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課題

小酒井不木

「文藝春秋」の四月号に、萩原氏が「雑誌の編輯者へ望むこと」と題して、近頃の雑誌の編輯者が、題を課して而も何枚位に書いてほしいといふ註文をして来るのには頗る閉口するといふ意味のことを書いて居られる。さうして、雑誌(※1)が、もつと自由を与へてくれて、自分の書きたいことを書けるだけ書かせてくれると好いと思ふとも言つて居られる。
 ところが、私自身はこれと反対で、少くとも昨今は、題を課して而も枚数を制限して貰つた方が遙に書きよいのである。「何でもよいから随筆を十枚以内頼む」などゝいつて来られると、題を選ぶのに時として一日か二日かゝることがある。題を選ぶのに時間をつぶして居ては誠につまらぬ話だと思ふと、いよゝゝ(※2)心があせつて題がきまらなくなる。然るに雑誌社の方から題をきめてくれると、予定通りの時間に、註文された枚数を書き上げることが出来るのである。
 自分で題を選ぶとなると、書き度いことは沢山あるに拘はらず、なるべく興味の多かりさうなものが選びたいと思ふものだから、つい、その選択に時間を要するのである。学校の課題作文ならば、頭に無いことは書けぬが、書斎に居るときは、手許に各種の索引があるのだから、よほど自分に縁の遠いことでない限り相当に書くことが出来るのである。だから私は課題註文を歓迎し、時日に余裕のあるときは、編輯者に題を課してくれるやうこちらから註文するのが常である。
 随筆や雑文は勿論のこと、昨今は、小説を書くさへ、「題があつたら」と思ふことが決して稀ではない。私の性質として、よい思ひ附きの出来る迄待つて居ることが非常に困難である。そんなら、自分で題を勝手に定めたらよいではないかと言ふ人があるかも知れぬが、前に述べた理由でやはり材料の選択に迷ふのである。といつて、小説の題まで定めてくれる編輯者はないから、どうしても自分で定めねばならず、従つて小説を書くには一ばん余計に時間をとられるのである。嘗て、「探偵趣味の会」で、題を出して探偵小説を書くことが行はれたが(、)(※3)あれは少くとも、私にとつては、頗る意を得たことであつた。
 かういふと、人は、締切期日が制限され、紙数が制限されて居る小説などに、碌なものは無からうといふにちがひない。全くそのとほりで、私は碌なものを一度も書いたことがない。然し、期日が十分与へられ、紙数が制限されて居なければ碌なものが書けるかといふに、やはり私には書けさうもない。他から強ひられなくてはとても書けないのである。だから、最近私が小説にしろ、随筆にしろ、自発的に書いた原稿は一つも無いのである。即ち書きたくて書きたくてたまらぬやうになつて書いたものは無いのである。無論、書きたいと思ふことは沢山ある。けれども、その書きたいと思ふことは原稿の依頼を待たなければ書けないのである。
 かういふ態度で創作をするといふことは邪道であるかも知れない。然し、私の性質だから致し方がない。若し今後雑誌編輯者から依頼が来ぬやうになつたら、恐らく創作はしないであらうと思ふ。元来自分は創作をしようなどゝは夢にも思はなかつた。探偵小説を読むことは大好きであつたが、病気にならぬ前は、自分で作つて見ようとは一度も考へなかつた。若し今頃、自分が健康であつたなら、創作をするひまもなく、又決してそんな気にもならなかつたであらうと思ふ。
 けれども自分の心といふものは自分でもわかるものではない。私は医師の免許状を持つて居て、今では患者を診療しようなどゝいふ心は毛頭もないが、若し食ふに困るやうになつたら、或は開業しないとも限らない。それと同じやうに、原稿の依頼がなくなつた後でも、金に困つたら或は小説を書くかも知れない。
 嘗て私が血清学を修めたとき、指導教授にテーマを貰ふと、兎や角考へないで、すぐ様着手したものである。すると不思議なことに、研究中、そのテーマが、先から先へ自然に発展して行つて、思ひもよらぬ新発見をすることがあつた。それと同じやうに、創作をするときでも、題がきまると、あまり深く考へないで着手し、自然に発展して行くのを待つのである。だから、自分でも、どんなものが出来上るかさつぱりわからない。随分無造作な態度であるけれども致し方がない。さうしてこの無造作な態度を改めようと思つたことは一度もない。若し私がこの無造作な態度をあらためて、何事にでも凝り出したら、ヒヾのはひつた私の身体は一たまりもなく崩れてしまふであらう。病気を退治することに随分凝つて居るのであるから、ほかのことにはあまり凝り得ないのである(。)(※4)

(※1)原文ママ。
(※2)原文の踊り字は「く」。
(※3)(※4)原文句読点なし。

底本:『探偵趣味』大正15年5月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1926(大正15)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2017年3月24日 最終更新:2017年3月24日)