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名人に乏し

小酒井不木

 中(※1)兆民は、その著「一年有半」の中に、大隅太夫、越路太夫の義太夫が、その技神に達せることを述べ、不治の病を得ながらも、「而して此等傑出せる芸人と時を同くするを得たるは真に幸也、余未だ不遇を嘆ずるを得ざると謂ふ可し」の言葉を以て稿を畢つて居る。まつたく、名人といふものは、一代に出るときもあれば出ないときもあるから、名人と時を同じくして生れ、その名人の芸に接することが出来るのは、幸運至極と謂はねばならぬ。
 私は大隅太夫、越路太夫と時を同じくして生れた訳であるけれども、遂にその芸に接することができなかつた。尤も、二三年前に死んだ越路太夫を新富座で、たつた一度聞いたことはあるけれど、兆民の所謂越路太夫即ち攝津大椽の咽喉には一度も接したことはなかつたのである。今彼が生きて居たならば、病身をも厭はずに私は大阪まで行くであらう。最近文楽座の一行が名古屋へ来たけれど、私はわざゝゝ(※2)足を運ぶだけの興味を持たなかつた。
 團十郎、菊五郎の芸風を雑誌などで読む度毎に、私はいつも、もう二十年早く生れて居たらよかつたのにと残念な気がする。現時の劇壇を見渡しても、彼等匹敵すべき名人は見当らないからである。尤も、自分自身に比較した訳でないから、かやうな断定を下すのは不当であるかも知れないが、兎に角、時を同じくしたことの幸福を感ずるほどの名人は、それほど沢山に居ないやうである。
 名人といふ言葉を、学界につかつてよいかどうかを私は知らぬが、仮に名人を天才の別名であるとすると、学界も、頗る名人に乏しいやうである。学界ばかりではなく、政界にも、またその他の方面にも同じことが言へる。あゝ何といふ物足らぬ世の中であらう。一人の英雄なく、一人の聖者なく、一人の巨頭だにないとは、何といふ味気なき時代であらう。私は切に名人の出現を望むものである。日本の現代ほど、各方面に天才の出現を必要とする時代はないではあるまいか。
 衆愚をいくら沢山集めても一人の天才に及ばない。天才は量の問題ではなく、質の問題であるからである。欧洲大戦争の終りの頃、ドイツで、ビスマルクの肖像が飛ぶやうに売れたのは、あの困難に際して、若しビスマルクが生きて居てくれたらといふ心がドイツ国民の胸に漲つたからである。げに、なつかしいものは、身命を託するに足る英雄ではないか。
 今の世は総じて感激に乏しく、また熱血にも乏しい。これも畢竟巨人が出ないからであらう。思想界に芸術界に、若しその人の前にぬかづいて、心からその人を礼讃したいと思ふ人が出るならば、それこそ生き甲斐が生ずるわけである。名人なき時代の人人は、いはばたゞ惰性によつて、その日ゝゝゝ(※3)を送つて居るに過ぎない。
 最近所謂大衆文学が勃興して、人々が過去の時代にあこがれるのは、要するにこの味気なさを補ふとする一の手段に過ぎないのである。現代の小説が毫も人々を楽しましめない結果は、過去の英雄(?)を取り扱つた作品から、彼等の欲する感激を得ようとするのである。ことに大衆文芸に於て、所謂「剣戟物」が受けるのも、その理由は同じである。さうして、この大衆文芸の流行は、文壇に巨匠が出て、現代人の心臓に噛みつくやうな現代小説の出るまでは決して衰へぬであらうと思ふ。
 古に憧憬を持つ心が、人間に普通に存在するものであることは争はれないとしても、現世を楽しまうとする心を楽しまうとする心(※4)の方が遙かに大きいことはこれまた争はれない事実である。だから、所謂大衆文芸が流行するのは、たしかに一種の変態現象といへば言ひ得るのである。尤も大衆文芸の本質を、過去の世界を描いて、そのうちから人間の本質を摘出するものとすれば話は別になるけれども、現時の大衆文学流行は、たゞ過去に対する憧憬、過去の英雄(?)に対する憧憬から起つたものに外ならぬから、若し現代を取り扱つた小説で、同じやうな感激を与ふるものが出るならば、自然その流行はすたるに違ひないのである。あゝ、私は、今更ながら名人出でよと絶叫せざるを得ない。

