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余が実験せる石灰粉末吸入療法 ―藤本博士発明の肺結核新療法に対する余の実験―

医学博士 小酒井不木

心の持ち方一つ

 最初に断つて置きますが、私は、肺結核に対しては、現在行はれつゝある凡ての薬物的療法も、又、物理的療法も、或は自然療法なるものも、それ自身決して偉効を奏するものではないと信ずるものであります。さうして、私は、肺結核なるものは、患者自身の「心」を治療の主体として、その心の持ち方を適当にしたならば、それによつて必ず治療の曙光に接するものであることを主張するのであります。この主張のもとに、私は先日「闘病術」なる一書を著はして、重性の結核患者を救はうと企てたのであります。
 従つて私は心の持ち方さへ適当にしたならば、薬も滋養分も、その他、何物をも用ひなくても、あたりまへのことをして居て、それで肺結核はなほると考へて居るのであります。が、私のいはゆる闘病心が定まつた上で、薬をのみ、滋養分を取ることは、毫も差支ないのみか大(おほい)に試みる必要があると思ひます。従つて新らしい療法が発表せされたとき、それを試みても決して差支ないのであります。たゞその療法を試みて、効があらはれなかつたとき、通常の人ならば非常に落胆しますが、闘病的決心の定まつた人は毫も悲観しないのでありまして、これが、闘病術なるものの強みであります。

私の肺結核

 私が藤本博士の石灰粉末吸入法を自分に試みたことも、即ち、上述の意味に外ならないのであります。私は大正四年に発病し、一時完全に治療し、大正九年パリーで再発して重態に陥り、帰朝して一年間床上(しやうじやう)に暮し、大正十一年から十二年にかけては、床を離れて暮しましたが、十二年の九月に大咯血をやりましたので、咯血が治まつてから間もなく、神戸の友人田村博士から、藤本博士の石灰吸入療法を勧められて試みるに至つたのであります。その以前、私は田村博士から、カルシウム溶液の注射を勧められましたけれど、カルシウムの溶液を注射したとて、すぐ尿に排泄されてしまふにちがひないから、私は試みる気にならなかつたのでありますが(※1)藤本博士の石灰吸入療法は、その原理が私のかねてから抱いて居た考へと一致したので、自分で試みる気になつたのであります。
 藤本博士は、セメント工場に肺結核患者が絶無であるか又は極めて稀であるといふところから、この療法を始められたのでありますが、私もかねてから患者に石灰粉末を吸入させて見てはどうかしらと思つて居たのですから、藤本博士の説に大(おほい)に共鳴したのであります。で、早速同博士から機械を送つてもらつて吸入を行つて見たのですが、いくら濃厚な粉霧を吸つても、少しも咳嗽(がいさう)を起さないので、用ひない以前、その点に危惧をいだいて居た私は、その時むしろ驚いたくらゐであります。さうして、これならば、きつと有効であるにちがひないと思ひました。
 さて、ここで、一寸、言つて置かねばならぬことは、私の病気の程度なのであります。私は元来、自分の身体を医者に診てもらふことを非常に好まないのであります。私の考(かんがへ)では、病気の軽重を診てもらつたとて、それで肺結核が治る訳のものでなく、いかに症状が重くても、自分で軽いと信じて居たならば、それでよいといふのでありますから、今、私の肺が、どれ程冒されて居るのか少しも知らないのであります。何でも、大正四年の発病当時は左肺の底部と、右肺の下葉の一部分が冒されて居たらしいですが、大正九年パリーで再発し、帰朝して診て貰つたときは、右肺全部がやられて居たといふことでありまして、その後医師から、右肺の上葉に空洞があるといふことをきゝました。

吸入療法の実績

 私が石灰粉末吸入療法を始めたのは、以上の様な状態の時でした。その時分、朝の咯痰は可なりに多かつたのですが、発熱はなく咳嗽(がいそ)もあまりなく、大咯血から徐々に私の身体は恢復に向ひつゝありまして、すでに闘病的決心のついて居た時分ですから、石灰粉末療法の実行と共に、見るゝゝ(※2)元気づいて行きました。
 始め藤本博士の教(をしへ)に従つて、一日何グラムやらづゝを吸入して居ましたが、実のところ、だんだん原稿書きが忙しくなつて、吸入を行ふ日もあれば、行はぬ日もありました。何しろ、身体の調子がよいものですから、忘れ勝ちになるのも無理はありません。さうして今日では、朝の咯痰は依然として可なりにありますが、仕事だけは、健康時と少しも変らぬやうに行ふことが出来るに至りました。
 かういふ訳ですから、私の石灰粉末吸入療法の実験なるものは、甚だ不完全なるものですが、これによつて、少くとも石灰粉末の吸入そのことは、決して害が無いから、私の従前の考(かんがへ)からいつても、肺結核患者がこれを試みることは頗る賛成であるといふことが出来ます。

吸入療法と闘病的

 藤本博士は、多数の患者に実験し、その結果を報告せられた中に、
「肺結核の様に何等特に治療する事なくとも、屡々自然治療する疾病に於ては、或る未知の療法を行ひ、果して効果があつたか否かを決定することは頗る困難であります。故に、今日私の言ひ得る事は、石灰吸入をする自覚症状の軽快、殊に咳嗽咯痰の減少、胸内圧重感又は異物感の消失、呼吸促進の著しき軽快及び元気の恢復、倦怠感の消滅、安眠、食慾増進等が屡々目撃せられる。……而して此れ等の自覚症状の軽快は疾患その者の経過をして必ずや良好ならしめるものと思ひます。従つて吸入療法は単なる対症療法であると思ひます。」
 と言つて居られますが、これはまことに至言であると思ひます。肺結核は、時には、何の治療もせずに治るのでありますから、私の場合に於ても、特に石灰粉末吸入療法がきいたと言ひ得ないであらうと思ひますが、闘病心が定まつた上で、石灰粉末吸入療法を試みたいのですから、良好な結果を得ずに居られないことになつたのであります。
 私は、凡ての療法に絶望を感じたとき、始めて闘病心が定まつた上は、どの療法を試みても、その試み方が適当であつたならば、治療を促進するであらうと思ひますから、肺結核患者諸君が、そのつもりで、この石灰粉末吸入療法を試みられたならば、恐らく、好結果を得られるであらうと思ひます。
 色々の結核治療法なるものの中には、多少の冒険を伴ふものがあり勝ちですが、この石灰粉末吸入は、少くとも無害であることは事実ですから、私は敢て推奨するに憚らぬのであります。
 私は、私の「闘病術」の中に、すべての治療法から離れることを説いて居りますが、患者は中々それを実行し得ないだらうと思ひます。さうした場合、無害で、理論上有効であるべき療法を実行することが一ばん、策の得たものであると思ひます。
 かういふ訳でありますから、石灰吸入療法を持続して、しかも治らなかつた場合、闘病的決心のついた人は決して悲観しないのであります。然るに闘病的決心のつかぬ人は、一つの療法を信頼して実行し、しかも思はしく治らない場合は、甚だしく失望して、却つて病を重らせることがないと限りません。石灰粉末吸入療法を試みる人には、これだけの理解と覚悟がなくてはならぬと思ひます。
 石灰粉末吸入療法は、藤本博士以外の人々によつても実験されつゝあるのですから、追々、その効力が報告されるだらうと思ひます。さうして、多くの患者によつて、喜んで実行せられるやうになるだらうと思ひます。(をはり)

(※1)句読点原文ママ。
(※2)原文の踊り字は「く」。

底本:『実業之日本』大正15年9月15日号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1926(大正15)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2017年6月30日 最終更新:2017年6月30日)