東京より汽車に揺らるゝ事凡そ一時間半、藤沢に下車して直ちに電車に乗り、病後の痩躯を風多き日の午さがり此処片瀬の旅宿に横へたのは客臘十七日の事であつた。爾来日を閲すること拾有余、オゾン多く無水炭酸尠く、ナトリウム及びカルシウムに極めて豊富なる空気と、新鮮なる魚肉と、塵埃少きが為に菫外線多きと思はるゝ日光とに養はれて、意外に良好なる結果を得たるを喜び、初日の出ならぬ初雨に打ち濡れし注連飾や赤海老の眼出(※1)度かりける年を迎へて、かくは拙き筆を運ぶことゝなつた。
右に鵠沼を隔てゝ遙かに伊豆半嶋の山々を望み、左に腰越七里ヶ浜稲村ヶ崎由比ヶ浜相模半嶋を隔てゝ幽かに房総の諸山に対し、前は近く江の嶋の絵なるを賞し、遙かに雲の中なる大嶋の眠れるが如きを讃し、渺茫果しなき太平洋上、雲は閑断なく水天髣髴の堺を逍遙し、数葉の扁舟は波のまにゝゝ(※2)其の生業に従ひ、風は徐ろに波頭を覆へし、余れる力は松ヶ枝に幽玄なる秘曲を奏でしむ。
暖流に影響せられて此の地の温度は東京より暖きこと華氏五乃至六度であると云はれて居る。酒旗こそ翻らね、水村山廓絵にかくとも筆も及び難く、鶯こそ鳴かね千里松風颯々として居る。軒端にぞ見る富士の高嶺は千載の雪に磨かれて尊く、波に打たるゝ江の嶋の洞窟は万古の苔にむして居る。
此処は名に負ふ龍口の古蹟である。文永八年九月十二日子丑の刻の事かとよ、安房の国の旋陀羅の子が、斬れど斬られぬ奇蹟を示した痛快な一事は常に我等の記憶に新である。
折伏の利剣を振り翳しつゝ説法獅子吼した彼が、猶多怨嫉、況滅度後の掟に従ひて、二六時中血に塗れし彼の体躯は、刃も之を劈く能はず錐鑿も之を穿つことの出来ぬ強剛なる人格の線条を以つて編み纒はれてあつた。それ故此の法難に際し彼が絶大の不可思議力を表はしたのも決して奇妙ではなく、寧ろそれは当然のことである。「僅かの小嶋のぬし等がおどさんをおぢては閻魔法王のせめをば如何すべき、仏の御使と名のりながら臆せんは無下の人なり」の言葉を誦する時、身は忽ち熱血に漲られ、赫耀たる光明は胸に溢る。吁、波去りて六百年今は堂々たる伽藍と厳しき五重の塔と、饅頭の名にその古の俤を留めて居るばかりである。丈石に刻める七字の題目! 知るや果して祖師の真髄を。
毎日午前及午後に一回宛自分は海岸を散策するを常とした、波は怠りなく寄せては返して居る。夕暮の近づく時其の泡沫の中に自分はいつもポザイドンやスキラの勇ましき姿を認め、或はサツポー又は屈原の霊に会ふ。ミレツタに裏切られフアオンに欺かれし薄命の女詩人よ、汝が可憐の運命は今もなほ我が涙を催さしめ、世を呪ひ身を果敢(はかな)みて汨羅(べきら)に投ぜし楚国の人よ、君が残せし金玉の文字は今もなほ我が心を澄ましめる。リユーカデアの岩を今此の江の嶋の岩頭に準(なぞら)へて汝を祀らう。屈平氏よ、粽は君が為なれば蛟龍もなどて仇すべけんと思ふけれど、君が Swan song なる漁父之辞は漫々たる此の波頭をして奏でしめやう。
波は凡そ一分に六回の割で其の単一なる然し変化の多い行動を繰り返して居る。やがて是れわだつみの呼吸であり且つ其心臓の鼓動である。彼等が動作は物理学の法則に依つて 1/2mv^2 なる式を以つて表すことが出来やう、又其のうねりは数学によつて正弦曲線に分解することが出来やう。しかしながら其変化多き運動の状態は、決してしかく単純に分析せらるゝものではない。砕けては玉散らす瞬間に、其処に偉大なる神秘が横はり、轟々の響の中に其処に自然の微妙なる囁がある。之を視之を聞く時、身に清浄の血潮は循環し心は全く健かの状態に置かれるのである。誠に煙霞療養の真髄は其の刹那の気分に存して居るのである。
折にふれて自分は海草の一面に乾かされたる砂地をあさりて小石に打ちまぢりたる麗はしき貝殻を拾ふを常とした。そして室に持ち帰りて砂を払ひ落し、紫や淡黄や緑や純白や真紅や或は透明なる或は混濁なるしかも其の形に於て多種多様なるを蒐集して、得も云はれざる楽しさを感ずるのであつた。啻に其の色彩の美や形状の奇を喜ぶばかりではなく、其が悉く貴き生命の遺蹟であると云ふのに自分は計り知れざる興味を覚えたのである。
