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余が病苦十年の体験録 肺結核を如何にして治癒せしか(一)

医学博士 小酒井不木

一 はしがき

 専門の書物は勿論、通俗的な肺病療養書のどれを見ましても、必ず、「肺結核は治癒すべき病気である。」と書かれてあります。これはまことに肺病患者にとつて、うれしい言葉ではありますが、一面に於て、年々結核で死ぬ患者が日本だけでも十万近くあるといふことをきくと、頗る気味が悪く、従つて、肺結核は不治の病気だと悲観する人が沢山生ずるわけであります。
 治癒すべき病気であるのに、容易に治癒しないのは何故でありませうか。すべての専門書や通俗療養書は患者をあざむいて居るのでせうか。それとも、他に原因があるのでせうか。結核を治さうと思つたならば、先づこの疑問から解決してかゝらねばならぬと思ひます。
 医師はよく、肺結核の初期のものは必ず治るといひます。けれども、どの患者といへども初期を経験しないで、いきなり二期三期に進む人はありませんから、初期は必ず治るなどといふことはちつともあてにならないのであります。初期が必ず治るものなら二期三期の患者はない筈であります。ところが二期三期の患者のあるところを見ると肺結核の初期が必ず治るといふことは言ひ得ない訳であります。
 かういふと医師は、初期で治し得なかつたのは手当の方法が悪かつたからだと言ふにちがひありません。然らば、どんな手当をしたならば必ずなほりますかと反問してごらんなさい。どの医師も自信をもつて、はつきりした答を与へることは出来ないであらうと思ひます。尤も、口癖として、「うまいものを食べ(、)(※1)空気のよいところへ行つて、静かに寝て居なさい、必ず治るから。」といふにきまつては居ります。けれども、それはたゞ口癖に過ぎないのでありまして、医師自身が、それで必ず治ると信じては居ないのであります。若し、医師が、それを心から信じて言ふのであるとするならば、その医師はよほどお目出度い人でなくてはなりません。
 私は、医学を修めても、臨床医家にはなりませんでしたが、学生時代には一通り、臨床医家の口癖などを稽古したものであります。その時分、結核患者に出逢ふと、必ず「うまいものを食べて安静にして居なさい。」と忠告し、炭酸グアヤコールぐらゐを薬剤として服用するやうにすゝめたものであります。さうしてそれで、患者が治らうが治るまいが、ちつともかまはなかつたものであります。治れば結構、なほらねばお気の毒。まことにあつさりした態度でした。事実また、他人の生命を自分の生命のやうに心配して居た日には、お互に一日も安らかに生きて行くことが出来ません。
 無論これは学生の時分のことでありますが、学校を卒業して開業医になつたとしても、やつぱり、同じ態度をとつたにちがひありません。実際また多くの開業医は、かうした態度をとらなければやりきれない様子であります。
 けれども患者になつて見ると、医師の言葉は自分の生命を左右するものでありますから、患者は後生大事にそれを守らうとします。ところが後生大事に守つたあげく、病が治らなかつた場合には、医師に対して甚だしい失望を感ずると同時に、遂には医師をうらむに至ります。然し、医師をうらんだところが病気は決してなほるものでなく、結局は世の中を呪つて死んで行くといふ悲しい結末を齎らすに過ぎません。
 さて、他人の肺結核に対しては、「うまいものを食べて安静にして居たまへ、」と忠告して来た私が、一旦結核にかゝつて見ると、如何にその言葉があて(※2)にならぬものであるかといふことをつくゞゝ(※3)悟つたのであります。病がだんゝゝ(※4)と進んで行かうとする時には、うまいものを食べたつて、安静にしたつて、よい空気を吸つたとて、薬剤を浴びる程嚥んだとて、何の効用もないことを知つたのであります。私は大正四年に発病して一旦治癒しましたが、大正九年の春に英国で再発して、その夏フランスで大咯血をしてからは、病はずんずん進んで、どうにも手のつけようのない有様でした。あらゆる治療法を講じましたが、ちつともきゝません。半年以上もぶつ通しに臥床しましたけれど、たゞ心臓がだんゝゝ(※5)衰弱して行つて、身体(しんたい)がますゝゝ(※6)細るだけでありまして、得るところは少しもありませんでした。煩悶し、焦躁しても、病は治りません。色々な宗教書を開いて見たとて、縁なき衆生であつたためか、何の慰安をも得ませんでした。
 これではならぬと考へた結果、始めて私は自分の心を治療の主体としさへすれば、結核を退治するのは訳のないものだと気附いたのであります。言ひかへれば、自分の心の持ち方一つで、肺結核は容易になほし得るものだと悟つたのであります。先づ私は、病が早くなほつて、身体(しんたい)が楽になることをのみ願ひ、少しも、病の苦しさに耐へる心のなかつたことに気附きました。さうして苦しさを逃れようゝゝゝゝ(※7)としないで、苦しさを迎へる心にさへなれば病は決して恐るゝに足らぬものだとさとつたのであります。病の悪化することを恐れるのは、病の苦しさを恐れるのに過ぎないのだ。安静にして居るのは、病の悪化するのを恐れるのであるから、先づ安静を破らねばならぬと考へたのであります。病の悪化することを覚悟して安静を破りさへすれば、何も恐るゝに足らない。かう考へて、安静を破つたところ、却つて心臓は強くなり、見るゝゝ(※8)うちに元気がついて、病は退(ひ)いて行つたのであります。
 次に私は、咳嗽とか咯痰とか発熱とかを、すべて善意に解釈しなければならぬと思ひました。即ち、それ等の症状なるものは、身体が無意識に病と闘ひつゝある現象であるから、むしろ喜ぶべきものであると思はねばならぬと考へたのであります。さう考へて見れば、あながち、鎮咳剤(ちんせきざい)や解熱剤を服用する必要はないと思つたのであります。況んや、検温器を用ひて、熱の有無をはかつて、びくゝゝ(※9)して居ることは、甚だ愚なことである。かう考へて、私は、検温を廃し、薬剤を廃したのであります。すると却つて、病はだんゝゝ(※10)よくなつて行くことを経験したのであります。
 更に私は、食物その他のことについて考へて見ました。さうして、いくら、うまいものだといつても、自分がそれをうまく食ふことが出来なければ何にもならぬことを知つたのであります。牛乳や卵をいかに多量に摂取しても、それを義務的に食べては、毫(すこし)も身体のためにならぬことを知つたのであります。たとひ安価な食物で、一見まづいものだと思はれるものでも、それを、感謝と歓喜の心をもつて摂取しさへすれば、立派な滋養となることがわかつたのであります。
 食物ばかりでなく、日光も、新鮮な空気も(、)(※11)それは決して、肺病療養の際の第一義的のものではなく、第一義は患者の心そのものであつて、それ等のものはすべて第二義的のものであることを知つたのであります。
 かくて私は、肺病をなほすには、先づ肺病と闘ふ覚悟を定めなければならぬと思つたのであります。さうして、病と闘ふ覚悟にさへなれば、病の有無は問題にならぬと考へたのであります。現に私は、まだ病を持つて居ります。医者に見せれば、可なりにはげしい病変があるさうであります。然し私は、その病変とは無関係に生活して居るのであります。即ち、病気があつても、無いと同じ様に生活しつゝあるのであります。これを私は一種の健康の創造された状態だと思つて居るのでありますが、兎に角、生活に少しの差支もありませんから、健康状態であるといつてもよからうと思ふのであります。
 この体験を基として、私は、「闘病術」なる一書を著はしました。この一文が雑誌に掲載される頃には、発売されて居る筈ですが、それによつて多少なりとも、同病患者に、力と慰安とを与へることが出来ればよいと思つて居るのであります。
 かくて私は、肺結核が治癒すべき病であるといふことを真に経験することが出来たと同時に、肺結核が治癒しにくいのは、患者の心の持ち方が悪いのであるといふことを知つたのであります。さうして、これまで行はれて来た結核の治療法なるものは、患者の心を毒するに役立つ方が多いといふこともわかつたのであります。
 それ故、私は、これから、私の闘病術を紹介すると同時に、現今行はれて居る各結核治療法を批評し、心の持ち方さへしつかり定めたならば、所謂三期と称せられる重症患者も容易に結核を退治し得ることを述べようと思ふのであります。

