インデックスに戻る

諸家の歴史的人物観と理想とする医人観

 我社は新年号の附録として掲載すべく左記の発題の下に医家を中心とし医家以外の社友に書を飛ばして其答案を求めた。此出題に就ては種々なる批評がある。それは発題が中々難問である上、専門以外に属する事を医家に求むるのは無理である、或は曰く、問題が余りに多きに失する、此繁忙の世の中に咄嗟の間にとても筆を走らす訳に行くまい、此計画は恐らく失敗に帰するであらうと云ふのが衆評の多数を占めてゐた。併し、乗り出した船だ、暫らく経過を見るの外はないと思つてゐる内に予期以上の成績を得た、而も答案を送られた方は孰れも鐵中の錚々たる一騎当千の豪のもので、難問を突破された勇者である。これが所謂失敗の成功と云ふのであらうか、此点に於て寄稿家諸先輩に対して深く感謝する所である。 藻城生識

発題
(第一問)古今東西の歴史中余の好める人物五名の姓名及短評
(第二問)医家中余の理想とする人物三名の姓名及短評

第一問
1、親鸞
 私の家が一向宗で父が「念仏」信者であつたため親鸞の名は五六歳の頃から私の胸に刻まれた。高等学校のとき、京都といふ親鸞に縁の深い土地に居たため、その頃「歎異抄」は私の愛読書の一つであつた。それと同時に高山樗牛の文にかぶれて、日蓮も好きになり、爾後今日に至るまで日蓮の遺文と親鸞の遺文はつねに私の身辺を離れない。
 私は海が非常に好きである。病気をしてから殊に海を慕ふやうになつた。私の好きなハイ子が、優秀な海の詩を作つたことも海の好きな一原因であるが、私は海を見る度毎に親鸞と日蓮とを思ひ出すことも海のなつかしい所以である。親鸞は洋々たる春の日の海のやうであり、日蓮は狂瀾怒濤の荒れさわぐ暴風雨の夜の海のやうである。どちらも懐かしいが、やはり平和な春の海の方が幾分かはよい。
 近頃世の有象無象が、「教行信証」の香も嗅がないで親鸞を食ひ物にして居るのは実に癪に障つてならぬが、そのうちには「親鸞熱」はさめるだらう。けれど私の親鸞熱はそんなに早くはさめぬつもりだ。

2、フヨドル・ドストエフスキー
 ドストエフスキーの「罪と罰」を始めて読んだのは巴里の客舎で血を喀いて病床に横はつて居たときである。そのとき私はこの書の五分の一を読まぬ先に、感激のためもうとても跡が続けて読めぬ位になつた。読むと血を喀きそうな気持になるので読み終るまでは随分苦労して、兎に角血を喀かずに読み終ることが出来たが、その後程なく大きい喀血をやつた。いや、生れてこれ位強い印象を与へられた書物はその前後に読んだことがない。とても人間業ではないと思ふ。私は今、聖書以上の聖書としてこの書を愛読して居る。気が塞いだときなどこの書の何処の一頁でも読みかけると、すつかり気が変つて、人間に生れた有難さをしみゞゝ(※1)喜ぶ。
 ドストエフスキーの顔も、性格も私は大好きだ。貧に苦しめられ乍ら、一文の金でもあるとそれを町の貧民に恵む所などの姿を想像して、たまらなく懐かしい。

3、ミカエル・フアラデー
 いつもポケットの中にカードを入れて置いて実験室は勿論、劇場でも街上でも自分の思ひついた事を直ちに書き記したといふファラデーのやり方を、偶然私もやつて居つたといふことが、彼の品性や彼の生ひ立ち以上に、私の彼を好む心を濃厚にした。彼の自分が下賤の身から出たことを忘れなかつたことや、自分の研究を売り物にしなかつたことなどは拙著「学者気質」の中に書いて置いた。
 顔付からか、その性格からか、又はその境遇からか、ファラデーを思ふ毎に私は必ず次に書くリンカーンを聯想する。ファラデーが好きであるからリンカーンも好きなのか、リンカーンが好きであるからファラデーも好きなのか、その辺のところは私自身にもわからないが兎に角この二人は私の大好きな人物である。そしていつでも必ず二人を同時に思ひ出すのである。

