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少年時代の愛読書

小酒井不木

 尾張の百姓家に生れ、書物といへば、仏壇の中に、御和讃と御文章(おふみ)ぐらゐしかなかつたのであるから、私の少年時代はまつたくあつけないものであつた。尋常小学校の時分に御文章を写すことを稽古した覚えがある。父が信心家であつたから勤行を教へたり、仏書を読ませたりして、子供のうちからとんだ修行をやつてしまつた。よく説教の座本(ざもと)をして、何度となく僧侶の説教を聞かされたゝめに、いまでも高座にのぼつて一席や二席の教説(せつけう)(※1)はやれるつもりである。
 高等小学のとき、お伽噺(たしか小波(さゞなみ)さんのものだと思つたが)を二三冊読んだ覚えがある。そのころ小学校の先生たちは、あんまりお話などしてくれなかつたので、一かうさうしたものに興味を持たず、作文など至つて不出来であつた。
 中学の時も、学校長が、教科書以外の書を読むことを厳禁したゝめに、殆んど何にも読まなかつたといつてよい。でも四年級の時に帝国文庫の太平記を愛読したことと、五年級の時に金色夜叉を読んだことゝ、それから何年級だつたか忘れたが押川春浪のものを一二冊読んだ覚えがある。無論、金色夜叉などは校長に内証に読んだのである。
 中学を卒業して高等学校の試験準備中に、里見八犬伝と露伴叢書とを他人(ひと)から借りて読んだ。八犬伝は面白くて十日たゝぬうちに読んだが、露伴叢書は八犬伝ほど面白くなかつた。
 探偵ものの好きになつたのは高等学校以後で、それも、みつちり読んだのはやはり大学を卒業してからである。洋行する年即ち大正六年の夏、三崎の臨海実験所へ行つて、研究の余暇にドイルを読んだのが病みつきで、アメリカでは毎晩十二時から二時迄を探偵小説を読む時間にあてるほどの熱心であつた。
 こんな訳で、私の少年時代の愛読書といへば太平記ぐらゐのものである。だが、国語は至つて好きで、教科書に使用されて居た保元物語など、そのうちのよい文句を暗誦せずに居られなかつた。いづれにしても、父がもう少し書物好きであつてくれたら、私も、あんなにぼんやり少年時代を経過しなかつたであらうと思つて居る。といつて、父に不足をいふのでは決してない。なまじ文学書などが沢山あつたら、今頃どんな横着な人間になつて居たか知れない。

(※1)原文ママ。

底本:『大衆文芸』大正15年12月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1926(大正15)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(リニューアル公開:2017年3月24日 最終更新:2017年3月24日)