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私の好きな作家と作品(二) 鬼才モリス・ルヴエル

 田中早苗

 僕はルヴエルが馬鹿に気に入つてしまつて、この頃は大馬力で彼の提灯を持ち廻つてゐる。『ルヴエルつてそんなに好いものかね』と友人がまぜつかへすと、『いゝか拙いか、これを読んでみろ。』さういつて、僕は彼の短篇集を叩きつける。で、その本は方々をぐるゝゝ(※1)駆持(かけもち)してゐるうち、可憫(かはい)さうに、それ等の友人の手垢で真黒になつてしまつた。
 そのくせ、僕はルヴエルについて何も詳しいことを知つてゐるのではない。先年倫敦で『仏蘭西の華(レ・フラール・ド・フランス)』といふ叢書を企てた本屋があつて、その第一篇に据つたのがモリス・ルヴエルの短篇集。それは『クライセス』と題し、『怪奇と恐怖の物語』といふサブ・タイトルがついてゐた。実はそれを読んでからの僕のひゐきだから、甚だ昨今のおなじみで極まりがわるい。
 この叢書の編輯者は、ルヴエルのことを『仏蘭西のポオ』だといつて、盛んに吹聴してゐる。尤も向うの本屋の広告上手と来たら、日本の出版者など如何に鯱鉾立ちをしたつて敵ひはしない。たとへカルピスを飲んで初恋の味を味ひ得た人でも、向ふの広告によつて本を取寄せてがつかり(※2)しない者は少いだらう。ところが、ルヴエルの短篇集だけは一度読むと現代のポオを掘り出したといふ歓びは誰でも感ずることだ。向ふの広告にも稀にいゝのがある。
 ポオの怪談を読むと、魂ひが真暗になつたやうに慄然(ぞつ)とする。が、ルヴエルのものを読むと、更に新しい戦慄でハツとしないわけに行かぬ。
 ルヴエルのは、日本文に訳して僅々二十枚にも充たぬ短いものだが、あれほど多くを考へさせる短篇を読んだことがない。山椒は小粒でもピリツと来る。彼の短篇には、メスで刺すやうな鋭さがある。それでゐて、如何にも仏蘭西式に垢抜けがして、気がきいてゐる。ポオほど博学でない代り、ポオのやうな飾り沢山なのではなく、簡潔で、真摯で、表現がはつきり(※3)してゐる。いや何よりも、底に万斛の涙を湛えてゐるらしい心意気が気に入つた。それがお互ひの胸の奥に潜んでゐる一層深い或るものへピンと響く。ひゐき(※4)にならざるを得ないわけだ。
『僕の切なる願ひは、物に驚きたいといふことだ。何故我々は驚けないだらう。僕はもつともつと大いに驚きたいのだ。』と変な述懐をした男は、たしか國木田獨歩の『牛肉と馬鈴薯』の主人公だつたと思ふ。我々はふと、さうした感想に襲はれることがあるものだ。自然と人生の驚異の中に生活しながら、何故、常に生々しい驚歎に興奮してゐることが出来ないかと。ところが我々にはまた、まつたく平凡に見える日常茶飯的の物事や、行事の間に、思ひもかけぬ怪異に出つ会(くわ)してハツと驚くことがある。さうした怪異を常に発見して我々を驚かせてくれるのは、非凡な鬼才に俟(ま)たねばならぬことだ。丑満時に幽霊の出る怪談なら誰にも書けるが、白昼に飛び廻る青蠅や、老ぼれた牝猫や、街頭の乞食が、何の企みもなしに、ふと怪異を行ふといふやうな話に至つては、猫にも杓子にも書けるといふものではない。今まで馴らされなかつた全く新しい恐怖を我々に投げつけるのが、我がルヴエルの独壇場である。
 死んだ英吉利の名優アーヴイングは、犯罪文学の研究にも相当に深い造詣をもつてゐた人だが、熱心なルヴエルびゐき(※5)の一人であつた。或は英吉利に於けるルヴエル党の元締であつたかも知れぬ。彼はルヴエルの短篇集に序文を三頁ほど書いてゐる――それがまた偶然にも、この名優の絶筆であつたさうで、ルヴエル党は難有(ありがた)(※6)がつてゐる――彼はその序文の中で、『怪談などは舞台にかけると効果の薄くなる場合が多いけれど、肱掛椅子にでも埋(うづま)つて、ルヴエルの集を読むと、その凄さが犇々(ひしひし)と迫つて来る。』と書いてゐる。
 本国の仏蘭西文壇に於けるルヴエルの地位はどんなものであるか、僕は知らない。通俗作家としては『レクチユール』誌などに続きものを書いたりして、十分に知られてゐるやうだが、謂はゆる文壇村(日本でいふ意味の)では、一向問題にされてゐないらしい。尤も文壇の人気なんていふものほど当てにならぬものはない。文壇でちやほやされた流行作家のいい気になつて書き遺したものが皆んな紙屑になつたりする例はいくらもあることだ。ルヴエルだつて今に死んだら、遽(あわ)てて全集が発行されたり、文壇の馬鹿共からお祭りをされたりする幸福が来ないとも限らぬ。それは何うでもいゝが、今彼をたゞの通俗作家として片づけてしまつてゐるなら、あまりといへば不公平な仕打だ。他の作は暫く措き、少くともこの短篇集に於けるルヴエルは、純文芸の立場からも一顧の価値(ねうち)があると思ふ。
