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余が病苦十年の体験録 肺結核を如何にして治癒せしか(二)

医学博士 小酒井不木

三 肺結核に薬なし

 黴毒にサルワ゛ルサン即ち六〇六号といふ特効治療薬のあることは、皆さんのすでに御承知になつて居ることゝ思ひます。この薬は黴毒の病原体なるスピロヘーテ・パリダと称する微生物を、直接に殺す能力を持つて居るのでありますから、この薬の適当量を注射すれば、みごとに黴毒はなほるのであります。
 この薬はエールリツヒといふ医学者の発見したものですが、結核についても、同様な薬剤を発見したいものだと、随分沢山の医学者が努力致しましたけれど、残念ながら、体内の結核菌を殺す薬は発見されないのであります。将来発見されるかどうかはわかりませんけれど、少なくとも、現在は、肺結核には特効薬がないのであります。結核菌そのものを殺すに足る薬剤は沢山ありますけれども、体内に一旦寄生して繁殖しつゝある結核菌を殺すものはないのであります。クレオソートの如きものは、試験管内の結核菌を殺すことが出来ても、体内の結核菌を殺すことは出来ません。その証拠にはクレオソートをいくらのんでも結核はなほりません。又、昇汞水は結核菌を殺す力がありますけれど、それを飲めば、却つて身体を害するだけであります。即ち、結核菌に有害であると同時に身体細胞にも有害でありますから、何の役にも立たぬのであります。身体細胞には害にならないで、体内に寄生する病原微生物のみに害になる薬剤をもつて治療することを、特に「化学的療法」と唱へて居るのですが、黴毒の化学的療法はエールリツヒの手によつて成功を見ましたけれど、結核の化学的療法はまだ何人(なにびと)の手によつても成功を見ないのであります。先年何とかいふ博士がチアノクプロールと称する銅の化合物を用ひて化学的療法に成功したかのやうに伝へられましたが、それはうそ(※1)でありました。
 次に結核の血清療法といふことも度々企てられましたが、これ又不成功に終りました。ヂフテリーや破傷風は免疫血清によつて、みごとに治りますから、同じやうに結核菌をもつて免疫した馬や、又は他の動物の血清によつて結核をなほさうと、工夫した学者は少なくありませんが、残念ながら目的を達することが出来なかつたのであります。又、ワクチン療法と称して結核菌そのものを一定の方法をもつて処置し、それを患者に注射して治療しようと企てた人もありますが、やつぱり駄目だつたのであります。かのコツホの発明したツベルクリンは結核菌から作つた物質でありまして、今でも有効であるかのやうに誤解して居る人がありますが、その実あまり効力はないのであります。
 この外に結核には多数の対症療法があります。解熱剤、(きよ)(※2)痰剤、鎮咳剤の如きものがこれでありまして、いふ迄もなく、対症療法なるものは、結核の病状を一時的に軽減するに役立つのみでありまして、それ自身、結核を治す力は持つて居ないのであります。その他各種の物理的治療法や、自然療法、やれ何々療法などといふのは、いづれもそれ自身に結核をなほす力は持つて居りません。なほ又、各種の気味の悪い民間薬なるものも、同じ関係に属して居るのであります。
 かくの如く、結核に効く薬といふものは一つも無いのであります。さうして多くの患者は、「結核に薬なし」といふことを、あく迄も聞いて知つて居るのであります。ところが、それ等の患者は、恰も、自分の結核だけには有効であると思つて居るかのやうに、効きもしない薬を一年も二年も続けて居るのであります、これは誠に不思議な現象といはねばなりません。不思議であると同時に、また誠に愚かな現象です。が、愚かな現象といつて笑つて済すにはあまりにも重大な問題でありまして、私たちは一応その理由を考へて見なければなりません。
 その理由の大きなものは、効きもしない薬で治る(※3)に拘はらず、その薬で治つたといふ人が可なりに沢山あることであります。ある人はスツポンの生血(なまち)をのんだら立派になほつたといひます。ある人はまたイボタの虫を食つたら見ごとになほつたといひます。ある人はまた、何とかドラツグの薬をのんだらなほつたといつて写真までつけて新聞に感謝状を載せて居ます。
 それが本当であるか嘘であるかは知れませんが、とに角、長い間病床に居りますと、色々な人が来て、色々な療法をすゝめてくれます。私もこれまで、色々な療法をすゝめられました。枇杷の葉を何とかして治すといふやうな、まるで原始人でもやりさうな方法をさへ、真面目になつて勧めてくれる人もありました。御親切には感謝しながら、私は一度も試みませんでしたが、勧める人は、全くの親切心から教へてくれるのでありまして、ある場合には、それ等の方法によつてなほつた例が実際にあつたにちがひありません。
