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悲劇や喜劇が生れる 無意識の行為と犯罪

落語『碁どろ』

 ◇柳家小さんの得意とする落語に『碁どろ』といふのがある。碁好きの泥棒が、ある家に盗みに入つて、荷物を担いで出やうとすると、奥の室で碁石の音が聞える。すると泥棒は我を忘れてその室に押し入り、主客相対座して碁を囲んで居る所に近づいて、盛んに助言をする。ところが、主客共に碁に夢中になつてゐて、泥棒と知らずに段々話しかけるといふ筋で、例の小さん一流の軽妙な話し振りに、誰も頤(おとがひ)を解かずにゐられない。
 ◇村松梢風氏の『太平象戯談』の中(うち)に、土州の鍋島といふ将棋好きの老人が上京して(、)(※1)岡村四段の家に寄寓し、ある朝、岡村氏から、表へ看板を出すやう頼まれて『将棋所』といふ看板を持ち出したが、ふと昨夜の詰手を考へ出し、ウカヽヽ(※2)歩いて一丁ばかり先の郵便局の前まで行き、その前のポストの中へ看板を投げ込まうとして、ハツと気がついたといふ話が書かれてあるが、碁客棋客のかうした逸話は、古来実に数へ切れぬほど沢山あつて、読者の既によく承知して居らるゝことであらうと思ふ。
 ◇凝つては思案に能はずといふ。我々が何か物を深く考へ込んだり、或は仕事に熱中して居るとき、他人と話したり、又は色色の動作をしたりして、後(あと)になつて、一たい何を話したか、または何を行(や)つたかを少しも記憶して居らぬことがある。ラ・フオンテーヌといふ有名なフランスの詩人は、あるとき友人の葬式に列し、二三日過ぎてから、その友人の家を訪ねて、是非友人に逢つて話しがしたいといつた。家人が驚いて、その友人の既に死んだことを告げると(、)(※3)ラ・フオンテーヌはハツと我に返つて『あゝさうだ。いや葬式に行きましたわい』と頭を掻いた。ド・ブランカ伯があるとき炉辺で一生懸命に読書に耽つて居るとき、乳母が嬰児を連れて来たので伯は直(たゞち)に書物を投げ捨てゝ女の児を抱いた。暫くすると訪問客があつたので、伯はその児を書物のつもりで、机の上にパタり投げ遣つて立ち上つた。又あるときド・ラ・ロツシユフーコー公が、途上で伯に逢ふと、伯は『憐れなものよ』と言つた。公が笑つて伯に話しかけると、伯は顔色を変へて『うるさいね、僕は貴様達に相手になつて居れないよ』と怒鳴つた。すると公は吹き出して、例の癖だなと思ひ乍ら『しつかりしたまへ』と肩を叩くと(、)(※4)伯は始めて我に返つて赤面し乍ら、公を乞食と間違へたのだと白状した。

失くした五十両

 ◇以上の如き無意識の行為の例証は、単に一場の笑話として済むが、時として無意識の行為が、或は冤罪、犯罪となつて自他相互に非常な迷惑を及ぼし、甚だしいときは大なる悲劇を生ずることさへある。浅草田町に住んだ柳田角之進といふ浪人が、ある時他家に行つて主人と碁を囲んでゐたとき、主人の許に五十両の金が届いた。角之進が帰つた後(のち)、主人は五十両の金が見当らないのに不審を抱き、角之進に嫌疑をかける。角之進は、自分は少しも後暗(うしろくら)くはないが、憤慨のあまり娘を吉原に売つて五十両を差出す。するとこちらの家で、大晦日になつて煤払いをするとき、懸額(かけがく)の間から五十両の包が落ち、主人が、その当時、無意識に其処へ置いたのだとわかり、主人は大(おほい)に後悔して、角之進の娘を吉原から請け出し、自分の息子と夫婦にする。――これはよく講談師の口に載る話であるが、これなどは笑ひごとではなく、正(まさ)しく大なる悲劇と言つてよい。

