インデックスに戻る

世界裁判奇談

◆はしがき

 奇談といひ珍聞といふも、その話を知つて居る人に取つては、珍らしくもなければまた奇しくもない。私がこれから書かうとする沢山の話のうち、或は読者諸君のすでに知つて居らるゝものも少くなからうと思ふ。然し、さういふことを考へて居たら、到底手も足も出なくなるから、私は書きたいと思ふことを遠慮なく書くつもりである。
 裁判奇談といつても、裁判にかけられた異常な事件の顛末を紹介しようとするのではない。一つの事件でも一冊の書物になる位のものが少くないから、短い紙面では到底望み得られないことである。そこで私は、主として裁判廷の特種な出来事又は裁判に関係する人々の逸話、就中、ユーモラスなエピソードを集めて(、)(※1)所謂裁判なるものゝ側面観を試みやうとするものである。極めて短い逸話の中からでも、いふにいへぬ奥床しい人間性を汲み取ることが出来るものであるから、今回は鹿爪らしい論理的な観察をやめて、肩の凝らない読み物を提供しようと企てたのである。
 徳川初期の茶人安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)は、時の名奉行であつた板倉重宗のために、その聞き集めた笑話を記して『醒酔笑』と名(なづ)けて贈つた。その中には、板倉伊賀守(いがのかみ)の取り扱つた裁判事件の短話が沢山記されてあるが、いづれもユーモアに充ちたものばかりである。私は策伝の真似はもとより出来ぬが、少くとも『醒酔笑』に選ばれてあるやうな材料を、こゝに書き集めて見ようと思ふのである。
 宋の四明桂(めいけい)の著はした『棠陰比事』は支那の裁判探偵談を集めた興味ある書物であつて、慶安の頃『棠陰比事物語』として和文に翻訳されたが、大(おほい)に世に行はれたゝめ、日本でも之にならつて多数の裁判小説が発行された。例へば『桜陰比事』、『鎌倉比事』、『桃陰比事』などがこれで、いづれも短話ではあるが裁判官の奇智とユーモアとが遺憾なくあらはされて居る。実際、奇智とユーモアを味(あぢは)ふには短い物語の方が長いものよりも適当して居るやうに思はれる。『大岡政談』を読んでも、『村井長庵』だとか、『越後傳吉』だとか、『雲切仁左衛門』だとかの長い記事に於てよりも、大岡裁判小話の方に、大岡越前守(えちぜんのかみ)の面目が躍如たるやうに思はれる。だから探偵小説は短篇にその生命があるとも言へるが、その議論は兎にかく、オルチーの『スカーレツト・ピンパーネル叢書』のうち、短篇を集めた『ザ・リーグ・オヴ・スカーレツト・ピンパーネル』が、私には一番面白かつた。
『醒酔笑』や、『棠陰比事』や『大岡政談』などの中(うち)の短話が果して実際にあつたことか、又は作り話であるかは、今これを穿鑿して居るひまがない。(『桜陰比事』や『鎌倉比事』の話が全然作り話であることは疑ひないが)。然し、私がこれから紹介するうちの西洋の材料だけは、少くとも事実のつもりである。先日、私がある雑誌に、精神一到何ごとかならざらんの例証として、アメリカの西部のある監獄の囚人が、靴下の糸をほぐして唾でぬらし、砂塵の中へつけて乾(かわか)し、その糸やすり(※2)で、獄室の鉄棒を切り始め、三年余の月日を費して、首尾よく目的を達して脱走したことを書いたら、読者の一人から、作り話ではないかといふ質問を受けた。そこで私は、作り話でない証拠をあげて返事を出したが、この物語を読まるゝ読者にも或はさういふ疑(うたがひ)を抱かれる人が無いとは限らない。岡本綺堂氏の『半七捕物帳』の中(うち)の探偵半七が、実在の人物かどうかを疑ふ人も少くないさうであるが、それは綺堂氏の言はれるやうに読者の想像に任せておいた方が興味が多いであらうと思はれる。

