試(こゝろみ)にリツトン卿の作「ポムペイ最後の日」を翻(ひもと)いて見る。其処には盲目の少女ニジアの遣瀬ない恋と、イジスの祠に仕ふる神官の毒々しい奸計とが艶麗の筆もて、名残なく描かれて居る。グローカスといふ青年紳士の女奴隷として雇はれたニジアは、グローカスにアイオンといふ美はしい恋人があるに拘はらず、秘かにグローカスを慕つて居る。一日ポムペイ市のある富豪の令嬢に逢ふと、これもグローカスに恋して居る令嬢は、ニジアがテウサリー生れの女であるからグローカスをアイオンから奪ふために惚れ薬の調合を頼むと、ニジアもこれを使用したいと思つて居る矢先であるが、自分は薬のことを知らぬからイジスの神官ならば、その調合を知つて居るだらうと答へた。令嬢は直ちに神官の許に行く。神官は令嬢を伴つてヴエスヴイオの洞穴(ほらあな)に住む巫女の許に案内し、予て巫女に意を含めて置いて、惚れ薬の代りに発狂薬を調合せしめた。何となれば、神官はアイオンに恋して居たがためグローカスを無きものにせんと思つたからである。かくて、令嬢がそれを貰つて帰ると、ニジアは或る夜令嬢の熟睡して居るとき、ひそかにその惚れ薬を盗み出し(、)(※1)手づからグローカスに与へた。すると、豈図らむグローカスは其場(そのば)から発狂して、遂にアイオンの兄を殺す。其処を通りかゝつた神官がグローカスを捕へて監禁し遂にグローカスは死罪に処せられんとする………………。が、凡て波瀾はヴエスヴイオ火山の噴火によつて、ポムペイ市と共に灰の中に埋まつて了ふ。…………因(ちなみ)に希臘(ギリシヤ)のテツサリー地方は昔から巫女で名高い所であつて、その国の女はみな魔術を使ひ、誰でも一種や二種の魔薬の調合は知つて居たがため、ニジアも富豪の令嬢から、尋ねられた訳である。
毒と文学! 遠くはホーマーの二大詩篇から、現今の文学に到るまで、毒が現はるゝ西洋の文学は極めて多く、茲には到底一々それ等を紹介することは出来ない。否、この篇の目的とする所は、寧ろ文学的作物からして毒の作用其他を考察し、以て毒の知見を補はうとする所にあるのである。
毒を取り扱つた文学は凡そ三種に分(わか)つことが出来る。第一には毒の作用を如実に、科学的に記載したもの、第二には迷信又は伝説によつて毒を記載したもの、第三には作者が純然たる想像によつて拵らへた毒を記載したものが是である。(勿論、探偵小説以外の文学に就て言ふのである)今左(さ)に順次に、例証に依つてこれ等を記述して見ようと思ふ。
毒の作用は科学書を繙けば何処にでも書いてある筈であるが、文豪の記載には到底科学書の及び得ざる妙味と詳細とが描写されてあるもので、科学者は文学的作品により訓(おし)へられることの多いものである。左(さ)に砒素と阿片の作用に就て文豪の言ふ所を聞かうと思ふ。
砒素の作用に就ては仏国文豪フローベルの小説「ボワ゛リー夫人」を挙げなければならぬ。自然派の巨匠フローベルの小説の書き方は、読者の熟知せらるゝが如く、如何にも、「科学的」であつた。彼が、カルタゴの三世紀頃のことを書いた「サラムボオ」を作るときなどは幾百巻の書物を渉猟して、往昔の風俗習慣を調べ、特にそのためチユニスへまでも出掛けて行つて、遺跡を実見した程であつて、「ボワ゛リー夫人」の中で、エムマ・ボワ゛リーが、砒素を嚥んで中毒症状を発する所は実に巧みに描かれてある。たしかこれを書くときフローベル自身も、嘔吐に苦しんだと言はれて居る。この小説はエムマといふ浪漫的(ローマンテイツ)な教育を尼寺で受けた百姓娘が、ボワ゛リーといふ医師に嫁してから、娘時代に憧憬して居た恋の幻影(まぼろし)は、良人(りやうじん)の平凡な性格のために破壊されて了ひ、寂しさのあまり、誘惑にかゝつて一二の情夫を作り、段々堕落の深みに陥つて、借金のために悲境に沈み、遂に砒素を嚥んで自殺することを書いたものである。――
彼女は水を一口飲んで壁の方へ向いた。
墨汁(アンクル)のおそろしい味が続いてゐた。
『咽喉(のど)が渇く! オヽ! ひどく渇く!』と彼女は歎息した。
『まあ何うしたんだ』とシヤルルがコツプを彼女に差出し乍ら言つた。
『なんでもないの!……窓を開けて……息苦しい!』
そして彼女は枕もとのハンケチを掴む間も無い程、急に嘔気(はきけ)を催した。
『あれを取つて!』と彼女は早口で言つた。『投げて!』
彼は彼女に訊ねた。彼女は答へなかつた。彼女はちよつと動いても吐出しはすまいかと恐れて、ぢつとしてゐた。さうする間(うち)にも、彼女は足から心臓までのぼつて来る氷の冷さを覚えた。
『アヽ! ソラあれが始まる!』と彼女は呟いた。
『何を言ふんだ?』
彼女は苦悶に満ちた、たゆげな様で、頭をごろゝゝ(※2)動かして、何か非常に重い物が舌の上に載つてでもゐるかのやうに絶えず顎骨(あぎと)を開けてゐた。八時に嘔気(はきけ)がまた起つた。