二 肺結核とはどんな病か

 いまどき、「肺結核とはどんな病か。」といふやうな質問を発したら、定めし皆さんは御笑ひになるでありませう。ところが肺結核なるものの正体は、わかつて居るやうでも、案外わかつて居ないのであります。単に素人にもわかつて居らないばかりか、その道に深い経験のある御医者さんにもわかつて居ないのであります。かういふと皆さんは、肺結核の病原体も、また、その病理もはつきりわかつて居るではないかと仰しやるでありませう。然し、わたしのこゝで言ふのは、病原体や病理のことではありません。肺結核の経過と治癒とに関してのことであります。よく雑誌などを見ますと、医師から「もう駄目だ(」)(※12)と死の宣言を下された重症の肺患者が、みごとに恢復したといふ例が、度々書かれて居るのであります。これは決して誇張でも嘘でもなく、実際にあることであります。して見ると、その患者に「もう駄目だ」といつた医師は嘘を言つたことになります。現に私自身も大正十年の春には「もう駄目だ」といはれたのであります。尤も、私を診察してくれた医師は、私に向つて直接告げたのではなく、家族のものなどに告げて居たさうですが、それにも拘はらず、私は今日(こんにち)まで生きのび、而も以前の健康時と同じやうに仕事の出来る身体(しんたい)となりました。
 けれども、医師はその実、嘘を言ふのではありません。聴診器を胸に当てゝ見ると、その症状が、いかにも助かりさうに思へないので、「とても助からぬ、もう駄目だ。」といふに過ぎないのであります。
 而も、医師が診て、とても助からぬと思はれる容態の肺患者が、いはゞ奇蹟的に恢復することがあるのであります。さうしてそれは奇蹟でも異例でも何でもなく、まつたくあたりまへのことであります。だから、経験のある医師は、決して肺患者に対して、もう駄目だといふ言葉はつかはないのであります。なくなつた青山胤通先生は、「結核ばかりは曲者だよ。うつかり予後の判断は出来ない。」といはれましたが、これが本当の言葉だと私は信じて居るのであります。
 