◆むかしの裁判

 人間の知識があまり進まなかつた大昔の裁判には、所謂『天の裁判(オーヂール)』と称して、是非曲直をチヤンスによつて裁く方法が行はれた。このことは拙著『科学探偵』の中(うち)に、『古代の裁判探偵法』と題して委しく書いて置いたから、こゝでは繰返さないが、『天の裁判(オーヂール)』では、例へば熱湯の中へ手を入れさせて、火傷するかせぬかで、邪正を断ずるのであるから、少しの人間の智慧をも働かせることなく、従つて奇談は少ないのである。(尤も『天の裁判』それ自身が今から見れば奇談ではあるが。)
 『天の裁判』はもとより迷信的裁判法であるが、『棠陰比事』や『大岡政談』の中にも往々迷信的な裁判法又は犯人探偵法が記されてある。(※3)例へば(『)(※4)棠陰比事』にこんな話がある。漢の宣帝のとき、丙吉(へいきつ)といふ判官があつた。その頃陳留(ちんりう)といふ所に一人の金持の老人が住つて居た。一人娘は他家に嫁いで居て、その外に子がなかつたが、妻が死んでから、年八十余(よ)であるにも拘はらず、後妻を娶つて一子をあげた。ところがその後程なく老人は死去したので、後妻はその子を大切に育てゝ居た。すると、数年の後、他家へ嫁(よめい)つて居た前妻の娘が、父の財産を奪はうとたくみ、後妻の生んだ子は父の胤(たね)でないと言ひ出し、遂に丙吉(へいきつ)の裁判を受けるに至つた。丙吉(へいきつ)は、よく考へた結果、老人の子は非常に寒がるものであること及び日光に当つても影がないといふ言ひ伝へがあるので、それをこの事件に応用しようと思ひ、折しも八月であつたから、問題の子と同年の小児を数人呼び来(きた)つて、各(おのゝゝ)に単衣(ひとへもの)を着せて日中に立たせたところ、その子だけは非常に寒がるばかりか、影がなかつたので、娘は母を誣(し)ひた罪に服した。又、『大岡政談』の中(うち)に、『三人九八の件』といふのがある。麻布谷町といふ所に桶屋甚八といふものがあつた。ある夜友だちの勘太郎の家をたづねて帰宅する途中、何者にか斬り殺され、所持の金を奪はれた。嫌疑は当然勘太郎にかゝり、大岡越前守(えちぜんのかみ)は勘太郎を呼出して吟味したが、犯人は勘太郎でないと見抜いた。然し甚八の死後五十日を経るも真犯人は発見されなかつた。ある日越前守(えちぜんのかみ)は甚八の老母を呼び出して、慰めの言葉を与へた。その時老母は涙をこぼし乍ら、毎日毎夜、甚八の殺された夜の九ツ時分と、甚八の葬式を出した昼の八ツ時分になると、甚八の事が思ひ出されて悲しくなり、はては九ツと八ツとがうらめしくなりましたと答へた。大岡は之を聞いて不憫に思ひ、香奠(かうでん)として金三百疋を与へて老母をかへし、さて、つくづく老母の言つた言葉を考へて見たが、やがて膝をたゝいて、九ツと八ツとを合せると九八になる、周易には九ツ時は極陽にして男なりとあるから、九八といふものが犯人であらうと推断し、麻布から青山、目黒一帯にかけて九八といふものを捜させた。するとその結果九八といふ名の男が三人連れられて来たが、果してそのうちの一人が真犯人であつた。
 かういふやうな裁判物語りは奇怪ではあつても痛快味に乏しいのである。さて然らばどんなのが痛快味があるかといふに、それはいふ迄もなく奇智と常識とを巧みに働かせた裁判物語りである。『醒酔笑』にこんな話がある。越後の国でのことである。ある山伏がある家に一夜の宿をかりた。丁度その時国主が来るので亭主は出迎へに出ねばならぬことになり、山伏の持つて居た刀が、こしらへといひ、つくりといひ、世にすぐれたものであつたから、
『暫らく貸して下さい』
 といつて腰にさして出て行つた。ところが主人の帰宅せぬ先に、徳政の札が立つて、借りたものは返さでもよいといふことになつたので、家(うち)へ帰つても山伏にその刀を返さなかつた。山伏がこらへかねて、しきりに催促すると、亭主は、
『なる程あなたの刀を借りたことは本当だが、徳政の札が立つたからには、此(この)刀もながれたので、決して返しません』  と答へた。
 この事がたうとう公事(くじ)になつて、将軍家康公の御裁きとなつた。丁度そのとき、京都の所司代をして居た板倉伊賀守(いがのかみ)が列席して居たので、家康は伊賀守(いがのかみ)に向つて、意見をたづねた。すると伊賀守(いがのかみ)は、
(『)(※5)誠に雑作もないことで御座います。徳政の札が立つた上は、亭主は刀をかへす必要はありません。』といつた。これをきいた亭主は非常に喜んだ。
『然し、』と伊賀守(いがのかみ)は更に言葉を続けた。『その代り山伏の借りた家も、徳政の札が立つた以上は、山伏のもので御座います。』
 亭主は吃驚(びつくり)して、死人のやうに蒼ざめた。
 かういふやうな痛快な裁判はさう滅多にあるものでない。これはペルシアのむかしの裁判の話であるが、ボカイトといふ男がその隣人ドジョランのことを、『犬めが』と罵つた。ペルシア犬を想像して見ると、犬だといはれゝば定めし腹が立つだらう。果してドジョランは携へて居た小刀(ナイフ)をふり上げて、ボカイトの肩先へきりつけた。幸ひに致命傷ではなかつたが、ボカイトは之を奉行(cadi)に訴へ出た。奉行は双方の陳述をきゝ終つて、ドジョランは犬だといはれた賠償として、ボカイトから羊一疋受取れ、ボカイトは傷を負はされた賠償としてドジョランから駱駝一疋受取れと判決した。駱駝一疋ではボカイトの方が損だといふ評判が立つたので後に奉行は駱駝三疋にせよと言ひ渡した。こんな奉行ではらくだ(※6)いだが、話しそのものも落第だ。