シヤルルは金盥の底のチヤンの内側に白い砂利のやうな物の附いてゐるのを見咎めた。
『こりや大変だ! こりや不思議だ!』と彼は繰返した。
しかし彼女は強い調子で言つた。
『いゝえ、さうぢやありませんよ!』
すると、そつと、ほとんど撫でるばかりに、彼は彼女の胃部へ手を当てた。彼女は鋭い叫びを発した。彼はびつくりして後退(あとじさ)つた。
やがて彼女は、まづよわゝゝ(※3)しく吐息しはじめた。大きな戦慄が彼女の肩を震(ゆす)ると、彼女は痙攣した指が埋まつてゐる敷布よりも青白くなつた。その不規則な脈搏は今はほとんど解らなかつた。
汗は彼女の青い顔ににじんで居た。その顔は金属性の蒸気の発散する中で凍りでもしたかに見えた。歯はカチヽヽ(※4)鳴り(、)(※5)大きくなつた眼(まなこ)はボンヤリとあたりを見廻してゐて、何と訊ねても彼女はたゞ頭を振るだけであつた。それでゐて彼女は二三度微笑した。次第次第に、彼女の吐息は高まつて行つた。ある鈍い唸りが彼女から出た。快くなりかゝつてゐる、今に起きられるであらう、と彼女は言ひこしらへた。けれども彼女は度々痙攣に襲はれた。彼女は叫んだ。
『アヽ! 堪らない、何うしよう!』―(中村星湖氏訳に依る)
阿片の作用に就ては英国文豪トーマス・ド・クインセーの作『オピアム・イーターの懺悔』を挙げよう。これはド・クインセーの自叙伝であつて、前に既に述べたやうに、彼自身が阿片貪食者(オピアム・イーター)であつたため、彼はこの中に、自己の経験を如実に述べて居る。読者は、コーナン・ドイルの探偵小説『シャーロツク・ホームズの冒険』の中の一篇『唇の捩れた男』の中に、ホイツトネーといふ男が、ド・クインセーのこの書を読んで阿片窟に入るやうになり、ワトソンがその男を阿片窟に訪ねて行くと、ホームズも来合せて居たことが書かれてあることを記憶せらるゝであらう。実際この書を読んだために、英国に於て、阿片に親しむやうになつたものが一時に非常に殖えた程、この書には阿片に依つて齎らさるゝ快楽が巧みに描かれて居る。――
『宿に帰るなり、一刻も猶予せずに、私は処方せられたゞけの量を服用した。もとより私は阿片を服用する秘術を知らないから、たゞ無暗に嚥んだだけである。嚥むとどうであらう! 一時間の後、おゝ神よ! 私に内在する精神のどん底から一時に浮(うか)み上つた復活の心持ち! あゝ何たる世界の黙示であらう。私の苦しんだ疼痛が消失した如きは私の眼にはほんの些事に過ぎない。この消極的の効果は、私の前に展開した積極的効果、言ひ換ふれば、天上の快楽と比ぶれば、正に大海と露との差であらう。これはこれ、人間のあらゆる苦悩を奪ふ万能薬であり、フアルマコン・ネーペンチー(希臘(ギリシヤ)語の「忘憂薬」の意)である。これはこれ、人の世のあらゆる賢者が、何十代の間論じた幸福の秘密である。而もこの幸福は僅かに一片(ペンス)を以て購ひ得られ、胴衣(チヨツキ)の隠袋(かくし)に入れて携へられる。かくして無上の快楽は小さい瓶に詰め得られ、心の平和は郵便で送ることさへ出来るのである。(』)(※6)(中略)
『酒に依つて齎らさるゝ快楽は、最初急遽に上昇して頂点に達し、また速かに下降する。之に反して阿片に依つて得られた快楽は一たび頂点に達すると八時間乃至十時間持続する。之を医学上の術語を以て言へば、酒の快楽は急性であり、阿片の快楽は慢性である。前者は閃光に比すべく後者は鉄の白熱に比すべきである。然しなほも大切なる差異は、酒は精神作用を紊乱(ぶんらん)せしむるに反し、阿片は之を秩序正しく、整へ調(とゝの)ふる所にある。酒は自制心を奪ひ、阿片は之を強むる。酒は判断力を失はしむるために当人は自己の好むものを激賞し、悪(にく)むものを罵倒する。阿片は之に反して自働他働何れの場合にも精神作用を平等に、厳粛に保持せしめ、道義の念を厚くする。』(中略)
彼は進んで、音楽を聞く際阿片を服用すると、一層楽しく音楽を味ふことが出来、貧民窟を散歩する前に阿片を服用すると、慈悲の心は潮(うしほ)の如く湧き出づる旨を述べ、又阿片を飲むと始めてカントの深遠な哲学を理解することが出来ると説き、次で阿片に依て生ぜしめらるゝ夢の楽しさを遺憾なく描写し、一度(たび)之を読んだものは実に阿片窟に入つて見たき誘惑を感ずる程巧妙に述べてある。無論彼は阿片によつて生じた苦痛の半面をも描くことは忘れなかつたが、要するに彼は、阿片に就て普通の人々が考へて居る作用即ち麻酔作用以外の興奮作用を精密に写したのである。
