クロス・ワード・パヅルが流行り、クロス・ワード詐欺が流行り、一時は世界中を市松模様化するほどの勢(いきほひ)であつた。このクロス・ワードと言ふ奴、一寸手をつけたが最後、段々奥深くへ番号を辿つて行かせて、思はずも時間をつぶさせるといふ、不思議な力を持つて居るのであつて、而も忙がしい時程、やつて見たい気になるのは、奇怪な現象といはねばならない。これは人間は本来探偵慾があるからだと説明されて居るが、それは兎に角探偵小説とクロス・ワード・パヅルは、最近の二大流行物である。
ところが、この二大流行物相互の関係はといふと、まだ左程深い交渉を持つて居ないのである。クロス・ワード・パヅルを取扱つた探偵小説など、一寸考へると随分沢山発表されて居りさうであるのに、その実、その種の名作品にはまだあまり接しないのである。これは恐らく、クロス・ワードが探偵小説のテーマとしては、扱ひにくいからでもあらうし、又、探偵小説のテーマとして、それほどの強い魅力を持たぬからでもあらう。
最近私が読んだ海外作家の作品で、クロスワードを取り扱つたものが二つあつた。一つは英国の「ゼ・デテクチヴ・マガジン」に掲載された、トワイマンといふ作家の「ゼ・クロス・ワード・クルー」と、今一つは、米国の「ゼ・デテクチヴ・ストオリー・マガジン」に載つた、「地下鉄サム」の作者として名高いジヨンストン・マツカレーの「サムのクロス・ワード・パヅル」である。前者は相当に長い小説であり、後者はマツカレー一流の軽妙な短篇小説である。トワイマンといふ作家については、私は何も知らぬが、この、「ゼ・クロス・ワード・クルー」は一寸思ひつきが面白いだけで、作品そのものはさほど面白くない。筋は、ある悪漢が、ほかの男と共謀して盗んだ貴金属を某所へかくしたところ、共犯者が監獄に入れられ、自分は心臓病で長く生きることが出来ぬと覚悟したるため、共犯者に貴金属のありか(※1)を知らせるため、特別のクロス・ワード・パヅルを作つて送らうとすると、別の男が、そのパヅルを奪つて、貴金属を横取りしやうとし、色々の波瀾が起きるといふ。(※2)ありふれたものである。
之に反してマツカレーの「サムのクロス・ワード・パヅル」は、さすがに気がきいて居る。掏摸を本職とせる地下鉄サムが、例のごとく、ぶらりとマヂソン広場(スクエア)へ来て、いつも自分の腰をかけるベンチに近寄ると、一人の男が、夢中になつて某新聞のクロス・ワード・パヅルを考へながら、鉛筆をしきりに操つて居る。サムがその男のそばに腰を下すと、男ははじめて顔を上げ、サムに向つて、お前さんもクロス・ワードを考へなさいと大(おほい)にすゝめる。この前の懸賞に当選したが、これくらゐ割のいゝ商売はないといふのだ。始めはサムはあまり気が進まなかつたが、すゝめられる儘に、考へて見るとなる程面白い。で、今度は二人で一生懸命に相談しながら文字を埋めて居ると、其処へ探偵のクラドツクがやつて来る。このクラドツクは、かねてサムを監獄へ送り込もうと、手をかへ品をかへて、サムを逮捕する手段を講じたが、いつも際どいところでサムのために鼻をあかされてしまふのである。サムは、うるさい奴が来たなと思つて、暫らく探偵とクロス・ワードのことを語つた後、一仕事しやうと思つて、地下鉄道の中へはひつた。サムは地下鉄道以外のところでは掏摸を行はぬ主義にして居るのである。さてサムが地下鉄道の列車に乗り込むと、偶然にも同じ車に、先刻(さつき)のクロス・ワードの男が居て、わき目も振らずに考へては鉛筆で書きこんで居る。サムが近づいて見ると、その男のヅボンの後ろのポケツトが膨らんで居る。サムは好奇心に駆られてその傍に近よつたが、はつ(※3)と気がついて「待てしばし」と考へる。「こいつあ危険だぞわかつたわかつた。奴め、探偵クラドツクの手先になつて俺を釣らうとして居やがる。よし、それならば、こちらに考へがある。」かう思つて車内を見まはすと、だいぶん人がこんで来て、眼の前に二三疋の鴨があらはれた。こゝぞとばかりサムはそれ等の鴨の財布を手際よく掏り取つて、金を抜いては財布を返した。かくて、サムが十分な獲物に満足して地下鉄道を去らうとすると、件の男があとからついて来た。それでサムは、「まんまと御前の計画の裏を掻いてやつたよ」と、男に向つて皮肉な言葉を残し、呆気にとられた男を残して、ぶらりぶらりと下宿の方へ帰つて行つた。
これがマツカレーの「サムのクロス・ワード・パヅル」の大筋である。
マツカレー一流の諧謔に富んだ筆づかひが、以上の筋を殊更に引き立たせて、味のある作品を作りあげて居る。クロス・ワード・パヅルを前記の小説のやうに、暗号として取扱はなかつたところに、この作者の用意がうかゞはれてなつかしい。(完)
(※1)原文圏点。
(※2)原文ママ。
(※3)原文圏点。
底本:『大衆文芸』大正15年1月号
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1926(大正15)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」
(リニューアル公開:2017年3月24日 最終更新:2017年11月10日)