◆アイデンチフィケーション

 むかしの裁判物語は純粋の裁判物語りといふよりも、むしろ探偵物語といつた方がよいものが少くない。大岡越前守(えちぜんのかみ)も、手下を指揮して色々探偵を行つたやうである。『棠陰比事』の中(うち)の物語なども、その多くは探偵談である。
 探偵談以外の裁判物語りのうち、最も多いものはアイデンチフィケーション Identification の問題である。即ち品物なり、人間なりが甲に属するか乙に属するかを裁判する物語りである。『棠陰比事』に記されたる裁判物語りの大部分はこのアイデンチフィケーションの問題が中心となつて居る。科学の発達しなかつた時分にありては、アイデンチフィケーションは全然奇智と常識とによつて行はれ、其処に物語の興味が存在するのである。
 京都で猫を失つた男があつた。身をやつしてたづねまはつた結果、不思議にも、ある家で見つけ出して連れ帰らうとすると、その家(うち)の男は怒り、その証拠を出せと迫つた。もとより証拠のある訳はないが、思ひ切ることが出来ず、遂に板倉伊賀守(いがのかみ)に訴へ出た。伊賀守(いがのかみ)は二人を対座させ、件の猫を座敷の中に置き、二人に鰹節をにぎらせてその猫を呼び招かせた。すると猫は永年飼はれて居た失ひ主の膝の上に乗つたので、裁判は終つた。
 後魏の李崇(りそう)が揚州の刺史となつて居た時分のことである。その土地の荀泰(しゆんたい)といふものに一人の子があつたが、三歳になつたとき行方不明になつた。ところが、その後になつて、荀泰は趙奉伯(せうほうはく)といふものゝ家にわが子が居るといふことを聞き(、)(※7)奉伯の家(うち)へ受取りに行くと、奉伯は自分の子だといつてどうしても渡さず、遂に公事(くじ)となつた。李崇は両方の申し分をきいてから、二人の男とその子とを別の室に置き、数日たつてから、二人の男に偽つて、その子が急病で死んだ旨を伝へた。すると荀泰は前後を忘れて嘆き悲しんだが、奉伯はたゞ少し嘆いたばかりであつた。よつてその子は荀泰に渡された。
 前漢のとき、黄覇(くわうは)といふ人が頴川(えいせん)の大守をして居た頃のことである。その土地に富豪があつて、兄弟夫婦で住(すま)つて居たが、弟の妻が先へ妊娠した。すると間もなく兄嫁も姙娠したが流産を起したので、兄嫁はくやしさのあまり、弟嫁が男の子を生むなり、この子は自分の子であるといつて奪はうした(※8)。もとより弟嫁は承知せず、三年の間二人が言ひ争つたが、その結果遂に黄覇の裁判を受けることゝなつた。黄覇は即ち二人の女を呼び出して、その子を中央に置き、両方から引つ張らせて、引き取つた方へやらうと言つた。そこで奪ひ合ひが始まつたが、子供は痛さにわつと泣きだしたので、弟嫁は思はず手を放し、兄嫁は得意気にその子を連れかへらうとした。これを見た黄覇は大声をあげて兄嫁を叱り、実の子なればこそ、弟嫁は子供の苦痛を見かねて手を放したのだ。その子は弟嫁のものだと裁判した。
 この話はよほど昔の人に面白がられたと見えて、『大岡政談』にもこれに似た話がある。ある家の主(あるじ)が、罪なき妻を離縁して、かねて言ひかはした女を後妻に据ゑた。ところが先妻は姙娠中だつたので親里(おやもと)へ帰つて女の子を生み、養育を怠らなかつたが、十年ばかりすぎてから其子は非常に美しくなつたので、子のない後妻は之をわが子だといつて引き取らうとしたので、遂に大岡越前守(えちぜんのかみ)の裁判を受けることになつた。越前守(えちぜんのかみ)も前記と同じ方法で、娘を中央にして、双方から手を引かしめ、その結果先妻の勝利となつた。この話が『大岡さばき』として国定教科書に入れられ、里子に出した先の親と実の親との争ひの話にしてあるが、子の手を引くのは残酷だから、よろしく削除すべきであると最近、唱へ出した人があるさうである。若し議論が面倒になつたら、大岡氏をよんで来て裁判して貰ふとよい。
 替玉事件の裁判も、勿論アィデンチフィケーションの問題である。沢州(たくしう)の晋城県(しんじやうけん)に程(ていけい)といふ知事の居た頃、張(ちやう)といふ老富豪が死んだ。すると暫くたつてから、張家へ一人の老人が訪ねて来て、現主人に向つて、
『俺はお前の実父だ』と告げた。
 若主人は大(おほい)に驚いて、その理由をたづねたが、どうも疑はしい所があつたので、知事の裁判を仰ぐことゝなつた。程が老人に向つて事情をきくと、老人は、
『実は私(わたくし)医を業(げふ)と致して諸国を修業にまはりましたところ、妻(さい)が子を生みましたが、とても養つて行くことが出来ませぬから、張さんに貰つて頂いたので御座います。』と答へ、それから、何年何月何日、何の某(なにがし)が子を抱いて行き何の某(なにがし)がそれを見たといふこと迄はつきり語つた。程が、
『どうして、そんなに詳しいことが覚えて居れるか』と詰ると、老人は、
『薬法の書物の終りに書きつけて置きましたので、此頃帰つて読んだので御座います。』といつた。程は早速その書物を取り寄せて開いて見ると果して、『何年何月何日、何の某(なにがし)、児を抱いて張三翁に与ふ』と書かれてあつた。そこで程は張家の若主人に向つて、
『今、その方はいくつになるか?』と訊ねた。
『三十六になります。』
『父の年齢(とし)は?』
『七十六でした。』
 これをきいた程は声を荒らげ、その老人に向つて言つた。
『張氏はこの子の生れたとき四十歳ではないか。四十歳の人を張三翁と翁の字をつけて書く筈がない。どうだ。汝のいふことは皆嘘だらう。』
 図星をさゝれて老人は恐れ入つてしまつた。
 天一坊、マルタン・ゲールの話はあまねく人口に膾炙されて居るが、他家の財産を奪はうとする替玉事件は、ことに欧州に於てその数(すう)が甚だ多かつたやうである。英国では第十九世紀の終りに有名なチッチボーン事件があり、今世紀になつてから、ドルース事件があつて大さわぎとなつた。いづれも裁判の結果、主人公たちは贋物であるとわかつた。これ等の事件は事件の筋書には非常に興味があるが、時代が時代であるから、裁判官の奇智によつて裁判されたのでなく、従つてここにはその記述を省略する。
 総じて現代では、犯人探偵を始め、その他の鑑定に最新科学が応用され、裁判官はたゞその動かぬ証拠によつて判定すればよいのであるから、探偵物語りには奇談が多いが裁判物語には比較的奇談が少いのである。それ故私は以下、裁判事件そのものよりも、裁判事件に携はる人々即ち判事、検事、弁護士、陪審官、証人、被告等の逸話について記述して見ようと思ふのである。