尤も前に述べた如く阿片の作用は各人の体質に依つて別々であつて、誰人も必ずしもド・クインセーと同じ快楽を得らるゝとは限らないのであるが、阿片の作用が、麻酔以外に興奮的作用のあるのは事実であつて、ことに阿片服用者が屡々優れたる知力を現はすことは、佐藤春夫の小説「指紋」の中にも、巧みに描かれてある。又時としては夢遊状態を挽き起し、夢中に色々なことを、而も秩序正しく行ふこともあり、これはウイルキー・コリンスの小説「月長石」の中に遺憾なく取り扱はれてある。何れにしてもその詳細に関してはそれぞれその原著に就て参照せられむことを切望する。
毒殺者の心理及び行為を如実に描いた文学の一つはアレキサンダー・ヂユーマの小説「三銃士」であらう。彼はその小説の中にミラヂーと称する毒婦を描いて居るが、これは「歴史的考察」の条下に述べた如く、ブランヴイリエ公爵夫人をモデルとしたものであつて、ダルタニアンと称する勇士に毒酒を送つて成功せず、遂にある僧院でダルタニアンの恋して居るボナシユー夫人を突差の間に毒酒を以て殺す有様が、巧みに描き出されて居つて、毒の性質又は作用に就ての記載には乏しいが、毒殺の機会と行為に就ての記載に申し分が無い。
毒に関する伝説なり迷信なりを其の儘引用した文学的作品もその数甚だ多く、ことに日本の如く、昔から毒の知見の発達しなかつた国に於ては、其の文学の中に取り扱はれた毒の性質や作用は多くは伝説又は迷信に基いて描かれてある。
日本文学中毒が多く取り扱はれて居るのは、何と言つても江戸時代以後の文学であるらしく、ことにかの浄瑠璃に於て其の豊富なる例を見る。浄瑠璃の多くは、時代物にしろ世話物にしろ、多少の事実を基(もとゐ)として作られて居るが、毒に関する当時の知見を略(ほ)ぼ覗(うかゞ)ふことが出来るのである。
日本文学に於ては、毒物は多くはたゞ毒としてのみ取り扱はれて居て、毒の性質又は作用が問題になることは比較的稀である。かの伊達騒動を骨子として「伽羅(めいぼく)先代萩」に於て、毒殺に用ひらるゝ毒が鴆毒(ちんどく)であつても又は砒霜(ひそう)であつても、「劇」の興味に大なる変化はない。同様に「仮名手本忠臣蔵」の本蔵下屋敷の段に於て、井浪番左衛門が、台子(だいず)の釜に投じた毒も、たゞ主人若狭之助を殺す毒でさへあればよかつたのである。
之に反して「摂州合邦辻」又は「四ツ谷怪談」に於ては、特殊の毒が取り扱はれてある。前者に於ては、玉手御前が深い計略があつて、継子の俊徳丸を、毒酒を以て癩病とする。――さればいな、去年霜月住吉で、神酒と偽りコレ此の鮑で勧めた酒は秘方の毒酒、癩病発(おこ)る奇薬の力、中に隔(へだて)をしかけの銚子、私が呑だは常の酒、お前のお顔を見にくうして浅香姫にあいそつかさせ我身の恋を叶へふ為――。かうして俊徳丸を怒らせ、自分の身を突かせ、その血を以てその癩病を治さうとするのである。後者に於ては同じく毒薬を以て、間宮伊右衛門に恋慕うた小梅親子が伊右衛門の妻のお岩の相好を醜うして、伊右衛門に愛想をつかさしめようとする。毒薬のためにお岩の顔が膨れ上つて、髪の毛の抜け落ちる様は物凄い。――納めかねたる胸の内、しんき辛苦の乱れ髪、びんのおくれも気ざはりと有合(ありあふ)鏡台引出しの、つげの小櫛もいつしかに替り果たる身の憂(うき)や、心のもつれとき櫛にかゝる千筋(ちすぢ)のおくれ髪、コハ心得ずと又取り上(あげ)、解く程抜ける額髪(ひたひがみ)両手に丸めて打ながめ――とある。何れの場合に於てもかやうに急激に、内服によりて人の相好を変ずる毒物は寧ろ伝説的の毒物と考へてよいのである。
西洋の文学にありては特殊の毒の取り扱はれて居るものが多い。左(さ)に沙翁の戯曲に就てその中に現はれたる毒物を考察して見ようと思ふ。沙翁の時代即ち第十七世紀頃は、毒の知見は余程発達して居たが、なほ伝説的毒物が人々の頭の中に巣(すく)つて居た。沙翁が、かのマンドレークに関して迷信と、学理とをうまく使ひ分けして書いて居ることは既に「毒と迷信」の条下に記した所であるが、其他沙翁はその作の到る所に伝説的の毒物を取り扱つて居る。
「ハムレツト」の中に於ては、皇子(くわうし)ハムレツトに向つて、其父の亡霊が、叔父のために、毒殺された有様を述べて居るが(、)(※7)あれは事実に於てはあり得ない毒及び毒殺方法である。即ち果樹園の中に眠つて居るとき、耳の中に hebenon の汁を注(つ)ぎ込まれ、それがために、癩病が起つて立(たち)どころに命を亡(うしな)つたといふのである。かやうなる毒物は実際あるものではなく(、)(※8) hebenon を henbane(鶏毒(ヒヨス))と解釈せんとする者もあるが、鶏毒(ヒヨス)は決してかゝる猛毒ではない。沙翁はサクソ・グラムマチクスの話をその儘引用したゞけで、畢竟伝説的の毒物に過ぎないのである。
