鹿島刑事の言葉をきくなり、中澤保は愕然として我に返つた。さうして死亡広告を出された三人の名がづらりと並んで居る有様を見て、一種の言ふに言へぬ気味の悪い感じを起した。遺言者とその二人の証人が生前に死亡広告を出されたといふことは抑(そもそも)何を意味するであらうか。死亡広告を出されたこれ等三人は、果して広告主の誰であるかを知つて居るのであらうか。それとも全く知らないのであらうか。谷村氏と市川氏が死亡広告の鎗玉に上つたことを知つたならば、村井氏は当然自分の遺言状の証人の名を聯想すべきである。さうすれば、第三番目に自分が死亡広告を出されたとき、鹿島刑事にその事を話して然るべきである。それだのに鹿島刑事にも話さなかつたらしいところを見ると、三つの死亡広告は村井氏がその持(もち)まへの悪戯気(いたづらぎ)をもつて出したものであらうか。或(あるひ)はそれとも、鹿島刑事は村井氏から何事かを聞いて知つて居るのであらうか。数秒の間にこれだけのことを考へた保は、つと顔をあげて刑事の顔を眺めたが、その時刑事も彼の顔を見て、さぐる様な眼付でたづねた。
『村井さんはあなたにもしや死亡広告の出し主を御話しになりはしませぬでしたか。』
『聞きませぬでした。僕は今、あなたに、社長がそれについて御話しになりはしなかつたかと、たづねようと思つたところです。』
『私もきゝませぬでしたよ。けれど谷村さんか市川さんか、どちらかにきいて見たら、広告主はわかるかも知れませぬなあ。』
かう言つて刑事は、なほも罫紙を見つめて居たが、やがて、
『こちらではS新聞もN新聞も御取りになつて居るでせうなあ?』と言つた。
『たしか両方とも御取りになつて居ると思ひます。あの三つの広告を御覧になりたいのですか。』
刑事がうなづくと、保は書斎を出て行つたが、凡そ五分ほど過ぎてから、手に数葉の新聞紙を携へて帰つて来た。
『お竹さんが捜してくれて、三つともすぐ見つかりました。』かう言つて保が問題の死亡広告を示すと、刑事はそれと、罫紙とを見較べて言つた。
『なるほど、谷村さんも市川さんも、それゞゝ(※1)誕生日に死んだことになつて居りますなあ。たゞ村井さんだけがさうでないけれど、その代り、十一月二十日の誕生日に因んだのか、十月二十日が葬式の日附になつて居ります。』かういつてから、ぢつと考へ、更に言葉を続けた。『やつぱり、この広告主は、この遺言状の内容を知つて居ると考へるべきですなあ。』
『無論さうでせう。』と保は力をこめて言つた。『さうして僕はやつぱり押毛がその広告主であると思ひます。この遺言状の内容を知つて居るものは押毛より外にないと思ひます。』
刑事は押毛に対する保の反感の相も変らず執拗なことを心の中(うち)で苦笑しながらも、保の言ふことにある程度まで同意せざるを得なかつた。
『さうかも知れませんなあ。が、委細は、谷村さんか市川さんに逢へばわかると思ひます。今まで谷村さんも市川さんも、少しも広告主に心当りがないやうに言つて居られましたが、この遺言状を見せれば、きつと、委しいことを話してくれるにちがひありません。では、一寸、電話を拝借して、谷村さんか市川さんか、都合をきいて、これから訪問することにしませう。』
刑事はそれから電話をかけに出て行つたが、程なく帰つて来て言つた。
『谷村さんは留守ですが、市川さんは在宅ださうで、御待ちして居るとの返事でした。では、これから、私は市川さんの御宅まで行つて来ます。それでは、あなたは御医者さんの来られるまで此処に居て、それから、手があいたら、門前署へ来て下さいますか、一しよに押毛の家宅捜索をしたいと思ひますから。』
かう言つて刑事は、遺言状の謄本を折つてポケツトに入れ、金庫の扉を閉ぢて帰り支度をした。
保は鹿島刑事を玄関まで送り出した。刑事は靴をはいて立ち上つたが、何思つたかその時、ポケツトから、銀側の大きな懐中時計を出して時刻を見た。
『おや、もう一時過ぎましたなあ。』かう言つて一寸考へ、ポケツトに手を入れながら、『時に、あなたが今朝、この脅迫状を御受け取りになつたのは何時でしたか。』といつて、皺のついた例のハガキを取り出した。
『たしか、九時頃でした。』と保は刑事の心を量りかねて、怪訝さうな顔をして答へた。