◆判事物語

 神聖な法廷に於て、西洋の言葉でいへば『神の名によつて』裁判をする人でも、人間である以上、人間らしい行為もすれば、人間らしい言葉もつかふ。これは日本の現代の一裁判官の話であるが、某市の裁判所に於てある裁判が開かれた。丁度それは春のことで、判事の席から、開け渡した窓をとほして、おもてにある満開の桜がよく見えた。然し桜は正面にあるのでなく、横向かねば見ることが出来なかつた。今しも一弁護士が懸河の雄弁を揮つてふと裁判官の方を見ると、判事は横向いたまゝ、桜の花に見惚(みと)れて居るのであつた。弁護士は大(おほい)に怒り、語気を強めて、判事に向つて謹聴を促がすと、判事はすましたもので、
『耳はそちら向いて居る!!!』と答へた。
 判事の中(うち)にも却々(なかゝゝ)物わかりの悪い人があると見える。紐育(ニユーヨーク)控訴院の判事にルーズベルトといふ人があつた。あるときAなる男がBなる男に向つて貸金請求の訴訟を起した。AとBとは懇意の間柄であつて、最初AはBに金を貸したがその返済期限に至つて、Bは依然として財政困難であつたので、今一度金を貸してやつたら、衰運を挽回するかもしれぬと、更に相当の金を貸与した。ところが期限になつてもBは依然として貧乏して居たので、慈悲心の強いAは更に相当の金を貸してやつたのである。かうして段々貸してやつても、Bにはいつ迄たつても返せさうになかつたので、遂にAは貸金請求の訴訟を起したのである。
 判事ルーズベルトは、事情を聞いて妙な顔をして言つた。
『はてをかしい。被告が原告に金を借りたのなら、金は被告が支払ふべきではないか? 然るにその際原告が被告に金を払つたとはどういふ訳か、それではまるで、被告が原告に金を借りたのでなくて、原告が被告に金を借りた訳になるのではないか?』
 そこで原告側の弁護士は、原告が段々金を貸してやつた上記の理由を説明した。が、判事にはどうも了解出来なかつたと見えて、
『いくら考へて見ても、金を貸した先へ、期限が来て金を支払ふとはをかしいぢやないか。これでは原告が被告に金を借りたも同然だ。』と言つた。そこで弁護士は再び事情を丁寧に説明した。ところが、又暫くしてから、判事は、
『いやをかしい。被告が原告に金を借りたのなら、原告が被告に金を支払ふ訳がない。』といつた。そこで、弁護士は更に懇懇と説明してやつた。ところが、又暫くして、判事は、
『やつぱりをかしい。被告が原告から金を支払つて貰つたのなら、原告は被告に金……』
 弁護士はもう堪へられなくなつて、
『もう御返答は致しません。』と言ひ切つた。然し考へて見ると、判事がこの有様では、定めし陪審官の中(うち)にも、被告に有利に考へる人が出来るかもしれぬと思つて、弁護士は陪審官に向つて、じゆんゝゝゝ(※9)事情を説明した。が、果して陪審官のうち六人は被告に味方し、六人は原告に味方したので、解散となり、第二回の裁判のとき始めて、原告の勝利となつた。
 いくらどんな判事でも判事の権能は却々(なかゝゝ)強いものである。スペンサーといふアメリカの有名な弁護士がまだ若かつた頃(、)(※10)ある殴打罪に問はれた被告を弁護した。色々の証人が呼び出された結果、弁護士は十分な証拠がないと認めたので、全力を傾けて熱弁を揮つた最後に、
『判事閣下、かやうな不充分な証拠を以て被告を有罪と認めることは出来ますまい!』と得意気に言ひ放つた。すると判事は落つき払つて、
『出来ないつて? エヽ? 余は昨日(さくじつ)証拠皆無に拘はらず三人の男に有罪を宣告したよ。君、出来ないなんて言ふもん(※11)ないよ!!! いゝか!!!』と言つた。弁護士ギヤフン。
 これもやはり殴打罪に関係した話である。ニューヨークである男が、他の男たちから非常な侮辱の言葉を与へられた。彼は大(おほい)に怒つたがそのまゝ家に帰り、翌日、先方のおもだつた男を訪ねて、思ふ存分殴りたふした。そこで殴りたふされた男が告訴をして裁判となつたのである。判事リチヤード・ライカーは一風変つた男であつたが、被告に向つて何を言ふかと思ふと、
『被告の行為は実に道徳上許すべからざる所である。然し、殴つたことそれ自身が悪いといふのではない。ある場合に殴ることは大(おほい)に賞讃すべきである。この際被告の許すべからざる行為は、侮辱を受けたその場で原告を殴つてやらなかつたことである。何故(なにゆえ)被告は翌日まで殴ることを延したのか。殴るべき機会が与へられて居るにも拘はらず、その機会を無視することは道徳上許すべからざる所である。今後は、侮辱を与へられたら、その場で、全力を注いで(※12)殴つてやるがよい。今回は殴ることを延期した罰として金三円の罰金に処するのである。』
 いやどうも妙な道徳論があつたものである。この判事リチヤード・ライカーにはまだ沢山の逸話がある。ある日彼は非常なおしやべり(※13)の女に判決を言渡し、その最後に、次のやうに言つた。
『被告は兎に角苦しむがよい。いや苦しまねばならぬ。余は被告を監獄に送らねばならぬ。軽禁錮であるから、少しも肉体的に苦しいことはないが、然し、被告にはとても堪へ得ない程の苦しみがある筈である。それは何かといふと、黙つて居なければならぬことだ。おしやべり(※14)の出来ないことだ。いや、被告は苦しまねばならぬ……』
 天才には粗忽健忘(アプセント・マインデツド)の人が多いといふが、名判官にもさうした人がたまにはある。ニユーヨークのボースといふ人の店にライトといふ店員があつた。店の品物が度々なくなるのでボースは、ライトの仕業と認めて告発したが、証拠不充分であつたゝめライトは放免された。放免されると同時にライトはボースに対し、あべこべ(※15)に人権蹂躙の廉(かど)で損害賠償の訴訟を起した。裁判の結果、陪審官は被告に向つて、原告に六仙(セント)(十二銭)を支払ふべき旨を宣言した。ことわつて置くが、僅かに六仙(セント)である。さて、法律によると、損害賠償裁判の結果、原告が被告から金額を受取ると、その金額の五分即ち百分の五を裁判所は弁護士への手当として原告から要求することが出来るのである。
 陪審官が六仙(セント)の宣言を与へると、判事スザーランドは、その特有な、嗄れた声で、いつもの通り、
『誰か手当を要求するものはないか?』と訊ねた。原告側の弁護士は被告側の弁護士(※16)からかつてやらうと思ひ、
『閣下、被告側の弁護士は非常に努力したやうでありますから、賠償額の五分は当然同弁護士に与ふべきものであらうと思ひます。』と言ひ放つた。
 すると判事は如何にもといふ顔をして、
『然らば書記にその通りに取り計(はから)はしめよう。』と言つた。而もその時判事は少しも弁護士の冗談に気附かず、又六仙(セント)の百分の五が如何ばかりの金額になるかといふことを考へても見なかつたのである。
 この、判事スザーランドの粗忽は一時法曹界の大評判となつたものである。あるとき、書記達はその粗忽さ加減を試験しようと思ひ、判事の署名を要する文書の中へ、書式に従つて、
『今日(こんにち)午後一時、書記某々と判事スザーランドとは、某料理店に出逢ひて、昼食(ちうじき)を取り、三鞭酒をのむべし。若しそれに背くものあらば直ちに処罰すべし』といふ意味の文句を書いた命令書を挟んで置いた。判事はかゝることゝは少しも気附かず、碌に読みもしないで一枚残らず署名した。十二時頃、書記達は判事の所へ行き、今日(こんにち)一時に閣下は料理屋へ御行きにならねばなりませんと告げた。判事は怪訝な顔をして、そんなことは少しも知らぬといつたので、書記達は件の命令書を見せた。すると判事は何思つたか、
『いや裁判所の命令は絶対に従はねばならぬ、遅刻するといけないから、早く来たまへ。』と言ひ乍ら書記達を従へて所定の料理屋へあたふた駆けつけた。