離魂のやまひ

 ◇無意識の行為のうち、昔から人々の注意を惹いて居るのは夢遊病者の行為である。東洋で所謂離魂病と称せられて居る夢遊状態(ソムナンノリスム)は、医学の祖と称せられて居る希臘(ギリシヤ)の名医ピツポクラテスや、又かの有名な哲学者アリストートルが既に論じて居る所で(、)(※5)同じく希臘(ギリシヤ)の大医であつたガレンは、彼自身が夢遊病者であつたと伝へられて居る。夢遊病とはいふまでもなく睡眠中色々の行為をなし、目覚めてから、少しもそれに就て記憶して居らぬ状態を言ふのであつて、時としてその行為は、その個人が覚醒時には迚も行ひ得ないやうな複雑な、大胆な、或は巧妙なものであることがある。即ち睡眠中、夜半、むくりと起きて室から室を歩き、門を経て戸外に出で、覚醒時には、見ても恐ろしいやうな断崖絶壁の頂上に行き(、)(※6)或は数時間の間、街から街、野から野を彷徨し、家に帰つて戸締(とじまり)をなして床(とこ)に就き、而も覚めて後(のち)、少しもそれに就て記憶してゐない。
 ◇夢遊状態の際、その眼はどんなであるかといふに、時としては閉ざされ、時としては半分閉ざされ、或は時として広く開いて居る。瞳孔は拡がつて居る時もあれば、収縮して居る時もあり、また通常の儘である場合もあるが、光線に対して多くは反応しないのである。
 ◇夢遊病は多くは遺伝的に生ずるらしい(。)(※7)(後(のち)に書くやうに、ある場合には人工的にも生ぜしめらるゝが)ウイリスは、父が夢遊病者であつたところ、その子が皆夢遊病者となつた一家族のことを記し、ホルステウスは、若い三人の兄弟が同時に夢遊病となつたことを書いて居る。
 ◇マルヴイーユはある三十歳になる伊太利(イタリー)人の夢遊状態に就いて次のやうに書いて居る。彼は平素憂鬱であつて、非常に深く思索する習慣であつたが、ある夜彼は眼を開いた儘、ぢつと眼を据ゑて寝床の上に横はつた。その時彼の手は冷たく、彼の脈搏は非常に遅かつた。真夜中ごろ、彼は突然寝床から起き出で、身支度をして厩(うまや)に行き(、)(※8)馬を引き出して之に跨り、門が閉ざされてあつたので、大きな石を拾つてそれにより錠を外した。すると間もなく彼は、馬から降りて、玉突室に行き、玉を突く挙動をなし、後(のち)更に隣室に行つて楽器を鳴らし、遂に再び寝室に戻つた。しかも眼覚めて後(のち)、少しもその行為を知らなかつた。
 ◇ボルドーの教会監督長(ビシヨツプ)某氏の記述によると、ある年若い宣教師は、いつも夜分夢遊状態に於て、説教の草稿を書いた。ペンとインクと紙を取り出し、一頁書き終るなり、大声に読んでは語句を訂正した。監督長(かんとくちやう)はある夜、実験的に、彼が果してその際眼を使用するかどうかを確むるために、彼の眼の前に板を差出したところ、彼は平気で書き続けて、少しもその板を邪魔にする様子がなかつた。ネグレツチと称する夢遊病者はいつも夢中遊行の際、蝋燭を携へる習慣であつたが、あるとき周囲のものが、蝋燭の代りに壺を置いたところ、彼はそれを蝋燭と思つて携へた。カステリといふ夢遊病者は、夢遊状態に於て、伊太利(イタリー)語、仏蘭西語の翻訳を試み、頻りに辞書を葉繰つて居た。そこでスローンといふ医師が、彼の前にある蝋燭の火を消したところ、他に沢山蝋燭が点火されて室内は明るかつたにも拘はらず、彼は驚いてマツチを取り上げ(、)(※9)その蝋燭に点火した。
 ◇チユークの記載に依ると、ある中学生が幾何学の問題を考へ乍ら寝(しん)についたが、夜半、教師が見廻つて居ると、彼は膝(ひざまづ)きながら、彼処此処(あすこここ)に手を動かし、恰も黒板の前に立ちて説明して居る様な状態をして居た。教師は彼に呼びかけたが彼は返事をしなかつた。翌朝(よくてう)になつて教師が彼に問題は解けたかと訊くと、彼は昨夜問題を解いた夢を見て、よくその夢を記憶して居ると答へた。かくの如く、夢で難問題を解いたり、夢で立派な和歌や俳句が出来たりすることは、読者の屡(しばゝゝ)耳にせられた所であらう。