刑事はハガキの裏面(りめん)に眼をやつて言つた。『この葉書がついてから、五時間以内に富子さんを家(うち)に帰らせたまへ。さもないと君を生かしては置かぬよ。とありますなあ。もう一時間足らずで五時間になりますよ。何事が起るかも知れませぬから、よく注意して居つて下さい。』
『大丈夫です。』と、保はにつこり笑つて言つた。『脅し文句などに僕は怖ぢません。どんな敵があらはれようとも、堂々と戦つてやります。』
『ですが、敵は思はぬところにあるものですよ。たゞ油断をしないやうにして下さい。ではいづれ、署の方で御目にかゝります。』
刑事は途中で、洋食店に立ち寄つて腹を拵らへ、電車で新柳町の市川長兵衛氏の家をたづねた。金看板がいくつも懸け並べてある店先をはいると、薬種の香(にほひ)がプンと鼻を打つた。一人の小僧は直ちに刑事を奥に案内し、やがて、中庭に面した六畳の座敷で、刑事は主人の長兵衛氏と対座した。
『また、例の死亡広告のことで御伺ひしましたが、今日(こんにち)は、きつと、委しいことが聞かせて頂ける筈です。』
かう言つて、刑事が、ポケツトから、村井氏の遺言状謄本を出すと、長兵衛氏は、暫らくそれを、のぞきこむやうにして見て居たが、やがて、その禿頭(はげあたま)を右手でつるりと一撫でして言つた。
『やあ、いよゝゝ(※2)それが出て来ましたか。』と、いひながら、煙管(きせる)に煙草をこめ、せはしく煙草盆で火をつけて、とりあへず一ぷく吸つた。『それが出た以上、今迄申し上げなかつたことを御話しなければなりません。けれども、誰が広告したのかは、今でもわからないです。』
『どうか、それではこの遺言状の出来た当時のことを御話し下さい。』と、刑事は相手の顔を、さぐるやうに見つめて言つた。
『さあ、いつでございましたか、はつきりした日は覚えて居りませんが、たしか九月のはじめであつたと思ひます。尤も、その謄本の日附を見て下さればわかりますが、私も都合があつて遺言状を拵らへて置きたいと思つて、呉服町の公証役場へまゐりました。なに九月五日とありますか。さうです、その日です。すると谷村さんと村井さんとが御見えになつて居て、やつぱり同じやうに、遺言状をつくりに来られたといふことでした。谷村さんも村井さんも、お互(たがひ)に知り合ひの中で、色々話して居るうち、遺言状には、証人が二名要るから、それゞゝ(※3)証人になり合はうではないかと、話がきまつて、私の遺言状には、村井さんと谷村さんが証人になつて下さるし、谷村さんの遺言状には村井さんと私とが証人になり、村井さんの遺言状には、谷村さんと私とが証人になりました。
その日はそれから色々の話をして別れましたが、さて、あの死亡広告です。最初谷村さんの広告がS新聞に出たのを見たとき、もちろん、谷村さんは本当に死なれたことゝ思つて、遺言状が、こんなに早く役に立たうとは谷村さんも考へては居られなかつただらうと、他人(ひと)ごとならず私も、気味が悪くなりました。ところが、後(あと)になつて、あれは誰かゞ悪戯をしたのだと知れたときには、当の谷村さんの驚きはさることながら、私もまつたくびつくりしました。早速、谷村さんを御訪ねして、誰が広告を出したか、心当りはないのかと訊きましたが、少しも心当りはないとの事でした。
すると、こんどは私の死亡広告が出ました。いや、度々申しますが、実に気味の悪い思ひをしました。が、その時ふと心に思ひ当つたのは、公証役場の一件です。谷村さんが見舞ひに来て下さつた時、私はそつとこの室(へや)へ呼んで来て、若しや自分たちの死亡広告を出したのは、村井さんの悪戯ではあるまいかと言ひました。すると谷村さんの言はれるには、実は私もさう思つた、自分だけ出されたときは、さうとは気がつかなかつたが、あなたも同じ悪戯をされたと知つて、はじめて、悪戯好きの村井さんの仕業でないかと思つた。殊に自分たちの誕生日が死んだ日附になつて居るので、一層その感を深うするとの事でした。けれども、その事を警察へ告げては、お互(たがひ)に遺言状を作つたことが世間へ知れ、又村井さんだとはつきりわかりもせぬに、それを言ふことは、村井さんに迷惑をかけることになるし、それに、死亡広告を出されたとて、別に大した損害も受けないし、警察の方で、遺言状を拵らへた当時の事情がわかつた時には話すことにして、それまでは、一切話し出すまいと二人で申し合せたことでした。ですから、あなたのみならずこちらの管轄のお方が谷村さんの方へ御行きになつても、私のところへ見えましても、このことだけは申し上げなかつたので御座います。警察のお方どころか、家族の者にも私は一切内密(ないしよ)にして居りました。
