インデックスに戻る

迷信と犯罪

一、迷信の意義

 迷信とは何であるかといへば、誰しも直ちに「誤まつた信念」と答ふるであらう。ところが「誤まつた信念」とは然らばどんなものかと訊ねたら、之に答ふるに多大の困難を感ずるであらう。つい近頃まで吾等はニウトン力学を真実であると信じて居た。然るに今やそれが誤りであつてアインスタインの相対性原理を以て置き換へられねばならぬことゝなつた。これ故現に吾等が正しいと思つて居ることも、実は誤謬であるかもしれない。従つてその知識は、その誤謬を知つて居る人(若しありとすれば)の眼から見れば一の迷信に過ぎないのである。
 西暦一二九二年のことである。中欧の或寺院で、祭壇に供へた餅から鮮血がにじみ出たといふので非常な騒動が持ち上つた。その寺院の僧侶は、これぞ神が世間の不浄を怒り給ふ証拠で、ことに猶太(ユダヤ)人が財貨を私(わたくし)して居るのを咎めたまふのであると判断した。それがために猶太(ユダヤ)人どもは思ひも寄らぬ迫害を被つて(、)(※1)フランクフルトやニユルンベルヒの諸処で凡そ一万人の無辜な猶太(ユダヤ)人が虐殺された。これは「ウイルスナツクの驚異」と伝称されて居るのであるが、その実、餅から血がにじみ出たといふのは、紅色素を産成する一種の細菌が寄生繁殖したのに過ぎないのであつて、一八四八年、エーレンベルクの研究によつて、この細菌は空気中に普(あまね)く存在して居ることが明かにせられ、今は霊異菌と名(なづ)けられて居るのがそれである。
 かくの如く、科学の発達につれて、従来不思議と考へられて居たことの多くが、不思議でなくなつたかの観がある。従つて十九世紀以来迷信の数は著しく減じた。そして科学の進歩と共に益(ますゝゝ)迷信は減ずるであらうと誰しも推察し易い。然し乍ら、「自然的原因に超自然的な結果を期待し、自然的結果に超自然的な原因を求むる」といふ所謂迷信的な人間の性情は、いか程科学が進歩しても、之と並行して減退消失するであらうとは考え難く、これは各自が自分の気持を顧みれば容易にわかるところであり、また現在の世態を眺めても明かに察することが出来る。
 よく考へて見るに、科学は果して世の不思議を悉く取り除いたであらうか。十九世紀の末葉(まつえふ)頃から、そろゝゝ(※2)人々は科学に慊慊(けんゝゝ)の感を懐(いだ)くに至つた。有名な生理学者であつたヂユ・ボア・レーモンも、「認識の極限、世界の七不思議」なる名論文を発表して、筋肉運動の起原や、力の本質などは到底科学の力の及ぶべき処でないことを告白し、フランスの批評家ブリユンチエルも、「科学の破産」を唱へ、そして、かのマーテルリンク一派の近代的神秘主義が頭(かしら)を擡(もた)ぐるに至つたことは人々のよく存知して居る所である。モーリス・ルブランの探偵小説「三十の柩の島」の中で、アルセーヌ・リユパンの変身なるドン・ルイ・ブレンナが、ボヘミアの伝説にある「神石(しんせき)」の不思議は、ラヂウムの現はす不思議な作用に過ぎぬことを人人に説明し「科学は不思議を殺すのではなくして、不思議を浄化するものである」と言つて居るのは誠に味ふべき言葉であらうと思ふ。科学は物の本態とか本質とかを説明するには多くは不適当である。されば時とすると化学者たるものが、早くも科学に見切りをつけて、超自然的な力を考へ、そのものゝ研究に没頭するやうな傾向を持つて来た。コーナン・ドイルの小説「クルームバーの秘密」の最後に大(おほい)に科学を罵つた文句がある。然し科学の力に慊(あきた)らずして科学の存在をも否定せんとする態度は宜しくない。科学は自然界の現象の因果関係を闡明(せんめい)すべき使命を有し、科学者たるものは飽くまで科学的な態度を保持すべきである。(が、此処では委しくその議論をするのが目的ではない。)