◆検事物語

 検事はどこの国でも鬼のやうに恐ろしい人だと考へられて居る。全くよほど神経のしつかりした人でなければ検事はつとまらぬかもしれない。その、神経のしつかりした例として、次のやうな話がある。一八四六年、アメリカ、ジヤーセー市で、スペンサーといふ精神異常者が、その細君を殺して裁判されたときのことである。検事ブラウニングが陪審官に向つて将にその論告を終らうとするとき、その検事のそばに腰かけて傍聴して居た陪席検事の老父スカツダーが突然卒倒した。その日は非常に蒸し暑い日で、傍聴席は溢るゝばかりの人であつた。直ちに裁判は停止され、人々は窓を明けて、老人を介抱したが、最早絶命して居て如何ともすることが出来なかつた。丁度そのとき昼飯時であつたので、人々は昼飯を取りに行き、裁判は午後続行された。同僚の父の死にも拘はらず、検事は残つて居た僅かの論告を、午前の態度と少しも変らぬ調子を以て述べ終つた。このことは法曹界の評判となり、その論告は『模範』として今でも貴ばれて居るさうである。
 長谷川清志(せいし)氏の『司法官物語』は近ごろ私の読んだものの中(うち)最も興味ある書物の一つであるが、その中(うち)から次の話を転載させて貰ふ。
 ある検事が、他人の係りであつた窃盗事件へ立会つた。勿論記録も読んで居らず、審理も上の室で聞いて居たが、裁判長と被告との問答の中(うち)に『やしろ(※17)すゞ(※18)』を盗んだとかどうとかといふ言葉があつたので、社の鈴を盗むなど、実にけちくさい泥棒もあつたものだと思つて居ると、突然裁判長から『御意見を』といはれた。はつと思つたが、黙つて居る訳にゆかず、直ちに立ち上つて、その頓智を働かせつゝはつきりした声で述べ立てた。
『被告は一定の居所もなく諸方を徘徊流浪せるものであつて、夜は寺院社殿の床下に眠り、昼は出でて空巣を狙ふのであつて、窃盗犯人の内で最も始末に負へぬ浮浪の鼠賊である。(中略)而も本件は、衆人が依つて以つて神聖なりとする神社に於て、其の礼拝祈願の用に供せらるゝ鈴を窃取したるものにして、神威を冒涜し、良俗を懐敗し洵(まこと)にこれ宥(ゆる)すべからざる不敬の行為である。加之(のみならず)其の鈴を売却して之を以て一夜嫖遊の快に代ふるに至つては、言語道断、法の裁判以上神罰の怖るべきものあるを知つて居らねばならぬではないか、然るに何ぞや、被告人は徒らに弁疏(べんそ)を以てし、其の非行を掩はんとするとは。今裁判長より示されたる如く、本件犯罪事実に対しては其の証憑歴然たるものがある。而かも尚ほ且つ虚構の言を以て其の罪責を包避せんとす、其の愚や笑ふべく其の(※19)(へい)や憎むべしである。被告の行為は既に天知る地知る万人(ばんじん)の知る処である。之をしも否認せんとするのは将にこれ「耳を掩うて鈴を盗む」の愚である。豈夫れ笑ふべきの至りではないか。』
 果して満廷どつと笑ひ崩れた。法廷を出ると判事は彼の背中を叩いて、
『君えらい論告をやりましたね。知つて居て洒落たのか、知らないであんなことを言つたのか知らぬが、やしろ(※20)といふのは神社のことではないんですよ。それ、あの大通りの八代金物店の事ですよ。そして盗んだのは鈴でなくて錫なんですよ。錫の塊だから別に音もしない筈で、耳を掩うて盗む必要もなかつたのでせう。アハヽヽヽ。』
 これきりその検事は無責任な論告をしないことに決心した。