同じ作に於て、リーアチーズがハムレツトと試合する際(、)(※9)ひそかに毒刃を用ひることが書かれてある。この際如何なる毒を用ひたかといふ記載はなく、「この猛毒が一たび傷の中に入つたならば、どんなに月の影響を受けた薬剤を以てしても之を救ふことが出来ない」とリーアチーズは言つて居る。薬剤の作用が月によつて其の作用を異(こと)にするといふ迷信はその頃一般に行はれて居たのであつて、毒刃に用ひた毒物もそれから推すと畢竟伝説的毒に外ならないのである。
「ロミオとジユリエツト」の中では、僧侶ローレンスが、ジユリエツトに仮死の状態を生ぜしむる毒薬を与へて、一旦埋葬せらるゝことが書かれてある。かやうなる薬剤もまた寧ろ伝説的の毒であるが、既に「毒と迷信」の条下に於て述べた如く印度(インド)の僧侶のあるものは事実仮死の状態を惹き起すことが可能であるらしいから、無論迷信として頭から斥けて了ふ訳には行かない。(なほ「仮死」に就ては、次の新年増刊号の中で「仮死と犯罪」なる題目の下に委細を論ずるつもりであるから、それを参照して頂きたい。)
服用後一定時間の後、例へば服用後一週間又は十日を経て始めて作用を現はす毒物が存在するといふ迷信も、その頃一般に人々の頭に入つて居たのであつて、「テムペスト」の中のゴンザロの言葉の中(うち)、「シムベリン」の中のコルネリウスの言葉の中に見られ、又毒が身体を膨脹せしむるといふ迷信は、「ジユリアス・シーザー」の中や「ヘンリー四世」の中に書き入れられてある。なほ「冬の夜ばなし」の中には毒蜘蛛のことが書かれてあるが、委細は原作に就て読まれむことを希望する。
想像的毒物とは、実際にもまた伝説にも無くて、文学者が勝手に自分の想像で拵へた毒物を言ふのであつて、お伽噺やその他の文学的作品に屡(しばゝゝ)現はれて来ることは読者諸君の知つて居らるゝ所である。想像といつても、多少の事実又は伝説を基として作られることはいふ迄もなく、コーナン・ドイルの作「毒帯(ポイズン・ベルト)」に於て、地球がエーテルの毒帯に入り込み(、)(※10)あらゆる地球上の人間がダツロン(曼陀羅華から得た毒物)中毒様の中毒を起して人事不省となるが如き其一例である。又、スチヴンソンの書いたジエーキール博士は、科学の力を以て人間の心的生活を征服しようと企て、研究の結果一種の毒薬を発見する。それを飲むと人間の良心が去つて悪魔の相となり、その心も悪魔となり、ハイドンといふ名を以て、ロンドンのどん底の怪しげな巷に罪悪の限りを尽し、家に帰ると、別の薬で以て本来の自己に戻る。遂に毒薬が霊魂の底まで喰ひ入つて、本当の悪魔となつて了ふ。――かういふのは想像的毒物の顕著な例であるが、かゝるものの記載はあまり大なる興味を齎すものであるまいから、委細は省略する。
毒を取り扱つた探偵小説に於ては、如何なる毒が、如何なる方法を以て与へられたかといふ所に興味の中心があるのであつて、中毒か否かといふ鑑定の如きは寧ろ、附随した興味に過ぎない。それ故探偵小説の作家は、毒を取り扱ふ際、極めて珍らしい毒を、極めて巧妙な、読者の意表に出づるやうな方法を以て、犯人が犠牲者に投与するやうに書かれてあるのである。然し乍ら、探偵小説の作者は、前節に述べたやうな伝説的の毒や又は純然たる想像的毒物を持つて来ては却つて読者の興味を削ぐのであるから、実在して、而も有り触れて居ない毒物を取り扱はうとする傾向がある。例へば砒素が毒殺に屡々応用せらるゝことは「毒殺の歴史」に委しく述べた所であるが、探偵小説に砒素の取り扱はれて居ることはあまり聞かない。又毒殺の方法に就ても、単にそれを酒の中に投ずるとか又は食物の中に投ずるといふ月並な方法よりも遙かに奇抜な方法が選ばるゝのである。茲に於て筆者は毒殺の方法に就て少しく詳細に亘つて述べて見ようと思ふのである。
単に手を触れただけて(※11)死ぬといふやうな猛毒、例へばかの寧ろ伝説的といつてもよいジヤンヌ・ダルベールの手袋、或はまたチヤーレス七世の兄が庭球の際、手を拭つたゞけで死んだと言はれて居る手巾(ハンカチーフ)、これ等は昔から毒殺者が捜し求めむとした、理想の猛毒であつた。実際欧洲の十六、十七世紀頃は、「死」を耳輪、手箱、扇、印判等の中に運んだり、或はかのスヰンバーンの「クヰーン・マザー」の中の光景即ちカザリン・ド・メヂチが手袋一対を以て、下郎を毒殺するごときことは、毒殺者の誇りであり、秘法であつた。然し乍らかくの如き少量を以て、而も単に少しく強く触れただけで、人を斃すことの出来る毒物が、果して現今存在するであらうかは疑はしい(蛇毒なれば兎も角、ル・キユーの小説「暗号(サイフアー)6」の中には支那の一地方に産する恐ろしい病原細菌を、手紙に附着せしめて、受信者を殺すことが述べてあるけれども(、)(※12)かやうなことも実際は行ひ得ない範囲に属して居ると見ねばならぬ。病原細菌ならばかやうなことはまだ可能であると言へるが、毒物では至難である。