 コーナン・ドイルと言へば、彼は近頃スピリチユアリズムに没頭して居る。物理学者のオリヴアー・ロツヂの如きも同様なる研究者の一人である。ことに欧洲戦争中からその以後にかけて、スピリチユアリズムは非常な勢(いきほひ)で欧米各国に拡がつた。これは一口にいへば死んだものと霊魂と生存者とが媒介者(メヂアム)を通じて交通会話することである。コーナン・ドイルの言ふ所によると、スピリチユアリズムはその濫觴をスウエデンボルグ及びメスメルに発し、それから、アンドリウ・ジヤクソン・デーヴイスといふ幼い時、少しも教育されずして、宇宙に関する深遠な論説を書いた男に至る迄の時期が準備期であつて、始めて一八四八年アメリカ紐育(ニユーヨーク)州ロチエスターの近くの田舎に住んだフオツクスといふ家のケートといふ娘を霊(スピリツト)が媒介者(メヂアム)として選んだといふのである。現今欧米にはかゝる婦人の媒介者(メヂアム)が沢山居て、死者と会話がしたい時など、これを中介すればよいといふのであるが(、)(※3)時折小説などには、如何がはしい媒介者(メヂアム)が、戦争で最愛の良人(をつと)を失つた寡婦を欺いて多くの金員を寄附せしめ、夜分、死者の声色を使つて話しをして居る最中、死んだと思つた実の良人(をつと)が飃然(へうぜん)帰宅したといふやうなことが書かれたが、事実に於ても、かやうな詐偽(さぎ)が屡(しばゝゝ)行はれたらしい。スピリチユアリズムが果して可能であるや否やは勿論知るに由なく、恰も幽霊は果して存在するか否かを論ずると等しく、通常水かけ論に終るが、(※4)所謂迷信」として決して差支ないものであらう。
 かうした訳で、迷信の性質こそ変るが、迷信は、到底、将来に於てもまたその影を絶つものではあるまい。それと同時に前記の如く迷信を種に色々な犯罪が行はるゝことは察するに難くない。それ故私はこゝに従来行はれた著しい迷信的犯罪に就て記述し、迷信と犯罪との関係を考察して見たいと思ふのである。

二、犯罪者と迷信

 犯罪者ことに常習犯罪者は多くは迷信家であることは従来の多くの犯罪学者の研究によつて明かにせられた所である。中央インドのある土匪団は襲撃に出発する際、地上に酒を注いで吉祥を祈り、若し一行のうち誰かゞ嚔(くさめ)するときは、悪い兆候として出発を見合せ、豺(やまいぬ)の声を聞くときは喜び勇むが、葬式に逢つたり、蛇を見たりすると、途中から引き返すのである。又盗賊どもがその犯行を人に知られないやうにするための禁厭(まじなひ)は日本でも外国でも色々あり、英、独、仏等では、死人の手の中に蝋燭を匿(かく)して持つて行けば見つかることはないと言はれ、又人体の脂肪で作つた蝋燭も同じ力があると信ぜられて居る。一八六五年の正月の夜、西部プロシアのエルビングの近傍に住んだベツクなる者の家に強盗が闖入し、金品を強奪して、その罪の発覚を防ぐため、その家(うち)の下婢を殺害した。翌朝警官が来て屍体を検査すると、意外にもその腹部から、大きな肉片が抉り取られて居ることがわかつた。翌月中旬ダリアンといふものが、ある窃盗の現行犯で捕へられたが、警官がその所持品を調べると、ブリキ鑵内に見馴れぬ蝋燭が入れてあるのを発見し、後、家宅捜索するとベツクの盗まれた品が出たので、彼は遂に自白したが、その筋肉は、下女を棍棒にて殴り殺してから抉り取つたもので、その筋肉に附着して居た脂肪を溶解し、それを以て前記の蝋燭を作つたのであると説明した。英国に於ては、窃盗を職とするものが屡(しばゝゝ)ポケツトの中に石炭の小片を入れたり、白墨(チヨウク)の一片や蹄鉄を携へたりして、好運を期待するさうである。日本では同じ目的に、脱糞して之を盥にて蔽ふ風習がある。
 フエリーはイタリーの殺人者二百人に就て調べたところ、神の不存在を公言したものは僅かに一人であつた。ネープルス市は最も殺人犯の多い土地で、二十年前の統計に依るも人口十万人に付て十六人の多数であつたが、而も欧洲中最も宗教の盛(さかん)な市(まち)である。ボヘミアの殺人者はその犯罪当時に着用した襯衣(シヤツ)を破棄せば、神の赦免を得ると信じ、独逸(ドイツ)の殺人者は同じ目的のために犯行の場所に脱糞すればよいと信じて居る。三十四人を殺害したミランの有名な殺人者は毎日死者のために供養した。ある犯人は礼拝堂を建設するの資を得んがために窃盗を行ひ、その後も修飾の費用を得んとして窃盗を続けた。又ある犯人はその情婦を絞殺した後(のち)その供養の資を得んがために窃盗を働いた。
