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 私は余程以前から探偵小説を愛読したが、留学中英国で病を得、帰朝して後静養を続けて今に至る約三年間、病臥の徒然なるまゝに、随分沢山の探偵小説を読んだ。新らしいものも面白いが、探偵小説のクラシツクとも言ふべき著名な作物は何度繰返して読んでも面白い。ポオの妖、ガボリオーの幽、コリンスの艶、ドイルの壮、ルブランの怪、フリーマンの切、チエスタトンの警、ハンシヨウの妙、フレツチヤーの快、オルチーの奇など、それゞゝ(※1)その特色が、私の心を様々に彩つてくれる。ランドン、オツプンハイム、ル・キユー、近くはドウーゼなど、私の寂しさをどれ程慰めてくれたか知れない。
 探偵小説が取り扱ふ材料はその範囲が極めて広く、或は冒険、或は滑稽、或は怪奇、或は秘密、或は人情、或は犯罪などその内容は雑多であるが、何といつても探偵小説の名のある如く犯罪又は犯罪の探偵を取り扱つたものがその大部分を占めて居る。独逸では殊更に探偵小説 Detektivroman と犯罪小説 Kriminalroman とを区別して居るが、名称のことなどはどうでもよい。欧米の探偵小説雑誌には、探偵小説を掲載する傍、犯罪及び犯罪探偵の科学的研究を載せて居るものが多く、かゝる研究は探偵小説と等しく人々の興味を惹いて居る。犯罪は一の病的現象であるが、その萌芽は何人の心の奥にも隠されて居るから、これが人々をして犯罪に興味を持たせる有力なる原因である。又一たび犯罪が行はれて、その犯人がわからぬときは、色々の理由で、一刻も早く、その謎を解きたいと思ふのが人情である。従つて人々は自然探偵方法にも興味を持つやうになるのである。
 探偵小説の愛好者の興味を多少なりともより多くせしめたいといふ希望を以て、私は今迄病余の閑を偸んで、犯罪及び探偵に関する読み物を色々な雑誌に発表した。此の書は、過去一ヶ年に、「新青年」、「週刊朝日」、「解放」等に掲載されたものを多少の補修を行ひ、集めて一巻となしたもので、私はこれによつて探偵小説の愛読者に、科学の趣味を増すことが出来ればと希望すると同時に、一般科学者に探偵小説又は文学の趣味を増すことが出来ればと切に希望するのである。もとより、参考書を求むるに不自由な田舎で書いたものであるから、内容は極めて荒けづりな、粗末なものであるが、これが導火線となつて犯罪研究を 企てゝ下さる方があらば、私は実に幸福に思ふのである。左に私が引用した主なる書名を挙げて、読者の参考に供しようと思ふ。
  田中香涯氏著、医学に関する奇談異聞
  高田義一郎氏著、法医学
  宮永學而氏著、法医学的血液検査法
  杉谷代水氏訳、希臘神話
  Dumas,A, : The Crime of Marquise Brinvilliers and others.
  disraeli,I : Curiosities of Literature.
  Ellis,H : The Criminal.
  Garrison,F : History of Medicine.
  Gould & Pyre : Anomalies and Curiosities of Medicine.
  Griffiths,A. : Mysteries of Police and Crime.
  Irving,H : Last Studies in Criminology.
  Mitchell,A. : Science and the Criminal.
  Thiselton Dyer : Folk-Lore of Shakespeare.
  Watkins,J. : Famous Mysteries.
 これ等の書物から、勝手に引用させて頂いたことに関し、著者諸賢の御宥恕を乞ふと同時に、切に感謝の意を表する。なほ書中に引用した探偵小説その他の文学書名は茲に一々繰返すことはしない。また書中同じ事柄が度々出て来るから、眼障りになることは勿論であるが、別々に発表した読物であるから、宜しく御諒恕が願ひたい。

 終りにのぞみ、これ等読物の掲載された前記諸雑誌の編輯主任の方々が、快く転載を許して下さつたこと及び博文館の森下雨村氏が、色々の参考書を貸与して下さつたのみならず、この書の出版に就て、種々斡旋して下さつたことは、私の感謝に堪へぬ所である。

   大正十二年四月
          尾張神守村にて
               不木生しるす

(※1)原文の踊り字は「ぐ」。

底本:『科学より観たる 犯罪と探偵』(博文館・大正12年6月15日発行)

【書誌データ】 → 「小酒井不木随筆作品明細 1923(大正12)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(評論・随筆の部)」

(最終更新:2017年9月29日)