後漢書の馬廖伝に、楚王愛(シテ)二細腰(ヲ)一宮中多(シ)二飢死一とある。これはいふ迄もなく、楚の霊王が細腰(さいえう)の女を好んだゝめに、宮女たちが、腰を痩せ細らせるために減食して、たうとう餓死するものが少くなかつたといふ故事である。まことに楚王ならずとも、昔から細腰(さいえう)の女は一般に細腰(さいえう)ならざる女よりも好まれるのが常であつた。絵画を見ても、美しい女といへば多くは細腰(さいえう)に描かれて居るものであつて、例へば歌麿の美人画の中には体重二十貫以上ありさうな美人は一人もない。伊達の殿様に身請された高尾は、その体重だけの小判をもつて購はれたといふことであるが、美しかつた高尾が、而も情夫のために苦労して居た矢先であるから、そんなに重くはなかつたにちがひなく、殿様もまた、其処を見込んで、策を講じたのであるかも知れない。
西洋でも、第十九世紀の終り頃までは、女子はコルセツトを用ひて腰を出来るだけ細くする習慣があつた。ドイツの病理学の泰斗ウイルヒヨウが、コルセツトを用ひる女の肝臓が、所謂くびれを生じて畸形を呈することを認めてから、コルセツトの害が一般に承認され、第二十世紀になつてからは、極端に腰を細くするためのコルセツトは使用されなくなつたやうである。然しながら、現今と雖も細腰(さいえう)の喜ばれるのは事実であつて、ことに最近、ひどく肥満した婦人は何となく敬遠される傾向が濃厚となり、つひに、ガース・コントロールなる言葉が出来るに至つたのである。
ガース・コントロールとは、言ふまでもなく、バース・コントロールといふ言葉に対立して用ひられた新熟語である。Birth(出産)に対する Girth(胴まはり)であるから、頗る口調がよく、バース・コントロールがやかましく論ぜられて居る時であるから、洒落好きな人間が、皮肉半分に、命名したのにちがひない。といふのは、ガース・コントロール即ち「痩せる法」なるものは、避妊法と同じく古くからあつたものであるが、避妊法がバース・コントロールの名によつて一種の社会運動となつたから、痩せる法をも、同じやうな名によつて、一つの社会運動にしようと欲したものらしいからである。私は誰がガース・コントロールといふ名をつけたか知らぬけれども、察するところ、洒落好きなアメリカ人であるらしく、さうして新しいことならば、何事にも随喜の涙をながすアメリカ人は、遂に真面目に、この肥満制限を一種の社会運動と見做して騒ぎ出すに至り、現に彼(かの)地ではなかゝゝ(※1)やかましく論ぜられて居るといふことである。
たしかイソツプ物語の話だと思ふが、ある慾の深い女が黄金の卵を生む鵞鳥を一疋飼つて居たところ、沢山卵を生ませるためにどしゝゝ(※2)食物を与へると、鵞鳥は肥満し過ぎて却つて卵を生まなくなつたといふことであるが、一般に鳥類は、あまり肥満せしめ過ぎると卵を生まないものである。単に鳥類に限らず、人間でも、栄養の過剰と生殖能力とは相伴はぬのが普通であつて、ことに女子は、月経閉止期即ち生殖能力のなくなる時期以後に於ては肥満し易いのであるから、バースをコントロールする時分にはガースをコントロールする必要がなく、ガースをコントロールする時分にはバースをコントロールする必要がない訳である。さうして、若し肥満し過ぎた女に生殖能力が乏しいといふ原則を承認するならば、ガース・コントロールとバース・コントロールとは実に一種の皮肉な対照をなして居るといつて差支ないのである。従つて何事にも新熟語を用ひないで居られぬアメリカでは、いまに痩せた女のことを「バース・コントロール型の女」、ふとつた女のことを「ガース・コントロール型の女」といふやうになるかも知れない。
バース・コントロールはサンガー女史などの来訪によつて日本にも可なりに宣伝され、随分その実行者が多くなつたやうであるが、たとひガース・コントロールが日本に伝へられても、果して、バース・コントロールほど、やかましく論ぜられるやうになるかは疑問である。といふのは、日本に於ける肥満婦人の数は西洋のそれほど多くないやうに思はれるからである。数年前(ぜん)の調査の結果によるとアメリカの都会では、廿五人の婦人中二十人までが過度の肥満者であるといふことであつた。これは少し極端な数字のやうに思はれるが、いづれにしても日本では五人のうち四人どころか三人も過度の肥満者であらうとは思はれないのである。これは多分日本人の食物と西洋人の食物との差異がその重大な原因のやうに思はれるのである。例へば西洋の電車の中には屡ば蓖麻子油(即ち下剤)の広告が出されてある。これはいふ迄もなく便秘する人が多いからであつて、便秘と肥満とが密接の関係を有することも、またいふ迄もないことである。単に電車の中ばかりでなく、雑誌に、新聞に、下剤の広告の出ることが頗る頻繁である。之に反して我国に於ては、それほど屡ば下剤の広告に接しない。往年緩下剤のラキサトールの広告が屡ば新聞紙上に出たが、これは新らしい薬剤であるが故に出たのであつて、その当時同じく新らしく売り出された催眠薬カルモチンの広告が、今なほ盛んに出されるに拘はらず、ラキサトールの広告が影をひそめたのは、色々の原因もあらうが、需要の少いといふことが有力な理由となつて居るにちがひない。