夢のうむ悲劇

 ◇以上の如き夢遊病者の行為には、別に悲劇的分子はないが、時として夢遊病者が自殺を企てたり、又は殺人を行つたりすることがあるに至つては、無意識の行為が、道徳的、社会的犯罪となつて容易ならぬ結果を生ずることになる。メス子はある夢遊病の女が夢遊状態に於ていつも自殺を企てたことを報告して居る。彼女はエプロンの一端を椅子に結び他端を窓の上部に結んでから膝まづき、十字を切つて首吊りにかゝつた。メス子は傍にゐて彼女のなすが儘にし彼女が首吊つて了つてから、彼女を抱き下した。又ある夜彼女は同じく夢遊状態に於て、窓から身を投げんとし、投げ過(あやま)つて床の上に激しくたふれ転がつた。更に又ある夜、毒薬を作つて、家族に永別の辞を書いたが、翌夜、再び筆を執つて、毒薬自殺は思ひ止まる旨を書いた。
 ◇グラスゴー医学雑誌に、二十七歳になる男が夢遊中自分の子を殺して裁判となり(、)(※10)証言として彼の過去の夢遊状態に於る行為が述べられた。嘗て子供の時分、彼は熟睡中起き上つて身支度をなし、鑵を携へて牛乳を貰ひに出かけた。又、ある夜、劇しい風雨の中を、びしよ濡れになつて歩いたこともあつた。二十一歳の時、ある夜彼は附近の沼の中に入つて、妹が溺れかゝつて居るのを助けるつもりの挙動をした。その後彼はたえず物に怖(おび)え、時として天井が崩れかけたと思つたり、又野獣が妻子を襲つて居ると思つて、大声を挙げて叫び狂ふことがあつた。而して或は父や妹や妻に掴みかゝり、或は野獣が居るつもりで椅子などを投げた。彼が一年六箇月になる愛子(あいし)を殺したのも同様な行為の結果であつて(、)(※11)即ち、その子に、ある野獣が噛みついたので、飛びかゝつてその獣(けだもの)を殺したが、眼が覚めて見ると、驚いたことに自分の子を殺して居たのである。その他夢遊状態に於ける殺人はエローリーに依つても報告されて居る。
 ◇アメリカ紐育(ニウヨーク)州ベーカースヴイーユの附近にガーランドと名(なづ)くる男が、子供の時分から夢遊の癖があつたが、別に自殺するとか、または他人に害を与ふるやうなこともなかつたので、細君もその夢遊をあまり気にもしなかつた。ところがある時彼の夢遊時間が大変長くなり、いつも頭から足までずぶ濡れになつて帰るやうになつたので(、)(※12)一夜細君は彼の後をつけて行つた。彼等は家を出て段々田舎道を経(へ)、森の中、石の上を通り、遂に家より凡そ一哩(マイル)程隔つたトー河の岸に達した。其処には一本の大きなポプラーの樹があり、その幹は傾いて河の面(おもて)遙に差し出て居た。すると彼はそのポプラーの樹に攀(よ)ぢ登り、膝行(しつかう)し乍ら遂にその梢に達した。彼について来た細君はこの恐ろしい光景を見て、思はず大声を挙げて、良人(をつと)の名を呼び、彼を起して呼び戻さんとした。すると彼はその声にハツと目覚めたが(、)(※13)次の瞬間、中心を失つて河の中に倒(さかさま)に落ち、その儘溺れて死んで了つたのである。即ち彼は毎度ポプラーの樹から河に飛び込み、岸に泳いで而も無意識に家に帰つて来たのであるとわかつた。

