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犯罪哀話

小酒井不木

   ◇
「其罪をにくんで、其人をにくまず」といふ言葉がある。一応尤もなことであるが、その実行は甚だ困難である。多くの人は、犯罪者を見ると、その罪をにくむよりも余計にその人をにくむやうである。一八三三年に、英国で、九歳になる小児(こども)が、よその家の硝子板を破つて、二ペンス計りのペンキを盗んだら、裁判官はその子を死刑に処した。これなどは罪よりも人をにくむ極端な例であるが、かうした傾向は、多少の差こそあれ、すべての人に見られるところである。
 然し、数多くの犯罪と犯罪者の記録を調べて見ると、犯罪者に同情をせざるを得ないやうな事件が決して稀ではない。時には犯罪者をにくみ得ないばかりか、その犯罪までにくみ得ないやうな悲しい物語がないでもない。私はさうした事件を題材として探偵小説を作つて見ようと思つたのであるが、今月は、ほかに色々の仕事がたまつて本誌六月号へ発表すべき創作を書き上げることが出来なくなつたので、これから、実際にあつた事件を一つ左(さ)に紹介しようと思ふのである。
 これは数年前(ぜん)ニユーヨーク市に起つた事件である。ニユーヨークのイースト・サイドに住むハンガリー生れのエミール・ストランカといふ老人が、十一月の半ば頃その下宿から突然行衛不明となつた。老人は年齢約六十歳の、而も病身であつて、日々なすこともなく暮して居た。一時は中部地方で立派なホテルを経営したことがある位であつたが、その後悲運に際会してニユヨークの汚ない下宿屋の一室を借りて住ひ、金が出来次第、便船を求めて故郷に帰るつもりであつたのである。
 下宿へ来た当座は非常にみぢめな様子をして居たが、過去四ヶ月といふものは、可なりに愉快げに振舞ひ、近く金がはひるのだと、下宿の主婦(おかみ)に物語つたことが一再ではなかつた。十一月十四日の夜、彼は主婦(おかみ)と話しをしてから、二階の(※1)(じぶん)の室に上(のぼ)つて行つたが、翌朝、主婦(おかみ)が彼の室に掃除に行くと、意外にもその姿が見えず、爾来老人は行衛不明になつてしまつたのである。
 ニユーヨークのイースト・サイドといへば、貧民たちの居住するところである。貧乏な老衰した外国人が行衛不明になることぐらゐは、毎日何件となくあるといつても差支ないほどであつた。だから、エミール・ストランカが行衛不明となつたと警察へ届け出でられても、新聞は別に何事も書かなかつた。人々は、多分ストランカが、下宿から二町ほどしかないイースト・リヴアーへ身投でもしたのだらうと高を括つて居た(。)(※2)けれども警察では捨てゝも置けないから形のごとき捜索を続けたのであるが、偶然のことからストランカの所在がわかつて見ると、それが実に以外(※3)なところであつたので(、)(※4)新聞は先を争つて、大きな活字の見出しでこの事件を報(※5)するに至つたのである。
   ◇
 この事件、即ち私が犯罪哀話として紹介しようと思ふストランカ消失事件を記述するには、ストランカがはじめて、アメリカへ来た時まで遡らなければならない。彼がハンガリーからアメリカに渡つたときは血気盛りの三十歳の青年であつた。彼はもとよりアメリカに出稼に来たのであるが、他の多くの出稼人のやうに、アメリカに金の生る木があるとは思つて来なかつた、どこまでも身体をもとで(※6)として働き稼ぎ金を作らうと決心したのである。彼は故郷で農夫をして居たので、先(※7)農業に従事しようと思ひ、幸ひに同国人の手引きを得て、北西部の大きな農園に働くことになつたのである。
 十年間といふもの、彼は、実に汗水たらして働き、ときには農業のひまに近くの鉱山に働いてどしゝゝ(※8)貯金し、彼の健康は益益増進して、仲間から「小巨人(リトル・ジヤイアント)」の綽名をもらつたが、その性質が非常に善良だつたので、朋輩や親方連から頗る可愛がられたのである、彼はアメリカが大へん気に入つたので、渡航の翌年アメリカ市民となり(、)(※9)更にその翌年細君を迎へたのである。細君はスウエデン生れで、同じ農園に乳搾りをなして居たのであるが、双方が気に入つてたのしい家庭を持つことになつた。