 野蛮人が宗教的、迷信的な動機に依(よつ)て殺人その他の犯罪を行ふことは周知の事実である。中央アフリカに於ては、宗教上祖先の霊魂は流血を好むとの説を迷信したためにその子孫は可及的多量の血液を供へた。昔の希臘(ギリシヤ)人は暴風を鎮静するために小児を犠牲とした。尤も野蛮人の観察点から見れば、真の犯罪は其の数甚だ少く、彼等の犯罪と称するものは主として、彼等の間に定め伝へられた風習に違背することを言ふのであつて、ことに宗教上の習慣で神聖と看做された事柄に違背するとき、直ちに犯罪を構成するのである。オセアニアに於ては、酋長の身体に触れたものは犯罪者とした。又妻が良人(をつと)の頭(かしら)に手を触るゝが如きも一の犯罪と見做した。月経期の女子を不浄と考へることは何れの国にも行はれた迷信であるが、あるオセアニアの土人は自分の細君が月経期に、自分の毛布を使用した故を以て直ちに之を殺し、自身も恐怖のあまり二週間後に悶死した。
 かくの如く犯罪と迷信とは古来密接の関係を有するものであつて、文明諸国に於ても迷信に基く犯罪は依然として多く行はれて居る。而して迷信に関する犯罪は之を二様に区別することが出来、その一は迷信の結果行ふ犯罪であり、その二は他人の迷信を利用した犯罪である。今左(さ)にその各(おのゝゝ)に就て説明しよう。

三、迷信に基く犯罪

 科学の歴史を繙(ひもと)くと、むかし優れたる科学者は何れも魔法使ひとして、無智な民衆から虞(おそ)るべき迫害を蒙つたものである。アルベルツス・マグヌスが一寸した発声器を製造して有名なトーマス・アキナスに示すと、アキナスは驚き怖れて忽ちその場でそれを打ち毀した。コルネリウス・アグリツパは今では小学児童ですらやり得るやうな実験を行つたために、人々の迫害を蒙り、大なる財産を捨てゝ其の生地を遁(のが)れねばならなかつた。人々は、彼は悪魔と交通して居るのだと考へて彼が道を歩くときなどは戸を閉めて彼を見ないやうにした(。)(※5)エヂソンが若し西洋中世に生れて蓄音器でも発明しようものなら、迚も七十歳以上まで生きて居ることは出来なかつたであらう。
 悪魔や幽鬼がこの世に存在して人々に色々の害を与ふるものであるといふ迷信は東西を通じて一般に人々の脳裡に沁み込んで居た。ことにかの急性伝染病の如きは所謂疫鬼の仕業と考へられた。それと同時に、人々は、この悪魔はある一定の人間を介して人間又は動物に害を与ふるものであると考へたのであつて、この悪魔と親しんで居る人間、所謂魔法使ひを非常に怖れ嫌ひ、従つて、この魔法使ひに向つて危害を加へんとする犯罪的行為が頻繁に起つたのである。前の科学者を迫害した如きその一例である。又人々はこの魔法使ひの魅力ことにその凝視を避けむために護符(アシユレツト)を身に附けた。指輪の如きも西洋では古くからこの目的に使用された。
 凝視は最も人類の怖れたものである。希臘(ギリシヤ)神話の中にも、ゴーゴンに凝視されると化して石となると伝へられて居る。蛇を人類が怖れるのも、その眼の魅力が有力なる原因であらう。オーヴイツドはその作「アモーレス」の中に魔法使ひの女ヂペアが二重眸(にぢうひとみ)であることを書いて居る。豊太閤も二重眸であつたと伝へられて居るから、彼の眼の鋭かつたことを察するに足る。昔から日本でも特種の人や動物に睨まれて病気になつた例は数多い。岡本綺堂氏の著「半七聞書帳」の中にもある甘酒売の婆さんに睨まれたものが皆蛇の動くやうな挙動をする病気になつた旨が記されてある。狐を嫌つたのも狐の眼の魅力を怖れたためであらう。日本には古くから狐を使ふ妖術者なる飯綱(いづな)つかひなるものがあつた。何れも迷信的のものである。欧洲ではそれ故人々は眼付の鋭いものを魔法使ひと考へ、之を忌み嫌つたのである。