酔―阿片と酒

 ◇以上は自然に存する夢遊状態であるが(、)(※14)かやうな状態は時として人工的に生ぜしめらるゝことがある。即ちかの阿片を嚥(の)むだ場合の如き是(これ)である。阿片の作用は、その服用量とその個体の体質とによつて一様ではなく、或は興奮的に、或は鎮静的に働くのである。英国の文豪トーマス・ド・クインセーは阿片貪食者(オピアム・イーター)であつて、その名著『オピアム・イーターの懺悔』の中に、非常に詳細に阿片の作用が書かれてあるが、彼の記載に依ると、カントの深遠な思想が阿片を嚥(の)むと始めて了解せられ、又阿片によつて音楽を理解し、賞味する程度が著るしく増進せしめらるゝと言つて居る。これ等は所謂阿片の興奮作用であつて、かの夢遊状態で、幾何学の問題を(※15)いたやうな状態が人工的に阿片によつて惹起せしめらるゝと考へても差支ないのである。
 ◇阿片によつて生ぜしめらるゝ夢遊状態を取り扱つた文学的作品に、ウイルキー・コリンスの『月長石(ムーンストーン)』がある。この小説には千七百九十九年英国の印度征服に従軍したハーンカスル大佐が、ある宮殿の武器庫から掠奪した稀代の宝玉『月長石(ムーンストーン)』を、臨終の際、自分の姪ラツシエルの誕生日の祝(いわひ)として贈る旨を遺言し、ラツシエルの従兄フランクリン・ブレークが、彼女の誕生日にその宝玉を携へて来て手渡したところ、意外にもその夜、宝玉が何ものかの手に盗み去られた事件の顛末が記されてある。宝玉は結局その当時、態々印度からこの宝玉を取り返しに来て居た印度人の手に戻るのであるが、どうしてその夜宝玉が姿を隠したかといふに、晩餐卓上、祝宴に招かれた医師とフランクリンとの間に医薬の効力に関する論争があり、その当時フランクリンは好きな煙草を廃してゐたゝめに毎夜眠られぬことを語つたので、その医師は医薬の効力をフランクリンに知らせむために、ひそかに酒の中に阿片を投じて、彼を熟睡せしめ翌朝彼にそのことを告げむとしたのであつた。するとフランクリンは宝玉が印度人につけねらはれて居ることを知つて、それが気になつて居たがため、阿片の作用に依つて夜半夢遊状態を生じ、自ら宝玉を取り出して、倫敦の銀行に預けるやう、隣室に寝て居た、これも同じくラツシエルの従兄なるゴツドフレーに手渡したのである。さて翌日になつてフランクリンは少しもそのことを記憶せず、宝玉が紛失したと聞いて大(おほい)に驚き、自ら警察を呼び寄せて大騒ぎをしたので、当時借金で困つて居た、腹の黒いゴツドフレーは、いゝ事幸(さいはひ)にその宝玉を利用して黙つてゐたのである。その後幾多の波瀾を経て、遂に右の真相が明かとなり、ゴツドフレーは印度人に殺され、宝玉を奪はれて了ふ。
 ◇ある愛蘭(アイルランド)人は酒に酔つた場合になしたことを、素面(すめん)の時少しも記憶せぬが、酒を飲むと再び前に酒に酔つてなした行為を完全に思ひ出した。あるとき酒に酔つて、貴重なる品物を紛失して、素面になつて大(おほい)に心配したが、再び酒に酔つたら、その品物をある家に置いて来たことを思ひ出し、家人がその家を訪れて調べると、果してその品物は出た。
 ◇阿片とか、アルコホルとかは屡(しばゝゝ)かくの如き二重人格を生ぜしむるのであつて、甲の人格の場合になした行為は、乙の人格の際少しも意識して居らぬのである。次に少しく二重人格の実例に就て語つて見やうと思ふ。