犠牲者に知られぬ様に毒を与ふることは言ふ迄もなく毒殺の重要な条件であつて、食物や酒の中に投ずるといふ最も簡単なる方法からして前記の如き理想の方法(不可能ではあるが)まで色々の手段がある。探偵小説に於ては作家の想像から編み出さるゝだけ、それだけ色々の目新らしい毒殺方法が書かれてある。ハンシヨーの作、「四十面相のクリーク」の一篇には、フイリツプ・ボードレーといふ男が父の財産を奪はんために、父が所持して居る、一方の手が六本の指から成る骸骨の、その六本目の骨の尖端に、ジヤバに産するユーパス樹から得た矢毒アユーピーを塗つて、父が珍らしげにその指骨(しこつ)に触るゝ度(た)びに、少量の毒が手の中に入るやうに奸(たく)んだのをクリークが発見する物語が書かれてある。リーヴの小説(「)(※13)神々の金(かね)」の中では刀にクラーレと称する矢毒を塗つて、その刀を以て顔面に傷を負はせその傷のために死んだやうに見せかけ、その実矢毒によつて、殺す犯罪が書かれてある。矢毒は猛毒であるから、後者のやうな場合には確かに人を殺し得るが、前者の如く、指骨(ゆびほね)の先に附けたのでは、多量に皮下に吸収せしむることが出来ぬから、殺人の目的は達し得られないかもしれない。
矢毒は、言ふ迄もなく、鏃の先に塗つて動物を射るのであるが、クラーレの如きは、動物の筋肉を麻痺せしむるもので(、)(※14)換言すれば動物を動けぬやうにする力があるからして、必ずしも動物を斃さなくてもその目的は達せられる。(無論大量なれば呼吸筋を麻痺せしめ、呼吸困難で、動物は死ぬのであるが)それ故人を殺さんとするに際して、矢毒を単に少量だけ針なり其他の尖つたものに塗つて皮下に刺し込んだだけでは完全に目的は達し得がたい。コーナン・ドイルの小説「四人の連署」の中にストリキニーネ様の毒を針に附けて殺すことが書かれてあるが、これも致死量が皮下に入つたといふ条件の下には正しいのである。
猛毒を皮下に送るに今一歩進んだ方法は、注射器を用ふる方法である。これなれば、熟練さへすれば比較的多量を犠牲者に与ふることが出来る。誰の小説だつたか名前を忘れたが(、)(※15)挨拶して握手する際、隠し持つた注射器で巧みに相手の掌(て)の中に毒を注射することか(※16)書かれてあつた。フリーマンの小説「紅き拇指紋」の中にも同様なことが書かれてある。ある男が従兄の拇指紋を偽造して、従兄に金剛石盗賊の嫌疑をかけしめる。それはソーンダイク博士が看破する。すると、男ば(※17)ソーンダイクを亡きものにせんと、煙草の中に毒を入れて贈るが、ソーンダイクはかゝる奸計には陥らぬ。遂に一夜ある方法を以てソーンダイクを毒殺せんとしたが、これも失敗に終つた。その方法とは鉄製の注射器に毒を入れたものを空気銃の中に弾丸(たま)として入れ、それを発射すると、犠牲者の身体に中(あた)るなり、ピストンの力によつて毒を皮下に送り込まうといふ巧妙な方法であつた。これも、理論上は可能であるが、実際如何なる程度まで成功するかは疑問である。
毒瓦斯を殺人に使用することは比較的近時行はるゝやうになつた方法である。屡(しばゝゝ)燈用瓦斯に依る殺人が行はれた。又、壁の中へ砒素の化合物を塗り込み、漸次砒化水素(日本で殺生石などといふものは多くこの砒化水素が地下から出る所をいふのである)を発生せしめて、その家の住人を永い月日の間に殺さうとするやうな方法も行はれた。が、最も多く毒瓦斯が用ひられたのは言ふまでもなく欧洲戦争である。欧洲戦争以後、毒瓦斯の研究は非常に進歩し、今では倫敦(ロンドン)の全住民を三時間に殺し得る猛毒さへ発見された。然し毒瓦斯の詳細はこの文に於て取り扱ふべき範囲ではない。犯罪に毒瓦斯の多く用ひられるやうになるのは今後のことであらうと思はれる。尤もリーヴの小説には、かゝる犯罪が既に取り扱はれて居る。「トレジユア。トレーン」の如き又「アドヴエンチユアレス」の如き其の例である。前者にはある強盗団が汽車に積まれた大金を奪ふために、毒瓦斯に依つて運転手始め来客を斃し、汽車を停めてその金を奪はうとする犯罪が書かれてあり、後者には塩素瓦斯を使用して船室内の人を殺すことが書かれてある。
以上は何れも犠牲者に知らしめないやうに毒を与ふる方法であるが、犠牲者に迫つて毒を与ふるのは前者の場合に比して一層惨酷であることは言ふ迄もない。尤もソクラテスの如く、泰然自若として、ヘムロツクの毒杯を啜つたやうな場合は例外である。コーナン・ドイルの作「緋色の研究」の中には、ある男が自分の許婚の女がモルモン教徒のために無理に結婚を強制され、悲嘆のあまり死し且つ其の父親が殺害されたのを憤つて、アメリカから遙々欧洲に渡り、遂にそのモルモン教徒二人を捜し出し倫敦(ロンドン)で殺すのであるが、最初の一人の場合には二つの丸薬を作り置き、一方は猛毒、一方は無毒で、その二つを自由に取つて二人で飲み、どちらが神の正しい意志によつて審判されるかを試すといふドラマチツクな遣り方をする。結局モルモン教徒の方が毒の丸薬を飲んだことになるのであるが、この場合には惨酷なだけそれだけ読者には満足を与へる。