◆弁護士物語

 前記スペンサーの細君殺し事件の際には、弁護士グラハムが力をこめて弁護したゝめ、判事ははらゝゝ(※21)と涙をこぼし、はては小児のやうに泣いたさうであるが、弁護士自身も時として、自分の弁護した被告が無罪になると、嬉しさに泣き出すことがある。第十九世紀の終り頃、英国で有名になつたアドレード・バートレツト夫人事件即ちバートレツト夫人がクロヽフオルムによつて良人(をつと)を毒殺したとして裁判された事件に於て、弁護士エドワード・クラークは、陪審官が『無罪』を宣告したとき、うれしさのあまり、首を垂れて啜り泣きを始めた。やがて彼が気をとりなほして裁判所を出ると、群集は彼の車をとりまいて万歳をあびせかけ、その夜彼が、名優アーヴングと名女優テリーの沙翁劇『ロミオとジユリエツト』を見にリシウム座へ行くと観客は総立ちになつて、拍手喝采した。   (※22)かうした劇的場面は、さう度々あるものではない。アメリカにスチユーアートといふ弁護士があつた。この弁護士は智慧はあつたが正規の教育を受けて居なかつたゝめか、どうも言ふことに味がなかつた。味がないばかりか、その声が如何にも大きくて、傍できいて居る人は思はず耳を掩はねばならぬ位であつた。尤も若いとき、せり(※23)売人(うりにん)をしたことがあつたさうで、そのため自然声が大きくなつたゞらうと人々は想像した。あるとき法廷で例の如く、雷(らい)のやうな大声で喋りかけたので、判事オークレーはたまりかねて、
『ステユーアート君、裁判所は聾(つんぼ)でないから、もつと小さい声は出来ませんか?』と言つた。
 弁護士は直ちに答へた。
『閣下、それはわかつて居ります。然しこの被告めが聾(つんぼ)なのです。』
 彼は自分の弁論を被告によく聞いてもらひたかつた(※24)のである。
 弁護士にも奇智頓智は極めて必要である。紐育(ニユーヨーク)で、あるアイルランド生れの労働者が、乗合馬車に轢かれて負傷し、馬車会社を訴へて賠償金を要求した。原告は法廷で負傷の模様を述べ、肋骨が折れたこと、右手が爾来ほんの少しも上らぬことを告げ恢復までには数ヶ月を要するだらうと断言した。そこで馬車会社側の弁護士となつたクリントンは原告に向つて、先づ、同情に堪へない旨を述べ、右手が少しも上らぬやうでは定めて不自由でせうと言つて、自分の右手を少しあげて、
『せめてこれ位あがりませぬか?』といつた。
『あがりません。』
 クリントンは更に高く、右手を上げ、
『ではこれ位まで?』
『あがりません。』
 やがてクリントンは左の手を少し上げて見せ、原告にもその通り左手を上げさせ、
『その左手位あがりませんか?』
『あがりません。』
 そこで弁護士は原告にもう少し高く左手をあげてもらひ、
『それ位まであがりませんか』
『あがりません』と原告の声は愈よ高い。
 その時弁護士は突然原告の右手をさして言つた。
『それではどの位の高さまであがらぬか、あがらなさ加減を見せて下さい。』
 先刻(さつき)から苛々して居た原告は、この時、左と右とをまちがへ、右手を頭より高く上げて、
『とてもこれだけは上りません。』と言つた。――
 弁護の急所をつかむことは弁護士にとつて却々(なかゝゝ)むづかしいことである。やはりクリントンの逸話であるが、プローバーといふ男が、いかゞはしい株券をある人に売りつけて、その人から詐欺取財で訴へられた。被告の弁護士クリントンは原告に向つて、
『プローバーといふ人は平素評判がよくなかつたのですか?』
『さうです。』
『然し誰も皆さうはいはないでせう。』
『誰でもさういひました。』
『けれどあなたはさうは思はなかつたんでせう。』
『思ひましたとも!』
『ほう、株式を御買ひになつた時にも?』
『さうです。』
『それぢやそんな男から株式を買つちやどうせ碌なことはないと思つたでせう。』
『いかにもさう思ひました。』
『すると、そんな男に金を出すのは危険だと知つて居られたのですね?』
『さうですとも。』
 原告は、かう答へれば、被告を罪におとすことが愈よたしかになると思つたのであるが豈図らんや、それは却つて被告に有利であつた。弁護士は即ち被告の悪い性質を利用して却つて被告を救つたものである。
 クリントンと同時代の名弁護士にジラルドといふ人があつた。非常に諧謔にたくみであつて、その諧謔によつて勝(かち)を制することが少くなかつた。ある時彼はオーバニーの控訴院へ出席する筈であつたが、予定の時刻より三十分遅れてニユーヨークから到着した。彼は直ちに判事に向つて、自分の出席すべき事件がどうなつたかをたづねた。判事は、もう打切つてしまつたから今日は駄目だと答へた。
『どうか開いて下さいませんか?』と彼は懇願した。然し判事はどうしてもきゝ入れなかつた。するとジラルドは、にこり笑つて言つた。
『皆さん、暫く御清聴を煩はしたい。私は今朝ニューヨークを一番列車で出発し十時少し過ぎに此地に到着致しました。大急ぎでかけつけると既に皆さんは仕事を始めて御いでになりました。つまり私と皆さんとは一大競走を行つた訳です。皆さんと汽車との競走でした。それは実にはらゝゝ(※25)するやうな競走でした。が、たうとう皆さんは三十分だけ先へ到着せられたのです。つまり勝利は皆さんの方にあつたのです。ですからその勝ち祝(いはひ)として、是非とも私の事件の裁判を開いて頂かねばなりません。』
 これを聞いた裁判官やその他の人たちはどつ(※26)と笑つた。判事も致し方なくジラルドの要求に従つた。