 既に希臘(ギリシヤ)神話の中にも妖婆サーシーが魔法を使ふことが書かれてある如く、魔法使ひは多くは女であつた。十六世紀頃にこの妖婆の迷信は甚だ盛(さかん)であり、沙翁(さをう)の劇詩(ドラマ)の中にも度々出て来る。就中著しいのは「マクベス」の中の三人の妖婆姉妹である。今でこそ劇中に妖婆が出てくるのは少し不自然に見えるが、当時の観衆にとりては少しも奇怪ではなかつたであらう。サー・トーマス・ブラウンの如き有名な医学者ですら、法廷で魔法(ウイツチクラフト)の存在を肯定して居る。それは一六六五年英国ロウストフトの二人の女が自分達と喧嘩した者の子供に魔法を使つて苦しめたといふので裁判となり、その鑑定にトーマス・ブラウンが呼ばれて、彼女等は如何にも魔法を使つたに違ひないと断言したのである。その時の裁判官サー・マシウ・ヘールもそれを信じて宣告を下した。かやうな訳であるから、一般人民が魔法を信じたのも無理はないのである。
 オルレアンの少女ジヤンヌ・ダルクも、彼女が救つたフランス人から、無情にも魔法使ひであるとして焼かれた。同様にして人々から魔法使ひと見做されたものは多くは焚殺された。独逸(ドイツ)では一七五六年ランヅフートの妖婆の焚殺されたのが妖婆焚殺の最後であると謂はれて居る。人々は焚殺によりてのみ、悪魔との交通が絶たれると思つたからである。
 妖婆の魅力を避けるために護符(アムレツト)が用ひられたことは前に述べたが、(伊太利(イタリー)ではかゝる目的に捩れた珊瑚を懸け、回教徒は「フアトメの手」と称する、宝石類又は貴金属で作られた装飾品を携へる風習がある。フアトメとはモハメツドの妹の名である。)「護符(アムレツト)」以外に、妖婆の魅力を避ける方法として、妖婆の身体から血を流せばよいといふ迷信がある。これがまた屡(しばゝゝ)人々を犯罪に導いたのである。一八七〇年英国デヴオンシアのバーンステープルで八十歳になる老翁(らうをう)が若い娘の腕を針で傷(きずつ)けた廉(かど)を以て罰金を科せられた。翁(をう)の陳述に依ると、彼は五年間彼女の魔法にかゝり、その間に十四疋のカナリアと五十疋の「かはらひわ」を失つたので、隣人の勧めによつて、彼女の魔法を避けるために傷(きずつ)けたのであると述べた。その頃英国コーンウオールにも同様な犯罪が行はれた。
 妖婆と同じやうな起原を有する迷信は、欧洲地方に於ける吸血鬼(ヴアムピール)の迷信である。これもある特種な人間をヴアムピールと見做して怖れ忌むのである。ウアムピールとは人間の生血(いきち)を吸ふものであつて、若しかゝる特種の人が死んで埋葬されると、夜な夜なその霊魂が墓から抜け出して来て、他人の血を吸ひに出るものと考へられ、之を防ぐにはその屍骸の頭(かしら)に大きな釘か又は杭を打ち込めばよいと信ぜられた。シレジアの有史以前の墳墓の中に、嘗て大きな鉄の釘が貫かれてある頭蓋骨が発見された所を見ると、この迷信は余程古くから存在したものと見える(※6)露国文豪ツルゲニエフはこの迷信を材料として長い小説を書き上げた。
 医学に関する迷信もまた屡(しばゝゝ)犯罪を生ぜしめた。人間の生血(いきち)が万病に効ありとの迷信は屡(しばゝゝ)癲癇患者の如きをして殺人罪を行はしめた。母胎内にある子供の心臓を食すれば、超自然力を得、空中をも自由に飛ぶことが出来、罪を犯しても罰せらるゝことがないといふ迷信は、屡(しばゝゝ)妊婦の殺人となつた。一八七九年ハムブルクの近郊に住んだ瑞典(スエーデン)の一婦人アンデルセンなるものが、妊娠の末期にこの迷信の犠牲となり、その翌年の終りにも同様な犯罪が行はれた。「今昔物語」の中にこんな話がある。平貞盛が、悪性の瘡(かさ)に罹つて、医師から男の胎児を服用すればよいと聞き、我が子の維衡(これひら)を呼んで、その妻が妊娠せるを幸ひに之から胎児を得むことを求めた。維衡は表て向き承知して医師に逢ひ、その妻を助ける方法は無いかといふと、医師は、貞盛に血縁ある胎児では効が無い旨を語つた。そこで飯焚き女が懐妊して居たのに眼をつけ、その腹を開いて見ると女の児であつたので之を捨て、更に他から胎児を得た。又日本では人間の生胆(いきぎも)が諸病に効験ありといふ迷信が古くから行はれ、旧幕時代には刑屍(けいし)の胆嚢を取つて密売したものがあるが、明治三十九年馬場某は一婦人を殺して生胆(いきぎも)を取り、第三回の兇行の際目的を達せずして捕へられ、長野地方裁判所で死刑を宣告された。かの野口某の臀肉(でんにく)切取り事件も、その真相は充分明かにせられなかつたが、人肉ソツプが癩病を治療するといふ迷信と関係したものであらうと推察せられて居る。欧洲に於いては花柳病が長引いて全治し難いときは、処女ことに少女を姦して之に伝染せしむれば治ほるといふ民俗的迷信があり、それがため少女の強姦が驚くべく屡(しばゝゝ)行はれたのである。