この種の犯罪で、欧洲毒殺史上有名なるは、十七世紀の仏蘭西(フランス)に於けるド・ガンジ侯爵夫人の毒殺事件である。美人薄命は何れの国でも同じであるが、ルイ十四世時代に於て欧洲第一の美人と称せられた、このド・ガンジ侯爵夫人も、やはり、悲惨なる死に方をした。最初七年間連れ添つたド・カステラーヌ侯爵に死に別れて叔父の許に暮して居るとき、その頃巴里(パリー)で有名な易者であつたラ・ヴオアザンといふ女に将来の運命を占つて貰ふと、「あなたは再婚し、まだ年若い内に、変死をする」といふ恐ろしい予言を貰つたが、やはり運命は如何ともする能はず、遂に再びド・ガンジ侯爵と結婚した。結婚の当座は実に幸福な生活を送つて、夫人は忌はしい女易者の言などすつかり忘れて居た。やがて月日が経つと侯爵はそろゝゝ(※18)平凡な家庭生活に倦いて、二人の弟を自分の家に招(よ)んで同居したのである。これが抑も夫人の不幸に近づく第一歩であつた。二人の弟は間もなく夫人の美貌に魅せられて恋を打明けたが、夫人は応じなかつた。かくする内(うち)夫人の叔父が死んで、莫大な遺産が夫人の手に入つたとき、弟どもの恋は慾と変つて、侯爵をも一味の内に引き入れ、夫人に遺言を書かせて、夫人を毒殺せんとした。そして一家が田舎の別邸に住むことゝなつたとき、遂に弟どもは一夜夫人の寝室に闖入して、拳銃と毒液とを携へ、毒を飲むか、さもなくば拳銃で射(う)つと脅(おびやか)した。夫人は毒を口に含むで、敷布の上にそつと吐き、二人に宣教師を招(よ)びにやつた間(ま)に、室を逃れて、附近の家に駆け込んだ。けれども毒の一部分は嚥下(のみくだ)されて居て(、)(※19)夫人は二週間ばかり経(たつ)て遂に死んだのであるが、その間実に悲惨な状態にあつた。かくて女易者の言は実現された訳である。委細はヂユーマの著、「ブランヴイリエ侯爵夫人其他の犯罪」を参照して頂きたい。
其の他探偵小説の中にはまだ色々奇抜な毒殺方法が書かれてある(。)(※20)ルネ・モローの小説の中に、ある科学者の犯罪が書かれてある、(※21)が、それは「もうせんごけ」と同じ種類に属するドロセラ属の植物をうまく培養して非常に大なるものを得、之れに人間の赤ん坊を附近から盗んで来ては食はしめて実見し、遂には自分がその植物のために食はれて死ぬといふことが書かれてある。「毒」とは直接の関係は無いかも知れぬが、その植物が赤ん坊を消化液を出して消化して行く所などは、毒作用と考へても差支はなく、随分奇抜な思ひ付きと言つて差支ない。其他まだ色々珍らしい方法も無いではないが、事実とあまり遠(とほざか)つては却つて興味が薄いからして、探偵小説によく現はるゝ毒蛇(どくじや)による殺人に筆を移さうと思ふ。
毒蛇(どくじや)に依つて人を殺すことは探偵小説に相応はしい題目である。毒蛇(どくじや)に噛まれたとき如何なる症状を起すかは、既に「毒と迷信」の条下に於て述べ、身体に甚だしい変化を生ずる場合と然らざる場合と二様あることを書いたが、探偵小説では後者の場合のみが取り扱はれて居るから、最初先づその実例の一つに就て語つて見ようと思ふ。
テムプル氏の報告に依ると、ホンヂユラスに於て、ある樵夫(せうふ)が山で樹を伐(き)つて来たとき、長靴の上から毒蛇(どくじや)に噛まれた。そこでその男は忽ち斧を以てその蛇を殺した。長靴で十分保護されて居たつもりで、そのことは忘れて居ると、程経(たつ)て、昏睡状態に陥つて死んで了つた。その長靴はその男の死後、ある人に売られたが、それを買つた人がその靴を穿くと間もなく頓死して、人々は脳溢血を起したものと考へた。ところが更にその長靴か(※22)第三の人に売られたとき、やはりその人はそれを穿くとまた間もなく死んだ。最後に人々は長靴に何か訳があるであらうと思つて検査すると、革の中に蛇の歯が折れて嵌つて居た。即ち長靴を穿く際その先端が皮膚を傷け、毒がその傷から入つてそれ等の人々を斃したのである。この報告の真実を疑つて居る人もあるやうであるが、ある人々はそれを信じて居る。して見ると、蛇毒(じやどく)を以てすれば、手袋や手巾(ハンカチ)の既記の理想毒が満更空想として斥けることが出来なくなる。然しかくの如き毒を手に入れることは非常に困難であらう。
