インデックスに戻る

ルヴエルを憶ふ 田中早苗君とモーリス・ルヴエル

甲賀三郎

 畏友早苗田中君と知合になつたのは、彼がルヴエルの翻訳紹介を始めてからだつたか、それともその以前だつたか、能く覚えてゐないが、兎に角、田中君とルヴエルとを離して考へる事が出来ない程、彼はルヴエルに打込んでゐた。田中君の翻訳で始めてルヴエルを知つた文壇人も少くないと思はれる。
 田中君は生れながらに権門に屈せず、富貴に阿らず、清貧に苦んでゐる――今の時節では孔子だつて甘んじてはゐられない――やうな人で、さう云へば森下雨村君も富貴権勢に頭を下げないと云つた概があるが、同じやうでも森下君のはもし富貴権勢を与へて呉れると云へば、少し考へた末に貰ふかも知れないが、田中君の方は中々容易にウンと云つて貰ひさうもない位の差異はある。
 田中君がどうしてルヴエルに打込んだか。私はそれは田中君自身が今度出版したルヴエル集の序に書いてゐるやうに、彼の作品には「溢るゝ許りのヒユーマン・タツチがある」と云ふ一事が、可成大きい因子だと思ふ。ルヴエルの作と云へば私はいつでも蒼蠅と乞食とを思ひ出す。殊に乞食は彼の傑れた作だと思つてゐる。あゝ云ふ風な突放した物の見方をしてゐながら、ルヴエルには不意義に皮肉がない。嫌悪や反感がない。ニヒリスチツクのやうで、可成情味があり、生きる事の感激もあるやうに思はれる。
 如上の点は田中君の人格のうちに一脈の共通点はありはしないかと思ふ。田中君は私の尊敬してゐる友人の一人でありながら、私は可成遠慮なく物を云ふ。その為に往々こちらでは少しも予期してゐない事で、田中君の機嫌を損じる事があるらしい。田中君は時々、君は此間かうゝゝの事を云つたから、癪に障つてもう決して君の家には足踏みをしまいと思つたと云ふやうな事を云ふ。然し、田中君は無論そんな事を直ぐ忘れて終ふ。さうした一時の立腹は決して田中君の偏狭から来るのではなくて、彼の品位から来る。実際彼は古武士の風格を備へてゐて、決して一片の好々爺ではない。が、結果はいつでも彼は人の好い伯父さんで、誰に対しても皮肉を云つたり立腹したりする人ではない。かうした一見矛盾した所、即ちルヴエルが冷い、読む者をしてぞつとさせるやうな物の見方をしながら、嫌悪や反感や皮肉を少しも交へないで、底にはいつでも一脈のヒユーマン・タツチを備へてゐると云ふ点が、一見、狷介不羈に見えて、底に温情を湛へてゐる田中君の性格に相通ずる所があるのではなからうか。
 ルヴエルの作は田中君も云つてゐる通り多種多様で必ずしも、同列に論じられない点があるけれども、もしそれ田中君の傾向となると、実に嬉しくなる程一貫してゐる。もし田中君に好きなものゝ翻訳を頼んだら、必ず所謂ヒユーマン・タツチのある作品ばかり選んで、それが新青年と云ふ探偵小説を主とする雑誌に向くか向かないかを意としないだらう、又そんな事を意とした所で、編輯者の壺に嵌つて、ジヤーナリズムに迎合して行ける人ではない。だから田中君は不遇である。この点も又ルヴエルが異色ある作家として、比較的不遇だつた所に似通つてゐよう。
 何は兎もあれ、このルヴエル集「夜鳥」の出た事を最も喜んでゐるのは田中君であらう。装幀も又決して田中君を失望せしめない清楚なもので、恐らく彼は心からこの一本を愛撫してゐるだらうと思ふ。さうした田中君の喜びは又不肖甲賀三郎の喜びでなければならない。「夜鳥」の出版に際して、こゝに私は心からの喜びを述べ、同時にさうした所懐を述ぶべき機会を与へられた横溝正史君に感謝の意を表して筆を擱く。(三、六、二八)

底本:『新青年』昭和3年8月増刊号

【参考リスト】 → 「M・ルヴェル」

(リニューアル公開:2009年10月31日 最終更新:2009年10月31日)