 元禄時代には、西鶴、巣林子、師宣、芭蕉等の巨匠等が出で、いづれも、その時代の人情風俗を題材として、偉大なる作品を公にし、その時代の人々を楽しませた。近松の作品には所謂時代物世話物の区別はあれど、傑作が世話物に多かつたことは周知のことである。いづれにしても彼等はその鋭敏なる、といふよりもむしろ、異常なる感覚をもつて、その時代の特色をあばき、もつて人々に生き甲斐ある思ひを与へたのである。
 ところが、彼等の業績があまりに偉大であつて、その後彼等に匹敵する巨匠が出ないために、彼等の作品は、現代に至るも、その賞翫を縦にして居るのである。現に、私は、師宣の版画に、言ふに言へぬ執着を持つて居る。私ばかりでなく、現時の浮世絵鑑賞熱は非常なものである。が、これは決して、考古趣味のあらはればかりでなく、浮世に代るべき、いはゞ現代の浮世絵といふべきものゝ皆無なためである。即ちその方面の巨匠が、春信、歌麿、清長以後、とんと出現しないからである。浮世絵の鑑賞がこのやうに盛んであるといふことは、厳密に言へばやはり、一種の変態現象であるかも知れない。尤も、浮世絵鑑賞家にいはせれば、現代の人間も、元禄時代のそれとあまり異ならぬ着物を着、下駄をはいて居るから、現代人が之を喜びこれを研究するのは当然のことであるといふかも知れぬが、若しこの方面の真の天才が出るならば、従来の浮世絵に代る、すぐれたものを供給すべき筈である。新しい版画の製作者は、世人が徒らに古にあこがれて、彼等の作品を顧みぬやうに言ふけれども、それはいふまでもなく天分の相違に帰着する(※5)若し、現代を描いて、私たちを楽しませるに足るだけの版画が出来るやうになつたならば、私は潔く師宣を捨てゝ春信を顧みぬであらう。俳句の如きものも芭蕉の周囲を、あたかも太陽の周囲をめぐる遊星のやうにめぐつて居る観があるのは、何といふなさけないことであらう。一たい俳句はいつまで田園趣味にこだはつて居るのであらうか。現代人の生活の特徴は、いふまでもなく都会に於て見られるのであつて、所謂都会俳句が、今後の俳壇を占めて然るべきである。ところが、俳人は相変らず「自然(」)(※6)にこだはつて居る。これは実は、「自然」にこだはつて居るのではなく、天才芭蕉にこだはつて居るのである。
 ルノアールは、「画を学ばんとするものは美術館へ行け」と言つた。まつたく、自然を見たばかりで、その見方を教はらなければ画はうまくなることは出来ぬ。同様に、人生を学ぶものは巨匠の手になる小説より外はない。だから、アナトール・フランスも「私が人生を知つたのは、人と接触した結果ではなくて本と接触した結果である」と言つた。けれども (※7)ルノアールにしろ (※8)フランスにしろ (※9)見方を覚えた後は、それによつて、新らしい人生を発見した。ところが凡人は、美術館へ行けば、そこにならべてある画をまねるだけであり、小説を読めば、そこに書かれてある人生を知るだけである。それと同じく、芭蕉の俳句をまねる人は多くても、新らしい俳句をクリエートする人がない。だから、俳句はいつまでも芭蕉を脱し得ないのである。あゝ、天才よ、早く出て、都会俳句を作つてくれ。
 まことに、今の世は、どちらを向いても、凡人ばかりで、何の興味も起らない。産児制限論者の如きも、避妊法ばかり考へて居ないで、ちと、天才を産出する方法を熱心に研究してほしいものである。(をはり)

(※1)原文ママ。
(※2)(※3)原文の踊り字は「く」。
(※4)(※5)原文ママ。
(※6)原文閉じ括弧無し。
(※7)(※8)(※9)原文一文字空白。

底本:『春秋』昭和3年1月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1928(昭和3)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2009年10月29日 最終更新:2017年6月9日)