大なるは直径十糎余から、小なるは二三粍に至るものが、無数に砂に混りて揺られて居る。吹けば飛ぶ小なる貝も、皆一の独立せる個体として、与へられたる生活を送つて居る。遺伝せられたる其性質に従ひて、同一の種類は規模こそ異なれ其形態は全然同一のものである。自己の生存を完うすべく彼等の祖先が選び択んだ最も適応したる形態を、彼等は不知不識の間に模倣し建設しつゝある。
定型的の貝殻の外に各種の巻貝や、海胆の殻、海星の骸も混つて居る。蛤等に見る左右相称型、巻貝に見る無相称型、海胆、海星に見る輻状型によりて自分は生物形態の様式と其起成に考へ及んだ。殊に巻貝が、其体の長きことゝ石灰質の殻を有することゝの理由によつて、旋回しつゝ生長して行くことが最も便利なるを知つた彼等の祖先の苦心を嘆賞せずには居られなかつた。自分は常に生物の形態の起成と其の意義に興味を持つて居るので、生物が各其の与へられたる材料によりて、生存に最も都合よき特殊の形状を取つて居るのを見て、いつも自然の偉大と生命の神玄とを賞讃するより外はない。
微細なる貝殻も、やはり整然として其形体を保持せるを見て、自分は生物学上に於ける既成説と新生説との論争を考へた。かの卵殻の中に既に立派なる小規模の個体が形成せられてあるとの所謂旧既成説はいふ迄もなく顕微鏡によりて立ち所に破られて了つた。然し乍ら新らしい意味の既成説と新生説とはいまだ何れとも決せられてないのである。実験的検索による立論は、総じてドクマチカルになり易く、要するになほ観察が足らぬといふに帰着する(。)(※3)自然の真意は決して数個の人為的実験によりて明解せらるゝものではない。これはこれ科学者の最も弱点とする所鑑みねばならぬと自分は思つた。
■(※4)鞳(たうとう)の濤(なみ)の響きは Neptune の鞏(※5)音(あしおと)で、濃青の海面は Nereid の裳(もすそ)である。夏ならばわれ、海水に入りて其柔かき肌に触れむにと思つた。伝へ聞く人魚の膏油は、之を九孔に塗りて水に入れば、大寒の日も温かしとかや。人魚とは何物なるかは知らないが、其肉を啖ふときは其寿三千年を保つといふ。せめて其膏油でもあらばと自分は思つた。げにも海水の滲透圧は、我等が血液乃至体液の滲透圧と同じである。進化論者は之によりて我等の祖先が海住であつたことを想像して居る。養ひ多き海! 人魚の肉ならずとも汝は慥かに我が齢を延す効がある。
夜になると潮は光る。打ち砕かるゝ波の白きが中に、閃々としてゆらぐ光の物凄さよ。これも皆生命の示す神玄なる現象である。そしてその大海の一面に浮游せる Plankton は、多くの人に知られずに済んで居る。
「元日の見るものにせむ富士の山」。玲瓏たる芙蓉峰は依然としてその旧の状態を保つて居る。赤人の長歌や、丈山の詩を読むとき人は其神聖なる英姿に額かねばならぬ。然し乍らこの山を眺めて育つた者の中から、古来あまり偉人は出て居ないやうである。自分は其の理由は知らぬ。そして此の山に感化力が乏しいとも思はぬ。東海の天に国土万物を瞰下していつも悠然として突立つて居る。平和な姿には違ひはないが、自分は随分呑気な山だと思つた。
(一月二日稿)
(※1)原文圏点。
(※2)原文の踊り字は「く」。
(※3)原文句読点なし。
(※4)「革」+「堂」。
(※5)原文ママ。
底本:『洪水以後』(大正5年1月11日号)
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1916(大正5)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」
(公開:2007年3月12日 最終更新:2007年3月12日)