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西洋初版本漁り

 グラスゴーのフインレーソンと云ふ医者は、医学には医学史の教授が必要であることを主張し、その方法として医学に関する名著の初版本を蒐集して、それを学生に示して説明する方法をとつてゐる。この方法は頗る我が意を得たものであつて、私も外国留学中は、出来得る限り名著の初版本をあさることに努めたのである。漁ると云つても到底買ふことが出来ぬからたゞ図書館や、或は大きな古本屋をたづねて手にして見て喜ぶにすぎなかつた。尤も比較的廉いものは、買ひ集めることを忘れなかつた。
 ニユーヨークにはヘーベルといふ医学の古本を扱ふ書肆があつて、そこには十六世紀頃の珍本が沢山あつたが、僅かに十五六ペーヂのもので、百ドル以上もするのだから到底手を出すことは出来なかつた。其処にはアメリカの消化医学の元祖として有名なボーモンの実験記録があつて、値段を聞いて見ると、五十ドルだつたので、非常に欲しかつたけれ共一寸躊躇した。ところが場末の古本屋を探したら偶然にも同じ書が見つかつて値段を聞いてみると二十ドルだと云つたので喜んで買ひ入れた。場末と云へば同じくニユーヨークの下町の古本屋でパリーの衛生学の泰斗パラン・ヂユーシヤトレの「パリーの売娼婦」といふ名著の初版本を見つけた時は、飛び上る程嬉しかつた。この書は、一八三六年の出版で統計的に観察した公衆衛生学の濫觴とでも云ふべきものである。
 英国へ渡ると流石に医学の初版本を見る機会は多かつた。ロンドンの医学図書館には有名な欧洲中の初版本は殆んど皆集つてゐると云つてよく、私の趣味を満足させてくれた。オツクスフオード街の某古本屋には可なりにいゝものがあつて欲しい本が沢山あつたけれども、何分高い値には閉口した。併し医学史の最初の権威ある名著として尊ばれてゐるル・クレールのアムステルダム版を三ギニーで買つたのは、今でも決して高くないと思つてゐる。ハーヴエの血液循環の理発見の記録たる原著は、英国へ行つた程の医学者は誰でも見たいと思ふものであり、又買ひ入れたくも思ふのであるが、今では市場を探しても仲々なく、私は十シルリングで複刻版を買つてその面影を偲ぶことにした。
 健康を害してブライトンといふ海岸に転地した時も、古本漁りはやめられず其処でデフオの「ロンドン疫病日誌」の珍本を見つけることが出来た。珍本と云つても初版本ではないが、有名なクルイクシヤンクの挿絵がついてゐることによつて珍らしがられて居るのである。菊版半裁の大きさで挿絵さへなければ一円内外で買へるのを、四五枚の挿絵のあるために、二十円以上の価であつた。
 パリーに渡つた時、いろゝゝ(※1)見たいと思ふ本をあてにしてゐたのであるが、病気のために志を果すことが出来ず頗る残念であつた。でも、咯血してゐたに係らず、セーヌ河畔の屋台店を屡々あさつた。だいぶ漁り尽されてゐて目ぼしいものは見つからなかつたが、アルベルト・アグヌスの著述を見つけて、それをどうした都合か、買はずに帰つてしまつたのは今だに惜しいと思つてゐる。惜しいと云へば、古書趣味ではないが、フランスの探偵小説家ガボリオの短篇小説集「バチノール街の老人」の英訳の古本をパリーの病床で読んで、それをその侭宿に放つて来たことも残念でならない。何分その時分には探偵小説を書かうなどとは夢にも思はず、たゞ娯楽のために読んでゐたので、荷物になつて厄介だから旅舘に捨てゝ来たのであるが、今になつてみれば、もう一度読んでみたくてならないのである。ガボリオの短篇集などと云ふものは、日本の探偵小説愛読家の中でも、見た人は尠いやうであつて、今ロンドンへ行つても探し出すことは頗る困難であるだろうと思ふ。何しろその時もロンドンから来てくれた看護婦が、私の徒然を慰めるためにハムステツドあたりの名もない古本屋から探し出して来てくれたと云ふのであるから手に入れることは六ツ敷いと思ふ。先年パリーの旅舘へ紹介(※2)して見たが、何の音沙汰もなかつた。

(※1)原文の踊り字は「く」。
(※2)原文ママ。

底本:『紙魚』大正15年10月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1926(大正15)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(リニューアル公開:2017年10月6日 最終更新:2017年10月6日)