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つまらぬ話

▲「さちの礎」が「銷夏号」を出すから何か書けとの事、而も大急ぎで書いてくれとの事、雑誌は銷夏号かも知れぬけれど原稿を書く身になれば、汗だくゞゝ(※1)で銷夏どころの騒ぎぢやないから編輯者も気が(※2)かぬではないかと怒つて見たところが、徒らに汗を増すばかりだからまあすなほに書いて見ることにした(。)(※3)書いて見ることにはしたけれど、何しろ足もとから火の出るやうな催(※4)で、とても考などをまとめて居る暇がない。こちらも遊んで居る人間ではなく、先から先へ仕事がたまつて居るのだから、勢ひ御茶を濁さざるを得ない。こんな原稿を読まされる読者こそいゝ迷惑だが、それは編輯者が気がきかぬのだから、責めるなら、編輯者を責めてもらひたい。
▲さて、私はこれから「銷夏」といふことについて一寸申上げて見やうと思ふ。銷夏といふと、誰でも、庭に水打つたり、アイスクリームを食べたり、海岸へ行つたりして(あつ)(※5)さを避けるやうなことをすることだと考へやすいけれど、これは実は消極的な銷夏法である。然らば積極的銷夏法とは何かといふに(※6)大に心身を働かすこと即ち肉体をも精神をも火のやうに活動させることであらうと思ふ。どんな暑いときでも一生懸命仕事をして居ると決して暑さを感ずるものでない。又、仕事をして大に汗を流すと、そのあとで、汗が発散して熱を奪ふ為めに大へん涼しく感ずる。中学に居た時分、Oといふ修身の先生が、夏暑いと思つたら炎天の下を一里ばかり、一生懸命に走ると、あとで涼しくて気持がよいものだと教へてくれて、その時分、妙なことをいふ先生だと思つたが、なるほど味ふべき言葉だと思つた。私はそれを受けつぐ訳ではないが、自分でも夏の暑さをしのぐには、一生懸命仕事をして暑さを忘れるのが一ばん、やすあがりな、且つ一ばん効果の多い銷夏法だといふことを度々経験したのである。だから読者諸君にもこれを切に御すゝめしたいと思ふ。一寸考へて見ると誠に不合理に思へるかもしれぬが、兎角かういふことは実行して見ねばわからぬから(、)(※7)今日は随分暑いなあと思はれる日があつたら宜しく一里ばかり走つて御覧なさい。その上で私の説に同意が出来かつたら、その旨を御知らせ下さい。
▲読者諸君は、以上の文章を読んで、私が大へんな自家撞着に陥つて居ることを気づかれたであらうと思ふ。即ち私は、はじめに、原稿を書く身になれば汗だくゞゝ(※8)で銷夏どころの騒ぎぢやないといひ乍ら、その次にすぐ、汗だくゞゝ(※9)こそ、一ばんよい銷夏法だといつた。これは自分にもよく気がついて居たけれど、何故(なにゆえ)私がこんなことを言つたかといふに、実は書く方ばかり汗だくで、読む方に涼しい顔して居られては癪にさはつてしかたがないからである。ナーニ私だつてアイスクリームの旨い味も、海岸の涼しい風の気持よさもよく知つて居る。炎天の下を一里も走るなんてことは野暮の骨頂である。もうこゝまで読んで下されば私の溜飲も下つたといふもの、皆さん定めし読まれるのに暑かつたでせう。いつそこんな文章を始めから読まれなかつたら、尚更よかつたゞらうに、誠に御気の毒千万である。これといふのも偏に編輯者の罪であることを記憶して頂きたい。

(※1)原文の踊り字は「ぐ」。
(※2)原文ママ。
(※3)原文句読点なし。
(※4)(※5)(※6)原文ママ。
(※7)原文句読点なし。
(※8)(※9)原文の踊り字は「ぐ」。

底本:『さちの礎』 銷夏号(第123号) 大正14年8月10日発行

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1925(大正14)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2021年4月13日 最終更新:2021年4月13日)