◆陪審官物語

 判事、検事、弁護士はいはゞ玄人であるが、陪審官は素人であるから、色々な逸話も出来上る。日本ではまだ陪審制度が、実行されて居ないが、西洋では専ら行はれて居る。陪審官の数(すう)は十二人であつて、検事と弁護士との論告及び証人の証言をきゝ、判事の綜括的説明をきいてから、別室に退き、有罪か無罪かを考へ、十二人共意見が一致したときに、先刻を与へるので、若し意見が一致しなければ、陪審官は解散され、裁判はやり直しとなる。中には随分頑固な人があつて、他の十一人の意見が一致して居るにも拘はらず、どうしても自分一人だけ異議を唱へて解散をさせるやうな人がないでもない。
 一八七〇年アメリカのスリーピー・ホーローでバツクハウトといふ男が、客に招いたレンドール父子(ふし)とわが妻との三人を猟銃で射殺(いころ)した。理由は妻とレンドールとが情を通じて居ると思つたからである。裁判の際バツクハウトの精神の異常の有無が問題となり、第一審では陪審官の意見が一致せず、二度目の裁判が開かれた。そのときその地方に同名のものが二人あり、一人は陪審官に選ばれ、一人は傍聴に来て居た。書記が十二人の陪審官の名を呼びあげると、生憎陪審官の方の男が遅刻して傍聴人の方が『はい』と返事し、所謂陪審官の飛入りが出来てしまつた。ところが、裁判が始まつてから当の男がやつて来たので、書記は大(おほい)に驚いたが、今更間違ひだとも言ひかねたので、そのまゝ飛入(とびいり)を本陪審官にしてしまつた。
 さて、その陪審官の替玉といふのが、非常な変り者で、而もその変り方が尋常一様ではなかつた。然し公判廷では何事もなかつたが、愈よ別室へ退いて、陪審官たちの相談となつたところ、他の十一人は有罪の投票をしたが、その替玉だけはどうしても投票することを肯んじなかつた。そこで他の人人は交々彼に投票するやう説き勧めたが、彼は一言(いちごん)も言はなかつた。そこで人々は少々腹を立てゝ責めつけると彼は遂に口を開いた。
『この事件は全然一家の私事(わたくしごと)ではありませんか。私は失礼乍ら一家の私事(わたくしごと)にまで干渉したくはありません。私は私と妻との間の事に何人にも干渉して貰ひたくないですが、それと同じやうに、他人の家の私事(わたくしごと)には口を出したくありません。それに私は大ぶ眠くなりましたから、御先へ失礼致します。もし今晩夢にバックハウト君のことを見ましたなら、明朝皆さんに御話しすることに致します。では、左様なら、御免!』
 たうとう第二回の裁判もこれが為御流れになつてしまつた。
 ニューヨークの判事ハッケットは頗る明敏な頭脳の人で、いつも陪審官に向つて綜括的説明を行ふとき、如何にも自分のいふ通りに判決しなければならぬやうに、巧みに喋舌(しやべ)るのであつた。あるとき、ある裁判の際、例の如く綜括的説明を試みると、陪審官のうち三人は全く無経験の人たちであつたから、書記が、別室に退いて意見が一致したら帰つてくれと命じたとき、その三人はつかゝゝ(※27)と判事のそばへにじりより、その内の一人が何をいふかと思ふと、
『裁判長閣下、御話によつて、どう判決すべきか私等三人にはよくわかつて居りますので、別室へ行かなくてもよいと思ひますが如何です?』

