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童話と犯罪心理

 私は現に「新青年」で、小説や戯曲にあらはれた犯罪心理について考察しつゝあるのであるが、童話の如きものも、犯罪文学研究上、決して見のがすことの出来ぬものである。で、私はこれから、童話にあらはれた犯罪心理について述べようと思ふのである。
 然し私は今こゝで、童話にあらはれた犯罪心理の一般的考察を試みようとするのではなく、童話にも犯罪心理が巧みに言ひ表はされてあるといふことを示すために、かのグリムの童話からその一例をひいて説明し、読者諸君の注意を促がすに過ぎないのである。
 例に引く童話は Schneewitthen 「雪子姫」といふのである。ある王妃が、雪の降る日に窓際で縫物をして居た時、チクリと針で指を刺し、血が三滴雪の上に落ちた。それを見て、王妃は、
「この雪のやうに白く、この血のやうに紅く、この窓枠の黒檀の木のやうに黒い児を生みたい」と叫んだ。
 すると間もなく王妃は、雪のやうに色の白い、血のやうに唇の紅い、黒檀のやうに髪の黒い女の児を生んだので、「雪子」と名をつけて寵愛したが、間もなく王妃は逝去した。
 一年ばかりたつと王様は別の妃を迎へたが、その妃は高慢で嫉妬深くて、自分より美しいものがあると何よりもそれが気になつた。彼女は一つの不思議な鏡を持つて居たが、彼女がそれに向つて、
「鏡、鏡、壁の上の鏡、誰がこの世で一番美しい?」
ときくと、鏡はいつも
「貴女が一番美しい」と答へるのであつた。
 ところが、雪子姫が成長して、七歳になつたときには、継母の王妃よりも遙に美しくなつた。あるとき、王妃がいつものやうに、鏡に向つてたづねると、鏡は、
「貴女は本当に美しい、けれども雪子はもつと美しい。」
 と、答へた。これをきいた妃は、びつくりして顔の色をかへ、それからといふものは雪子をにくむ情が段々増して、たうとうある日猟夫をよんで、
「あの児を森へつれて行つて殺し、心臓と舌とを抉つてもつて来て呉れ。」
 と頼んだ。
 猟夫は雪子姫をつれて山へ行き、殺さうとすると、姫は、
「私はもう家へ帰らないから、どうか命を助けてください。」と言つた。猟夫はこれをきいて気の毒に思ひ逃してやると、丁度そのところへ若い猪がとび出して来たので、猟夫はそれを殺して、心臓と舌とを取り、王妃のところへ持つて行くと、妃は、その二つを塩焼にして食べた。
 雪子姫が山奥にあるいて行くと、日の暮方に一軒の小家を見つけた。中へはひつて見ると、誰も居なかつたが、七人分の食事の用意が出来て、壁際には七つの小さい寝台があつた。雪子姫は空腹を覚えて居たので、そこにあつた御馳走を食べ、寝台の一つに横はつて、疲労のあまり眠つてしまつた。
 すると、間もなくその小家に住む七人の矮人が帰つて来た。彼等は山で黄金を掘り出すことを職として居たが、雪子姫を発見して大に驚いた。然し、雪子姫が美しく可愛らしかつたので、そのまゝにして置くと、あくる朝、雪子姫は目をさまして矮人を見てびつくりし、事情を話すと、矮人たちは同情して、彼女を一しよに住はせることにした。矮人たちは、毎朝山へ出かける度毎に、雪子姫に向つて、
「留守中は誰も家の中へいれてはいけない。おかあさんに用心をしなければいかぬ。」といふのであつた。
 一方王妃は、雪子姫を殺して安心し、もう世界に自分より美しいものはないと思つて(、)(※1)例の如く鏡にきくと、鏡は、
「貴女は本当に美しい。然し、七人の矮人と一しよに、山奥に居る雪子はもつと美しい。」と答へた。
 これをきくなり妃はびつくり仰天し、ある日物売女に扮装して、矮人の家に来て、
「小間物はいりませんか?」と呼んだ。
 雪子姫は、小間物売りなら、家へ入れてもよいだらうと考へて、レースを買ふと、物売女は、「私が結んであげませう。」といつて、レースを姫の頸にまきつけてぎゆつとしめつけ、急いで去つた。夕方になつて七人の矮人は、姫の死んで居るのを見て大に驚き、とりあへず手当を施し、息を吹き返らせ、事情をきいて、
「その物売女はおかあさんだから、これからは決して油断せぬやうに。」と告げた。
 一方、王妃は家にかへつて早速鏡を取り出し、いつものやうにたづねると、
「貴女は美しいが、山奥に居る雪子はもつと美しい」と答へた。
 妃は又もやびつくりして、こんどは毒を塗つた櫛をつくり老婆の姿となつて小家をたづねた。さうして、「小間物は要りませんか」と言つた。
