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あら浪 第一回 行脚の旅

不木生

 十里の松原は秋の日を斜に浴びて、聳(そそ)り立つ緑の山には、柿の赤みが際立つて光つた。
 鵯越、一の谷から群をなして出た雲が、柔に嶺の松に触れると、鳥は争つて寂しさを謳つた。前には一帯の海が茫乎(ぼーつ)として際限なく、砕ける波を真砂は懇に折返した。遠くは淡路島が水天の境に淡う、真帆片帆の配合が平和の夢を見る様であつた。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
 竹の編笠を深く被つて、墨の法衣(ころも)に身を窶した僧が一人、白く包んだ脛に、横ざまに草鞋を掛けて、太き字の書いてある白風呂敷の荷物を背負つて、念珠(ねんぞ)を爪繰り乍ら行脚の旅を為して行くのである。
 頬骨は突出で、顋(あご)には白黒の鬚が生えて居る、長くはないが秋の風は徐かに動かして居た。何処かに厳めしい所が見えた。
 旅僧は松の根元で、道端の石の上に休んだ。結跏趺坐ではなくて、額の汗をそつ(※1)と拭つた。
 行き交ふ人は少くはないが、誰れも彼も裸になつた道端の木や、落葉の様な海の船を眺めて、無邪気に通つて行くのである。
 がらゝゝ(※2)と塵を蹴つて、馬に曳かせた荷車に従いて、唄つて来た馬方(まご)が、旅僧を見て慇懃に会釈して通つた。
 すると又彼方(むかう)から六十ばかりの男が車を曳いて来た。苧縄(をなは)で幾条(いくすぢ)か縛つた大きな行李が載つて居た。旅僧の前で車を止めて、
「もし! 須磨はもう近(ちこ)ござんすか?」
かう無鉄砲に尋ねた。
「もう五六町ばかりだ。中々えらいな!」
「ヘイ」潔く言つて、
「それでは一ぷく喫まうか、やれゝゝ(※3)
かう云つて、轅(ながえ)を地に着けて、反対の側に腰を下した。つぎはぎしてある布子を着て、草鞋や、禿げた頭が塵埃(ほこり)で白くなつて居た。一見色黒き労働者である。腰に挿いた古い古い煙草入を取り出して、同じ様な捩れた煙管で、シユツと燐寸を摺つて、すぱゝゝ(※4)飲んだ。無造作に鼻から煙を吹いて、
「和尚様は何方(どちら)へ御越しで?」
「ハア手前は西の方を指して」
「今晩あたりは何処でお泊りになります?」
「別に宿とては定まらぬ、昨夜は兵庫の寺で厄介になつたが、今夜はまだわからない!」
「左様(さう)ですかな、しますと方々を御巡りになるのかな」
「如何にも手前はそうして暮すものだ」
「すると此から九州の方へでも?」
「左様! 九州を通つて朝鮮の方を廻つて来やうと思ふが」
「御気楽でせうな?」唐突(だしぬけ)に云ふ。
「気楽なとも! 着の身着の儘ぢや、妻子も財宝もないから、何処で死んでも安気なものぢや」
「そうですかな、手前共ア一代こうして貧乏で暮して、稼いだり足掻いたりで、此の世から地獄ですわな、子供ばかり出来て、食ひ口が殖えるんで遣り切れたものぢやないです」
「お前さん幾歳(いくつ)ぢや?」
「今年五十八ですが、斯(かう)して頭を禿がらかしても碌に好な酒も飲(のめ)ませぬ。」
「ふむ、私より二つ下か、して何処ぢや?」
「明石在のもんですが」
「何をして御座る?」
「ヘイ、百姓は伜にやらせてあるが、手前はこうして、他人様の荷物を運んで居るので今日もこの通誂へられて、明石からやつて来たんですが、中々ゑろございますわい!」
「何処まで持つて行くぢや?」
「須磨までゞ」
「明石からかな」言(ことば)に力を入れた。
「ヘイ左様で」軽く答へた。
 旅僧は合点の行かぬ点があると見えて、頭を傾けて、頻りに疑の眼付をして居た。

 ▲お断り 作者の匿名を二六軒(※5)と予告せしも都合に依り不木生(※6)と改む

(※1)原文傍点。
(※2)(※3)原文の踊り字は「く」。
(※4)原文傍点。踊り字は「く」。
(※5)(※6)原文傍点。

底本:『京都日出新聞』明治44年3月4日(第4面)

【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」

(最終更新:2007年2月26日)