甲になり乙になり

 ◇スチヴンソンの小説に『ジエキール博士とハイド氏』といふのがある。碩学ジエキール博士は科学の力を以て人間の心の生活を征服しやうといふ非望を抱き、研究の結果一種の薬品を発見した。それを呑むと人間の良心は去つて悪魔の心となるのであつて、ハイドといふ名で、ロンドンのどん底に出入(しゆつにふ)してあらゆる罪悪を行ひ、家に帰つて別の薬を服(の)むと謹厳な博士となつた。ところが遂には毒薬が霊魂の底までしみ渡つて、別の薬を服(の)むでも恢復せず悲惨な死を遂ぐるといふ筋である。
 ◇これは勿論架空な人物であるが、事実に於てもかゝる二重人格がウエーヤ・ミチエルその他の学者により研究し記述されてある。メリー・レーノルヅといふ十八歳のアメリカ女は屡(しばゝゝ)ヒステリーの発作に悩むだが、ある時、例の発作が起つて、五六週間、目が見えず、耳が聞えなかつた。聴覚は突然恢復したが、視覚の恢復は徐々であつた。三箇月の後(のち)、非常に深い眠りから覚めたが、その時彼女の記憶は全然去つて了つた。両親の顔も、住居(すまゐ)もすつかり忘れ、まるで幼児と同じく、更(あらた)めて教育を施さねばならなかつた。以前の臆病な性格が、大胆な、華美(はで)好きな性格に変つた。そして山野に出かけて走り廻つた。すると数箇月の後(のち)再び深い眠りに陥り、覚めて後(のち)以前の人格に戻り、第二の状態は少しも記憶しなかつた。その後約十六年間幾度も幾度も第一第二の状態を交互に繰返して居たが、三十六歳の頃から第一第二の混合状態となり、六十五歳で死んだ。
 ◇アメリカのロード・アイランド州に住まつたボーンといふ宣教師は、一日家を出て、ペンシルヴアニア州の一市に旅行したが、其処で遽(にはか)に別人になつて、ブラウンといふ名で菓子商を始めた。二年を経たある夜、眼が覚めると急に以前の宣教師時代の自己に帰り、妙な家に居ることに気附き、盗賊と間違へられはしないかと思つて、隣人を呼び、自分はロード・アイランドの者で宣教師であると語つた。隣人は驚いてロード・アイランドの彼の以前の友人共を呼び寄せたところ、間違ひないといふことになり、友人に連れられて彼は再び郷里に戻つた。ボーンは心理研究協会の手で精密に検査されたが、若い時少し気狂(きちがひ)じみた挙動をすることはあつたけれども、今まで商売に従事したことは一度もなかつた。彼がどうしてブラウンといふ名を附けたかといふに、嘗て催眠術をかけられ、その時に暗示されてゐた名であることが明かとなつた。
 ◇以上の二つの場合はウエーア・ミチエルの記述する所であるが、アルフレド・ビネーも同様な例を書いて居る。フエリグといふ仏蘭西の女裁縫師であるが、ビネーが彼女に逢つて話して見ると、少し憂鬱なばかりで、返答に少しも変つたところはない(。)(※16)ところが彼女は殆ど毎日顳■(こめかみ)(※17)に急に痛みを感じ、軽い眠りに落ち、それから覚めると全く別人となつて了ふ。第二の自己では、彼女は非常に快活で、何でもにこゝゝ(※18)して喋り、通常の自己の時のことは勿論、第二の自己で経験したことをよく記憶してゐるが、一二時間後その状態から通常の自己に戻ると、第二の自己の記憶は少しもなかつた。あるとき第二の自己の状態で、知人の葬式に列したところ、途中の車上で第一の自己に戻り、大(おほい)に不審がつて、同乗の婦人共に事情を訊ねた。そのとき、彼女はその死んだ知人の名まで知らなかつた。又あるとき第二の自己の状態で、良人(をつと)が妾を作つたと思ひ、自殺を企てたが、第一の自己に帰つたとき、その女に逢つても極めて親しく挨拶し、少しも嫉妬を感じなかつた。長い年月(としつき)の後(のち)、遂に第二の自己の状態が、通常の状態になつて了つた。