 雪子姫は前回の恐しい経験があるので、老婆をいれようとしなかつたが、老婆が櫛を出して見せると、急にほしくなつて、いれてやると、老婆は、私がこれであなたの髪を梳つてあげようといつて、櫛を姫の髪にさしこむと、姫は毒のためにぱつたりたふれた。
 運よくその日は矮人たちが早く帰つて、櫛を抜いてやると、姫は忽ち正気づいた。矮人たちは、姫に向つて、いよいよ用心しなければならぬと教へるのであつた。
 王妃は例の如く鏡にたづねると、鏡の返事はいつもと同じなので、又もや大に驚き、強い毒をもつた林檎を作り、百姓の婆さんになつて山奥の家をたづねた。
 雪子姫は、こんどこそ、用心して、その婆さんを家の中に入れようとしなかつたので、婆さんは、それなら、この林檎を置いて行くからお食べなさいといひ、その林檎を二つに割り、毒のない半分を食べて見て、毒のある半分を差出した。
 雪子姫はうまさうな林檎を見て、急に食べたくなり、口へ入れるが早いかぱつたり地面にたふれた。王妃は喜んで家にかへり、鏡にきくと、こんどは、「貴女が一ばん美しい。」といふだけであつた。
 その日、矮人が家に帰つて見ると雪子姫が死んで居るので、又かと思つて生き返らせようとしたが、すべての試みは無駄であつた。
 で、矮人たちは悲しんで、ガラスの棺をつくつて山の上に運び、七人のうちの一人がいつも番をした。不思議にも雪子は生前と少しも変らず、まるで眠つて居るやうであつた。
 すると、ある日一人の王子が馬にのつて通りかゝり、雪子姫の棺を見て、是非この棺がほしいから譲つてくれと頼んだ。矮人は最初拒んだが、王子があまりに熱心だつたので承知すると、王子は喜んで家来に棺をかつがせて、城へ帰らうとした。ところが、途中で家来が物に躓くと、その拍子に、雪子姫の口の中から林檎がとび出し、姫は蘇生して、ぱつちり目をひらいた。
 王子はいよゝゝ(※2)喜んで城に帰り、二人は結婚することになつた。
 結婚式の日には、雪子姫の継母も招かれたが、支度をして、鏡に向つて例の如くたづねると意外にも、鏡は、
「貴女は本当に美しいが、今日の嫁御はもつと美しい。」と言つた。
 妃はかツとなつて、結婚式へ行くのをやめようと思つたが、どんな花嫁か見たくてならなかつたので、先方へ行くと、それが雪子姫だつたので、怒りと驚きのためにその場に立ちすくんでしまつた。
 すると人々は、真紅に焼いた鉄の靴と、二本の火箸をもつて来て、妃の前に置き、無理やりにその靴を妃にはかせて、妃がたふれて死んでしまふ迄踊らせるのであつた。
 以上が「雪子姫」の梗概であつて、この中には、嫉妬深い女性の犯罪の特徴が遺憾なく描かれてある。
 先づ第一に挙げるべきことは、嫉妬深い女性の残虐性である。猪の心臓と舌とを雪子姫のそれだと思つて塩焼にして食べるといふことは、いふ迄もなく王妃がサヂストであることを明示し、女性の性的犯罪の極致をあらはして居る。
 次に、この童話には女性犯罪の特徴たる欺瞞と執拗とがよくあらはれて居る。即ち王妃は扮装して犠牲者に近づき、目的を達する迄幾度も幾度も、所謂手を変へ品をかへて、大胆なる方法を試みて居る。
 最後に、女性の殺人方法として、絞殺と毒殺とが選ばれてあることも、よく女性犯罪の特徴をつかんだものと見ることが出来る。女性が自分より力の弱いものに対して殺人を行ふときには、屡ば絞殺を行ふものである。毒殺は女性の一手販売といはれるものであつて、三回の兇行のうち、二回に毒櫛及び毒林檎の選ばれてあることは、興味あることゝいはねばならない。
 なほこの童話を、かの精神分析学によつて解剖したならば面白い発見をするかも知れないが、それは他日にゆづることゝして、たゞ、私はこの童話の作者が、よく人間性を知つて居たことを紹介するにとゞめるのである。
 最後に注意すべきことは、サヂストたる女性の刑罰としてやはりサヂズム的な方法が行はれて居ることである。即ち赤熱した靴をはかせて踊らせるといふのがこれであつて、刑罰が復讐であると考へられた時代には、まことに当然のことであるといはねばならない。(完)

(※1)原文句読点なし。
(※2)原文の踊り字は「く」。

底本:『探偵趣味』大正15年8月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1926(大正15)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2018年2月9日 最終更新:2018年2月9日)