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メンデル Gregor Johann Mendel (1822-1884)

 「知己を千載に求む」といふ言葉がある。これは一種の諦めであるが、世に、知己を千載に求めねばならぬほど不幸なことはない。而もこの不幸な事実は、しばゝゝ(※1)科学史上に存在する。科学上の新発見をして、その当時に認められず、不遇と慨歎のうちに悶死した科学者は古来甚だ多かつたのである。さうして多くの場合彼等に発見された真理は皮肉にも彼等の死後幾年、幾十年の後に世人の注目を惹き、今更ながら驚きと敬ひとをもつて是認されるのが例である。かのエネルギー不滅則を発見したマイエルや遺伝の法則を発見したメンデルの如きは、悲しくも、この不幸な運命に見舞はれた代表的人物である。
 遺伝の研究は、今や生物学上の興味の中心となつて居る。生物学者は勿論、優生学を口にする程の人はメンデルの法則を知らなくてはならない。而もメンデルの法則は生物学の研究が進めば進むほどますゝゝ(※2)その光輝を発揮するのみであつて、最早、何人によつても動かすことが出来ぬ真理となつた。それにも拘らず、この法則はメンデル在世当時には之を認める人無く、漸くメンデルの死後十六年(法則発見後三十五年)を経て、はじめて認められるに至つたのである。
 グレゴール・ヨハン・メンデルは一八二二年七月二十二日、墺国シレジアの、俗に言ふクーランド地方にあるオドラウのハイツェンドルフといふ一寒村に生れた。父は小さな小作農であつて、所謂地上権だけを持つ土地所有者として、地主に対して「ロボット」(農業労働)をつとめてゐた。さうして自分一人の腕でその身代を築き上げたのであるから、いはゞこのメンデルの父が、メンデル家の先祖をなして居るといつてよい。
 父は果樹の栽培に興味を持ち、メンデルは幼い時分から接木の方法を練習した。さうしてその旺盛な知識慾は、むしろ母方から受けて居るのである。母方の叔父は私立の学園を設けて、官立学校のない村の子弟を教育して居たのであつて、叔父の死後はじめて官立の学校が建てられたのである。
 メンデルはその学校に入つたが、彼の能才は直ちに校長に認められた。十一歳の時ライプニックの学校に進み、更にトロッパウのギムナジウムに入つた。その頃両親は、物入りのため学資金を出すことが出来ず、メンデルは妹の厚意によつて学業を続けた。
 トロッパウに居る頃、彼を教へた教師の一人がオーガスチン派の僧侶であつた。その感化を受けて後年彼は僧籍に入つたのであらうと言はれて居る。ギムナジウムを終るなり、彼はブリュンのセント・トーマス寺院の牧師を志願して許され、一八四七年牧師に任ぜられた。
 その僧院の費用で一八五一年にウイーン大学に送られ、そこで彼は、数学、物理学、博物学を修めた。それからブリュンに帰つて、「レアルシューレ」の教官となり一八六八年まで物理学を教へた。さうして、彼の名を不朽ならしめた豌豆の遺伝の実験は、この僧院の広い庭園で行はれたのである。
 ちやうどその頃有名になつたダーウィンの進化論に対して、メンデルはそれを無条件で承認することが出来なかつた。で、八年間豌豆の実験を継続し、一八六五年に、実験の結果をブリュン学会に報告し、その翌年それを出版したが、世人の注意を惹かず、更に一八六九年に別の研究を公にしたがこれまた黙殺されてしまつた。
 するとその頃メンデルは昇官したため、寺務に追はれて研究を行ふことが出来なかつた。一八七二年、政府は、寺院の財産に特種の税金をかけるといふ法律を制定したので、メンデルはそれに反抗し、そのため訴訟や悶着が起つて、一八八四年一月六日、慢性腎臓病で斃れるに至る(。)(※3)晩年の十年間は、失望と難渋の中に暮したのである。
 その失望のうちにも、彼は遠からず自分の業績が世の中に認められるにちがひないと口走つて、僅かに自分を慰めて居た。が、当時の有名の科学者は誰一人として彼の報告を読まなかつたらしいのである。読めば必ずその偉大な業績に驚かねばならぬからである。
 けれども遂に彼の法則が世に出る時は来た。即ち一九〇〇年に至つて、ド・ヴリース、コルレンス及びチェルマックによつて、彼の業績が発見されたのである。かのダーウィンの進化論がだんゝゝ(※4)その誤謬を認められて来た時、進化論に代つて生物学の根本を支配すべきこの法則は現はれたのである。
 受難は天才の常に覚期すべきものであると言ひながら、又、学者は世間的栄誉を顧慮すべきものでないと言ひながら、あまりにも寂しかつたメンデルの晩年を思ふ時、我等の両眼は熱くならざるを得ないのである。

(※1)(※2)原文の踊り字は「く」。
(※3)原文句読点なし。
(※4)原文の踊り字は「く」。

底本:『大思想エンサイクロペヂア 5』(春秋社・昭和3年2月20日発行)

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1928(昭和3)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2008年1月20日 最終更新:2008年1月20日)