ところがです。最後に村井さんがN新聞に死亡広告を出されなさつたと知つたときは、色々の意味でびつくり致しました。さうして村井さんが私たちの広告主ではないかと疑つたことを恥かしく思ひました。いくら村井さんでも、自分で自分の死亡広告を出されるやうなことは、よもやあるまいと思つたからです。これは、多分私たちの遺言状を作つた当時のことを知つて居るものが、悪戯に広告をしたのだらうと思ひました。けれども前に申し上げたやうな理由で、必要に迫られたときまでは御話は致すまいと決心しました。
すると、昨日(さくじつ)の夕刊で、村井さんが、死亡広告を出されたのを却つてよい機会として、模擬葬式を行ひ、そのあとで還暦祝(いはひ)をなさるつもりであつたのに、棺(くわん)の中で死なれたといふことを読み、何だか、本当にはならぬやうな気がしました。でも新聞に出た以上、まさか、嘘ではあるまいと思ひ、御気の毒に思ひながら、早晩遺言状があらはれるにちがひないから、その時にはきつと私の方へも御たづねがあるだらうと覚悟して居りました。先刻(せんこく)あなたから電話がかゝつてまゐりました時には、多分村井さんの遺言状の謄本が見つかつたのだらうと、内々(ないない)推察して居たので御座います。』
鹿島刑事は長兵衛老人の語るところをじつときいて居たが、この時少し笑(わらひ)を含んで、
『まさか、あなたがた三人は、お互(たがひ)に申し合はせて、自分でそれゞゝ(※4)死亡広告を御出しになつたのではありますまいなあ?』
とたづねた。
『どう致しまして、』と長兵衛老人は却つて真面目顔になつて答へた。『そんな縁喜の悪いことを致しますものか。村井さんは悪戯好きなお方ですけれど、それでも今申し上げたやうに、自分で御出しになるやうなことは、万々(ばんばん)あるまいと思ひます。ことに村井さんが御死になつて(※5)、若しそれが新聞に書いてあるやうに人手の所為(せい)だとすると、誰かにたくまれなさつたのではないかと思ひます。』かう言つて更に声を小さくして言つた。『やつぱり、村井さんは殺されなさつたので御座いますか。』
『まだ、はつきりしたことはわかりません。実は村井さんの死体が、解剖される前に、何処かへ消えてなくなりましたから。』と、刑事は無頓着に言ひながらも、自分の言葉が相手にどんな影響を与へるかを見落すまいとつとめた。
『え、あの死体が消えて?』と市川氏はさすがに驚いて言つたが、『まさか。』と、疑ふやうに刑事の顔を見て言つた。
『本当ですよ。』と刑事は事もなげに言つた。『事件は大へん複雑になつて来たのです。だから当時のことを何事も隠さずに話して貰はねばなりません。』
『何でも御話致します。』
『それでは御たづねしますが、公証役場で、あなたがた三人が御逢ひになつた時、村井さんは一人で来て居られましたか、それとも誰かと一しよでしたか。』
『村井さんは、他(ほか)の男の人と二人連(づれ)でした。』と長兵衛老人は言下に答へた。
『その男はいくつ位でどんな風をして居りましたか。』
『さうですなあ、三十少し過ぎぐらゐで、立派な八字髭をはやして、眼鏡をかけ、洋服を着た、なかゝゝ(※6)風采の堂々たる人でした。』
刑事はポケツトから、さつき村井家の書斎から借りて来た押毛の写真を取出し、そのまゝ市川氏の前へ出して、
『この人に見覚えはありませぬか。』とたづねた。
市川氏は写真を一目見るなり言つた。『今御話したのがこの人です。』
『村井さんはこの男を何といつて紹介されましたか。』
『何でも会社に勤めて居る人だといふことで、名前をきゝましたけれど忘れました。』
『その時、何か特別な話は出ませぬでしたか。』
『と仰しやると?』
『村井さんの遺言の動機について、何か御聞(おきき)にはなりませぬでしたか。』
