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夜行列車の恐怖

小酒井不木

 夜行列車ばかりでなく、一般に汽車といふものはまことに恐ろしい。人を轢くので恐ろしいのではなく、自分の生命(せいめい)がかゝつて、機関手に生命(せいめい)のあることがたまらなく恐ろしいのである。若し機関手が列車の進行中に脳溢血でも起さうものなら、乗客幾百人の生命(せいめい)はつぶされてしまふ。これは、あながち汽車に限らず、自動車でも人力車でもさうであるけれど、就中(なかんづく)汽車に乗るときこの恐怖を一ばん多く感じ易いのは、敢て私一人きりではあるまいと思ふ。
 モーリス・ルヴエルの短篇小説の一つに、夜行列車の恐怖を取りあつかつたものがある。それはある急行列車が全速力で平原を走つて居る時、運悪くも機関車の傍に落雷して、火夫は死に、機関手が腰をぬかし、汽車が制限されずに走つて行つて、遂に大きな災害を齎らす話である。この話を思ひ出すと、一寸、夏の夜行列車に乗る気にならない。
 然し世間の人は案外平気な性質(たち)であると見えて、何の恐怖も感じないで夜行列車に乗り込む。さうして中にはぐつすりと寝こむものさへある。先頃「魔の列車」と称するものがあつて、世間では可なりに騒いだけれども、魔の列車に乗る人たちは、自分は決して盗難にもかゝらず、不吉なことにも出逢はぬといふたしかな信仰でももつて居るかのやうな態度をとつて居る。
 が、これは無理もないことで、かういふことを一々考へて居ては、人間は一日も安閑として生きてはゐられない。万が一にしか起らないことを想像して恐怖するのはいかにも愚(おろか)な話であらう。けれども、世の中に恐怖のあることを知らない人間には、できるだけ、かやうな恐怖を知らせてやりたいと思ふのである。

 列車そのものゝ恐怖といふことを離れて考へて見ても(、)(※1)夜行列車は探偵小説の題材になりさうなものを沢山持つて居る。ことにいふ迄もなく各種の犯罪が行はれ易い。列車のあの轟々たる音響が人間の悲鳴を打ち消すところから、殺人さへも易々として行はれる。三等車内の、煙草の煙で一つぱいになつた、むしゝゝ(※2)するやうな空気は(、)(※3)ともすると人間の犯罪本能を刺戟する。
 だから私は夜行列車をあまり好まない。たとひ寝台車に乗つても、熟睡することが出来ぬために疲労が甚だしく、結局あくる日はぼんやりして仕事が手につかないから、昼の汽車で、窓外の美しい景色を見ながら、宿なり家なりへ着いて安眠した方が遙かに気持がいゝのである。
 でも、学生時代にはよく夜行列車に乗つたものである。何かしら面白いことがありさうに思へたからである。けれども、これといふ面白い目に出逢つたことは一度もなかつた。パリーで重い病気に罹り、その地の医師に(※4)西洋沿岸のアルカシヨンへ転地するがよいといはれ、往きも戻りも看護婦に附添はれて夜行列車に乗つたが、その時の可なりに苦しかつた記憶が、今でも私の頭にこびりついて居て、その以後私は夜行列車を非常に不快に思ふやうになつたのである。だから、私は、よし今後旅行するにしても、恐らく夜行列車には乗るまいと思つて居る。
 何だか話が平凡極まることになつてしまつたが、これはむしろ、読者から与へられた課題が、私にとつて不適当だといつた方が至当であるかも知れない。

(※1)原文句読点なし。
(※2)原文の踊り字は「く」。
(※3)原文句読点なし。
(※4)原文ママ。

底本:『大衆文芸』大正15年8月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1926(大正15)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2017年6月30日 最終更新:2017年6月30日)