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泰西女賊伝

小酒井不木

 泰西の数ある女賊のうち、最も数奇な運命に弄ばれ、その一生が最もロマンチツクな色彩に富んで居るのは、二人の女海賊、メリー・リードとアンヌ・ボニーであらう。二人は時を同じくして生れ、十八世紀の初頭に活躍したのであるから、その伝記は、やゝもすると虚構の物語ではないかと疑はれるほどであるが、二人が実在の人間であつたことはたしかである。
 メリー・リードは英国で生れた。母は若くしてある海員に嫁したが、その海員は結婚後程なく航海に出たまゝ生死不明となつた。その時彼女はすでに妊娠して居て後に男の子を挙げたが、程なく再びふとしたことから妊娠したので、恥かしさに堪へかねて田舎にひそみ、そこで女の子を生んだ。すると偶然にも男の子が死んだので、生き残つた女の子を男の子のやうに装はせて世間体を取り繕つた。この女の子が即ちメリー・リードである。
 かくてメリーの母は、三四ヶ年田舎で暮したが、持つて来た金が尽きたので、ロンドンの良人(をつと)の家に寄食しようとした。姑をあざむくことは頗る困難であらうと考へたが、背に腹はかへられぬ思ひで、危険を冒してやつて来ると、案外にも姑は秘密を発見しなかつた。
 だんゝゝ(※1)メリーが成長するに連れ、母はメリーに事情を言ひふくめて、秘密を保つ様に訓練した。ところが姑の死と共に生活費の出どころがなくなつたので、メリーが十三歳になつたとき母はメリーをあるフランス婦人の給仕に雇つてもらふやう頼みこんだ。さうして一両年の間メリーは給仕をつとめたが、だんゝゝ(※2)男らしく成長するうちに、軍艦の乗組員を志願し、暫らく勤務してからフランダーズに行き、そこで、義勇兵として戦地の歩兵隊にはいつた。後(のち)更に騎兵隊に入り、大(おほい)に勤勉したので、すべての士官に尊敬された。
 ところが同じ騎兵隊に、一人の美貌のフランダーズ人が居て、彼女はいつの間にか、この男を恋するに至つた。さうしてそれと同時に彼女はいまゝでの勤勉な兵士でなくなり、服務を怠りがちになつた。いまゝできちんと掃除された武器には塵埃(ほこり)がたまつた。而(しか)も、彼女の恋人が行軍に出ると、彼女は命ぜられもしないのに危険を厭(いと)はずついて行つた。
 けれども誰一人彼女の不思議な行動を理解するものはなかつた。みんなは彼女が気が違つたのであらうと思つた。さうしてこのやうな状態が暫らく続いた後、彼女は恋人と天幕(テント)生活をして居るある日、わざとらしくしないで、彼女の秘密を恋人に発見せしめたのである。
 恋人は尠(すく)なからず驚いたが、同時に頗る歓(よろこ)んだ。その当時は軍規が一般に乱れて居たので、彼は彼女をミストレスとして独占し得ることを歓(よろこ)んだのである。けれども彼女はミストレスとなることを拒んだ。正当な妻となるのでなくては厭(いや)だといつた。で、たうとう、彼は正式に結婚するやう申出たのである。
 二人の兵士が結婚するときいて、他の兵士たちは大騒ぎをし出した。数人の士官は好奇心から式に列した。すべての兵士は花嫁に贈り物をした。さうして二人は間もなく除隊の許可を得て、ブレダ城のほとりに料理店を営み、兵士たちを顧客として大(おほい)に繁昌した。
 若し、彼女がその儘順調に暮して行く事が出来たならば、彼女は海賊とはならなかつたであらう。が、この幸福は長くは続かなかつた。即ち、彼女の良人(をつと)は死に、戦争は終つて、ブレダの駐屯軍は解散した。彼女はやむを得ずそこを引き払つてオランダに行き、再び男姿になつて歩兵隊にはひつたが、思はしいことがなかつたので、程なく西インド行きの船に海員として乗り込んだのである。