 自分の憎むものを害せんがため、直接行動に出でずして、間接にその目的を達せんとする迷信は古来何れの国にもあり(、)(※7)日本では所謂「丑の時参り」といふのが屡(しばゝゝ)行はれた。これは藁人形を以て己が害せんとするものに見立て、白装束に一本歯の足駄を穿ち、頭に蝋燭を立てゝ、深夜二時頃、その人形を携へて神社の森に行き、之を古木に釘附けにし、毎夜その人形に釘を打ち込むと、七日目に当の人は死ぬといふ迷信である。この丑の時参りは、殊に執念深い女によつて行はれた。太平記には、「嵯峨天皇の御宇に、ある公卿(くげ)の娘、あまりに嫉妬深くして、貴船(きふね)の社に詣でつゝ、七日籠りて申すやう、帰命頂礼貴船大明神(きめうてうらいきふねだいみやうじん)、願(ねがは)くは七日籠りたるしるしには、我を生き乍ら鬼神になしてたび給へ、ねたましと思ひつる女とり殺さんとぞ祈りける云々」とある。文政の頃切支丹お蝶が、自分を振り捨てた寺小姓を呪ふために、谷中の一本杉の洞(うつろ)の中に若衆姿の藁人形を、釘の代りにその頃流行した銀の手打ちの釵(さい)を人々から掏摸取つて打込んだ話は有名である。お蝶はその頃両国広小路の垢離場(こりば)に出て、籠抜けの秘術を見せて居たが、その釵(さい)の掏摸方は実に早業で、随分世間の騒ぎとなつた。これなどは迷信による犯罪といふよりも、ヒステリー性の女性の「モノメニア」(一事狂)に依る犯罪と考へた方が適当であらう。然し迷信と多少の関係があるから此処に記載した。
 話は少し傍道(わきみち)に入るかもしれぬが、欧洲に太古から専ら行はれた迷信で、「殺された屍体に、犯人が近づくと、傷口から新らしく血が流れ出す」といふことを茲に記して置かう。「人を殺せば必ずわかる」といふ諺があるけれど、探偵術の発達しなかつた時代では、人々はこんな迷信によつて慰めたのであらう。従つてこれが為に無辜な人がとんでもない、冤罪を蒙ることが屡(しばゝゝ)であつた。沙翁(さをう)もその作「リチヤード三世」の中にアンヌ夫人をしてこの迷信を語らしめて居るが、一六六八年、エヂンバーの法廷では、これが殺人犯の有力なる証拠として採用された。ローマの文豪ヴアージルの作「エネイド」の中には、ある樹木が、エネアスに、ポリドルスの殺人の秘密を告げたことが書かれてあるが、かくの如く、(※8)迷信的の事情で殺人の秘密が明かにせらるゝことは古い西洋文学に屡(しばゝゝ)出て来る所である。現今に於ては科学的に屍体の血液から殺人の秘密をある程度迄知り得ることは拙稿「血液の秘密」の中に述べた所であるが、かうして「迷信が浄化」せられて行くところに科学の面白味があるのである。
 次に、自己の妄想又は誇大妄想から、また屡(しばゝゝ)恐ろしい犯罪が行はれるものである。一般人民が天災等のため危難に迫つたやうな場合、この危急を救ふは自分より外にないと妄信して、富豪の財貨を奪つて貧民に施すといふ所謂「義賊」なるものも、一種の誤まつた信念から行はれる犯罪と見做すべきであらう。(勿論中には自分の芸術(?)を誇るために行ふものもあるが)。ドストエフスキーの小説「罪と罰」の中にはラスコルニコフといふ大学生が、世を毒するものを殺すのは差支ないと盲信して、金貸しの老婆とその妹を殺すことが描かれてある。「義賊ラツフルス」を書いて有名なホーナングの小説「写真魔(カメラ・フイーンド)」の中には、ある男が、人間の死ぬ瞬間に霊魂が昇天するに違ひないと盲信し、その昇天の光景を写真に撮影せむため、特別な写真装置によつて、度々殺人を行ふことが描かれてある。作者ホーナングの夫人がコーナン・ドイルの従妹であり、ドイルは前述の如くスピリチユアリズムの信者であるから、ホーナングはこんなことを思ひ附いたのかもしれない。スピリチユアリズムに依ると、ある場合に亡き者の姿が立派に写真に撮影し得るといふのである。この小説では結局、霊魂撮影は不成功に終つて、その男が自殺することになつて居る。