 彼の長篇の方はそれほど好いものでないといふ人もある。僕は長篇は『Lomdre(ロンブル)』(暗影)といふのを一つ読んだだけだから、何ともいへないけれど、ロンブルは可成り好い作だと思つた。そしてますゝゝ(※7)ルヴエルが好きになつた。これは実父を殺されたクロードといふ精神異常者が、その下手人である養父を復讐的に殺すまでの経路を書いたもので、短篇に較べると著しく暗鬱な感じのするものだ。主人公の心理描写などは実に手に入つたもので、あれほどの理解と同情をもつて精神異常者を取扱ふことの出来る作家は他に多くあるまい。精神病文学に熱心な杉田直樹博士に一読をお薦めしたいと思ふ。
 アーヴイングは、ルヴエルの凄さはポオを髣髴させ、それを取扱ふ手法はオー・ヘンリに似通つてゐるが、この両者に欠けた生一本な哀傷と暖かいヒユーマン・タツチとはルヴエル独特のものだといつてゐる。僕はオー・ヘンリはそんなに好きな作家(※8)もないから、この比較は厭だ。僕の読んだ感じでは、ポオやオー・ヘンリよりも、寧ろ多くモオパツサンに似てゐると思ふ。ルヴエル自身も可成りモオパツサンを読んだ形跡がある。『ロンブル』の中にも、主人公が三十年前に死んだ母親の愛読したモオパツサンの短篇集『月光(クレール・ド・リユーヌ)』を開いてゐると、幽霊(アバリジヨン)のところに栞が入れてあつたといふやうなことが書いてある。これによつてみると、ルヴエルは、多分この先輩に私淑した時代もあつたゞらう。
 父親はアルザス出身の軍人で、長いことアルゼリア守備隊附になつてゐたので、ルヴエルも少年期をアルゼリアで送つた。それから巴里へ遊学して医学を研究した。彼は医師といふ職業から、その方面の知識と、人間に対する同情がおのづから醸成された。それが作家としての彼の非常な強味になつてゐる。彼の作に深甚なヒユーマン・タツチがある所以(わけ)だ。
 学校を出て間もなく、或る病院に住込医員(ハウスサージヤン)として働いてゐた頃、宿直の夜の閑々(ひまびま)に小説を書きはじめた。それを認めて発表してくれたのが、アカデミシアンでその頃『ル・ジユルナル』の文芸記者だつたエルヂアであつた。これが作家としてのルヴエルの初陣であつたのである。
 ルヴエルは怪談の作者にも似合はず、極めて快活な巴里(パリー)ツ子肌の男ださうな。もとは活溌なスポーツマンで、あらゆる野外運動に興味をもつて、方々を飛び歩いてゐたらしい。一九一〇年、瑞西の山へスケートをやりに出かけて、大怪我をして、それからずつと瑞西に静養してゐたが、大戦と同時に軍医を志願して、野戦病院に働いたりした。
 誰かゞ『君の作を読むと暗い特色があるけれど、実際に会つてみれば、案外愉快な人だね』と不思議がると、ルヴエルは笑つて『それは左様(さう)かも知れない。陰気なものを書く作家は大抵快活で、プロフエツシヨナルなユーモリストは却つて陰鬱なものだよ』と云つたとか。
 ルヴエルは今年取つて四十四五歳、漸く円熟の境に入りつつある。
 彼の短篇は、どれを読んでもそれゞゝ(※9)の趣があつて、面白い。皆光つてゐる。医師としての見聞から来てゐるものゝ多いのが殊に目立つ。曽て御紹介した『麻(※10)剤』や、医師の言葉から悲観して妻子を殺した男が何年目かにその医師を殺すといふ『誤診』や、哀れな病売笑婦のことを書いた『碧眼』や、早熟な性慾のこめる身を亡ぼす病青年を取扱つた『接吻』などはそれだ。
 これも本誌で御紹介した『或る精神異常者』『青蠅』『検事の告白』などは、まつたく我々が今までに馴らされなかつた新しい戦慄そのものである。
 人間に対する涙ぐましい同情は、どの作にも裏つけられてゐるけれど、『碧眼』や『情状酌量』や『雪ふる街』など、読後に沁々(しみじみ)と懐かしく考へさせる。殊に姦夫の子を猛犬に噛ませる『生さぬ児』に至つては、思はず熱い涙が、にじむくらゐだ。
 凄い特色については云ふまでもあるまい。どの一つだつて、凄みの伴つてゐないものはないのだから。而も彼には何等の誇張がない。凄い話をむやみと凄く書きさばいて『どんなもんだい』と澄ましてゐる彼でないところが最も話せる。僕の好きなのはそこだ。

(※1)原文の踊り字は「く」。
(※2)(※3)(※4)(※5)原文傍点。
(※6)原文ママ。
(※7)原文の踊り字は「く」。
(※8)原文ママ。「で」の誤植。
(※9)原文の踊り字は「ぐ」。
(※10)原文ママ。

底本:『新青年』大正14年8月増刊号

【参考リスト】 → 「M・ルヴェル」

(最終更新:2009年10月31日)