽霊や三途の川といった道具立ての安っぽさもそうだし、「親の罪が子に報いる」「自然の成り行き」などという思考方法が何のひねりもないままに、主要な骨子となって物語が展開してしまう単純さ、という点では、幼稚とすら言える。小学校時代、近所の寺に集まる大人の信者相手に地獄極楽物語を創作して聞かせていたというエピソードを持つ小酒井不木の書いた小説としては、非常に自然かつ手軽な形式だったかもしれない。しかし小説として、アイディア不足の感はどうしても否めない。
物語の冒頭、死体を詰めた行李が警察署に届けられる、という非常にインパクトの強いエピソードは作者自身にとってもかなり印象深かったようであるが、これは彼の潜在的な「探偵趣味」の証明となり、なおかつ、作者・小酒井不木が潜在的に、いわゆる通俗小説の筆法として、読者の目を惹きつける術を身に付けていたとも捉え得る。
今までデビュー作と見なされていた『生命神秘論』に見られる、万物に対する分析的思考と、現象のみに囚われて神秘への探求心を失ったりすることのない柔軟な感性とのバランスが作家・小酒井不木の原点でありスタイル、という見方がなくなるわけではないが、真のデビュー作というべき本作を通して感じる小酒井不木の本質は、現代人の目にはやや硬直気味とも映る、明治生まれの道徳心であるように覚えた。
【同時代評・関連資料その他】
小説予告「あら浪」(『京都日出新聞』明治44年3月3日号)
「京都日出新聞」小酒井不木(『大衆文芸』大正15年6月号)
「苦労の思ひ出」小酒井不木(『大衆文芸』大正15年9月号)
【収録書名】
単行本未収録
【翻刻テキスト】 → 「あら浪」第一回
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」