結婚詐欺は女子の専売ではないが、世の中には甘い男が多いと見えて、西洋では女子に名高い結婚詐欺者が多いやうである。結婚詐欺の一般的考察に就いては、拙著「近代犯罪研究」の中に書いて置いたから、こゝでは、英国の結婚詐欺者メリー・ブライヤースの遣り口に就て述べて見よう。
メリーはロンドンの一労働者の娘として生れたが、生来人を欺くことに興味を持ち、日本でいへばまだ肩縫揚げがとれたばかりの頃、ある素封家の娘になりすまして、オツクスフオード大学を出たばかりの「学士」様と婚約し、婚礼の日取りまできめてから、その素性がばれ、その代りに先方から五百ポンドの慰労金を強請したといふしたゝかもの(※1)であつた。
彼女はその金を懐にして、ブリストルに行き、遠縁にあたるジヨン・ウーレーといふ老人のもとに家政婦として住みこんだ。老人は嘗て材木商をしたことがあり、相当に金をためて居たが、やもめ(※2)であつたので、彼女は老人にしきりに結婚をすゝめたけれども(、)(※3)老人はいつかな肯んじなかつた。
彼女はかねて、ロンドンの富豪の娘たちと知己である旨を老人に吹聴して居たので、一計を案じて、そのうちの一人が、老人を非常に慕つて居ると告げたものである。年を取つて居ても、富豪の若い娘に慕はれて見れば、まんざら気持が悪くないものと見えて(、)(※4)老人の心は動いた。ではよろしく頼むといふことになり、婚礼の日にメリーに向つて五百ポンドの御礼をすると約束し、なほメリーに請求されて準備のための雑費として、五十ポンドを与へたのである。
老人は、相手の娘から、メリーを介して盛んにラヴ・レターを遣り取りして喜んで居たが、しまひには手紙ばかりでは物足りなくなつて、一度逢はせてくれないかとメリーに頼んだ。するとメリーは、実はこの頃から御話ししようと思つて居たが、この町のプールキングさんの娘さんがあなたに非常に思召があるから、いつそ、その方になさつてはどうだと勧めるのであつた。
プールキングといへば町でも有名な富豪であつて、老人もよく知つて居たから、忽ちその心は動いた。さうしてロンドンの娘と縁を切り、プールキングの娘と結婚した節には一千ポンドの御礼をすると約束した。といふのはメリーが、先方の持参金は少くとも五万ポンドだらうと話して聞かせたからである。それからメリーは、あのやうな富豪の娘を貰ひ受けるには、もう少し家の中を立派にしなければならぬといつて老人に金を出させて高価な道具を買はせるのであつた。無論、その金の大半はメリーの懐にはひつた。
そのうちにメリーの仲介だけでは気が済まず、老人は一度、先方の娘に逢ひたいと言ひ出した。メリーは、「よろしい」と引受けたが、ある晩老人が外出先から帰つて来るとメリーは小声で、
「今、プールキングのお嬢さんが邸宅を抜け出して二階へ来て居るのですよ。何でも、あなたとの仲が、御両親に見つかつて大騒動になつたさうです。あれ、御きゝなさい、今二階に跫音がして居ませう。大へん困つて居るんです。」と告げた。
老人が二階へ行つて慰めやうとすると、メリーは慌てゝ押しとゞめた。
「いけません、ロンドンで結婚なさる日迄は逢つてはいけません。このことが知れるとお嬢さんの身の破滅ですよ。たゞお嬢さんの手に接吻なさる位は、わたしが取り計つてあげます。」
その夜、老人は暗やみの中で、令嬢の手を接吻して、少なからず喜んだ。それはメリーの手であつたが、室の中に他の女が居たのは事実であつて、その女はアン・モーガンと言つて、メリーが口入屋から雇つて来たものであつた。
結婚式はロンドンで挙げられ、夫婦は楽しく帰宅し、老人はメリーに一千ポンドを支払つた。老人の友人たちは祝辞を述べに駆けつけたが、そのうちの一人がプールキング嬢を知つて居たので、どうもちがふやうだぞと老人に耳打ちした。老人は不審に思つてそれを新婦に打あけると、新婦は笑殺して、「明日は二人で実家へ行きませうよ。」と慰めるのであつた。
愈よその当日になつて、メリーと新婦は老人に知られぬやうに家を抜け出し、その儘いつ迄たつても帰らなかつた。老人は大に驚いて、方々を捜し、二人がロンドンに居ることを突きとめたが、「訴へるなら勝手に訴へなさい。いい年をして欺されるなんて、世間の笑ひ草になるばかりだよ。」といはれて、そのまゝ沈黙してしまつた。
メリーとアンの二人は、それから、共謀して同じやうな方法で盛んに結婚詐欺を行つた。最後にメリーは濠洲に追放され、三年の後その地で結婚したが、金鉱坑夫たちの争議の際、流弾にあたつて死んでしまつた。(完)
(※1)(※2)原文圏点。
(※3)(※4)原文句読点なし。
底本:『探偵趣味』大正15年3月号
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1926(大正15)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」
(公開:2017年12月22日 最終更新:2017年12月22日)