25歳
【年譜】
四年一月 鶴見久枝と結婚す。
四年十二月 肺尖を病み、相州片瀬海岸、或は森ヶ崎に転地療養す。約半ヶ年にして快癒再度研究に従事す。
「父不木の思い出」(『別冊・幻影城No.16 小酒井不木』昭和53年3月1日発行)
永井教授は文筆家で、「生命論」をはじめ多くの著書があるが、この先生が父の文筆活動の大きな刺激となったと考えられる。大学卒業の翌年(大正四年)、「生命神秘論」なる著書を洛陽堂から出版している。
「第八回思園大会記」(『第三帝国』大正4年10月21日号)
十月十日、澄み渡つた空には団々たる白雲が飛んで居ました、日曜のことであるから、あちらこちらに講演会や野球大会が開かれて居たにも係らず思園の大会には満員空席なき盛況を呈しました。
「煙霞療養記」(『洪水以後』 大正5年1月11日号)
東京より汽車に揺らるゝ事凡そ一時間半、藤沢に下車して直ちに電車に乗り、病後の痩躯を風多き日の午さがり此処片瀬の旅宿に横へたのは客臘十七日の事であつた。
「病窓漫筆」(『洪水以後』 大正5年1月1日号)
病床に寂莫を慰め呉れし友は二人。曰くハイネ、曰く馬琴、後者の八犬伝はわが中学時代よりの友にして、前者の詩集は高等学校の時代より、わがポケツトを離すこと能はざりき。
(公開:2007年2月19日 最終更新:2020年3月13日)