 ところが航海の途中で、その船は英国の海賊船に襲はれた。乗組員のうち、たつた一人メリーだけが英国人であつたので海賊は彼女を自分たちの船にとどめた。そこで彼女はやむなく海賊たちと生活して居たが、程なく西インド諸島の海賊特赦令が出たので、彼女の仲間は自首して上陸した。けれども、ぢきに生活に窮するに至つたので、キヤプテン・ロージヤースが西班牙(スペイン)人征伐船を組織したのを機として、彼女は数人の、もとの仲間と志願して許されたのである。
 ところが、船に乗り込んでから、彼女等は司令官に反抗してもとの海賊となつた。彼女にとつては、真面目な仕事よりも、海賊の方が遙かに面白かつたのかも知れない。彼女は後(のち)に裁判を受けたとき、海賊といふ仕事の恐ろしさにふるえたことを述べたが、証人の言によると、いつも他船に襲はれたとき、彼女と今一人の女海賊アンヌ・ボニーとだけが甲板に残つて指揮したさうである。若し、他の乗組員が躊躇して出て来なければ、彼女たちは自ら抜剣して相手を斬り殺した。尤も、この証言を彼女は否定したが、兎に角、彼女が勇敢であつたことは争はれない。さうしてそれがため誰一人彼女が女であらうとは思はなかつたのである。
 処(ところ)が、遂に、彼女が正体を割らねばならぬ時が来た。彼女のすつきりとした男振りに、同じく男姿になつて居た前記のアンヌ・ボニーが心を寄せて、『実は私は女です。』と、相手も女だとは知らず、メリーに向つて己(おの)が秘密を告げながら、恋を打ちあけたからである。そこでやむなくメリーも己(おの)が秘密を告げると、アンヌは少なからず絶望したが、如何(いかん)ともし難い運命であつた。
 すると、二人の親密を見つけた船長ラツカムは、アンヌの情人であつたゝめ、メリーに対して嫉妬を感じアンヌに向つて、若しメリーと親しくするならば、メリーの咽喉笛を切つてしまふとおどしつけた。そこで、アンヌは、やむなくメリーの秘密をラツカムに告げたのである。これをきいてラツカムも納得し、メリーの秘密を他の乗組員に知らせぬやうに用心した。
 けれども、運命は、又もや彼女に恋心を起させ、それによつて、彼女はその正体を裏切らねばならなくなつた。彼女の乗込んだ海賊船は、主としてジヤマイカその他の諸島へ往復する英国船を襲つたのであるが、その船に乗つて居る技術家や、又は役に立つ人間は、之を擒(とりこ)にして船にとゞめるのが例であつた。さうした人々の中に、特にメリーの眼をひいた一人のやさ男があつた。彼女は何とかして男に己(おの)が正体をさとらせたいと苦心したが、男はなかなか察しが悪かつた。そこで、彼女はたうとう辛抱しきれずに、ある時、男に向つて、そのふつくらとした白い乳房を見せたのである。
 さすがにこれを見た男は、好奇心にかられて問ひつめた。そこで彼女は男に秘密を打ちあけたのである。恋は始まつた。さうして二人の熱はだんゝゝ(※3)高まつた。ある日、ふとしたことから男は海賊の一人と争つた。海賊の習慣として、二人は決闘することになり、ちやうど船がある島に碇泊中であつたから、上陸して運命を決しようとした。これを知つたメリーは内心に少なからず不安を感じた。自分の生命(いのち)よりも恋人の生命(いのち)の方が大切なやうな気がした。で、彼は恋人に代つて相手と決闘しようと思ひ、二時間前に相手をおびき出して、殊勝にも剣とピストルで殺してしまつたのである。
 さうして二人は夫婦になつたが、程なく逮捕されるに至つた。裁判で彼女は人々から大(おほい)に同情されたけれども、有罪の判決が下された。ちやうどその時彼女は妊娠中だつたので、死刑の執行は分娩の後(のち)まで猶予されたが、判決後程なく病気に罹り、獄中で死んだ。

