最近私は探偵小説よりも犯罪研究に関する著述を余計に読んだから、今回は主として、後者の数種について紹介しようと思ふ。
探偵小説では、例の「義賊ラッフルズ」の作者として名高いホーナングの The Thousandth Woman といふのを読んだ。これはある殺人事件の解決を取扱つたものであるが、筋も取り扱ひ方も、大して面白いものではないから、こゝには内容は記さぬつもりである。嘗て同じ作者の The Crime Doctor といふのを読んだことがあるけれど、いづれも「ラッフルズ」には及ばないやうである。
次に犯罪研究に関する著述で、最近私が目をとほしたのは次の六冊である。
1. F.Tennyson Jesse: Murder and its Motives.
2. C. L. McCiluer Stevens: Famous Crimes and Criminals.
3. E. Lester Pearson: Studies in Murder
4. John C. Goodwin: The Soul of a Criminal.
5. E. Bowen-Rowlands: In Court and out of Court.
6. C. E. Pearce: Unsolved Murder Mysteries.
このうち、第一の「殺人とその動機」の著者は婦人である。ジェツス女史は、殺人の動機を六つに分ちて、(一)利慾による殺人、(二)復讐による殺人、(三)邪魔物を除くとての殺人、(四)嫉妬による殺人、(五)殺すことが面白くての殺人、(六)有罪宣告を受けての殺人となし、各々にその著名な例を一つづつ挙げて居る。即ち利慾による殺人には、毒殺者として名高いウイリアム・パーマーを挙げ、復讐による殺人には、毒婦コンスタンス・ケントを挙げ、邪魔物を除くための殺人には、フランスのケランガル家の騒動を挙げ、嫉妬による殺人にはパーセイ夫人の犯罪を述べ、殺すことが面白くての殺人即ち所謂無動機の殺人にはネイル・クリームの犯罪を述べ、(本誌八月増大号拙稿参照)、有罪宣告を受けての殺人、即ち一旦罪人となつたため自暴自棄となつた上の殺人の例としては、かのナポレオン三世の暗殺を企てたオルシニの犯罪を述べて居る。つまり全篇をこの六事件の記述で埋めてあるので、一々の事件は可なり精細に書かれてあるが、少しく冗長に亘る嫌ひがないでもなく、なほ又、多過ぎる材料の配列に苦しみあぐんだ跡が見えて居る。然し、材料が豊富であるために、犯罪研究者にとつては、甚だ有益な著述であると思ふ。ジェツス女史は一方に於て物語の作者であり、「幸福な花嫁(ゼ・ハツピー・ブライド)」その他三四の作がある。
第二にかゝげたスチーヴンスの「有名な犯罪と犯罪者」は、欧米に於ける近代犯罪及び犯罪者の鳥瞰図と見ても差支なく、かの wholesale murderer の標本とも見るべきホームズの伝記を筆頭に、近代錬金詐欺師のテッヂー、暗黒社会の女王と呼ばれた「シカゴ・メー」、実世界のラッフルズといはれたハリー、貨幣贋造王フランク・ケントなど、三十七章に亘つて、あらゆる種類の犯罪者とその犯罪が、極めて簡単明瞭に紹介されて居る。著者は前に有名な「モルモン教徒秘史」をあらはして、その手腕を認められた人で、私も「秘史」の愛読者であるから、一層この新著に興味を覚えた訳である。犯罪研究に興味を持たれる人に是非御すゝめしたい書物である。
第三にかゝげたピアソンの著「殺人研究」は、アメリカに於ける五つの有名な殺人事件の精密な研究で、ことにかの未解決に終つたポーズン事件とナタン殺し事件の顛末が遺憾なき迄に記録されて居る。ポーヅン事件はアメリカで前古未曾有といはれた奇々怪々の事件であるから、そのうち、折があつたら紹介したいと思つて居る。
第四に示したグッドインの「犯罪者の心」は、犯罪者の、純粋な犯罪心理的研究であつて、フロイドの精神分析学を取り入れて居るところにこの著述の新らしみがある。精神分析学から見た犯罪については、私も折があつたら紹介したいと思つて居るが、犯罪者に限らず、人間を知る上に於ても、精神分析学は欠くべからざるものであつて、況んや犯罪研究者はどうしても一応理解して置く必要があるから、この書は御すゝめしたいものの一つである。この書のある部分は小説を読むよりも面白く、探偵小説の創作を試みようと欲する人には、可なり豊富に材料を供給するだらうと思ふ。ミユンスターベルヒの「心理学と犯罪」と共に、どちらかといふとアマチュア向きの犯罪心理学書である。一般に独逸語で書かれた犯罪学書は、ごてゝゝ(※1)して、かたくるしい所があるが、英語で書かれた犯罪学書は、すらゝゝ(※2)として、面白く読むことが出来る。
第五に示したボウン・ローランドの「法廷の内外」は弁護士たる著者の法廷に於ける長い間の見聞(けんもん)を録したもので、本年四月の「デテクチヴ・マガヂン」に、大へん面白い書物だといつて紹介されてあつたので、早速註文して取り寄せたのであるが、なるほど頗る面白い。私はアメリカの弁護士クリントンの書いた、「有名な裁判」と、「異常な事件」とを愛読して居るが、この書もそれに劣らず面白い。この中に書かれてあることは、英国の過去三四十年間の著名な犯罪事件と側面観とも見るべきもので、ユーモラスなエピソードに富んで居る。かの、私が度々紹介した「風呂場の花嫁事件」の主人公ジョージ・ジョセフ・スミスが、花嫁を風呂桶(バス・タツブ)の中で溺殺するには、予め魔(※3)酔剤でも飲ませねばなるまいが、それでは悟られる虞があるから、一たい、どうして殺しただらうかと、私もかねて不審に思つて居たところ、この書の中で、著者と有名な弁護士マーシャル・ホール氏との対話によつて、その真相が明かにされて居る。それは外でもない、スミスは単に、催眠術を施したに過ぎぬといふのである。もとよりそれはスミス自身が白状したのではないが、マーシャル・ホール氏がスミスと獄中で会見したとき、今少しでスミスに催眠術をかけられさうになつたので、急いで会見をきり上げたくらゐであつたといふことである。いづれにしても、かうした話は些細なことではあるが、甚だ興味の多いものである。
第六に示したピアスの「未解決殺人事件」は単に未解決事件ばかりでなく、著名な殺人事件に於ける注目に価する諸点を掲げて、犯罪研究者に種々の便宜を与へて居る。たとへば、各犯罪者の手ぬかり、自己を裏切る毒殺者たちの愚かな行為などが、巧みに分類され記述されて居る。未解決の事件の中には、かのエドガア・アラン・ポオの霊筆によつて、「マリー・ロージェ事件」として発表された、メリー・ロージャース殺害事件の真相や、歯科医バーデル殺害事件の謎などが紹介され、「探偵」といふ見地から見ても参考になる書物である(。)(※4)
最近、英米各国では、以上のやうな犯罪研究書がどしゝゝ(※5)発行され、探偵小説の流行と共に素人向きの犯罪研究書も盛んに読まれるらしい。日本でも、かういふ書物を読みたいと思ふ人は少くあるまいから、これからも、手に入り次第紹介したいと思ふのである。(完)
(※1)(※2)原文の踊り字は「く」。
(※3)原文ママ。
(※4)原文句読点なし。
(※5)原文の踊り字は「く」。
底本:『新青年』大正14年11月号
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1925(大正14)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」
(最終更新:2017年10月6日)