以上のやうな症状は毒蛇(どくじや)に噛まれた時の症状としては非常に稀であつて、多くは「毒と迷信」の条に述べた様な激裂な症状を呈するのが普通であるが、探偵小説に於ては、さういふ激裂な症状を起さしめては犯罪の秘密を取り扱ふ上に於て都合が悪く、従つて小説の中では、ミステリアスな死に方になつて居るのが常である。
毒蛇(どくじや)を取り扱つた小説のうち最も興味あるはハンシヨーの「四十面相のクリーク」の中の一篇である。田舎に住むヘンリー・ウイルヂングの愛馬の番人が、ダーヴイの競馬の始まる前に当つて三人までも不思議な死に方をする。番人が附けて置いてあるから犯人が外から入つた形跡は無いが兎に角殺されて了ふ。そして何で殺されたか解らない。これはウイルヂングの馬を競馬に出さないやうにするために、競走者がさういふ悪計を施したのであらうと思つて、ウイルヂングはクリークに捜索を依頼する。クリークが厩(うまや)の中に入ると、ある南米の植物が置いてあつて、サツサフラ油の香(にほひ)がする。それから夫人と、その家(うち)に滞在して居る夫人の従兄に当る男に逢つて、クリークは遂に秘密を発見するのである。夫人とその従兄と名乗る男とは実は夫婦で、二人が共謀してウイルヂングの財産を奪はうと企て、女がウイルヂングの恋に乗じて夫人となり、男は従兄と名乗つて家(うち)に住み込み、馬の番人を段段殺して行けば終(つひ)にはウイルヂングが、番をするに違ひないからその時同じ方法で殺さうといふのである。その手段として彼等は南米パタゴニア地方に棲むミンガ虫と称せらるゝ毒蛇(どくじや)を用ひたのである。この毒蛇(どくじや)は「おらんだせり」とサツサフラス油の混合物を好むので、番人の寝台(ねだい)の下(もと)に、ひそかにこの混合物を入れて置き、番人が睡眠中にこの混合物に触れると、その触れた部分に、例の植物の下に隠れて居る毒蛇(どくじや)が香(にほひ)を慕つて噛み附くのである。
ハンシヨーの短篇の中には今一つ毒蛇(どくじや)を取り扱つたものがある。英国のある町の大銀行で、金庫が破られ二百万円盗まれ金庫の番人が殺される。支配人は嫌疑を自分の義子と銀行の書記にかけて、警視庁に犯人捜索を依頼する。クリークは番人が死ぬ際、駆け附けた書記から、番人が死に際に「恐ろしい縄」と叫んだことと、外側で口笛を吹くやうな音のしたといふことを聞き、現場に落ちて居た茴香(うゐきやう)の種、壁の下にあつた小さい穴から毒蛇(どくじや)が殺人に用ひられたことを知つて、遂に犯人として銀行の支配人自身を捕縛するのである。その際用ひられた毒蛇(どくじや)は響尾蛇(きやうびじや)であつて、茴香(うゐきやう)の種は毒蛇(どくじや)を誘導するために用ひたものであつた。
アワースラーの短篇「深紅の腕」にも毒蛇(どくじや)による殺人が書かれてある。これは、デリイス・ゴルドンといふアメリカの美はしいヒステリー性の女優が、自分の義父と、義妹、及義妹の良人(をつと)を殺さんと企て、彼女の一座に居た、蛇使ひの男をうまく欺して味方に引き入れ、岐阜の家に一家を何月何日に殺すぞといふ電話を三度かけしめ、彼女自身レオナード・リンクス博士といふ有名な犯罪学者を訪ねて、恐ろしい電話がかゝつたから救つてくれと依頼する。博士が、当日ゴルドン家に出かけると、三週間ばかり前に久し振に帰つたといふ其家の放蕩息子が居る、デリースはつまりこの息子に嫌疑をかけしめようとしたのである。夜になつて一家のものが博士と共に客室に集(あつま)つて、デリースがピアノを奏して居るとき、突然主人のゴルドンは「深紅の腕」がと叫んで死ぬ。程経て博士がデリースの義妹の良人(をつと)ハーソンに色々訊ねて居るとき、突然蓄音機が鳴り出す。と同時に電燈は消えハーソンは「深紅の腕が」と叫んで死ぬ。三度目人々が客室に集(あつま)つたとき、博士は助手に取り寄せしめた銀笛を鳴らす。そしてその時消してあつた電気をつけると、デリースの髪の間から一疋の蛇が頭を擡(もた)げ、と見る間にデリースがその時胸に挿して居た薔薇を目がけて走り行き、デリースの胸に噛みついて、デリースを殺して了ふ。ゴルドンもハーソンも、皆デリースから貰つた薔薇を挿して居たが、その薔薇には、蛇を誘ふある強い香料が振りかけてあつたのである。三度目にはハーソン夫人を殺すつもりであつたのであるが、デリースがうつかり自分も薔薇をつけて居たため、遂に最後の犠牲となつたのである。
コーナン・ドイルの小説「シヤーロツク・ホームズの冒険」中の一篇「斑(ふ)入りの紐」の中にも毒蛇(どくじや)による殺人が書かれてある。これは嘗て印度(インド)に住んだことのあるライオレトといふ男が義理の娘二人を毒蛇(どくじや)を以て殺さんとする事件で、娘が結婚すると、亡き妻の財産を分けてやらねばならぬから、姉娘が婚約すると、間もなく殺して了つた。一年の後妹娘が婚約すると、父の室に毎度口笛を吹くやうな音(ね)がして、気味が悪くなつたので妹はホームズに告げたのである。ホームズが妹に代つて妹の室に入り、夜半に口笛の音(ね)を聞き、蛇が壁の上の方の孔に頭を出しかけた時、杖を以て強く打つたので、蛇は怒(おこ)つて、ライレツトを噛み殺すといふ筋である。毒蛇(どくじや)は印度(インド)の沼地に棲む最も毒性の強いものであつた。