 日蓮が佐渡に流された時、自己の経歴を顧み、それが観持品(くわんぢほん)の偈(げ)に書かれたる釈尊の予言に一致することを悟つて、自身こそ上行(じやうぎやう)菩薩であるといふ信念に達した如く、他人の予言によつて一種の妄想を得、(尤も日蓮の如き偉大な人物は別として)之に従つて恐るべき犯罪を行ふやうな場合が往々ある。沙翁(さをう)の作「マクベス」の中には、マクベスが、「汝、王たるべし」といつた妖婆の予言を信じ、スコツトランド王を殺して王位を奪ふことが描かれてある。又、この種の迷信的犯罪を尤も巧みに取り扱つた探偵小説は、前に一寸述べたルブランの「三十の柩の島」であらう。これは、人を活殺自在にするといふボヘミアの「神石(しんせき)」が、むかしフランスの近海のサンツク島に持ち来(きた)られたのを、十五世紀の半頃(なかば)トーマスといふ探検家がこの島に捜索に来て之を発見することが出来ず、ある予言を書き残して置くと、その予言を妄信して、欧洲戦争中、独逸(ドイツ)(だね)のヴオルスキといふ悪漢が島の住人を鏖(みなごろし)にして、「神石(しんせき)」を奪はうとする物語である。この物語にはルブランの反独熱が相当濃厚に現はれて居るが、兎に角面白い小説である。結局、ヴオルスキの計画は、ドン・ルイ・ブレンナのために看破され、「神石(しんせき)」はブレンナの手に移るのである。
 その他、占い者の言を迷信して胎児を殺したり、天災等に際して神の心を鎮むるため一定の人を殺したり、或は人身御供などの宗教的迷信に就ても書くべきことは多いが、あまり長くなるから省略する。
 かくの如く人間の無智から生ずる迷信的犯罪は、人智が発達すると共に追々少くなることは論を俟(ま)たぬ。之に反して次に記すが如き人間の迷信的性情に乗ずる犯罪はその内容こそ時代によつて変化しても、長くその跡を絶つに至らぬであらう。

四、他人の迷信を利用した犯罪

 数年前(ぜん)ロマノフ王家の滅亡する前に、宮廷に喰ひ入つて、勝手次第な我儘を振舞つた妖僧ラスプチンが、迷信深いロシアの上流の女を擒(とりこ)にして、多くの「聖妻(せいさい)」を作つたことは有名な話である。彼は女どもに、自分の肉体に触れゝば神の如く浄められるといふ旨を語つて、手当り次第に姦淫を縦(ほしい)まゝにした。宗教を種のかうした犯罪は、古来何れの国に於ても僧侶の手によつて屡(しばゝゝ)行はれたものであつて、かの英仏の過去に於て医学が僧侶の手に収められた所謂僧侶医学(ドルイド・メヂシン)の盛(さかん)な時代にありては、僧侶は、不妊の女を治療してやると称して、子を産ませたりなどした。現今に於てもかゝる犯罪は絶えないやうである。なる程、アナトール・フランスが書いたやうに(、)(※9)「ナザレから来たイエス? はてな、何だか聞いたやうな名だが、どうも思ひ出せぬ」と言つたやうな連中も殖えては来たが、現に欧米に於てはスピリチユアリズムや、クリスチアン・サイエンスなどが勃興し来り、日本でも大本教などが起つた所を見ると、宗教に避難所を求めむとする傾向は、如何に科学が進歩しても消えるものではないらしい。一方に於て(、)(※10)既に述べた如く科学者始め科学に慊(あきた)らぬ感情を懐くやうになり、禁厭(まじなひ)とか祈祷とかゞ新しい意味に於て復活しようとして居る。従つてまた之に伴つて犯罪が行はれる。クリスチアンサイエンスもやはり祈祷に依(よつ)て万病を治療するものであるが(、)(※11)英国あたりでは、之を行ふものが、とんでもない犯罪を働いて屡(しばゝゝ)検挙されて居る。大岡政談の中に次のやうな話がある。享保の頃深川に源蔵といふ家賃の取り立ての厳しい家主があつた。その長屋に市兵衛といふ羅宇の挿替(すげかへ)を渡世とし、日夜念仏を唱へて、甚だ信仰の厚い老人があつた。この老人がある時夢に、阿弥陀如来が現はれて、「自分は家主の家の竈の下に埋(うづ)められて居るから、出してほしい」と語られた旨を見た。