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一人一語

小酒井不木

 龍野事件が突発するや、新聞記者はいち早くかけつけて感想を求めた。嫁が姑に虐待されたのを恨んで、そのやうな惨劇を行ふとはよくゝゝ(※1)のことだ、日本の家族制度は考へものだ、それにしても女子が所謂兇器をもつて多人斬を行ふのはむしろ例外に属するものだといふやうなことを答へた。ところが、後に至つて、嫁の良人が犯人であるとわかると、又もや新聞記者が感想を求めに来た。仕方がないから適当に返答はしたものの、何だか変な気がした。このことがあつてから世の中の出来事は迂闊には判断出来ないものだと思つた。といつて世の中の出来事の真相はなかゝゝ(※2)わかるものでなく、従つて私たちはいつも表面にあらはれたことによつてのみ事を判断しなければならない。と思ふと頗る心細い感じがするのである。

(※1)(※2)原文の踊り字は「く」。

底本:『文藝春秋』大正15年8月号

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1926(大正15)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(公開:2017年3月24日 最終更新:2017年3月24日)