『いえ、別に。もちろん、遺言状の内容は公証人から読んで聞かされましたけれど、どういふことだつたか、今はもうちつとも覚えて居りません。』
『それでは、その時、何か特別な世間話でもなさつたことはありませぬか。』
『証書の出来る間、色々のことを話しましたよ。』と老人は、当時のことを思ひ出さうとするやうに、小首を傾けながら言つた。『ことにこの人は、いかにも快活に色々喋舌(しやべ)りました。さうですゝゝゝゝ(※7)。その時、私と谷村さんとが、どうも近頃は不景気で困ると話し合つて居ましたら、その人の言ふには、世間の不景気をなほすことは、なかなかむづかしいけれど個人々々の店を繁昌させるのは訳のないことだ、わたしなら、どんな不景気な店でも、一朝(てう)にして繁昌にして見せるなどと、大気焔でした。私も谷村さんも、それでは是非一つ、私たちの店を繁昌させて貰ひたいものだと冗談半分に頼みました。今になつて考へて見ると、死亡広告が出たために、世間の注意をひいて、谷村さんの家(うち)でも、私のところでも、店が大ぶ繁昌して来ましたから、或(あるひ)はこの人が、死亡広告を出したのかとも思はれぬではありませんが、若し三つとも死亡広告を一人の手で出したとすれば、村井さんは別に私どものやうな店を持つて居られるのではありませんから、あながちこの人だと推定することも出来ません。』
『ふむ。』と鹿島刑事は写真をポケツトに入れてから、じつと眼をつぶつて考へながら言つた。『いや、よく御話し下さいました。尤も、御話をきいても、やつぱり誰が死亡広告を出したかは相変らずわかりませぬが、これで、村井さんの遺言状に谷村さんとあなたとが証人になつて居られる理由(わけ)はよくわかりました。で、その時、公証役場には、あなたがたの他に誰も居りませんでしたか。』
『公証人と二人の書記と私どもの他には、誰も居らなかつたやうです。』
これ以上市川氏にたづねても、村井氏が、何故(なにゆゑ)に遺言状を書くに至つたか、どういふ理由で、『自分は殺されるかも知れぬ』と言つたかは到底わかるまいと思つて、鹿島刑事は、やがて市川氏の許を辞して広小路通りへ出た。彼はその足で、本町通りの谷村呉服店へ行かうかとも思つたが、先刻(せんこく)村井家から電話をかけた時には留守だといふことであつたし、たとひ谷村氏に逢つたところが、今の市川氏の話以上のことはわかりさうにもないから、刑事は本町通りを南へ歩きながら、更にこの事件について深く考へて見た。
疑問の死亡広告は、どうやら押毛が出したものであるらしいが、若し押毛が出したとすれば、無論それは村井氏と相談の上でなくてはならない。先日死亡広告の件で村井氏をたづねた時、村井氏は如何にも、寝耳に水のやうに言つて居たが、悪戯好きの氏としては、無論当然な態度といふで(※8)きであらう。
で、村井氏が承知の上死亡広告を出したとすれば、模擬葬式も、還暦祝(いはひ)も、或(あるひ)はその後(のち)に行はるべき『奇怪な出現』云云(うんぬん)のことも、死亡広告を出されてから考へたのではなくて、ずつと前から予定した行動であるといはなければならない。すると、さうしても、何が故に、さうした数々のことを企てたかといふ疑問に逢着せざるを得ない。単純なジヨークとしてはあまりにも根が深過ぎるやうに思はれる。きつとそこに重大な、いはゞ恐ろしい原因が横(よこた)はつて居るにちがひない。
然るに、その重大な原因は今迄の探索では、その片鱗をも窺ふことが出来ないのである。村井氏を除いて、その重大な原因を知つて居さうなのは、たゞ押毛一人であるのに、その押毛は姿をかくして居ない。押毛は果して、中澤の想像するやうに、村井氏の死に関係を持つて居るであらうか、最前市川氏から聞いたことを参照すると今回の計画はすべて、押毛と村井氏との合議の上で出来たやうに思はれるから、押毛が村井氏の死に関係があるとは考へにくいといはねばならない。
こゝに至つて問題はたゞ一つの点に集まつて来る。それは何であるかといふに、押毛は果して悪人であるか否かといふことである。押毛の素性は村井氏以外に誰一人知つて居るものはないやうであるから、押毛の性格を知るのは甚だ困難といはねばならない。たゞ、講ずべき道は、押毛の家宅捜索であつて、今のところ、其処にわづかに、希望をつなぎ得るばかりである。
