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フレツチヤーの妙味

小酒井不木

 私がフレッチャーの探偵小説をはじめて知つたのは、森下雨村氏から、「パラダイス・ミステリー」と「ミツドル・テムプル・マアダー」の二篇を貸与されたときである。たしかそれは今から六年前(ぜん)、私が郷里で病を養つて居た頃だと思ふが、それまでドイルやフリーマンやガボリオーに親しんで来た私は、探偵小説にも、かういふ面白い「行き方」があるのかと (※1)驚くと同時にすつかり敬服してしまつた。ガボリオーにしろ、ドイルにしろ、フリーマンにしろ推理能力の異常に発達した探偵が中心となつて事件を解決して行くのであるが、フレッチャーの小説では、事件の解決のされ方が、極めて自然でありながら、一歩一歩明かにされて行くとき、必ず読者をあツ(※2)と言はせずに置かない。だから、一旦読みかけたら、最後まで手を離すことが出来ぬのである。ボアゴベの探偵小説は読者を引張る点で名高いが、フレッチャーは、ボアゴベに遙かにまさつて居る。実にフレッチャーの妙味は、「読者に息をもつかせない」点にあると思ふ。
 而(しか)もフレッチャーは非常な精力家である。彼は純然たる探偵小説家ではなく、史学者であり、文明批評家でもある。さうして、その方面にも数多い著述があるに拘はらず、彼の発表した長篇探偵小説は数十種に達して居る。その数十種のうちから、最も日本の読書子に気に入るであらうと思つて選ばれたのが、「ダイヤモンド」と、「カートライト樹園街(ガードン)事件」の二つである。この二篇は、いづれもフレッチャーの特色が、心ゆくまゝに発揮され、その上前者は冒険味の豊かな作物であるから、読者に十二分の満足を与へると思ふ。
 さうして、この二篇を選んで訳述されたのは、日本探偵小説界の恩人森下雨村氏である。最近日本の探偵小説壇が隆盛を来すに至つたのは、偏(ひとへ)に森下氏の努力に依ると言つてよい。雑誌「新青年」に、海外の名高い探偵小説を紹介して、読書子の渇を癒(い)し、同時に捜索探偵小説の機運を作つた功績は実に偉大である。さうしてこの偉大な功績を成就せしめた主(おも)なる原因は、森下氏が名編輯者であつたことよりも、むしろ氏自身が探偵小説の優れた翻訳家であり、創作家であることである。実際、「探偵小説の通人」といふ言葉が許されるならば、それは第一に氏に冠せらるべきものである。
その探偵小説の通人たる雨村氏の最も好きな作家が、わがフレッチャーである。だから、森下氏によつて選ばれた本集の二篇が、如何(いか)に面白いものであるかは、読まぬ先から想像し得るであらうと思ふ。

(※1)原文一文字空白。
(※2)原文圏点。

底本:『世界大衆文学全集 月報』第5号・昭和3年7月13日発行

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1928(昭和3)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2009年11月28日 最終更新:2009年11月28日)