この事を附近の人々に告げると、人々は老人の日頃の信念振りを知つて正夢と思ひ、再三家主に交渉して遂に竈の下を掘つた所、果して小さい木彫(きぼり)の仏像が出た。そこで市兵衛は仏像を我家に安置したが、之を聞き伝へて遠近から善男善女が集(あつま)つて、供物(そなへもの)は山をなし、長屋は終日雑沓した。家主の源蔵は之の有様に憤慨し直様(すぐさま)立退きを命じたが、市兵衛始め隣人どもが承知せず、遂に大岡越前守(えちぜんのかみ)の裁判を仰ぐに至つた。越前守(えちぜんのかみ)はその木彫(きぼり)の仏像を専門家に鑑定せしむると、上方(かみがた)の作なることがわかり、市兵衛の江戸在住の年月(としつき)に関する陳述に怪しい所があつたので、段々問ひ詰めると、市兵衛は遂に自白した。それに依ると、彼は十数年前(ぜん)源蔵が家を建つる際人夫として雇はれ、その時、ひそかに仏像を埋(うづ)めて置き、老後の安楽なる生活を図らんとしたのである。
 かくの如く信仰上の奇蹟を人造すると同時に、科学を応用して、無智の人々を驚かし、犯罪の行はれる場合が屡(しばゝゝ)ある。日本が昔の鏡などもこの目的に使用された。試みにあの金属製の鏡に日光を当てゝ壁などに反射せしめて見ると、何も見えない鏡面から、裏面にある絵模様が反射されて現はれる。今試みにその裏面に石片などにて文字を傷(きずつ)け書くと、その文字が壁面に反射され、而も鏡面には見た所何の変化もない。これは金属の物理的性質の然らしむる所であるが、以前は屡(しばゝゝ)これを種に、人々の願ひ事の叶ふか否かを、鏡の裏に書き、奇蹟として之を示し、金品を奪ふやうな犯罪が行はれた。その他欧洲でも化学や物理の知見を応用して無知の人々を迷はした例は数多い。羽鳥翁(はとりをう)の万有還銀説は、助手の詐欺であつたといふことが早くわかつて仕合せであつたが、往年日本を騒がせた千里眼もどうやら手品であつたらしい。
 他人の迷信を利用した犯罪の内最も著しいものは幽霊、(又は化物(ばけもの))を応用した犯罪である。古来幽霊の迷信の存在せぬ国はなく、現今に於ても随分盛んである。ある人は確かに「この眼で見た」といひ、あるものはそんなものは無いといふ。人間の眼で見たといふことは決して客観的存在を立証するものではないが、ロンブロゾーの如き学者も「死後如何(いかん)」の中に、多数の学者が、一巫女を実験して、亡霊の現はれることを是認したことが書かれてある。然し、幽霊の有無は別として、幽霊に関する信仰の存在は事実であり、科学的に幽霊が立証し得ざる限り之を迷信と呼んで差支ないとしよう。昔から幽霊が文学的作物に出ることは極めて夥しく殆んど枚挙に遑(いとま)がない。沙翁(さをう)の「ハムレツト」の中では幽霊が殺人の秘密を語つて居る。上田秋成(あきなり)の「雨月物語」の「菊花の契(ちぎり)」では赤穴宗右衛門が会合の約束の日限に違はないために自殺して幽霊となり、訪ね来(きた)つて約を果して居る。その他浄瑠璃や稗史小説などには幽霊がザラに出て来て、読者のよく承知して居らるゝ所である。大岡政談の中には「幽霊裁判」といふのがある。志村某といふ播州生れの男が青雲の志を抱いて江戸に来り医業を営むで追々繁昌したが、愈(いよゝゝ)一軒買つて堂々とした玄関を張ると間もなく病死した。ところがその後(、)(※12)その家に入つたものは一月も居ないうちに出て了ひ、遂に前田某といふ医師が買ひ取つて住んだとき、ある夜自分と細君が幽霊を見たため、売主に元値で引き取つて貰ふやう交渉すると売主は肯(がへん)ぜずして裁判沙汰となつたのである。遂には、大岡越前守(えちぜんのかみ)がその家を臨検して志村の幽霊に説諭したので、再び出なくなつて事件は円満に解決したが、裁判官が幽霊を取り扱ふなどは、前記のマシウ・ヘールが、悪魔を取り扱つたと対照して面白い。