4、アブラハム・リンカーン
 私はアメリカが大好きである。私の旅行した国々のうち最も長く滞在したゝめか、或は私の大好きなリンカーンや、エドガー・アラン・ポオを生んだ国であるためか、又は空気が乾いて居て雨が少なく私の健康のためによいせいであるか兎も角もう一度どんなことがあつても、アメリカへ行つて見たい気がする。そして、ワシントンの図書館でリンカーンの自筆の大統領教書を今一度読みたい。
 リンカーンの私の好きな点は、彼が正直なことである。政治家の中にはどうかすると正直でないものがある。不正直な人間は私は大嫌ひである。夏目漱石も不正直の嫌ひな人であつた。この点に於て私は夏目漱石が好きであり、氏の作品は洩れなく読んだ。私は誰でも正直な人を、あくまで尊敬する。

5、ナポレオン・ボナパート
 たゞ何となう好きな人物はと問はれると、いつもナポレオンが真つ先に浮んで来る。ロンドンに滞在して居たとき、はからずもローヤル・ソサエチー・オヴ・メヂシンの図書館にナポレオンの記念会が開かれ、そのとき、始めて彼の遺髪や、死面などを見て、実に嬉しかつたことは今でも忘れることが出来ぬ。ナポレオンのどの点が好きかと問はれても一寸答へかねる。やはりたゞ何となう好きだと言ふより外はない。
 彼がロングウッドの寂しき配所に、肝臓癌を病んだ光景を想像するといつも涙が眼にたまる。尤もあの悲惨な末路がなかつたなら私はナポレオンを好きにならなかつたかもしれない。



第二問
 私は自分が臨床家でないためか、理想とする人物も自然臨床家でない医学者である。

1、ルイ・パストール
 誕生百年祭が執行されるからパストールを挙げたと思はれては甚だ迷惑である。私が巴里に居たときふとした機会から、パストール研究所に働いて居た故デ・リール氏の未亡人と懇意になり、その夫人を介してパストール研究所の人々の噂を聞き、今の所長のルー氏の極めて親切なことに感じ、ことに私が客舎で病んだとき、ヂュークロー未亡人やメッチニコッフ未亡人が態々初対面の私を病床に訪ねてくれた嬉しさは実に一生涯忘れることが出来ないが、是等の暖かい親切心を私はどうしてもパストールの感化に帰したいと思ふのである(。)(※2)パストールは実験動物にも至つて親切であつた、況んやその弟子に対する親切さ加減は迚も想像の及ばぬ程深いものであつた。私のパストールに学びたい点は此処である。

2、クロード・ベルナール
 私がクロード・ベルナールに学びたいのは彼の研究の態度である。彼の言は拙著「学者気質」にも一寸、書いて置いたが、彼は実に私の言ひたい所のものを悉く言つてくれたやうな気がする。J. B. Dumas は彼を評して
Ce nest pas un grand physiologiste: cest la physiologie menie.
(生理学者でなくて生理学そのものだ)
と言つた。何人も実にかうありたいものである。彼がいつも一寸した発見から、大業績を導いた手腕は、私の好きなコーナン・ドイルの小説中の人物シャーロック・ホームズのそれのやうである。ヂッケンスも大小説は些細な観察発見から出来上るといつて居るが(、)(※3)学者は須らく、想像力が豊富でなくてはならぬと思ふ。

3、パウル・エールリッヒ
 私がエールリヒに学びたいのは彼の勤勉な点である。「天才とは勤勉である」と謂はれて居る如く、彼のサルヴァルサンは実に勤勉の所産であらう。如何に想像力が豊富でも、エールリッヒの所謂 Geduld が無くては仕事の完成は覚束ない。大小説家ヂッケンスは
My imagination would never have served me as it has, but for the habit of common-place, humble, patient, daily, toiling, drudging attention.
(たゞ豊富な、質素な、根気よい、日々の、よく働く、飽くまで勤勉な、注意がなかつたならば、私の想像力も私のあの仕事を生む訳には行かなかつたであらう)
と謂つて居る。私はこの言葉をその儘エールリッヒに捧げたい。

(※1)原文の踊り字は「ぐ」。
(※2)(※3)原文句読点なし。

底本:『医学及医政』大正12年1月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1923(大正12)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2018年2月23日 最終更新:2018年2月23日)