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探偵小説劇化の一経験

小酒井不木

 久しい以前から、本誌に創作を寄せることを約束しながら、自分の怠慢の為めに果さず読者にも編輯者にも誠に申訳のないことをしてしまつた。近来長篇小説の構想に興味を持つて来たゝめか、とんと短篇小説のよい趣向が浮ばない。本誌に短篇小説の造り得ないのも、要するに書きたくても書けないのであるから、読者はこれを諒として頂きたい。で、今月もこの雑文を送つて、わづかに責をふさぎたいと思ふのである。
 昨年末、名古屋、新守座の文芸部の加藤君が来られて、同座の新春興行として河合、小織合同一座の新派劇を出すから、その三の替りの出し物として探偵小説劇を書いて見ないかとの事であつた。自分にはとても書けさうにないから躊躇して居ると、大晦日の晩に河合武雄氏が来られて是非書いて見よと言はれたので、それではといつて筆を執つたのが「紅蜘蛛奇譚」二幕四場である。二幕四場といつても極めて短いもので、一時間半ですむ芝居なのであるが、脚本にはまつたくの素人のことゝて可なりに骨が折れた。嘗て雑誌「キング」に「紅蜘蛛の怪異」と題して発表した探偵小説を骨子として、それを髷物化したのであるが、髷物の小説さへ書いたことがないのであるから、自分ながら無鉄砲なことにあきれたが、兎に角五日目までに書き上げてしまつたのである。これといふのも、かねて私は探偵小説の劇化といふことを機会があらば試みたいと思つて居たので、折角の好機を見のがしてはならぬと、それをとらへたのであるが、何がさて芝居の約束を少しも知らぬのには、さすがに慨歎せざるを得なかつた。然し、一方から言へば約束を無視した脚本も、ことによつたら意外な良効果を齎らさぬにも限らぬと、冒険的な、いはゞ探偵小説的な気分も手伝つて、敢てこの難事を企てたのである。
 探偵小説の劇化といふことは、これまで極めてむづかしいものであるといはれて来た。いかにもその通りで、例へば殺人事件の犯人探偵を取扱つたやうなものは、芝居では到底小説の味を出すことは出来ない。何となれば探偵小説の妙味は、読者に意外の念をあたへて、而も、なるほどさうであつたかと感心せしめるところにあるといつてもよいのであるが、芝居ではすでに番附の上で犯人に扮装する俳優の名がわかつて居るし、たとひ番附に一切俳優の名を書かないやうにしても、覆面のものなどは大ていその身体つきや声色で察しがつくし、その他なほ色々の点で、その妙味を観客に伝へることが困難だからである。そこで芝居では、どうしても、探偵小説の持つ、その他の味をあらはすか、又所謂トリツクを従とし、人情の葛藤を主とするかの二つしか無いやうに思はれるのである。
 探偵小説の持つ、その他の味といへば、恐怖とか諧謔とか、数へあげればいくらもあるが、犯罪を中心としたもので、「夜」の魅力と「都会」の魅力などそのうちに数へて差支へないと思ふ。で、私は「紅蜘蛛奇譚」に於て探偵小説的のトリツクを入れることを忘れぬやうにして、主として夜の都会の魅力をあらはし、あはせて、私の貧弱な思想を織りこまうとしたのである。
 筋は次のやうである。幕末の江戸の何となく世の中が騒がしくなつた頃、旅から来るうぶな者をあざむいて金銭をまきあげる女賊お辰を、萬町の目明し小十郎が何とかして捕へようと努力した。ある冬の夜、三州岡崎の商家生れの青年勇次郎が、都会の華やかさにあこがれて、学問をなすべく江戸へ着くと、はからずも、江戸橋のほとりで身投をしようとする若い女を救つた。勇次郎は女と共に小船町の蔦屋といふ宿へ落ついたが、その女こそ女賊お辰であつた。お辰はその右の胸に紅い絵具で大きな蜘蛛の刺青をして居るので、紅蜘蛛お辰と綽名されて居たが、彼女はいつもその紅蜘蛛を相手の男に見せ、その刺青は、さるお屋敷に奉公して居たとき殿様のために無理に入れられたもので、その復讐のためにお屋敷の宝刀たる匕首を奪つて逃げたのであるが、所詮生きて居れないから身投をしようとしたのであつて、あなたの御親切で一旦は思ひ止まつたものゝ、やつぱり死なねばならぬ、死ぬには一人で死にたくないから一しよに死んでくれ、一しよに死ぬのが厭なら、せめてこの匕首でこの蜘蛛の眼をついて私を殺してくれと迫り、しまひには、自分で死んであなたに殺されたやうに見せかけるからよいといつて男を恐怖させ、さうして男を逃げ出させて、その路用を奪ふのであつた。
 彼女は勇次郎に向つて同じ手段を講じたがいつの間にか勇次郎の純真さに引きつけられて身をゆるし、何となく一しよに死んで見たいやうな気になつた。さうして彼女のいつもの狂言は、いつの間にか真実となつて居た。最後に、自分で死んであなたに殺されたやうに見せかけるからよい、その代り死霊となつて取りついてやる、いや、死霊とならなくつてもこの蜘蛛が復讐するから覚えて居るがよいといふあたりは、まつたくの真剣であつた。さうして遂にお辰は短刀を勇次郎に握らせて自分の胸をつかせようとしたが、勇次郎は猛烈に振りきつて逃げ出してしまつた。
 勇次郎は雪の降る中を無我夢中で走り出したが、考へて見ると済まぬことをしたやうに思つたので、再び蔦屋へ戻つて来ると、その表に人だかりがして居た。不審に思つてきいて見ると、今夜蔦屋で若い女が殺され、殺した男はその場から逃げたのだといふのであつた。