ある若き事務員

 ◇ジヤクソンの記載に依ると、ある若い事務員が、突然劇しい痙攣に襲はれて、意識を失ひ、二十四時間後痙攣が止まつたが(、)(※19)第三日に別人として意識を恢復した。そしてある女に惚れたところ、その女には別の愛人があるので、その男と決闘するのだと言つて、三日間毎日同じ時間に出かけて行つて、想像的の敵と決闘した。勿論その眼は大きく開いてゐて誰も眠つて居ると思ふものはなかつたが、この状態を経過し恢復した後(のち)彼にどうして居たかを訊ねると、彼は単に眠つて居たのだと答へた。彼はその後完全に健康を恢復した。
 ◇ロンドンの臨床学会で報告された十二歳になる一少女は、重病に罹つて脳膜炎と診断されたが、一時人事不省に陥つて、意識を恢復すると別人になつた。平素は読み書きも談話も比較的正しく行ひ得たが、第二の自己では凡ての記憶を失つて自分の名は勿論、両親の顔も忘れた。ところが再び急に我に帰ると以前の記憶も甦つた。プルーストは三十三歳になる巴里(パリー)のある弁護士の二重人格に就て書いて居るが、その父は大酒家で、母も神経病的発作に悩み、弟は痴愚で、かれ自身も幼より非常に感情が強かつた。あるとき法廷で裁判官に凝視されて気が変になり、又あるときカフエーで鏡を見て、急に眠りに陥り、病院で目覚めた。その後(のち)、二重人格を得、第二の自己にありては、過去のことを少しも記憶しなかつた。ある時彼は継父と喧嘩して三週間第二の自己に移つた。デーヴイスの記載に依ると、ある男がオーストラリアに旅行する途中記憶を失ひ、ある病院に入れられたところ、たゞ二人の名前を言ふことが出来たのみであつて、その二人を呼んで対面させて見たが、あまり親しい間でもなかつたのと、且(かつ)変つた姿であつたので二人とも彼が誰であるかを言ふことが出来なかつた。ところが四箇月の後(のち)彼の記憶は完全に恢復して、無事に目的地に達した。
 ◇時としては第一第二の自己のみならず(、)(※20)第三第四の自己を有する場合があり一八八五年の『ルヴユー・フイロソフイツク』の中にはある若い男が六個の自己を持つて居た例が記されてある。記憶は一々の状態に於て異つて居り、そのうち一個の自己だけは他の五個の自己と全然区別されて居た。筆蹟も各(おのゝゝ)の状態に於て異なり、子供らしいのや、叮嚀なのや、又は乱暴なものなど色々であつた。又そのうち四個の自己の各(おのゝゝ)にヒステリー性の麻痺が存在して居た。
 ◇二重人格の原因に就ては色々の説明がなされて居て一時は、フランスに於て盛んに研究せられ、大脳の両半球が、別々に働くためであらうなどゝいふ臆説も建てられたけれども、勿論十分なる説明ではなく、茲には詳細な理論は省略する。

施術者の傀儡

 ◇二重人格や又は前に書いた夢遊状態が(、)(※21)催眠術によつて人工的に発生せしめ得らるることは読者の既に存知せらるゝ所であらう。ロンブロゾー及びリシエーの実験によると催眠状態に於てある人格が暗示されると、その筆蹟が、その人格に適当したやうになるのであつて、ある若いヒステリー性の女に、子供であるぞと暗示したところ、その筆蹟は、子供らしいものであつた。チヤルノニ・クレメンチノと称する墺多利(オーストリー)の学生について、彼等の実験した所によると、凡そ一時間毎に順次に、幼児、ナポレオン(※22)ガリバルヂ、事務員、九十歳の老翁と暗示した所、それゞゝ(※23)それに相当した筆蹟を残した。ミチエルは其著『科学と犯罪者』の中に(、)(※24)催眠術による筆蹟の偽造は、従来はあまり多く行はれなかつた犯罪であるが、今後に於ては恐らくかゝる犯罪が頻繁に起るであらうから、法官は須らく注意して、本人が全く施術者の傀儡であるか、又は共謀者であるかをよく鑑別せねばならぬと言つて居る。
 ◇催眠術を応用して他人に諸種の犯罪を行はしめた実例は、既に多数に及んで居る。或は姦淫の目的に、或は窃盗の目的に、甚だしきは殺人の目的に、催眠術が応用せらるゝことがある。一八九〇年巴里(パリー)のエーローは、巡査グーフエを殺すために、恋人のガブリエール・ボムパールに催眠術をかけた。又一八九七年イタリーのグラチア・コラフランチエスコと云ふ女は情夫パニアニに催眠術をかけて、情夫の恋人を殺さしめた。
 ◇他人に催眠術をかけて、果して犯罪を実行せしむることが出来るであらうかについては以前、多数の学者によつて論議された所である。ある学者はなる程実験室内の実験では犯罪の真似をさせることは出来るのであるが、それはたゞ本人が芝居をするのだといふ観念があるために行ふのであつて、実地に際しては、如何に深い催眠状態に於ても、道徳観念即ち善悪邪正を判別する能力は残留して居るものであると論じたのである。然し乍ら、現今に於ては最早この説は成立せず、催眠術によつて、慥(たしか)に犯罪を行はしむることが出来るといはれて居る。ペルンハイムは、犯罪的暗示を実現せしむるためには、その暗示を幻想を以て装へばよいと言つて、実験によつて之を示して居る。即ち彼は犯罪行為を暗示すると同時に、被術者に、施術者のなす如何なることにも不感であるぞと暗示すればよいと言つて居る。