 二人とも非常に健全であつて二男一女を挙げ、家運は益々隆盛に向つて、十年の後には実に二万五千弗を貯蓄するに至つたのである。すると細君は、良人が相も変らず汗みどろになつて働くのに同情し、何か別の仕事を始めてはどうであらうかと言ひ出した。彼ももとよりそれに賛成し、それからといふもの、二人は如何なる職業を始めやうかと相談に相談を重ねた結果、ミルウオーキー市でバア兼ホテルを経営することに決心したのである。それは、スカンヂナヴイアやハンガリーの労働者たちが、収穫時期になると飲みに来るのを宛にしたものであつて、果してその計画は成功し、ホテルを経営してから五年目に、貯金は四万弗に殖えたのである。子供たちはいづれも無事に成長し、ストランカは相も変らず人々から愛せられ敬はれて、幸運の神はどこまでもストランカを擁護するかのやうに思はれたのである。
 ところが運命は逆転した。悪魔は「肺結核」の形となつて、彼の家を呪ひ始め、実に彼は細君と三人の子を、悉く結核の犠牲としてしまつたのである。それは多分、細君の側に存在した遺伝的の禍根であつたのであらう。先づ細君が三ヶ年病んで死に、次に十七歳になる長男がたほれ、次で、悪疾次男に伝染し、それから末子の女の子を襲つたのである。
 彼は家族のものの病気の際、惜気もなく(※10)の貯金をつかつて、十分な手当をさせた(。)(※11)或は転地をさせ、或はサナトリウムに入れ(、)(※12)医師がよいとすゝめることは、悉く試みて見た。然し、奔馬の荒れ狂ふが如き病勢には、金の力も何の役に立たなかつた。彼は貯金の悉くをつかひ果し、さうして、可愛い四人の家族を失つたのである。
 悲運はたゞにそればかりではなかつた。遂に病気は彼自身をも見舞ふに至つたのである。嘗ては「小巨人(リトル・ジヤイアント)」と綽名されし程堂堂たる体躯の持主であつた彼も、打ち続く不幸に心身を労したゝめか、寄る年波と共に、いつの間にか、軽い乾いた咳嗽(せき)をするやうになつたのである。さうして、病は、彼が自暴自棄的の心をもつてあほるアルコホルによつて、一層増進させられて行つた(。)(※13)遂に彼はホテルを売り払ひ、僅かに千弗の金を懐にして、ミルウオーキーから単身ニユーヨークに逃げて来たのである。
 彼はニユーヨークに到着するや否や、便船によつて故郷に帰るつもりであつたが、ニユーヨークに来るなり、ふと気が変つた(。)(※14)
「今更無一文でどうして故郷に帰ることが出来よう。」
 彼の自尊心は、彼の出発をくひとめた。彼は一家が繁栄の絶頂にあつた時、よく郷里へ自慢して手紙を送つたものである。それだのに、かうして落魄して、而も悪疾まで持つて帰れば、きつと故郷の人の笑ひ草になるにちがひない。のみならず(※15)人々は彼が、いゝ加減の法螺を吹いたとしか考へないであらう。さう思ふと、彼は、たとひアメリカでのたれ死(じに)をしても、故郷で悲惨な死に方をするよりもましであると決心したのである。
 彼は懐にした金をなるべくつかひ果さぬやうにして色々の職業に従事したが、病身では人並のことが出来ず、誰も一週間と続けて雇つてくれるものはなかつた。で、致し方がないから、彼は、毎日下宿のうすぐらい室の窓際に腰かけて、往来をながめ来し方行末(ゆくすえ)を考へて、憂はしげな顔をしつつ、その日ゝゝゝ(※16)を送るのであつた。
   ◇
 丁度、彼の窓の正面に当る向ふ側には、皮肉にも銀行の建物があつた。貧しいものが、毎日銀行へ出入りする人々を眺めることはあまりよい気持のしないものである。而も美しく磨かれた銀行のウインドウには(、)(※17)黄金色(わうごんしよく)の文字で資本金五十万弗と麗々しく書かれてあつた。嘗ては四万弗の貯金をもつて、度々銀行に通つた自分の姿をふりかへつて見るとき、ストランカは実に堪へられぬやうな気持になるのであつた。
 再び見ることの出来ぬ夢だ。
 かう思ふと彼は立つても居ても居られなくなるのであつた。病は募る。僅かな所持金は日一日減る。彼は何としたならば、その苦しい思(おもひ)から逃れることが出来るだらうか?