 即ち、肺結核なるものは、今の、どんなえらい御医者様にも、その予後を断定することは出来ぬのであります。従つて、肺結核なるものが現今の医師にはわかつて居らぬのだといつても敢て過言ではないのであります。
 医師にもわかつて居らぬのですから、素人にはわかる筈がありません。ところが素人であるべき患者が、少しばかり書物を読んで、肺結核の本態を知つて居るつもりで居るのは、甚だ笑止の至りであります。さうして、なまじ、肺結核の本態を知つて居るつもりで居るために、却つて、その不完全なる知識が禍ひして、病気を重らせつゝあるのでして、かうなると、笑止千万といふよりも、むしろ気の毒の至りであるといはねばなりません。実際肺結核のために死ぬ人の半分は、結核に就ての知識がその死の原因となつて居るのだと私はかたく信じて居ります。
 さて、然らば、医師がもう駄目だと思ふほどの重病が、如何なる理由で、みごとに恢復するのでありませうか。それは神ならぬ身の知る由もありませんが、私はそれを次のやうに解釈して居るのであります。
 医師がもう駄目だと宣告すれば、もはや、薬剤にも、医師にも、滋養分にも、その他何ごとにもすがることが出来なくなりまして、患者はその時はじめて、たよるべきものは自分ひとりだといふことに気づくのであります。即ち、自分の心より外には、もはや何物にもたよることの出来ぬことを、心から自覚するのであります。今迄は、外面的な、物質的な治療法にたよつて居たものが、はじめて内面的な精神的な治療法にたよらうとするのでありまして、それによつてみごとに症状が消退して行くのであります。即ち人間には本来、自然治癒力なるものが存在して居るのでありまして、之れが今までは、理由のない恐怖心や、消極的な治療法のために蔽はれて居たのですが、いざ患者が、自分の心を治療の主体にしようと決心すると、自然治癒力は、むくゝゝ(※13)と頭をあげ、各種の症状を追ひ払ふのであります。ですから、奇蹟でも何でもなく、たゞ本来具はつて居た力が、あらはれたのに過ぎません。
 この考(かんがへ)は、或は私の独断的な考へであるかも知れません。然し私は、少くとも、さう考へることによつて、私の難病を征服して来たのであります。勿論、私はいまなほ、難病と闘ひつゝありますが、この考(かんがへ)を保持することによつて、今の健康状態を保持しつゝあるのだと信じて居るのであります。即ち、肺結核を救ふものは、医師でもなく、薬剤でもなく、滋養分でもなく、日光でもなく、空気でもなく、たゞ自分自身の心だと信じて居るのであります。心の持ち方を定めて、自然治癒力を自由自在に活動せしめたならば、どんな重い肺結核でも、みごとに退治し得るものだと信じて居るのであります。
 だから、肺結核とは何物であるかといふことについても、私は、肺結核とは、かうゝゝ(※14)いふものであると、自分勝手に解釈をするといふことは医学上から見て、甚だ危険なことであるかも知れません。ところが、医学なるものは、ちつとも肺結核をなほしてはくれないのでありますから、たとひ自分勝手な解釈をしても、それによつて、病を征服することが出来れば、それで私の望みは足りるのであります。万巻の書物を枕元に積んだとて、結核はなほりません。又、その書物の内容を悉く暗誦したとて、結核は去りません。私も、以前は、何かよい結核治療法の書いてある書物はないものかと随分、沢山の書物をあさりました。日本の専門通俗の書ばかりでなく、外国のものも可なり読みました。まだ結核菌の発見されぬ前に出版されたレネツクやルイの名著まで買つて、それを読みました。然しそれ等の知識は、畢竟、何の役にも立たなかつたのであります。それのみならず、書物に書いてあつたことが、いやに頭の中にこべりついて、却つて恐怖心を増すことが多かつたのであります。
 そこで私は、一切の療養書なるものを捨てねば肺結核は治し得ないと思ひました。さうして、療養書などはなくとも、又、結核についての委細な知識がなくとも、結核はなほるものだといふことを知りました。委細な知識がなくてもよいといふことは、無知識でもよいといふ意味ではありません。たとひ自分勝手でもよいから、結核とはかういふものである、だからかういふ手段で自分は病と闘ふのだといふ理解は必ずなくてはならぬのであります。
 然らば私は結核といふものをどんな風に解釈して居るかといひますに、それは極めて簡単なことであります。先づ、私は肺結核なるものは、決して肺だけの病ではなく、その人の全身の病であると解釈して居るのであります。ですから、肺結核の際に、肺だけを目当てにして治療を講ずるのは間違つて居ると思ふのであります。即ち、その人の全身を治療することに心がけたならば、肺結核は自然に消退して行くと思ふのであります。
 人の全身を支配するものはいふ迄もなくその人の心であります。だから、その心を治療しさへすれば、肺病はなほると思ふのであります。私はよく、同病の患者から、治療の相談を受けます。その時、私は、患者の肺の冒されている程度を少しも問題にせず、その人の心に、何か一種の悩みがありはしないかをたづねます。さうして多くの場合、その人が多少によらず、必ず、ある煩悶を持つて居ることを発見するのであります。ときには、患者自身が、自分の持つて居る(※15)悩みに気づかぬことさへあります。が、いづれにしても、その悩みを除く工夫をしてやりさへすれば、病はみごとになほつて行くのであります。
 さういふ訳ですから、解熱剤をのんだり、(※16)痰剤をのんでも、患者の心の悩みがとれなければ、決してなほつては行きません。然らば、その悩みはどんなものであるかといふに、それは千差万別で、ここには書き切れませんが、若い婦人であるならば、病のために容色の劣へることを非常に悩んで居る人があります。又、結婚をした人であるならば、姑の一つ一つの言葉になやんで居る人があります。その外、まるで取るに足らぬやうな小さな悩みが、案外に自然治癒力の発現をさまたげて居ることを認める場合が、数多くあるのであります。
 ですから、肺病と闘ふ場合には、患者は先づその心を一度すつかり洗つてしまはなければなりません。それが出来ない場合は、治癒も従つて遅れる訳なのであります。時には、その悩みが非常に大きく、到底それを除き得ないやうな場合もありませう。然し、たとひどんな高尚な悩みでも、それがある間は、病気ははかゞゝ(※17)しくなほらぬものと思はねばなりません。
 