毒を最も多く取り扱つた探偵小説作家といへば、先づ第一に指をアーサー・リーヴに屈しなければなるまい。ことに彼の短篇には毒を引用したものが多く、「ドリーム・ドクター」、「トレヂユア・トレーン」の中に収められた短篇の大半は実に毒に関係したものである。リーヴの小説は読者のよく知らるゝ如く、あまりに科学的であつて、それがため却つて興味が失はるゝ程極端に色々の珍らしい科学器械などを探偵ケネヂーに使用せしめて居る。それ故毒を取り扱ふにしても、毒殺方法に秘密を置くよりも、毒そのものを珍奇ならしめむとする傾向を持つて居るのである。「ドリーム・ドクター」の中には、コブラ(毒蛇(どくじや))の毒を飲ませる話や、燐を殺人に使用する話、或はコニイン中毒と医師が鑑定したのを、ケネヂーが、腐つた罐詰を食つたためのプトマインの中毒であると断定して、冤罪を雪(すゝ)ぐ話、(コニインは中枢神経素を冒す植物性毒素で、プトマインの中にこれによく似た物質があるので、このことを探偵小説に応用したのである。なほ「科学的考察」の条を参照せられたし)などがあり、「トレヂユア・トレーン」の中には、有毒菌蕈(きんじん)を使用する話、予め毒茶を飲ましめ、催眠術をかけて、ゴムで作つた短刀を胸に擬したゞけで、殺したやうに見せかける話、或はヴイタミンのない食物を与へて脚気様の症状を起さしむる話などが書かれてあつて、まるで科学書を読んで居るやうな気持を起さしむるものである。その他又「シニスター・シヤドウ」といふ短篇の中ではある医者が、大麻(「毒と迷信」の条参照)を用ひて、ある婦人を麻酔せしめ、其の状態で暗示を与へ、恐ろしい罪を犯さしめることが書かれてある。何れにしてもリーヴは伝説的の毒は決して書かない代りに、一寸普通人々の聞かないやうな毒を選んで、好奇心を挑発しようと心懸けて居るらしい。
ハンシヨーも彼の少ない作品の割に多く毒を取り扱つて居つて、既にその一二に就て述べたが、若し彼が長生(ながいき)をしたならば、もつと多く毒に就ての作品を残したに相違なく、而も恐らくリーヴの作品よりも、遙かに芸術的匂ひの豊富なものであるに違ひなからうと思はれる。ルブランの作品の中(うち)でも(、)(※23)毒は時折顔を出すのであるが、毒が主要な部分を占めるのは稀である。「アルセーヌ・リユパン・アン・プリゾン」の中では水道の中に麻酔薬を入れて、番人を麻酔せしめて、名画を取り出すことが書かれてある。其他毒を取り扱つた探偵小説の名を挙げると、フリーマンの「ジヨン・ソーンダイクの数々の事件」の中(うち)、ガボリオーの「ルコツク氏」の後篇、フレツチヤーの「ロンドンに対する賠償」など、枚挙に遑(いとま)はないが(、)(※24)特殊の興味を有するものでないから、委細は省略する。
以上に依つて毒及び毒殺に就ての大体の説明は終つたのであるが、無論まだ書きたいことは沢山ある。ことに医学上近時臓器毒、細胞毒の知見が発達し、色々興味ある事実が明かにせられたが、あまりに専門的になり、且あまりに長くなるから一先づこの辺で切り上げることゝする。たゞ以上の記述が読者諸氏の探偵小説を読まるゝ際、多少の興味を添加することが出来るならば、筆者の大(おほひ)に幸福に感ずる所である。
擱筆に際し、種々材料を供給して下さつた森下雨村氏に、切に感謝の意を表する次第である。(完)
(※1)原文句読点なし。
(※2)(※3)(※4)原文の踊り字は「く」。
(※5)原文句読点なし。
(※6)原文閉じ括弧なし。
(※7)(※8)原文句読点なし。
(※9)原文句読点なし。一文字空白。
(※10)原文句読点なし。
(※11)原文ママ。
(※12)原文句読点なし。
(※13)原文括弧なし。
(※14)(※15)原文句読点なし。
(※16)(※17)原文ママ。
(※18)原文の踊り字は「く」。
(※19)(※20)原文句読点なし。
(※21)句読点位置原文ママ。
(※22)原文ママ。
(※23)原文句読点なし。
底本:『新青年』大正12年1月号
【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1923(大正12)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」
(公開:2017年12月15日 最終更新:2017年12月15日)