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奇獄

小酒井不木

 本誌の十月号から編輯方法が変るについて、私は探偵小説の創作か又は翻訳を寄せたいと思つて居た。ところが色々仕事が山積した上に近年にない暑さがやつて来て、身体の弱い私は、創作は勿論、外国の探偵小説を読む根気さへなくなつてしまつた。そこへさして締切期日の十三日は過ぎてしまつたので、やむを得ず、この一文を草して責を塞ぐことにしたのである。
 先日私は名古屋のある古本屋で、「奇獄」と称する四六判三百五十頁の書物を買つた。これは、米国のジヨルヂ・マクウアツテルス氏の、デテクチヴス・オヴ・ユーロープ・エンド・アメリカといふ一八七八年出版の原書を訳したものであつて、訳者は千原伊之吉氏で明治二十一年六月に京都の日本同盟法学会で発行されたものである。
 私はこの書の原著者を知らないが、その中には二十の犯罪探偵事件が取り扱はれてある。尤も、翻訳は原文通りではなく、いはゞ抄訳が行つてあるのであつて、従つて、原著にはもつと沢山の事件が列べてあるかも知れない。すべての事件に、「私」と称する探偵が出て解決する体裁に書かれてあるところを見ると、興味本位の読物として書かれたものであることは言ふ迄もない。この訳書には井上操といふ法律学士が序文を書き、
「……探偵ハ犯罪ノ捜査ニシテ犯罪ノ捜査ハ司法警察官ノ職トスル所ナリ。司法警察官ニシテ善ク罪跡ヲ捜査シ犯情ヲ探偵セバ獄ヲ治ムル豈難キコトアランヤ。而シテ之ヲ捜査シ之ヲ探偵スル我只心ノ誠ヲ尽スベキノミ。古人曰ク心誠求(レ)之雖(レ)(レ)中不(レ)遠矣ト。又云フ如(レ)(二)悪臭(一)(レ)(二)好色(一)ト。果シテ能ク悪臭ヲ悪ミ好色ヲ好ムカ如ク其心ノ誠ヲ尽シテ其罪跡犯情ヲ求メバ豈之ヲ得ザルコトアランヤ。或ハ之ヲ得ザルモ蓋シ遠カラザルヘシ。此書ニ記スル所ハ実ニ心誠求(レ)之モノナリ。故ニ其情ヲ得タリ、之ヲ棠陰比事等ノ書ニ比スレバ日ヲ同フシテ語ルベカラサルモノナリ……」
 と言つて居るが、理窟は兎に角、大岡政談の盛んに読まれた頃、かやうな書物が出版されたところを見ると、その頃の日本人の探偵趣味は可なりに深かつたことがわかる。
 私は左に、この書の第一章に挙げられた「仮死偽葬」事件の顛末を紹介しようと思ふ。
「英国倫敦府に偽造幣の盛に流布したることあり、其勢ひ正貨の信憑をも妨げんとするに至りしかば、政府の憂慮一方ならず、殊に警察官は深く思を焦して種々手を尽し探偵したれども漠然として踪蹤を得ず。時に予は探偵吏の中に精熟の名を得たるに由りて、長官より是非とも探偵してよと懇嘱せられしかば、予も労を厭はず此難件を担当せり、併し対手(あひて)は類ひ稀なる曲者なれば尋常の事にては手に入るべくも思はれず、左れど懇嘱を承りたるからは、後ろに引くべきにもあらねば即時捜索に取掛りたり」(以上原文のまゝ)
 ところが、犯人もさるもの容易にその尻尾をあらはさなかつた。が、苦心惨憺の結果、ジム・ブラドレーなるものが、どうも怪しく思はれたので、その挙動をさぐることにしたが、何分証拠品を取押へることが出来ないので、私はある時彼に向ひ、
「僕は君を貨幣の偽造犯人と睨んで居るが、どうも証拠が得られないので困つて居る。然しそのうちには、君をつかまへるから覚悟して居たまへ。」
 といつた。すると彼は苦笑して、
「つかまへるならつかまへて見られるがよい。その代りあべこべに名誉毀損で訴へますよ。」と答へるのであつた。
 それから数ヶ月の探索の後、私は彼が場末の安下宿に住んで居ることをつきとめたので、ある晩私は、数名の巡査をつれて、突然その家をたづねた。再三戸を叩くと、やつと、一人の老婆が蝋燭をもつて出て来て、
「何用ですか。」とたづねた。そこで私はその機を逸せず、警官と共に中へ踏みこみ、二階へあがつて見ると、一室の扉がかたく閉され、中からブラツドレーの声が聞えたので、私は、
「おいブラツドレー、愈よつかまへに来たぞ、早く扉をあけぬか。」
と叫んだ。
 その時、先刻の老婆が来て、
「実は三階に病人がありますから、なるべく御静かに願ひます。」と、言つた。
 然し、そんなことにかまつて居られない。時を遅らせて、証拠物件をかくされてはならぬと思ひ、巡査と共に、無理に戸をあけると、意外にもブラツドレーは一人の仲間とにこゝゝ(※1)しながらカルタを弄んで居た。
「無断ではいつて来ては、家宅侵入罪になりますよ。」と、彼は言ひ乍ら、相も変らずカルタをやつて居た。
 そこで私は、その室を隈なく捜したが、証拠となるものは何もなかつた。

