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(如何にせば夫の心を常に妻の傍にあらしむるか)医学的観察

   嫁手柄月雪花を内で見せ
といふ川柳がある。これは夫に放蕩をさせぬ嫁の腕をほめた句であるが、一寸考へると、夫に放蕩をさせぬくらゐのことは、別に手柄といふ程のことでなささうに思はれるけれど、徳川時代には、よほどの大手柄と認められたのである。といふのは、その時代には、女郎買をせぬ男は、ケチだとか、タワケだとかいつて嘲られ、一人前の男に数へられなかつたからである。「女房があれば行かぬとけちな奴」、「女房につきについてるたわけ者」、「みさをゝば亭主のたてる気の毒さ」、「女房を大切に (※1)る見ぐるしさ」などゝいふ川柳は、明かにその当時の遊蕩讃美の気風を物語つて居る。
 かやうな風習は現今の日本にもまだ多少は残つて居るやうであつて、茶屋遊びをせぬものは、十人並の男でないと考へて居るものがたまにはあるらしい。天下の政治問題が待合で決せらるなどゝいふことを考へて見ると、思ひ半ばに過ぎるであらう。だから日本男児の放蕩といふことを研究するには、この辺のこと、即ち、昔からの風習といふことも念頭に置かなければならない。言ひ換へて見るならば、夫の放蕩を防ぐ理想的の方法は、世の中の風習を改造することである。丁度、各個人がチブスに罹らぬやうにするには、個人の衛生といふことよりも、公衆衛生的に都市の下水組織を完備した方が理想的であると同じことである。だが、世の中の風習を改造するといふことは中々容易なことでないから、夫の放蕩を防ぐには、当分の間は別の方法に依らなければなるまい。
 さて、遊蕩をせねば一人前の男でないと考へられて居た時代に、夫に放蕩をさせないやうにしやうと思ふには、妻たるものはよほど腕力が強くなくてはならなかつた。「こわい顔したとて高が女房なり」といふ川柳のある通り、少しばかり怒つたり、睨んだりする位では到底駄目であつた。「醒酔笑(※2)」の中に、次のやうな話がある。ある夫婦が喧嘩したとき、女房が杖で夫をうたうとしたので、夫は驚いて前(※3)に飛び下り、山椒の木の下へかくれた。妻は(えん)(※4)の上からこの有様を見て、「この馬鹿もの奴(め)が、逃げる所に事かいて山椒の木の根にかゞむといふ事があるか」と叱ると、夫はぶるゝゝ(※5)慄へて、「山椒の木ばかりでは御座いません、山の芋のつるがありますから、とり附いて居ります」と答へた。又、次のやうな話もある。ある夜中に、隣の家で夫婦喧嘩を始めた。こちらの夫婦は、物音に驚いて起きながら様子を立ちぎくと、痴話喧嘩であつた。すると、こちらの女房は、突然夫のあたまを続けざまにはつた。夫はびつくりして、どうしたのだといふと、「この後もあの隣の男のやうに身を持つなといふ事だよ」と女房は息をはづませて答へた。
 さて凡ての婦人が、これ位の権幕になつたなら、夫の放蕩も比較的防ぎ易いかもしれぬが、かやうな予防法は、一般には実行し難いかもしれぬ。尤も近頃は女子の運動が盛んに奨励せられて居るが、あれは良人(をつと)をはりたほすための腕力の養成ではなく、体育といふことが主眼であるらしい。

