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匿名の手紙

小酒井不木

 探偵小説の創作を試みるやうになつてから、度々匿名の手紙を受取るが、中には、作品の中の誤謬を指摘して、あゝいふことを書くのはけしからぬぢやないか、こどもだましはやめてほしいなどゝいふ教訓的なものがあるかと思へば、或は又、貴様たちは探偵小説界を我ものがほに振舞つて居るけれど、ちと駄作をつゝしまぬと、ひどい目に逢ふぞといふ恐ろしいものもある。
 正々堂々と名乗つての教訓や威嚇ならば、十分反省するつもりであるが、匿名では、たゞ無闇に反抗心を刺戟されるに過ぎない。だから別に気にはかけないが、たゞ気になるのは、こちらが誤つて居ないのを誤つたものと認めて叱かりつぱなしにされることである。一応弁解がしたいと思つても匿名では仕方がなく、そのまゝ泣寝入りしなければならぬのは如何にも残念である。が、要するに、色々な文句が出るのは、書き方がまづいからであるから、自業自得とあきらめるのが至当であるかも知れない。
「新青年」の六月号に「印象」といふ創作を発表したとき、色々な人から色色な手紙を受取つたり、又色々に批評されたりした。ある外交官の夫人が、良人が他に女を拵らへたのをうらんで自分も身もちを悪くし、姙娠して肺病にかゝり、良人に復讐するため、北斎の藍絵の鬼を病室にかけて、鬼のやうな形をし(※1)子を産まうと心がけ、月満ちて女の児を産むと、同時に心臓が衰弱して死んだが、生れた子は不具ではなかつたけれど、青い眼をして居たといふ話である。
 自分ながら、あまりよい話だとは思はぬから、面白くないといふ批評ならば甘んじて受けるが、Bといふ雑誌に、匿名で、私の書くものが、ハワ゛ロツク・エリスや外国の法医学書にあることの書き直しに過ぎぬと評せられてあつたのは、聊か変に思はれる。エリスの著書の中に、姙娠中の印象が胎児にあらはれた話は記載されてあるけれども、外交官夫人が、それを復讐に応用したとは書かれて居ないやうである。法医学や性学や心理学の書物から題材を取つて作つた小説を、書き直しだからつまらぬと言はれるのは少しく心外である。又、誰れでも、容易く書き直して小説が書かれるものであるならば、須らく、どしゝゝ(※2)書き直して発表してほしいと思ふ。
 次に「印象」に就て、堂々と名乗つて教へてくれた人があつたが、これは実にうれしかつた。その人は医師が生れた赤ん坊の眼病をふせぐために、硝酸銀の溶液を滴らすべく、右の眼瞼をあけたといふところに就て、近頃は硝酸銀の溶液など使はない。プロタルゴールを使ふのだと教へてくれたのである。で、私は早速御礼状を出し、久しく実地医学に遠かつて居ると、ヘマ(※3)を書き易いから、どうか今後もよろしく御指導を願ふと書いた。然し、実をいふと、あれを書く前に、知つた産婆にたづねたら、私は今でも硝酸銀の溶液をつかつて居ますと答へたので、プロタルゴールとはしなかつたのである。尤も、このことは、負け惜みに聞えるから先方へは言つてやらなかつたが、兎に角堂々と名乗つて誤謬を指摘してくれるのは愉快なものである。
 更に「印象」に就て、ある匿名氏は手紙で、西洋人と日本人の混血児の眼は決して青くはならぬよ、といつて、その上に妙におどし文句をつけて叱つて来た。黒い眼の人と青い眼の人が結婚したとき、黒い眼が優性となることぐらゐは、実は遺伝学を学んだときから私の知つて居るところである。然し、私の「印象」の場合に於て、若し外交官夫人が、青い眼の西洋人と日本人との混血児であつたならば、その夫人が青い眼の西洋人と交はつて、青い眼の混血児を生むことは、メンデルの「分離の法則」に従つて明かである。だから、私は、はじめに、夫人が青い眼の赤ん坊を生むことによつて、夫人自身が混血児であつたといふことをも示さうと欲したのであるが、さうすれば、メンデルの法則の説明までもしなければならぬから、たゞさへペダンチツクだと言はれ易い私の小説のことであるから、わざとそれを省いて、遺伝の法則を知つて居る人なら、夫人自身が混血児であることも察してくれるだらうと考へて書き捨てにしたのである。
 又、最近ある娯楽雑誌に、丸の内のあるビルヂングで盗まれた手紙を探偵が取り戻しに行く話を書いた。ある女がもと雇はれて居た事務所の支配人の室で、大切な手紙を盗んで、それを持つて居た封筒に入れ、自分の住所を書いて、エレヴエーターの傍の郵便投入口から投げる。支配人が気づいた時には女は手紙を持つて居ない。そこで支配人は私立探偵を雇つて、女がどんな方法で盗んだか、又若し盗んだとすれば、内密を見られぬ先に取りかへしてくれと頼む。探偵は捜索の結果、事情をさとつて、警視庁へ頼んで、郵便局で横取して貰はうとすると、途中で女の同棲者のために捕へられ、アパートメントに連れて行かれる。そこで探偵は機を見て支配人宛の手紙を書き、窓から地面へ捨てると、それが通行人に拾はれ、投函されて、翌日の第一便につき、アパートメントへ問題の手紙のつかぬ先に横取りすることが出来たといふ筋である。
 すると、匿名のハガキが来て、丸の内のビルヂングで午後五時に出した手紙を、探偵が郊外で午後八時頃に支配人宛に出した手紙によつて、横取りするといふことは常識で考へても不可能ではないか、これはあまりにも子供だましではないかと叱つて来た。
 これも叱りつ放しで、どうにも先方へ弁解の言葉を伝へることが出来ぬが、私とても、それくらゐのことに気づかぬ筈はなく、実は私は今名古屋の郊外に住んで居るが、こゝでは、最近(※4)の配達は午前十時、最後の配達は午後五時、さうして、最終に集めに来るのが午後八時半なのである。然るに市中は最初の配達は午前八時半である。で、市中から午後五時に出した手紙は私のところへ翌日の午前十時にしか届かぬが、私のところから午後八時半までに出した手紙は市中へは翌日の八時前につくのである。だから、私の書いたことは決して、あり得ないことではないつもりである。
 いづれにしても、作者が相当に気をつけて書いて居るのを、常識的な判断で、誤謬にしてしまはれるのは、いかにも心外である。而もそれを匿名で言つて寄越されるのは不愉快である。
 すべて、匿名で人の悪口を言つたり、人の非を指摘したりすることは、よし、それが正当であつても随分卑怯なことであると思ふ。堂々と名乗りをあげての上ならば、たとひ正当でなくても、兎に角愉快な気のするものである。尤も、堂々と名乗りをあげても、何か含むところがあつての悪口は不愉快この上もないが、これは今こゝで言ふべき範囲ではない。

(※1)原文ママ。
(※2)原文の踊り字は「く」。
(※3)原文圏点。
(※4)原文ママ。

底本:『不同調』大正15年9月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1926(大正15)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2017年3月24日 最終更新:2017年3月24日)