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病弱の青年に与ふる書

医学博士 小酒井不木

 近頃、病弱な私に向つて、同じく病弱な人々から、私の日常生活法を聞かせてくれといふ手紙が、時々舞ひ込んで来る。私は随分忙しいから一々委しいことを書くことが出来ず、頗る遺憾に思つて居たが、今回、実業之日本社から、「病弱なる青年に与ふる書」を書けと依頼されたのを幸ひに、私の生活状態を述べて参考に供し、併せて、病弱者の処世法について、私の考へて居るところを述べようと思ふ。
 私は大学卒業の翌年即ち大正四年に肺結核にかゝつて、幾度か瀕死の状態に陥つたが、幸ひに昨今は、健康時とかはらぬ生活を営みつゝあるのであつて、文筆を業(げふ)として居る関係上、午前四時に床について、午前十一時に起き、正午と午後六時頃と午前零時前後とに食事を摂るのである。
 以前病床に横はつて筆を執つて居た時分は、文筆は退屈凌ぎの、いはゞ道楽半分の仕事として居たが、昨今私は、職業的意識をもつて文筆に従事しつゝあるのであつて、筆を執ることを一つの義務として居るのである。だから、多少肉体的の苦痛を感じても、敢てそれに辟易しないで机に向ふのである。例へば熱が二三日続いて出て悪寒を覚えるときには、熱の出る時刻の二三時間前に下熱(※1)剤を服用して仕事にとりかゝるのである。解熱剤をのんで身体がほてりかけたときなど、普通の時よりも頭脳が鋭敏に活動して、すらゝゝ(※2)と筆が走ることがある。かゝるとき私は、病気の御蔭だといつも感謝するのである。

 はじめ、私の友人や知己は、身体に障ると悪いから物を書くことをやめよとよく忠告してくれたものである。然し私はかやうな忠告をきく度毎に、その親切に感謝するよりも、むしろ腹立たしい思ひになつた。物を書くことが何故身体に障るのか、私にはどうしても了解することが出来なかつたからである。それのみならず、反対に私は、物を書くことによつて病を治すことが出来ると確信して居たからである。病人が物を書けば身体にさはるであらうといふ考(かんがへ)は、病気になつたことのない人の懐くところであつて、決して病人の真の心を理解したものといふことが出来ないのである。現に私は可なりに沢山物を書いたが、それによつて、私の考へたとほり病を征服することが出来たのである。
 然し、たとひ、自分に確信を持つて居ても、他人から物を書くなと忠告されると、一時は気が迷つて、妙にいぢけた心持になるものである。私と同じ病に悩んで居られる読者の中にも、ことによると、親戚や知己から、同じやうな忠告を受けて不快な気持になつて居る人があるかも知れない。だから、私は、それ等の人に向つて、あらためて、「病中物を書いたり、又は自分の好きな仕事をすることは、身体に障るどころか、却つて病を駆逐するものである。」と忠告しようと思ふのである。

 一たい、現今の慢性病の治療法なるものは、果して病を治すために役立つのか、又は病を重らせるために役立つのかわからぬくらゐである。慢性の病気になると、多くの患者はぶらぶら遊んで居ることが、自分の特権でゞもあるかのやうに、あたら青春をぶつ潰してしまふ。ぶらゞゝ(※3)遊んで居て病がなほるならばよいが、現代の医学は決してそんなことを保証しては居ないのである。その証拠に遊惰な気分を養成した患者は大てい深みへ陥つてしまふのである。理窟から考へても、「病」といふ大敵を背負つて居ながら、薄ぼんやりとして暮して居ては、病のために征服されるのがあたりまへである。
 なほ又とかく病弱の者は、「病弱」を楯に世間にハンヂカツプを要求しようとする。換言すれば、病人だから云々と、物ごとを条件づきに取扱ひ、周囲から許して貰はうとする。これも頗る間違つた話で、甚だ卑怯なことゝ言はねばならぬ。病人であるの故をもつて世間が我慢してくれるのは世間の勝手であるが、病人自身が世間に向つてハンヂカツプを要求するのは絶対にいけないと思ふ。真剣になつて病と闘ひ又世間と闘ふのに、ハンヂカツプも何もあつたものではないのである。
 慢性病者は兎角真剣味に欠け易い。一時的に精神を緊張させる人があつても、永続的に緊張させる人は甚だ少いやうである。言ひかへて見れば、病に負ける人が頗る多いらしい。従つてまた世の中の敗北者ともならねばならぬのである。のみならず、病弱者の中には、病に罹つたことそれ自身を、すでに世の中に敗北したものと考へて居るお目出度い人がある。そんな人は到底世の中に打ち勝つことも出来ねば、また病ひに打ち勝つことも出来ぬのである。

 思ふに慢性病に罹つた時ほど、心を錬磨するに好都合な機会はないのである。自分の心を強くならしめることによつて、如何に見事に病を退治することが出来るかを実見するに最も適当な時機である。肺病の如きものは、心の持ち方一つで、他に何等の方法を講じなくても、治すことが出来るのであつて、この事は拙著「闘病術」の中に委しく述べて置いたが、心を適当に利用したならば病を駆逐することが出来ると同時に、苦難に堪へる覚悟を養成するのであつて、いはば一挙両得なのである。さうしてこれは、慢性病者に与へられた特権といつても差支ないのである。
 それ故、私は世の病弱者に向つて、この特権を出来る限り利用するやうに忠告したいのである。兎角、病弱者は、現在の苦しみを脱(のが)れようとあせつて、少しも苦しみを迎へようとしないけれども、世の中には、自分の苦しみの幾十倍の苦しみをしつゝある人が沢山あることを思つたならば、現在の自分の苦しみぐらゐは何でもなく、現在の苦しみを感じなければ、もはや病が去つたと同じであるから、完全に病を征服したといひ得るのである。

 一般に病弱者は病の治ることをぼんやり希望して居るだけであつて、生きようとする努力をしない。元来人間は生きるのが目的であるから、生きようとしないで病の治ることを希望するのは間違つた考へである。さうして、一たび生きようとする心が起つたならば、病と生命とは別物とすることが出来、病を持ち乍ら、健康者と同じやうに生きて行くことが出来るのであつて、この状態を私は「健康の創造」と呼んで居るのである。即ち病弱者は、病を駆逐することを後廻しにして、須らく、健康の創造に努力すべきであらうと思ふ。
 慢性病者の多くは、たよるべき何物もないと知り乍ら、尚ほ且つ、医師にたより、薬剤にたより、その他また色々のものにたよらうとする。さうして、だんゞゝ(※4)病が重くなつて、もはや何ものにもたよることが出来ないと思つたとき、始めて自己の心にたよることが出来るのであるが、中には絶望のまゝ死んでしまふ人が少くない。で、私は、病弱者は、一刻も早く、自己より外にたよるものがないといふことを痛感してほしいと思ふのである。イブセンの「民衆の敵」の中に出て来る医師ストツクマンの言ひ草ではないが、「世界で一ばん強いものは、たゞ一人立つ人間である」から、病弱者は、病気を縁に一日も早く、たゞ一人立つ人間になつてほしいと思ふのである。

(※1)原文ママ。
(※2)原文の踊り字は「く」。
(※3)(※4)原文の踊り字は「ぐ」。

底本:『実業之日本』大正15年10月1日号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1926(大正15)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2017年6月30日 最終更新:2017年6月30日)