 再び驚いて駆け出したが、その時から彼は紅蜘蛛の幻想になやまされ、精神病者のやうに江戸市中を徘徊し、二日目の夜、田所町の稲荷社の境内で疲労と飢と幻影にせめられて狂ひながらたほれてしまつた。
 それを救つたのは目明しの小十郎であつた。小十郎が事情をきくと、勇次郎は蔦屋で女を殺したのは自分だと白状した。小十郎は驚いて、蔦屋の女殺しの犯人は既につかまつたから、それは何かの間違だらうと言つた。だんゝゝ(※1)事情をきいて、さてはお辰の仕業だと言はうとすると、その時、社殿の扉があいて巡礼姿の女があらはれた。勇次郎はそれを見て、「女の幽霊だ」と叫んで気絶し、小十郎は、「お辰御用だ」といつてとびかゝらうとした。
 その時お辰は小十郎に向つて、もう逃げもかくれもしないことをつげ、今迄自分の狂言が相手の男の精神にどんな影響を与へるかを知らなかつたが、今夜はじめてその怖ろしさを知つた。その上自分は勇次郎に対してはじめて恋を感じたので、勇次郎がいとしくなつて、思はず飛び出したのだといふ。罪を犯したものは法のさばきを受けねばならず、そこに大きな煩悶が起つたのであるが、小十郎はかねて、牢屋は人の心を浄めるものではない(、)(※2)捕る身も捕られる身も、紙一重の裏表だと考へ、最近御用聞きといふ商売に厭気がさして居たから、小十郎は十手をすてゝお辰に同情し、お辰はうれしさうに恋人を抱いた。
 以上がこの芝居の荒筋である。四場とも夜ばかりで、探偵小説的のトリツクは、いふ迄もなく、蔦屋に偶然別の人殺しがあつたのを勇次郎が自分の連れこんだ女が死んだものと誤解するところにある。単に探偵小説の味を出すといふのなら、こゝだけでよいが、芝居となるとやつぱり物足らぬことを感じたのでつい、心理的の描写に力を注ぐことになつたのである。
 河合武雄氏がお辰、小織桂一郎氏が小十郎(、)(※3)梅島昇氏が勇次郎といふ役割で、へた(※4)な原作が立派に生かされ、予期以上の評判を得たのは作者として喜ばしい限りであつた。名古屋の後、浜松、静岡、神戸で上演されることになつたが、作者としてはたゞ観客に満足を与へたいと祈るばかりである。新守座では道具に大に金をかけ、舞台の照明が行き届いて居たので、作者の狙つた夜の都会の気分は濃厚に出て居たと思ふ。
 ところで私はこの芝居で、そのせりふ(※5)に多くの現代語を入れた。貧弱な私のヴオカブラリーの中には、自分の思想を表現しようとする江戸言葉がどうしても見つからなかつたからである。それに江戸言葉など自分は皆目知らないしする(※6)から、江戸言葉や関西言葉をまぜこぜに使はせてしまつた。このことは河合氏に話して、若し現代語が耳障りになるならば書き替へませうかと相談したが、河合氏の言はれるには、どうせ江戸言葉に変へたところが、果して、その時代の人が、その通りの言葉を使用して居たかどうかわからないから(、)(※7)そのまゝでよいではありませんかとの事であつた。
 ところが、名古屋新聞に、「紅蜘蛛奇譚」のストオリーが掲載されると、読者の一人から(、)(※8)あゝいふせりふ(※9)では幻滅だ、とても恐ろしくて先が読めないといふ御叱りがあつた。で、私もあまり無頓着にして居る訳にいかぬから國枝史郎氏に相談すると、思想をあらはすには現代語をつかふより外にない、言葉を統一するならいつそ全部現代語に統一してはどうだとの事であつた。そこで私は、若しこの脚本を雑誌にでも発表するときには現代語に統一することに決心し、今回は書き下したとほりに上演してもらふことにしたのである。
 実際、上演されるまでは、現代語のために折角の気分を壊してしまひはせぬかと、ひやひやした。しんみりした気分を出さねばならぬところで、現代語のために、どつと笑はれてはならぬと気を揉んだが、案外に観客は静かに見てくれて嬉しかつた。俳優諸君のうちでも、せりふ(※10)の使ひ方には可なりに驚いて居られた人もあつたやうであつて、言ひにくいところは勝手にかへてほしいと私は御願ひして置いたが、河合氏は原作通りに忠実に演じて下さつて、却つて恥かしいやうな気がした。
 何にしても、新派劇壇の巨頭連が、素人の脚本を演じて下さつたことは、私の此上ない喜びであつて、今後機会があつたら、もつとどつしりしたものを書いて見たいと思ふのである。探偵小説趣味を芝居に移すといふことも、探偵小説趣味普及の上には欠くべからざることである。なほ又新派の行き詰りが口にされて居る今日、若しこの方面に活路が開かれ得るならば、それは二重の喜であらねばならぬ。
 さて、今回の経験で知り得たことは、探偵小説のトリツクだけ芝居の上へ移したゞけでは、到底観客の満足を買ひ得ないだらうといふことである。やつぱり其処に何かの思想がなくてはならぬやうに思はれる。一回だけの経験ではわかりかねるが、どうもさういふやうな気がしてならない。が、このことは今後の研究をまたねば何ともまだ断言するすることは出来ないのである。

(※1)原文の踊り字は「く」。
(※2)(※3)原文句読点なし。
(※4)(※5)原文圏点。
(※6)原文ママ。
(※7)(※8)原文句読点なし。
(※9)(※10)原文圏点。

底本:『探偵趣味』昭和2年3月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1927(昭和2)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2017年3月17日 最終更新:2017年3月17日)