 して見ると、結核といふものは特効薬がないにも拘はらず、色々の薬でなほるものだといふことがわかります。このことは非常に重大な意義を持つて居るのでありまして、特効薬がないにも拘はらず、色々な薬でなほるといふ、一寸考へて矛盾したやうに思はれる現象は、その実「結核に薬なし」といふ言葉を裏書きするものであります。即ち、どんな薬でも結核に効くといふことは、どんな薬も結核には効かぬといふことなのです。
 甲の薬も、乙の薬も、丙の薬もきくといふことは甲、乙、丙ともにきかぬといふことなのであります。かういふと一寸おわかりにならぬかも知れませんが、どの薬でも効くといふことは、薬なしでも治るといふことを意味するのであります。即ち結核は本来、捨てゝ置いてもなほる病であるといふことを明示して居るのであります。即ち、甲、乙、丙の薬を用ひて治つたといふことは、たゞそれ等の薬を用ひたゝめに治つたやうに見えるだけでありまして、本来はその薬がきいてなほつたのではありません。若し私が、発病以来縞蛇の黒焼を常用して、今日の状態に達したならば、或は私は縞蛇の黒焼を特効薬として吹聴したかも知れません。
 他人が何々を用ひてなほつたと聞かせてくれる時、患者なるものは、先づ上記のことを胸に置いて、その話をきかねばならぬと思ひます。さうすれば、他人がたとひ最上の方法であると勧めてくれるものでも、すぐそれを実行する気にはならぬのであります。結核患者の中には、他人に勧められる療法を、あれもこれも実行せんと努力し、ために益々病を悪化して居る人が少なくありません。深呼吸療法がよいときくと、末期の重態でありながら、それを試みて死を早めたといふやうな例はザラにあるのでありまして、実に御気の毒とも何とも言ひ様がないのであります。
 そこで、肺病療法の際、最も肝要なことは一日も早く、「肺病に薬なし」といふことを真に会得することであります。「肺病に薬なし」といふことを真に知ることは早ければ早い程その人の治癒が早いといつても差支ないのであります。ところが、これは言ふは易くして中々行ひ難いところであります。即ち多くの患者は、薬を用ひずに居るといふことが出来ないのであります。たとひ半月や一月薬を廃して居ても、若し病気が悪化しかけた場合には、やはり、薬を飲まなかつたから悪くなつたであらうと解釈し、服薬を始めずには居られなくなるのであります。なほ又、新聞などに目新らしい治療法が広告されると、それにとびつかずには居られないのであります。一たびカルシウム注射がよいといはれると、一年も続けて毎日注射してもらふといふやうなお目出度い人が出て来ます。一年も注射して貰つて居ると、その間には咯血することがありますが、さういふとき患者は、「若しカルシウムを注射して居なかつたならば、もつとひどい咯血を起したであらう」などゝ考へて、効きもしない薬の味方にさへならうと致します。かやうなことは冷静になつて考へれば、狂気の沙汰としか思はれませんが、多くの結核患者は大なり小なり、この狂気の沙汰を演じて居るのであります。
 薬を買ふ資力の富豊(※4)な人はまだいゝとして、貧しい人までが、効かぬ薬を買はうとするのは一種の悲劇であります。昔から肺病療養に、沢山のお金がなくてならぬやうに言はれて居るのは、要するに患者の心が定まらないからであります。患者さへしつかりした精神をもつて他人の治験例に迷はされず養生したならば、決して肺病はそんなに金を要するものではありません。
 「肺病に薬なし」といふことを真に会得したならば、もはや薬には頼らなくなります。薬に便(たよ)ることが出来なければ、我が心に便(たよ)るより外はないのでありまして、わが心に便(たよ)ることが出来たならば、その人は治癒の道に一歩踏み入つたといふことが出来るのであります。これが私の所謂「闘病術」の要点の一つであります。即ち闘病術に於ては、従来世に行はれて居る療養法なるものは、薬物療法にしろ、自然療法にしろ、乃至は又栄養療法にしろ、悉く第二義的のものであつて、第一義は即ち、「生きんとする強い意志」を樹立することであります。さうして生きんとする意志が樹立された上は、その「」を治癒の主体として、薬物療法なり、又はその他の従来の療法を自由自在に適当に施すのであります。さうすれば、薬物なり、滋養分なりは、すべて有効に作用し、治癒を促進することが出来るのであります。