 世に夫の放蕩のために人知れず胸を痛めて居る人は随分沢山ある。結婚後二年三年極めて円満に暮して来て、子まで出来た時に、ふとしたことから夫が女狂ひを始めるといふやうな実例は度々耳にする所である。かやうな現象は非常に複雑な原因によつて起るのであつて、或は男が家庭に倦怠を覚えたためであるとか、真実の愛がなかつたとか、その他道徳上から色々な原因を挙げることが出来、従つて道徳上から言へば、夫の放蕩を防ぐ方法は随分沢山ある訳である。
 けれど、男の放蕩は必ずしも前述べたやうな原因のみで起るものではなくて、その外にまた生理的の原因からも起り得るものである。生理的の原因とはいふ迄もなく男子の性的生活から起る原因をいふのであつて、私は主として、男子の性的生活と放蕩との関係を述べ、放蕩予防法を考へて見たいと思ふのである。
 男子の性的生活について、あまり立ち入つた説明を試みることは許されてないから、読者は或は靴を隔てゝ痒きを掻く思ひをされるかもしれぬが、その点は予め諒恕して頂きたい。元来、男子は多妻的の本能を持つて居るもので、放蕩といふことも、畢竟この多妻的な本能が何かの機会であらはれたものに過ぎないのである。病的な場合になると、妻を愛し尊敬して居りながら、性愛を感じないで、却つて少しも愛してない卑しい婦人に対して慾望を感ずるといふ人がある。而もかういふ例は決して少くないが、かういふのは、その濫行を防ぐことが非常に困難である。
 然し乍ら、放蕩の原因、而もその主要な原因は、性慾の不満足ではなく、なほその外にあると思ふ。それは何であるかといふに、「酒」即ち「アルコホル」である。

 酒といふものは全く不思議なものである。今更、酒の害毒を事新らしく述べる必要はないから、こゝではたゞ酒と性慾との関係に就て述べるにとゞめる。既に英文豪シエクスピーアは、酒の性慾に対する作用をよく知つて居て、戯曲「マクベス」の中(うち)に、ある門番をして、酒をのむと、「劣情は募りもしますが、衰へもします。其気(そのき)は盛んになりましても力が脱けます、ですから大酒(たいしゆ)は、劣情から見ると、何方(どつち)附かずです。」といはしめて居るが、アルコホルの性慾に対する作用はこの言葉に尽きて居る。即ちアルコホルは最初に性慾を興奮せしむると同時に、道徳的、理智的抑制力を麻痺せしめて、一種の冒険心を喚び起し、而も後(のち)には段々と性慾を麻痺せしめて遂には消失せしむるのである。この、アルコホルの初期の興奮状態が放蕩と深い関係を持つて居るのである。即ちこの時機に於て、男子の多妻的本能があらはれて来、異性に対する挙動が頗る露骨になつて、恋愛とか貞操とかの観念が全くなくなり、肉慾の奴隷となつてしまふのである。所謂茶屋酒(ちややざけ)が放蕩の原因となるのは、アルコホルの興奮作用に外ならない。勿論茶屋酒を飲むやうになるのは、時には家庭の不満とか他の原因による場合があるからでもあらうが、さういふやうな場合に、酒の代りにお茶を飲み、牡丹餅(ぼたもち)を食つて放蕩を始めたといふやうな例は滅多になからうと思ふ。心に不平のあるとき、水を飲んだり、牡丹餅を食つては、憂さが晴れぬから、自然酒を飲むやうになり、従つてアルコホルのために放蕩を始めるやうになるのである。
 だから男子の放蕩を防ぐには、男子に酒を飲む機会を与へぬことである。わが家で酒を飲ませて置けば自然放蕩の機会はなくなる。即ち、月雪花(つきゆきはな)を内(うち)で見せるやうにさへすればよいのである。若しそれ、夫をして禁酒せしめることが出来たならば、それにまさる幸福はない。アルコホルは放蕩の原因となるばかりでなく、花柳病にかゝる機会をも多くして家庭に不幸をもちこみ、或は自殺を誘ひ或は嫉妬の情を刺戟して性的犯罪を起さしめ、引いては子孫にまでもその害を及ぼすものであるから、この辺のことを良人(をつと)によく了解せしめたならば、放蕩を防ぐことが出来ると思ふ。
 放蕩の原因はまだこの外に色々あるであらう。だが、医学的に観察して見ると、アルコホルが重大な関係を持つて居るやうに思はれる。それ故放蕩を防ぐには、道徳的な方法を講ずる外に、男子の性的生活、ことにアルコホルと性的生活との関係を顧慮する必要があらうと思ふ。

(※1)原文一文字空白。
(※2)(※3)原文ママ。
(※4)原文の漢字は「縁」の偏が「木」。
(※5)原文の踊り字は「く」。

底本:『婦人世界』大正14年3月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1925(大正14)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2017年11月10日 最終更新:2017年11月10日)