 その時三階で足音が聞えたので、私はとりあへずあがつて行くと、中から一人の紳士が出て来て、
「今瀕死の病人があるのですからちと御静かに願ひたいものです。」と言つた(。)(※2)
「あなたはどなたです?」
「私はジユード街のアレキサンダーといふ医師ですが、あなたは?」
 そこで私が事情を話すと、
「私は二三度招かれただけですけれど(、)(※3)下の男は、なんだか怪しいやうに思はれます。けれど、この患者は煉化製造人で、そんなことには関係して居ないと思ひます。けれど念のためにお捜しになるがよろしい。但しなるべく静かにやつて下さい。」
 中へはいると、患者は如何にも衰弱して居て、そのそばには幼児を抱へた妻が、悲しさうに介抱して居た。
 その時医師は患者に近づいたが、
「あツ、もう駄目だ!」と叫んだ。
 わつといふ声がして、さすがの私も進退に窮した。すると医師はつかゝゝ(※4)と歩みよつて、
「どうかかういふ際ですから捜査は手早く御願ひしたいものです。」と言つた(。)(※5)
 で、私は、簡単に室内を捜したが、それらしいものはあらはれなかつた。
 それから私はそこを出て、その家に見張番をつけて置いたが別に怪しいことは起らなかつた。翌日の夕方、葬式を行ふために三人の男が棺をかついで出たが、ブラツドレーは、その少し前に外出したきり、夜遅くなつても帰らなかつたので、私はこいつ怪しいと思つて、その家にはいり、三階へ行つて、ベツドの褥を動かして見ると、意外にも、その下には空間があつて、そこへ物がかくされてあつた様子であるから(、)(※6)扨はと思ひ、私は切歯扼腕したが、最早後の祭であつた。
 私は直ちに(※7)ユード街へ走つてアレキサンダーといふ医師をたづねたが、そんな名の医師を誰も知らなかつた。
 このことがあつてから、一層念入り(に)(※8)私はロンドン市中を捜査した。すると、ある日、ヘーマーケツトの附近で、彼の姿を見かけたので、直ちにそのあとをつけ、住所をつきとめることが出来た。けれど、前回の失敗にこりて、私は一計を案じ、彼等の住所の近くに一軒の骨董店を開き、老ユダヤ人に扮装して、この店の主人になりすました。
 高く買ひやすく売るといふ評判が伝はると、果して、ある日ブラツドレーがやつて来て、外套を買つた。彼の出した金の半分は偽造貨幣だつたので、私は声をひそめて、
「このお金をあなたはまだ沢山お持ちですか。」とたづねた。
「何だいこの貨幣(かね)が怪しいのか?」
「いゝえ、さうぢやありませんよ。このお貨幣(かね)をやすく買つて高く売りたいから、おきゝするんですよ。」
「あゝさうか。では仲間をよこさう。」
 彼は出て行つたが、程なく、偽医師のアレキサンダーがはいつて来た。
「お前の所に密談する室はあるか?」
「ありますとも。」
「では今晩来よう。」
 そこで私は、早速警察へ告げて、六名の警官を張りこませて置くと、果して、八時頃にブラツドレーとアレキサンダーがやつて来た。
 やがて、奥の秘密室で、酒が出され取引の相談がきまつた。ブラツドレーはポケツトから五十ポンドの偽造貨幣を出したので、私は彼の肩に手を置き(、)(※9)
「おい約束どほりつかまへたよ。」
 はげしい格闘が行はれた後、二人は遂に捕へられた。然し、まだ証拠物件がなくてはならぬので、彼等の住所を訪ねると、例の老婆が出て来た。中へ入つて、扉の隙間から一室をのぞくと先日の病人と妻とが対座して居た。
 そこで、警官と共に直ちに彼等を逮捕し、それから、熱心に捜索すると、壁の一部分に怪しいところが見つかつたので、それをこはして見ると、果して偽造用の機械が出たのである。
(八月十四日)

(※1)原文の踊り字は「く」。
(※2)(※3)本文句読点なし。
(※4)原文の踊り字は「く」。
(※5)(※6)原文句読点なし。
(※7)原文ママ。
(※8)原文は「一層念入り私は」。
(※9)原文句読点なし。

底本:『探偵趣味』大正15年10月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1926(大正15)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(リニューアル公開:2017年5月26日 最終更新:2017年5月26日)