 かくて、遂に彼は行衛不明になつたのである。
 自殺したのであらうか。それとも再び幸運(※18)取りかへすべく、最後の努力をしに何処(いづこ)かへ行つたのであらうか。
 その消失があまりにも平凡であつたゝめ(、)(※19)警察の人も、新聞記者たちも、別に立ち入つて老人の持ちものなどを捜索(さがし)もしなかつたのであつて、実に、老人の行衛は、下宿の主婦(おかみ)の八歳になる娘が発見の端緒を作つたのである。
 その日は雨降りであつたので、少女は、弟や妹たちと共に、家の中で「かくれんぼ」をして遊び、食堂や炊事場や地下室や庭の中などを、きやつゝゝゝ(※20)といつて走りまはつて居た。そのうちに少女は誰にもわからぬ隠れ場をさがさうと思つてうす暗い地下室へ降りて行つた。其処には二個の大きな樽と、その他二三の家具が置かれてあつたので、隠れるには、正に屈竟の場所であつたのである。彼女は樽の後ろに歩いて行つたが、その途端に、ストーンと穴の中へ落ちこんだのである。その穴は実に八呎(フイート)もあつたので、彼女がその時うち中に響き渡るやうな悲鳴を挙げたのも無理はなかつた。
 たゞならぬ悲鳴をきゝつけて、主婦(おかみ)は地下室にかけこんで来て探したが、娘の姿は見えなかつた。彼女が少女の名を呼ぶと、地の底から返事があつて、
「お母さん、深い穴があるんだよ。わたいはその底に居るんだよ。」と言つた。
 主婦(おかみ)は取り敢へず蝋燭を取り寄せて、のぞいて見ると、如何にも深い穴が掘られてある。そんな穴のあることを主婦(おかみ)はちつとも知らなかつたので、娘を縄で引き上げてから、すぐさま警察に訴へ出でたのである(。)(※21)
 二人の警官は懐中電燈を携へて、穴の検分を始めた。穴の底へ行つて見ると、底の横のところに直径三呎(フイート)ぐらゐの大(おほき)さの入口をもつたトンネルが作られてあつた。警官たちは、そのトンネルに這入らうとしたところが、二人とも身体が大き過ぎたので(、)(※22)近所の小柄な青年を雇つてトンネルを探検せしめたのである。
 青年が腹這ひになつてくゞつて行くと、トンネルは丁度街の下を横ぎつて、向ふ側の銀行の地下室のそば迄続いて居た。青年は、何だか厭なにほひがして、それ以上とても進めないからといつて帰つて来たので(、)(※23)警官は一旦署に帰つて、こんどは、トンネルの突き当りに相当する部分を街の上から掘らせたのである。
 すると、果して、其処に異様なものが発見された。それはいふ迄もなく、消失した老人エミール・ストランカの、泥にまみれた屍体であつて、著しく腐敗した手には、小さなシヤベルが堅く握られて居たのである。
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 いふ迄もなく、彼の目的は銀行の地下室へトンネルを結びつけることであつた。さうして銀行の金を奪つてハンガリーへ帰るつもりであつた。恐らく彼はそれだけの仕事即ち三十五呎(フイート)の長さのトンネルを掘る迄に数ヶ月を費したであらう。彼が鉱山で働いた経験は、彼をして、このデスペレートな仕事を企てしめたにちがひなかつた。彼はもとよりトンネルに、支柱の必要なことを知つて居たであらうが、それを持ちこんでは、すぐ眼につくから、危険を冒して支柱を無しにしたのである。さうしてそれがため、坑道が崩れて、はかなくも死んでしまつたのである。
 下宿の主婦(おかみ)が少しも知らなかつたところから察すると、彼は人々が寝しづまつてから静かに起きて来て、トンネルを掘つたにちがひなかつた。トンネルを掘れば自然掘り出した泥や石を処置しなければならない(。)(※24)而も、泥や石は地下室にはなく、トンネルの中から二つの大きなキヤンバス製の袋が発見されたところを見ると、恐らくその中へ詰めて、夜陰に乗じ、人無き街を二町隔つたイースト・リヴアーまで運んだにちがひなかつた。
 老人の所持品の中に、ナイトログリセリンの瓶と、鉄のドリルとが発見されたときには主婦(おかみ)は気絶せんばかりに驚いた。愈よトンネルが出来上つたとき、老人はそれ等のものを使用して銀行の金を奪ふつもりであつたのである。
 以上が私の紹介しようと思つた悲しい犯罪物語の顛末なのである。病苦をいだいて毎夜、幽霊のやうに、シヤベルを携へて、穴の中にもぐりこむ老人の姿を思ひうかべるとき、読者は、たとひそれが悪い目的のためであるとはいへ、どうも老人をにくむ心にはなり得ないであらう。毎日毎日銀行のウインドーをながめて、とりかへしのつかぬ自分の身の悲運に考へ及んだとき、老人の胸の中(うち)に、自然にさうした計画が醸されたことは、たゞもう悲しいといふより外に責める言葉がないやうに思はれる。(完)

(※1)原文ママ。
(※2)原文句読点なし。
(※3)原文ママ。
(※4)原文句読点なし。
(※5)原文ママ。
(※6)原文圏点。
(※7)原文ママ。
(※8)原文の踊り字は「く」。
(※9)原文句読点なし。
(※10)原文一文字判読不能。
(※11)(※12)(※13)(※14)原文句読点なし。
(※15)句読点原文ママ。
(※16)原文の踊り字は「く」。
(※17)原文句読点なし。
(※18)原文ママ。
(※19)原文句読点なし。
(※20)原文の踊り字は「く」。
(※21)(※22)(※23)(※24)原文句読点なし。

底本:『大衆文芸』大正15年6月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1926(大正15)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2017年6月23日 最終更新:2017年6月23日)