田中早苗氏が、ルヴエルの心酔者であり、得難き翻訳者であることは、今更言ふまでもなく、氏の訳文の妙味については、本誌の読者は既に御承知のことであるから、今更茲に喋喋するを要しない。今回ルヴエルの短篇傑作集「夜鳥」が瀟洒な装幀をもつて、世に出たことは実にルヴエル党の一人なる私の歓喜に堪へぬところである。
はじめてルヴエルの作が「新青年」に訳載された時、それは確か大正十二年の事であつたと思ふが、私はそれを読んで、当時の編輯者森下雨村氏に直ちに書を寄せて、今迄にない強い感銘を受けたこと、及び若し自分が探偵小説を創作するやうなことになつたら、斯う言ふ作品を書いてみたい、と書き送つた覚えがある。その当時の作品は「誰?」と今一篇、何んだつたか忘れたが、その題材が何れも医学的な、言はゞ自分の畠のものであつたから、殊に強く私の心がひかれたせゐもあるが、その簡潔な書き振りが又頗る私の気に入つたのである。
それ以後、私はルヴエルの作品は、一つも見逃さなかつた。さうして読めば読む程、益益愛好の念が募つたのである。それからいつだつたか、森下雨村氏から、英訳短篇集を借りて、名優アーヴイングの長子 H.B.Irving がそれに序文を書き、激賞してゐるのを読んで、私は窃かに微笑んだのである。アーヴイングは、アマチユアの犯罪研究者として、数種の著書があり、又怪奇文学の愛好者であり、多少私とは趣味の似かよか(※1)つた点があつて、私は彼の著書をかねて研究して居つたが、そのアーウ(※2)イングがルヴエルの愛好者であると知つて、何となく嬉しさを感じた訳である。
アーヴイングはルヴエルの作品がポーに似てゐると言つてゐるけれど、ポーほどの怪奇美は見られない。その代りポーには見られないペーソスがある。このことはアーヴイングも言つてゐるけれど、「夜鳥」に集められた三十篇の作品の大多数は、ペーソスの溢れた作品である。ぽつりぽつり、ルヴエルの作品に接して来た人は、或時はその作品が探偵的であり、或時は怪奇的であると言ふ印象を与へられるが、斯うして一ところに集められた、沢山の作品を通読してみると、探偵的であり怪奇的であるといふ印象は背後に押除けられて、人情的であるといふ印象が、殊にはつきり目立つてくる。実際読み終つて、ほろりとさせられる許りでなく、時には両眼に熱い涙の滲むのを覚える。このことは、何と言つてもルヴエルの作品の妙味であると言はねばならぬ。さうして一方に探偵的であり、怪奇的であることは、ルヴエルが、短篇作家として全く特殊な位置を占めてゐることを知るのである。
本書の出版は凡そ一年も前から着手された筈で、私はもう今に出るか出るかと首を長くして待つてゐたのであるが、田中氏の凝り性は、幾度か原稿を書き革(あらた)め、推稿に推稿を重ねられた結果、漸くにして出版の運びに至つたのである。いかにもその苦心はどの頁を開いてみても、瞭(あきら)かに看取されるところであつて、ルヴエルは実に適切な訳者を得たものと言ふべきである。ルヴエル党は勿論のこと、いやしくも小説を愛好する人に、私は敢てこの一冊を推賞するものである。
(※1)(※2)原文ママ。
底本:『新青年』昭和3年8月増刊号
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1928(昭和3)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」
(最終更新:2015年2月8日)