四 「生きる」ことと「なほる」こと

 前節に私は「生きんとする意志の樹立」について述べましたが、肺病患者はとかく「治らう」とは考へても、「生きやう」と考へないものでありますから、私は「生きる」ことと「治る」ことの意義を述べやうと思ひます。この意義を知つて置くことが、肺病療養の際に極めて大切であるからであります。
 結核には急性伝染病の如き経過をとるものがありますが、それは甚だ少なくて、多くの肺結核は慢性の経過をとります。時には何年、何十年といふ長い経過をとるのがあり、又、一旦治癒しても、とかく再発し易くて、治つたとも治らぬともわからぬ状態に入る人が少なくありません。けれども、たとひ病気が存在して居ても、それがその人の生活に何の支障も齎(もた)らさぬとすれば、病気は存在しないと同じでありまして、若し結核患者にして、さういふ状態に入ることが出来たならば、それを「治つた状態」と見做しても差支なく、事実結核の治癒なるものは、この状態を意味する場合が多いのであります。さうしてこの状態は俗に「固まる」と呼ばれて居るのであります。
 さて、多くの患者はこの間の消息をよく知つて居り乍ら、その心では「完全な治癒」を望んで居ります。さうして完全に治つた暁に、ゆつくり仕事にでも取りかゝらうと考へて居るのであります。ところが、かやうな患者にはいつ迄経つても完全な治癒は来ないのであります。来ないどころか、病はだんゝゝ(※5)重つて行つて、遂には起つことの出来ぬ状態に陥ります。それにも拘はらず、患者はなほも、完全な治癒を望んでやまないものでありまして、実に悲惨といはうか可憐といはうか、言ひやうのない運命を辿つて居る人が多いのであります。
 かやうな人々は、一口に言へばただ「治らう」と考へるだけで、少しも「生きやう」とは考へて居ないのであります。物質的治療法の何一つない結核病に出逢つて、たゞ漫然「治らう」と考へるのは、之れ自身大なる矛盾であるといはねばなりません。ところが多くの患者は、ちつともその矛盾に気がつかないのであります。而も患者は、病のはかゞゝ(※6)しくなほつて行かないことに多大の焦躁を感じ、はては身を呪ひ世を呪ふといふやうな、情ない状態に陥るのであります。
 かゝる悲劇は到るところに見られるのでありますが、この悲劇から脱するには、患者が「生きよう」とする心になりさへすればよいのであります。病気を持つて居たとて生活に毫も差支はないのですから、慢性病に悩むものは、「治る」ことを待たないで、病に適応しつゝ生きて行くことを考へるべきであります。「生きる」といふことを主としさへすれば、もはや治る治らぬは問題でなくなります。
 さうして遂には、「病は勝手に存在せよ、自分は自分で生きて行くから」といふ境遇に立ちいたることが出来るのであります。さうして又この境遇になると、はじめて、生きること即ち治ることであるといふことが体得され実現されるのであります。
 又、多くの患者は早くなほつて現在の苦痛から免れたいと希望します。これは然し、甚だ虫のいゝ願ひといはねばなりません。これもつまりは生きやうとする心を定めないがためであります。一たび生きようと決心したならば、区々たる肉体の苦痛はもはや何でもなくなります。人生は一つの戦(たゝかひ)ですから、苦痛を覚悟しなければ世渡りは出来ません。だから病気の苦痛だけを特種のものとして、之れを避けやうとするのは卑怯です。実際、肺病患者の多くは避苦にのみ心を傾けて、少しも迎苦的な心がないために、徒らに悩み徒らに病を重らせて居るのであります。
 少しぐらゐの熱や、咳嗽や、咯痰や、呼吸困難が一たいどれ程苦しいのでせうか。そんなものは気の持ち方一つで、少しも感じないやうにすることが出来るのであります。それにも拘はらず、三十七度一二分の熱があると大騒ぎして床(とこ)の中にもぐりこみ、やれ解熱剤、やれ安静とさわぐのは全く笑止の至りです。苦しみを感じさへしなければ、もはや病は存在せぬと同じですから、肺結核患者は一日も早く、肺結核から生ずる苦痛を何とも思はぬ覚悟にならなければなりません。
 解熱剤ものまず、鎮咳(きよ)(※7)痰剤をのまなかつたならば、多くの患者は、前にも述べた如く病が悪化しやしないかと恐れます。然し、解熱剤をのみ、鎮咳(きよ)(※8)痰剤をのみ続けて居りながら、病の悪化する人がザラにあります。否恐らく、日々死んで行く肺病患者のうち、臨終まで解熱剤やその他の薬を飲まぬ人は殆んどあるまいと思ひます。して見れば、それ等の薬は、考へやうによつては死ぬための薬であるといつても差支ありません。これは甚だ暴言ではありますけれども、これくらゐ極端な言葉を使用しなければ、到底結核患者を救ふことはむづかしいと思ひますから敢て言ふのであります。