 幽霊又は化物(ばけもの)を種に使つて犯罪を行ふこともまた甚だ多く(、)(※13)ことに探偵小説にはこの種の犯罪が屡(しばゝゝ)取り扱はれてある。コーナン・ドイルの「バスカアヴイルの犬」では、ある貴族の家に伝へられて居る黒犬(悪魔の化けた)の伝説を使つて、血族の一人が、大きな犬に燐を塗つて、それを貴族に示し、貴族の家(うち)の者を殺して、後を相続しようと企てることが書かれてあり、フリーマンの短篇小説の一つに、ある青年迷信家の財産を横領せんため、親戚の一人と知己の一人とが相謀(あいはか)つて、支那官人(マンダリン)の伝説に従つて、支那人に扮装し、鏡の反射作用を応用して幽霊と見せかけ、その青年を自殺せしむる物語がある。フアーガス・ヒユームの「影の秘密」では、エーンスレーといふ男が、二十歳も年上の細君と結婚してある由緒ある家に住ひ、その家に宣教師の幽霊が出るといふ伝説を応用して、その心臓の悪い細君を亡きものにせんため、愛人なる女優に宣教師服を借りて、ある夜幽霊となつて細君の前に出現したところ、案外細君が平気で居たため、その場で細君を絞殺することが書かれてあり、エドワード・レオナードの小説では、ニユー・イングランドのある村に幽霊が出るといふ噂の家があつて、その家に住ふものは幽霊のために殺されるといふ伝説があるのを利用して、ある男が、近くその家に引き越して来た女の金を奪はむために、之を殺して幽霊のなした仕業と見せかける物語が書かれてある。
 かくの如く犯行を晦(くら)まさむために迷信を利用することも屡(しばゝゝ)行はれた犯罪である。半七の捕物の中にこんな話がある。水木歌女寿(みづきかめじゆ)といふ女が、養女を虐待して死に至らしめてから程なく、蛇に頸を巻かれて殺された。人々は、てつきり養女歌女代(かめよ)の妄執が蛇となつて讐(かたき)を取つたのであると信じて疑はなかたつた(※14)。ところが半七ばかりは此迷信に迷はされず、其処に何か深い魂胆があるだらうと睨んで、先づ死人の頸に巻き附いて居る蛇を調べたが、如何にも温和な蛇であるので、懐紙を出して試みにその頭に触れると蛇は忽ち首をすくめた。彼は直ちに池鯉鮒(ちりふ)の御札売の使用する蛇であることを知つて(、)(※15)本所の安泊りを調べて、一人のお札売を捜し当てたが、それは加害者でなくして、その蛇を盗まれた当人であつた。後、偶然の機会からその蛇泥棒を捕へると、果して真の加害者であつた。その男はもと上野山内の僧侶であつたが、歌女寿の色香に迷つて還俗し、後(のち)女に捨てられたのを遺恨に思ひ、女が養女を虐め殺した噂に乗じて、執念の蛇の迷信を応用して彼女を絞殺し、その盗み取つた蛇を頸に巻いて置いたのであつて、お札売によく馴らされて居た蛇はいつまでも神妙に頸から離れなかつた訳である。
 日本ではかくの如く女が死んで蛇に化す迷信があるが、エヂプトではイジスの神に仕ふる尼僧が生き乍ら自由に甲虫(かぶとむし)に変化するてふ迷信がある。この迷信を題材として作つたのが(、)(※16)リチヤード・マーシの探偵小説「甲虫(ビーツル)」である。これはある埃及(エヂプト)人が、英国の大政治家ポール・レツシンガムの秘蔵の書類を盗まんとし、一人の宿無し男に催眠術を施して、レツシンガムが青年時代に埃及(エヂプト)で例の尼僧の感化を受けたところから、甲虫(ビーツル)のことを話して彼を威嚇し、後彼の許嫁(いひなづけ)の女を奪ひ去らむとする物語である。この外なほ迷信に関する犯罪に就て色々書くべきことは多いが、一先づ之で止める。要するにこの種の犯罪は、人間に迷信的な弱点の存する限り、文明の世界からも、永くその跡を絶たぬであらう。

(※1)原文句読点なし。
(※2)原文の踊り字は「く」。
(※3)原文句読点なし。
(※4)括弧位置原文ママ。
(※5)原文句読点なし。
(※6)句読点原文ママ。
(※7)原文句読点なし。
(※8)括弧原文ママ。閉じ括弧なし。
(※9)(※10)(※11)(※12)(※13)原文句読点なし。
(※14)原文ママ。
(※15)(※16)原文句読点なし。

底本:『新青年』大正12年2月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1923(大正12)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2017年10月13日 最終更新:2017年10月13日)