勿論日本に於ても、痩せたくてならぬ婦人が相当に沢山にあることは言ふ迄もない。ことに容色を気にする人たちは、しきりに痩せたがる。然し、まだ、それ等の人々が団結して、一種の会を組織しようとする程の機運にはなつて居ない。尤も、日本の婦人は何事にも引込み思案であるから、若し勇敢な婦人があつて「痩せる会」でも組織しようものなら全国から入会者が殺到するかも知れない。さうして、そのうちに、肥満制限デーなどといふ全国的の社会運動が企てられるやうになるかも知れないが、それはまだゝゝ(※3)ずつと先のことであらうと思ふ。
ところがニユーヨークでは、もう四五年も前に「痩せる会」なるものが組織された。尤もその当時にはガース・コントロールといふ名称はなかつたと思ふが、要は一種のガース・コントロールの会である。最初全市の五十人の婦人たちによつて組織されたが、これを聞いて、全国から多数の問合せがあつたといふことであるから、その他の町でも同様な会の組織されたことは想像するに難くない。然し、それ等の会が、それ以後どの程度に発展したかを私は知らない。又、その会員の一人がガース・コントロールといふ名を案出したのかどうかを知らないが、兎に角、痩せたいと熱烈に希(ねが)ふ女が彼地(かのち)に如何に多いかを知る証拠と見て差支ないのである。
痩せたいと願ふ心の中には、容色の美を欲する心が主になつて動いて居ることは言ふまでもないが、その他に、肥満し過ぎた人は、肉体的に色々の不快な現象を伴ふために、それを除きたいと思ふ心も可なりに大きいのである。肥満は主として脂肪の過多を意味するのであつて、体内の臓器ことに心臓などに脂肪が過多に蓄積されるときは、自然、心臓の運動が障害を蒙り、心臓が障害を蒙るといふことは、勿論、身体の存続にとつて危険なことである。時にはあまり肥満し過ぎてわれとわが身をもてあます人がある。往昔(むかし)、アレキサンダーの息(そく)トレミー七世は、あまりに肥満して、歩くときには二人の従者を両脇に侍らせ支へしめたといふことであるが、かやうな極端な例は論外としても、西洋では、呼吸するさへ苦しさうなほど肥満して居る婦人に出会ふことが稀ではない。フールニエの記せるところによると、嘗てパリーに二十四歳で死んだ、極度に肥満した女があつて、どの乗物にも乗ることが出来ず、やむなく、虫の這ふやうな速度で歩かねばならなかつたといふことであつたが、死んだ時の目方は実に四百八十六ポンドであつた。いや、又々極端な例を書いてしまつたが、道を歩くとき、物を落してそれを拾ふことの出来ぬほど肥満して居る婦人はザラにあるのである。従つて、彼地(かのち)に肥満制限の叫びが上るのも決して無理はないのである。
さて、肥満制限をするには、当然、何故(なにゆえ)に肥満が起るかといふことを明かにしなければならない。肥満は言ふまでもなく、先天性の素質によるものであつて、遺伝的に、同じ家族に肥満者のあらはれることは屡ば目撃さるゝところであるが、先天的の素質だと云つてしまへば、人力(じんりよく)によつては之を如何ともすることが出来ぬ訳である。で、普通は後天的の原因を見出し、それに依つて痩せる方法を講じようと企てるのである。
然らばその後天的の原因は何であるかといふに、通常、食物の如何と、運動の不足とが最も大切なものと見做されて居る。前記のニユーヨークの「痩せる会」の人達の調査したところによると、ふとり過ぎた五百人の婦人のうち、約半数は砂糖菓子の愛好者であつて、他の半数は非常な大食家であつた。なほ又、一般に都会の人に肥満者が多く、男子の肥満者が婦人のそれに比して遙かに少いといふことから、運動不足がその有力な原因と見做されるに至つたのである。(「痩せる会」の調査によると、五十人の婦人肥満者に対して、男子肥満者は約十人であつた)。