 解熱剤を始め各症状の軽減に用ひられて居る薬剤は、よほどの苦痛を伴はない限り、これを用ひぬやうに心懸るべきであります。さうして、一週間乃至二週間服薬を持続しても症状にさしたる変化が見えなかつたならば一旦中止し、又必要な時に始むべきであらうと思ひます。同じ薬を半年も一年も持続するといふことは、害にこそなれ、決して益はないと思ひます。
 一たい、患者自身が検温して、自分の体温を知るといふことは甚だよくないことです。医師が体温表を必要とするのは、発病の当初、結核であるか否かを定める時であつて、一旦結核であると診断が定まつた以上、体温表を作るといふことは無意味であります。多くの療養書には熱が平熱になつて幾日過ぎたら、動いてもよいとかいふやうなことが書かれてありますが、若し永久に熱が下らなかつたから(※9)その患者は永久に動いてならぬ訳であります。して見ると一たい何のためにこの世に生れて来たのかわからなくなります。体温表の製作といふことは芸術品の製作とは異ひまして、いまだ嘗て体温表を残すことによつて不朽の名を得た人は一人もありません。軽熱は、それをはかりさへしなければ感じないのが普通でありますし、又たとひ高熱であつて、悪寒や熱感を起しても、結核そのものを根本的に治す薬剤はないのですから、熱をはかるといふことは畢竟無意味であると思ふのであります。
 又一生涯完全に治癒する日を待ちつゝぼんやりと暮すのが、果して生甲斐のあることでせうか。失つた月日は再びこれを取りかへすことが出来ぬと思つたならば、たとひ病気であるといへ、いやしくも人間らしい生き方をしたいと思ふ人であるならば、僅かな症状にかまけて安閑とはして居られない筈であります。かういふと退嬰的な療法に甘んじて居る人は、無理をして身体を壊して早く死ぬよりも、ゆつくりと治るのを待つて、それから、人間らしい生き方をした方が得策ではないかと反抗するでありませう。
 然し乍ら、前にも述べました通り、結核がいつ治るかといふことは誰も保証してくれません。して見ればぼんやり治るのを待つといふことは、ぼんやり死を待つことになるのであります。ぼんやり死を待つて居るくらゐならば、早く避苦的療養生活を切り上げて迎苦的生活に入り、たほれて後やむ覚悟をした方が遙かに賢明な策であると思ひます。
 ところが、迎苦的生活に入れば、却つて私たちの身体に具はつて居る自然治癒力が猛烈に活動を始めます。薬剤にたより、滋養物にたよつて居る間は、自然治癒力は当然その影をひそめるのでありますが「生きやう」といふ心をさへ定めたならば、忽ち活動をし出すのであります。結核は既にのべましたとほり、そのまゝ捨てゝ置いても治るものでありまして、それは即ち自然治癒力の活動に基くのでありますが、なまじ色々な治療法を施して患者の恐怖心を高まらしめるために、却つて自然治癒力が妨害されるのであります。即ち、現今の多くの肺病患者は、治ることをぼんやり待つて居りながら、反対に治ることを妨げつゝあるのであります。言ひかへて見れば医術なるものがあるために、却つて、その医術に禍(わざはひ)されて居るのであります。この点をよく考へたならば、それだけでも、患者は自分で結核治療の道を見つけることが出来るだらうと思ひます。
 即ち捨てゝ置いてもなほる病気である以上、意識して捨てることに努力したならば、結核の治癒は促進される訳であります。捨てゝ置くことによつて生ずる不安を、正しい理解と強い意志とによつて除いたならば、それによつて患者は立ちどころに救はれる訳であります。
 私の「闘病術」の眼目の一つは、意識して捨てゝ置くことにあるのであります。(つゞく)

(※1)原文圏点。
(※2)衣偏に「去」。
(※3)「治らぬ」というような意味の言葉でないと文章がつながらないが、原文ママ。
(※4)原文ママ。
(※5)原文の踊り字は「く」。
(※6)原文の踊り字は「ぐ」。
(※7)(※8)衣偏に「去」。
(※9)原文ママ。

底本:『婦人世界』大正15年11月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1926(大正15)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2017年9月22日 最終更新:2017年9月22日)