私は、他人の作品を批評することを好みませんが、若し何かの都合で批評せねばならぬ時には、つとめてその作品の長所を発見し、それを紹介することにして居ります。かういふ態度は、或は純粋でないかも知れませんが、これによつて、ある場合には、その作家の持つ天分がますゝゝ(※1)つよく発揮されると信ずるからであります。
自分の作品についての批評をきく場合には、短所の指摘してあるものゝ方が、長所の指摘してあるものよりも、長く記憶に残り、自分にとつては甚だため(※2)になることをしみゞゝ(※3)感じますけれど、賞(ほ)められるとくすぐつたい(※4)思ひをしながらも、やはり、大(おほい)にはげまされることは争はれない事実です。
小酒井不木集の中に収められる作品については、その発表当時随分色々の批評を受けました。私のたつた一つの長篇探偵小説である『疑問の黒枠』は、私としては随分力を入れたつもりでありまして、それがまだ『新青年』に連載されて居るうちから、讃辞を寄せて下さる方が随分沢山ありましたが、探偵小説は、完結してからでないと、その作品の持つ興味は決してわからないものですから、途中で賞(ほ)められるのは非常に恐ろしい感じがしました。
さて完結して見ると、激賞する人と、さうでない人とが出て来ました。それは『探偵趣味』の昭和三年新年号を見て下さればわかりますが、その中で、私の尊敬する探偵小説作家大下宇陀児氏が、『僕は最初読んだ時には、潤ひがないので面白くなかつた。ところが、自分で『闇の中の顔』を書いて見て、其(その)時にもう一ぺん読み返して見て、さうしてすばらしく感心した。……あれは毎月一ヶ月の期間を置いて読むから、非常に手堅いもので複雑であるから、一月たつた後(のち)に読んで見ると、前のことを思ひ出すのに非常に骨が折れて興味が半減して了(しま)ふ。纏めて読むと、それは非常に面白い』といつて下さつたのはさすがに、長篇小説で苦労された人の言(げん)であるとうれしく思ひました。が、何といつても、日本の創作探偵小説の生みの親たる森下雨村氏が、『昭和二年度の第一の収穫は何と云つても、小酒井さんの『疑問の黒枠』でせう。先達(せんだつて)も『探偵・映画』の山下君からおたづねがあつたので答へておいたが、もしあの作が外国の知名の作家の作品であつたなら、私は何(な)には措いても、『新青年』へ翻訳して連載することを主張したにちがひない。探偵小説の本道を歩いた近来の力作で、小酒井さんも『骨が折れました』と云つてゐられたが、読む方でも肩が凝つた作品であつた。逆に翻訳してフレツチヤーやドウーゼに、日本にもこの作あることを誇りたいと思ふ云々、(『探偵趣味』昭和二年十二月号)と言つて下さつたことは『疑問の黒枠』に千鈞の重みをつけたことといふべきであります。
短篇小説『恋愛曲線』は随分ほめられました。それは、『新青年』大正十五年三月号の『マイクロホン』欄を見て下さればわかりますが、最近千葉亀雄氏が、『これはもちろん今年のものでは無いのですが、小酒井博士の恋愛曲線に敬服し、あんな方面に行く探偵小説の傑作があつてもよいと思ひますが……』と言つて下さつたことは、私に再びあゝしたものを書いて見たい慾望を起させました。恋愛曲線に亜(つ)いでは『印象』が可なりにほめられました。それについて田中早苗氏は次のやうに書いて下さいました。――『おい、印象(※5)を読んだか? まさに日本のルヴエルだね』さういつて森下雨村氏が、得意のときにやる彼(か)れ独特のくせ(※6)でポンと僕の手の甲を叩いたのは、たしか小酒井氏の、『印象』を掲載した『新青年』が僕達の手許へ送られて間もない時であつた。
『いゝもんだね』と僕は答へた。『あの作を讃めなければうそ(※7)だ。僕はあれを読んで『女の心』といふ文章が書きたくなつた。――
もとより過分な褒辞ですが『印象』は私としても相当に好きな作品の一つです。
私には『手術』や『痴人の復讐』に見られるやうなシヨツキングな、一寸読むと不快な、恐ろしいやうなものを書く癖があります。『手術』などは其筋(そのすじ)の注意をさへ受けました。又一部の読者からも、残虐だといふ攻撃が来ました。それについて田中氏は『僕は初め読んだときも残虐だとかきたない(※8)といふ感じは一向に起らなんだ。多分、発狂してあの血だらけの塊りを呑(のみ)下さねばならぬほど突きつめたT先生の責任観念が強く頭へひゞいたのであらう云々』といつて下さいました。さうして『一体、作家が何を書いたつていゝではないか。それは絶対に作家の自由であるべきだ(。)(※9)真面目な態度で真実な欲求から書いたとすれば一向差支(さしつかへ)があるまい(。)(※10)それを或る方面で、どう見るかといふことはおのづから別問題に属する』と附言されたのは、私は大(おほい)に意を強うしました。
なほ、最後に私の他(た)に(※11)作品に対する田中氏の批評を転載させて頂きます。『小酒井氏は科学者であるが、一方に超自然的な、運命といふやうなものを強く感じてゐるにちがひないと思ふ。その点において氏は科学者にも似合はず、いつまでも尊い童心を失はずにゐる人らしい。だからミステリアスな話を書いても、『(※12)何処かその凄さが読者に迫るところがある。この『手術』をはじめとして、『猫と村正』『メヂユーサの首』『肉腫』などはそれだ。『暴風雨(あらし)の夜(よ)』を読んだときに思つたことだが、あの読者を陰鬱に緊張させてじりゝゝ(※13)と引廻してゆくところは不思議にもウイルキ・カリンズの味にそつくりだ云々』
それから『人工心臓』『死の接吻』『三つの痣』『直接証拠』の四作品と一つの翻訳とを収めた『死の接吻』と題する私の著書が公にされたとき、東京日々新聞は、懸賞でその批評を読者から募つてくれました。さうして当選した批評は、よく私の作品を理解して讃辞をつらねたものでありましたが、あまりくどくなりますから、こゝにはそれを転載することをやめます。
なほ最後につけ加へて置きたいことは、私が少年諸君のために書いた『少年科学探偵』は、名古屋市の教育者その他の名士で組織されて居る会合で、優良児童図書として推薦されました。
いや、どうも、自分にとつて都合のいゝことばかり書き列ねました。これも、最初述べましたとほり、自分の発奮に資するために外なりません(。)(※14)切に御愛読を願ひます。
(※1)原文の踊り字は「く」。
(※2)原文圏点。
(※3)原文の踊り字は「ぐ」。
(※4)(※5)(※6)(※7)(※8)原文圏点。
(※9)(※10)原文句読点なし。
(※11)原文ママ。「の」の誤植か。
(※12)原文ママ。閉じ括弧無し。
(※13)原文の踊り字は「く」。
(※14)原文句読点なし。
底本:『大衆文学月報』第10号・昭和3年2月1日発行
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1928(昭和3)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」
(公開:2009年12月5日 最終更新:2009年12月5日)