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製薬史の中から

小酒井不木

 かねて私はいろゝゝ(※1)なものの歴史に関する書物を集めて居るが、最近買つたものの中に、ラクロアの「売笑史」、ハムリーの「文身史」、ジヨンソンの「海賊史」、ラウオールの「製薬史」などがある。どれもみな興味津々たるものばかりであるが、中にも「製薬史」は過去四千年間の薬物に関する迷信やロマンスを書いたもので、学ぶところが非常に多かつた。
 私はかねてから、欧洲の錬金術史に興味を持つて居るのであるが、この書には、それが可なりに委しく述べられてある。かの万有引力の発見者として、名高いアイザツク・ニユートンが、錬金術に興味をもつて、それに関する書物を集めて居たといふことは、この書によつてはじめて知つたことであるが、これによつてニユートンをなつかしく思ふ心が一層深くなつた。
 さて、数多い迷信やロマンスの中で、私の最も多く興味を感じたものの一つは、パラセルズスの考案になる「交感薬」Sympathetic Remedy である。
 パラセルズスは、文芸復興期に出た最も偉大な医学者であり、科学者であり、錬金術者であり、製薬者であつた。のみならず、彼は一面に於て、また最も偉大な神秘学者(オキユルチスト)であつた。彼の「予言書」は私も持つて居るが、四十八歳の若さで死んだにも拘はらず、その業績は実に驚くべきものである。
 彼は科学者たる観察眼が極めて鋭敏であつたに拘はらず、一面また非常に独断的であつた。「交感薬」の如きも、彼の独断を示す好箇の例である。
 交感薬とは創傷の治療に用ふるものであるが、その薬は、その創傷には直接塗布しないで、その創傷を附けた刃物に塗布して交感作用によつて、創傷を直さうといふのである。パラセルズスの考によると、創傷を附けた刃物に薬を塗るときは、磁気が起つて創傷に感応し、治癒が始まるといふのである。そして、パラセルズスは、刃物に塗るために一種の軟膏を発明し、Unguentam Armarum と名(※2)けた。
 何しろ、パラセルズスの言ひ出したことであるから、忽ち、この方法は一般に拡がつた。さうして、誰でも傷をすると、それを洗つて繃帯し、傷をつけた刃物に、薬をべたゞゝ(※3)塗つたのである。
 もとより、創傷は捨てゝ置いてもなほるものであるし、繃帯するだけ(※4)沢山であるから、交感薬によつて、みごとに治る例は少なくなかつた。パラセルズスといふ人は物事を何でも知り抜いて居た人であるから、或ひは、からかひ半分に、勿体らしい理窟をつけたのであるかも知れぬ。
 然し、いづれにしても、交感薬の原理は一般の人々に信ぜられ、この原理に従つて後に、色々の薬剤を考案した人は少なくなかつた。例へば、英国の、ジヱームス一世の時の海軍司令官ケネルム・ヂグビー卿の如きも、一種の「交感散薬」を発明した。卿は数回宗教を変へたり、投獄されたりして数奇な運命に弄ばれたが、暇さへあれば科学を研究し、さうして、かやうな薬剤を発明したのである。この散薬は緑礬を粉末にしたもので、やはり、創傷の出来たとき刃物にふりかけるのである。
 あるとき、一人の大工が斧をもつて、大きな傷を負つた。斧は血のついたまゝ、この散薬を振りかけられて、戸棚の中へかけられた。すると、傷は順調に治癒に向つたが、ある日、突然はげしい痛みを感じた。どうした訳かと検べて見ると、戸棚の中の斧が、釘から外れて下へ落ちて居たのである。
 いづれにしても、創傷をなほすに当つて刃物に薬を塗るといふことは、甚だ奇抜な方法であると思ふ。
 然し、よく考へて見るに、私たちは、決して、この交感薬の原理を笑ふことは出来ない。人間の行為の数々の中には、傷をなほすために刃物に薬をつける式なことが、しばゞゝ(※5)行はれて居るからである。
(をはり)

(※1)原文の踊り字は「く」。
(※2)原文ママ。
(※3)原文の踊り字は「ぐ」。
(※4)原文ママ。
(※5)原文の踊り字は「ぐ」。

底本:「大調和」昭和2年9月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1927(昭和2)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(リニューアル公開:2017年4月14日 最終更新:2017年4月14日)