そこで、痩せる方法としては、当然、食物に注意し、運動を十分にすることが一ばん当を得たものだといふことになるのである。食物に関してはいふまでもなく質と量とに注意すべきであつて、肥満が脂肪の蓄積を意味する以上、脂肪の含まれたものを摂取しないやうにすることが肝要である。又、砂糖菓子の愛好者が肥満するとすれば、砂糖即ち含水炭素をも避くべきであることは言を待たない。だから前記の「痩せる会」では、食物として、主として蛋白質を摂取して、脂肪と含水炭素をなるべく少量に摂取することにした。試みにその献立を書いて見るならば、朝飯(てうはん)としては、新鮮な果物(バナヽを除く)、オートミール(砂糖を加へず)、鶏卵、焼パン(バタなし)、コーヒー(砂糖を加へず、脱脂牛肉を加ふ)。昼飯(ちうはん)には、薄いソツプ、肉片を混じた玉葱と三ツ葉のサンドウイツチ(塩を用ひ、バタを用ひず)、コーヒー(朝飯(てうはん)の時と同じ。次に夕飯には、澄んだスープ、焙つた鶏肉(皮を除く)、菠薐草と玉葱、パン二片(ふたきれ)(バタなし)、チース、コーヒー(朝飯(てうはん)の時と同じ)といつたやうなものである。
次に肉体の運動として、「痩せる会」では、毎日一時間づゝ戸外に出て、体操や、その他の種々の運動を励行した。一番効力のあつたのは体操場の蓆の上を転がつて行く方法であつたさうである。
これ等の方法によつて、会員たちは二貫目乃至四貫目の体重を減少することが出来たといふことである。が、よく考へて見れば、これは全く常識的の方法であつて、「脂肪の少いものを食つて運動する」といふことぐらゐは、大抵の人が知つて居ることである。然し、いくら医学が発達しても、要するところ常識を無視することは出来ぬのであつて、要はそれを忠実に実行するか否かによつて、効と無効の区別があらはれるのである。どこまでも痩せようといふ固い決心をもつて、常識的なことを、徹底的に実行したならば、恐らくその目的を達するにさほど困難ではなからうと思ふ。
バース・コントロールも、実行方法そのものは左程困難ではないが、夫婦間に徹底的に実行しようとする固い決心が欠けて居るために、藪蛇に終ることが少くない。それと同じくガース・コントロールも、それを実行する人の意志の如何に大(おほい)に関係すると思ふのである。
食物の如何、運動の不足などの外に病的に肥満する場合がある。例へば粘液水腫と称する甲状腺の一疾患の際に於ける脂肪の蓄積の如きこれである。かやうな場合には甲状腺そのものを与へるか或は甲状腺から作つた薬剤を与へると、その蓄積した脂肪を去らしめることが出来るのである。このことは一八九四年、ライヒテンスタインの観察したところであつて、氏は、二十五人の患者のうち二十二人まで立派に奏功することを経験したのである。
このことからして、甲状腺製剤を用ふると、脂肪過多を治療することが出来るであらうといふ予想のもとに、甲状腺製剤が、一般の脂肪過多症に応用せられるやうになつたが、もとより、甲状腺の疾患によつて起つた脂肪過多に見られるほど、奏功は著しくないのである。甲状腺製剤は現になほ、痩せる薬として売られつゝあるのであるが、その効力は疑問であらうと思ふ。
甲状腺の研究ばかりでなく、最近内分泌腺の研究が非常に盛んになつたからして、遠からぬ将来には、脂肪過多を立派に治療するやうな方法が、この方面から案出されるに至るかも知れない。内分泌腺の研究は現今では人間の性格改造にまで進んで来た。脂肪過多の人が心理学上「脂肪質」と称へて特種の性格を持つて居ることは周知の事実であるが、若し、内分泌腺研究の方面から脂肪過多を治療する方法が発見されたならば、「脂肪質」を変じて他の性質となすことも出来る訳である。然し、それは将来のことであつて現在のことではない。さうして現在に於ては、脂肪過多は、前記のやうな常識的方法によつて治すより外はないのである。
本稿に於て、私はガース・コントロールの説明を主とするつもりであつて、痩せる方法の具体的説明を試みるつもりでなかつたから、痩せる方法として必要な入浴や便秘治療のことに就てはその記述を省略した訳である。
アメリカで行はれて居ることは、存外日本に輸入され易く又模倣され易い。いまにガース・コントロールの声が日本にやかましくなるかも知れぬが、さし当り日本では、ガース・コントロールよりも、ガール(※4)・コントロールの必要があるかも知れない。
(※1)(※2)(※3)原文の踊り字は「く」。
(※4)原文圏点。
底本:『女性』大正15年8月号
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1926(大正15)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」
(公開:2017年6月16日 最終更新:2017年6月16日)