◆証人物語

 陪審官でもこの通りであるから、証人として呼び出されるものの中には、可なり突飛なのがある。
 ある女が、殺人強盗事件の犯人として裁判された。彼女が、ある朝未明にその家を出て、ブルックリンからニューヨークへ渡つたかどうかといふことが最も大切な証拠とされた。ところが証人として呼ばれた一人の女はたしかに彼女を渡(わたし)船の上で見たといつた。そこで被告側の弁護士がその証人に向つて色々訊問すると、その証人のいふには、私は被告人の五歳か六歳の時分即ち三十四五前年(ぜんねん)に見たきりであるが、その鼻の形で間違ひなく彼女であることが知れたといつた。そこで弁護士が、その鼻を見たのですかとたづねると、証人の答が面白い。
『いえ見ませんよ。厚いヴェールをかけて居ましたからね。それに何しろまだ夜明け前で暗かつたものですから。けれど、その鼻の頭がヴェールを突き出して居たもんですから、あの人のうち(※28)の衆の鼻だといふことがはつきりわかつたのです。』
 いや、実に奇抜な証言もあつたもの。
 ニューヨークのある男がホワイトといふ男に短刀で刺し殺された。ホワイトは間もなく逮捕され、警察へ連れられて来たが、シャツに血が一ぱいついて居たので、そのシャツを脱がせて後(のち)の証拠とするやう、書記のモントローズに保管を命じた。
 愈よ裁判となり、検事はモントローズを呼び寄せ、最も大切な証拠として、保管中のシャツを取り出すやう命じた。モントローズは恭しく、持つて居た箱を開き、中からきれいに洗濯して糊をし火のしをかけたシャツを取り出して言つた。 『はつ! この通りシャツを御渡し致します。保管を命ぜられましたときは、随分汚れて居りましてとても皆さまに御目にかけられるやうなもので御座いませぬでしたから、よく洗つて火のしをかけて置きました。どうぞ御受取り下さい。はつ!!』――
 これは少し余談かもしれぬが、弁護士クリントンの関係した事件に、ある黒人の女が大切な証人として呼ばれた。そこでクリントンはその女に向つて、いつ用事が出来るかもしれぬから宛名(アドレス)を下さいといつた。すると黒人はよほど躊躇して居たが、最後に『御届けします』といつた。二三日過ぎ、弁護士の所へ小包が届いて、あけて見ると、中に古着が入つて居た。はじめは誰から来たのかわからなかつたが、やがてはた(※29)と思ひ当つた。その黒人の女は宛名(アドレス)と着物(ドレス)とを間違へたのである。

◆被告物語

 種々雑多の被告の逸話は限りない程沢山ある。先天性犯罪者達はよく判事に向つて皮肉たつぷりな言葉を浴せかけるものであつて、その言葉を記載するだけでも興味あるものが出来上るが、今はその余裕がない。(拙稿『ペルとランドルー』に二人の皮肉な言葉を書いて置いた。)
『無罪』の判決を受ければ誰でも喜ばしくなつて、つい緊張して居た心がゆるむ。裁判の話ではないが、『醒酔笑』にこんな話がある。ある人が所司代へゐざりが釜を盗んだと訴へ出た。然しどうして釜を持ち運んだかゞわからなかつたので、所司代は一策を案じ、そのゐざりを招いて、汝はふびんなものであるから、この釜をとらせるぞといつて、丁度盗まれた位の釜を与へると、ゐざりは大(おほい)に喜んで、その釜を頭にかぶつて出て行つた。これでゐざりの盗んだことがはつきりわかつた。
 ヴァヂニアのある裁判廷で一人の黒人が裁判され、陪審官から無罪の宣告を受けた。するとその黒人は忽ち法廷に膝まづいて、神に対して感謝し、判事検事その他法廷の凡ての人のために御祈りをさゝげた。ところが彼を弁護したセールといふ弁護士だけのためには御祈りしなかつたので、弁護士がその理由をなじると、黒人は答へた。
『セールさん、あなたは私のために神様です。だから、あなたの為に御祈りをする必要はありません。』この黒人、さうした喜びの中(うち)にも、物の道理だけは間違へなかつた。
   *   *   *   *   *
 かうした逸話はまだ沢山あるが予定の紙数を書き尽したから、残りの発表は別の機会に譲らうと思ふ。以上の記述によつて果して私が最初望んだ通りの目的を達したかどうか、頗る怪しいものであるが、若し読者の御気に入らなかつたとしたら、それは私の書き方がわるいのであつて、材料そのものの罪ではなからうと思ふ。(完)

(※1)原文句読点なし。
(※2)原文圏点。
(※3)括弧位置原文ママ。
(※4)(※5)原文括弧なし。
(※6)原文圏点。
(※7)原文句読点なし。
(※8)原文ママ。
(※9)原文の踊り字は「く」。
(※10)原文句読点なし。
(※11)原文ママ。
(※12)(※13)(※14)(※15)原文圏点。
(※16)原文ママ。
(※17)(※18)原文圏点。
(※19)原文の漢字は阜偏に「丙」。
(※20)原文圏点。
(※21)原文の踊り字は「く」。
(※22)原文三文字空白。
(※23)(※24)原文圏点。
(※25)原文の踊り字は「く」。
(※26)原文圏点。
(※27)原文の踊り字は「く」。 (※28)(※29)原文圏点。

底本:『新青年』大正14年1月増刊号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1925(大正14)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2017年10月27日 最終更新:2017年10月27日)