落語『粗忽長屋』

 ◇夢遊状態又は催眠状態に於ける犯罪を取り扱つた探偵小説は比較的少ない。リチヤード・マーシユの『甲虫(かぶとむし)』には、ある埃及(エジプト)人が、一浮浪人に催眠術をかけ英国の大政治家ポール・レツシンガムの秘蔵の書簡を盗ませる犯罪が書かれてあつて、その犯行の経路が可なり精密に写されてある。又ブリツトン・オースチンの短篇の中には、夢遊病者なるタドモーデンといふ弁護士が、自分の知己のハートレーといふ老嬢を夢遊中に殺して、ダイヤモンドの留針(ブローチ)を奪ふ物語りがある。『義賊ラツフルス』を書いて有名なホーナングの『写真魔』の中には、ある少年が公園に寝て、ピストルを以て夢遊して居るのを利用して、霊魂が人体から、死の刹那に逃れ去る姿を写真に撮影出来ると考へた男が、自分で殺人して、その少年の行為に帰することが書かれてある。何れにしても、今後はかゝる『無意識の犯罪』を取り扱つた探偵小説が多く書かれるであらうと思はれる。
 ◇最後に、柳家小さんの得意とする落語『粗忽長屋』を書いて、何人(なんびと)にもありさうな二重人格の例を示し、以てこの章を終らうと思ふ。――二人の浮浪人がある長屋に住んで、いろゝゝ(※25)話して居るうち、甲が乙に向つて、某所に死人があつたが、昨夜お前があの方面に行つたといふから、その屍体はお前のではないかといふ。そこで乙は昨夜の行動を思ひ出して見たところある時間までは記憶して居るが、それから先どうしたかわからない。すると甲は、それでは必ずお前が死んだのだ、これから屍骸をあらために行かうではないかと言つて二人して出かける。愈(いよゝゝ)屍体の傍に来て、見ると乙は如何にも俺の屍体だといつて巡査に引き取り方を願ひ、その屍体を抱き上げる。その瞬間、ふと気がついて言ふ。――『抱かれてるのはたしか俺だが、抱いてる俺は何だか知らん』(完)

(※1)原文句読点なし。
(※2)原文の踊り字は「く」。
(※3)(※4)(※5)(※6)(※7)(※8)(※9)(※10)(※11)(※12)(※13)(※14)原文句読点なし。
(※15)原文ママ。
(※16)原文句読点なし。
(※17)原文の漢字は「需」+「頁」。
(※18)原文の踊り字は「く」。
(※19)(※20)(※21)原文句読点なし。
(※22)句読点原文ママ。
(※23)原文の踊り字は「ぐ」。
(※24)原文句読点なし。
(※25)原文の踊り字は「く」。

底本:『週刊朝日』大正12年新年特別号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1923(大正12)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2017年10月6日 最終更新:2017年10月6日)