 アンヌ・ボニーは、アイルランドのコークに近い町で生れ、父は代言人であつた。彼女は父の正式の子ではなかつた。さうして、彼女が生れるについて、こゝに一条の小説的な物語りがある。
 代言人の夫人は分娩後、肥立ちがわるく、数哩(まいる)離れた良人(をつと)の母の家に寄寓することになつた。あとに残つた代言人は女中と二人で暮して居たが、その町の鞣皮(じうひ)工をして居る青年が彼女に附きまとつて、よく代言人の家にたづねて来た。ある日女中が勝手元に仕事して居る時、件の青年は訪ねて来たが、ふと傍を見ると、銀の匙があつたので、まつたくの出来心から、そのうちの三本を、女中がむかふ向いて居る間にポケツトにしのばせた。
 女中は間もなく匙の紛失して居ることに気づき、青年が盗んだにちがひないと思つて、青年に談判すると、青年がそれをきつぱり否定したので、彼女は警察へ訴へ出ると言つておどかした。これには青年も困つて、よくその辺をさがして御覧なさいと告げ、彼女が抽斗などをさがして居る間に、ひそかに隣室即ち女中の寝室にしのび入り、ベツドの敷布(しきふ)の下へ、盗んだ三本の匙をかくして置き、ひそかに逃げて行つてしまつた。
 女中は、捜しても匙が見つからなかつたので、警察へ訴へ出た。これをきいた青年は、いづれ夜になれば女中が発見するにちがひないと思つて安心して居たが、三日過ぎても四日過ぎても警官が自分を捜索して居るときいて、扨(さて)は女中は、匙を発見しながら、こんどは自分で奪つて罪をこちらにきせるつもりにちがひないと思つた。
 その時、代言人の夫人は健康を恢復して姑と共に家にもどつた。女中は直ちに匙の紛失を夫人に告げた。さうして、それを盗んだ青年はいまだに逃げかくれて居るのだと物語つた。
 ところで、青年は、夫人が帰宅したことを伝へきいて、夫人の寛大な心に訴へるつもりで、すぐさまたづねてすべての事情をひそかに物語つた。夫人ははじめその話を信じなかつたが、とに角女中のベツドをしらべると、果して三本の匙が出て来たのである。
 夫人は、その意味を解釈するに苦しんだ。ベツドの敷布(しきふ)の下にある以上、女中が気附かぬ筈はないからである。そこで考へは、すぐさま女中が、そのベツドで寝たのでないといふ結論を生み、彼女は良人(をつと)と女中とが怪しいとにらんで、大(おほい)に嫉妬を感じはじめたのである。
 さうすると、良人(をつと)の女中に対するこれまでの態度に、怪しい数々のあつたことが記憶にうかんで来た。その上、彼女が四ヶ月振りに帰つたのに、良人(をつと)が朝から用があると云つて余所へ出かけたことも、疑念を深める種であつた。
 そこで夫人は一策を案じ、匙をそのまゝ敷布(しきふ)の下に置いて、女中に命じて、お母さんが女中部屋のベツドに寝られることになつたから、敷布(しきふ)をかへなさいと告げた。女中は匙を発見して大(おほい)に驚いたが、今更告げる訳には行かなかつたので、そのまゝ己(おの)がトランクの中へ入れてしまつた。
 夫人は、扨(さて)はいよゝゝ(※4)怪しいとにらみ、その夜女中のベツドに寝た。寝たけれども、眼は冴えた。と、幾時間かの後、足音がきこえて、誰かゞ部屋にはひつて来た。
「メリー、起きてる?」
 女中の名を呼んだのはまさしく良人(をつと)の声であつた。
 彼女は恐ろしさに返答が出来なかつた。良人(をつと)はやがてベツドに近づいた。
 あくる朝、良人(をつと)をそのベツドに眠らせたまゝ、彼女はしのび出て姑に委細を告げた。良人(をつと)は良人(をつと)で何喰はぬ顔してベツドを抜けて出て行つた。夫人はくやしくてならず、女中に復讐するとて、女中が匙を盗んだ旨を警察へ訴へた。その結果女中のトランクから匙が発見されて女中は逮捕された。
 良人(をつと)は昼頃外から帰つて、ゆうべとまりがけで外出して居たやうに見せかけた。女中が逮捕されたときいて良人(をつと)は夫人と激論した。姑は夫人に加勢し、その結果、姑と夫人は再び姑の家に戻つた。その以後二人は一度も一しよにならなかつた。
 女中の裁判は凡そ半年も続いた。その結果無罪の宣告を受けたが間もなく女児を分娩した。
 ところが代言人を非常に驚かしたことは夫人が妊娠したことである。過ぐる夜女中の身代りになつたことを知らないので、てつきり密夫をこしらへたのであらうと判断した。夫人は皮肉にもその時男女の双生児(ふたご)を生んだのである。
 程なく姑は病気にかゝり、息子に細君と仲なほりするやうにすゝめたが、息子は頑としてきかなかつたので、死に際に遺産を夫人とその子たちに残し、代言人には何も与へなかつた。
 これには代言人も閉口した。すると、さすがに夫婦の情愛で夫人は金をみついでやつたが、五年ほどの後、良人(をつと)は女中との間に儲けた女の子が可愛くてならず、自分のところへ引き取り、男の姿をさせて、親戚の子を養ふのだといつて世間体をつくろつた。
 夫人はこのことをきいて、人に頼んで、その男の子の正体をさぐらせると、女中との間に出来た子だとわかつたので、金の仕送りをやめた。すると良人(をつと)は怒つて、面当てに女中を家に引き入れた。それがため世間の信用を失ひ、代言人として、誰も依頼に来るものがなくなつた。で、家財を売つてコークに行き、女中と娘とをつれ、カロライナに渡航したのである。
 そこで彼は植林をやつて成功したが女中が死んだので、娘と二人暮しになつた。その娘が即ち、後の女海賊アンヌ・ボニーである。彼女は生れつき気が荒く、後に父の意にそむいてある海員と結婚した。その時船長ラツカムの見染めるところとなり、良人(をつと)を捨てゝラツカムの許に走り、男装して海賊船に乗り込んだのである。例の特赦令で一旦自首して許されたが再び海賊となつて、その時、前記のメリー・リードと一しよの船に乗込むことになつたのである。
 かくて彼女は遂にラツカムと共に逮捕され、裁判された。ラツカムが死刑に処せられる時、彼女は近づいて言つた。
「悲しいけれども、男らしく暮して来た以上、犬のやうな死に方はして下さるな。」
 彼女も、ちやうどその時妊娠して居たので、刑の執行を猶予され、その後、特赦が続いて、遂に死を免れたが、その結果彼女の運命がどうなつたかは不明である。
 以上が二人の著名な女海賊の略伝であるが、想像力の豊富な人ならば、これからすばらしい物語を書くことが出来ると思ふ。海賊といふものそのものが、すでにロマンチツクなものであるが、その海賊のうちでも、この二人の生涯は、不思議なほどロマンチツクであるといつてよい。 (をはり)

(※1)(※2)(※3)(※4)原文の踊り字は「く」。

底本:『女性』昭和3年3月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1928(昭和3)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2009年1月31日 最終更新:2009年1月31日)