 次に私は、肺結核が全身の病である以上、結核菌そのものについては、あまり、関心しないでよいと思つて居るのであります。結核菌のない肺結核なるものはありませんけれども、痰を検べてもらつて、結核菌があつたとかないとか言つてさはぐのは愚の骨頂だと思ひます。それと同時に、体内の結核菌を駆逐しようとする療法にはあまり興味を持たないのであります。結核菌がいくら体内でどしどし繁殖して居たとて、健康を創造して、生活さへ一人前にして行ければそれでよいではありませんか。現に私自身は、毎朝、多量の咯痰を出します。恐らくそれを顕微鏡で検査したら、無数の結核菌が居るだらうと思ひます。けれども、そんなことは今の私の生活そのものとは何の関係もありません。結核菌が居らうが居まいが、何の気持も起きません。尤も私は、その咯痰を、注意して処置し、なるべく、家族のものに伝染させない方法をとつては居ます。これは人道上忽(ゆる)がせにならぬことだからであります。けれども結核菌と結核病とは根本的にちがつたものであるといふ信念に変りはないのであります。
 次に私は肺結核の一期とか二期とかいふことは、治療上何の関係もないことだと思つて居ります。一期でも二期でも三期でも、闘病の心さへ定まつたならば、その時から必ず治療が始まるものであると信じて居ります。ですから初期であるとて、決して油断がならぬと同時に三期であるとて、決して悲観すべきではありません。(つづく)

(小酒井不木先生の住所は名古屋市御器所町北丸屋八二ノ四で御座います。‥‥記者)

(※1)原文句読点なし。
(※2)原文圏点。
(※3)原文の踊り字は「ぐ」。
(※4)(※5)(※6)(※7)(※8)(※9)(※10)原文の踊り字は「く」。
(※11)原文句読点なし。
(※12)原文閉じ括弧なし。
(※13)(※14)原文の踊り字は「く」。
(※15)句読点原文ママ。
(※16)衣偏に「去」。
(※17)原文の踊り字は「ぐ」。

底本:『婦人世界』大正15年10月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1926(大正15)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2017年7月7日 最終更新:2017年7月7日)