かう考へた刑事は、一刻も早く押毛の家宅捜索に行きたいと思つたが、中澤と約束がしてあるから、一先づ門前署へ帰つて彼を待ち合せ、二人で出かけようと決心した。
中澤といへば、脅迫状に示された五時間が過ぎても果して何事も起らなかつたのであらうか。あの脅迫状には果して何の意味もないのであらうか。と、考へて何となく気がかりになつた刑事は、立ちどまつて、懐中時計を出してながめた。
『おや、もう四時だ。』
思はず呟いて、刑事は歩(あし)を早めた。中澤が無事であつてくれゝばよいが。かう思ふと、自分が中澤を村井家に残して来たことが頻りに後悔された。あの時、自分も医者の来るまで待つて居て、中澤を連れ立つて来ればよかつたと思つた。さうして、中澤の生一本な性質と、うぶな風采を思ふにつけても、何だか気の毒なことをして来たやうな感じがして、言ふに言へぬ不安の念が胸一ぱいに広がつた。後(あと)には心配でたまらなくなつて、たうとう刑事は走り出してしまつたのである。
事件が片付いてから、この時のことを回想するたびに、刑事は、『虫の知らせ』といふことが世の中にはたしかにあるものだと思つた。彼は走りながら、自分のこの心配が杞憂に終つて、今頃は門前署に中澤が来て、待つて居てくれゝばよいがとしきりに希望した。
ところが、その希望は裏切られた。中澤は署には来て居なかつた。鹿島刑事は胸を躍らせながら、村井家へ電話をかけると、女中のお竹が出て、あれから三十分ほど過ぎると、お医者さんが見え、中澤はそれから、村井夫人の薬剤(くすり)を取りに、お医者さんについて、一しよに自動車で出かけたまゝ、まだ帰つて来ないといふのであつた。
そこで刑事は、すぐさま殿山医師のところへ電話をかけた。ところが、先方には誰も居ないと見えていつ迄呼び出してもらつても、電話口へは出て来なかつた。で、今度は村井商事会社へ電話をかけたが、もはや社員はみんな帰つてしまつて、宿直の人の話によると、中澤はその日一度も、社へ顔を出さなかつたとの事であつた。中澤の下宿には電話はなし、また中澤が下宿へ帰る訳はないから、この上何処を捜してよいかわからなかつた。
『なに、そんなに心配するには及ばぬだらう。そのうちにはきつと、こちらへ訪ねて来るだらう。』
かう考へて、鹿島刑事が自分の控席(ひかへせき)につくと、その時、部下の下出(しもで)刑事が外から帰つて来た。
『どうだ、押毛の行方はわかつたかね。』と鹿島刑事は言つた。
『まださつぱりわかりませぬよ。何しろ人相をよく知らぬので、たとひ途中で逢つても見のがしてしまひます。』
鹿島刑事はポケツトから押毛の写真を取り出して言つた。
『これが押毛の写真だよ。これを複写して、みんなに一枚づつ持たしてくれたまへ。』
下出刑事は写真をとりあげて、じつと見て居たが、やがて言つた。
『この男ですか。私の想像した人相は、やつぱり少し、ちがつて居ました。特徴の多い顔ですから、これならもう見ちがひはありますまい。』
かういつて下出刑事が押毛の写真をもつて去ると、入れ違ひに給仕が来て、
『たゞ今、医科大学の肥後といふ方が御目にかゝり度いと言つて来られました。』と、告げた。
『御別れしてからすぐ捜索に取りかゝりましたが、探偵といふ仕事は、まるで雲をつかむやうなものだといふことが、はじめてよくわかりました。』
二階の一室へ案内された肥後君は、鹿島刑事に向つて、村井氏の死体の行方について自分が捜索をした顛末を語りはじめた。刑事はこの言葉に対して何か言はうとしたが、そのまゝ黙つて肥後君の物語に耳を傾けようとした。保の安危を気づかふ心が、まだどこかに残つて居て、彼の心を重たくして居たのである。西に傾いた秋の日は、斑点(しみ)の多い壁に当つて、街をとほる豆腐屋の喇叭の声と共に、暮近い寂しさを漂はせた。
『死体を盗んだ者はどうやら、病院につとめて居る男らしいのですが、それが誰であるかはとんと要領を得ないのです。』
『でも、それ迄わかれば大手柄ではありませぬか。どうかその経路をくはしく話して下さい。』と、刑事は急に興味を覚えたらしく、その顔を輝かせて言つた。
『僕は先づ、教室の小使が昨夜(ゆうべ)から、解剖室の鍵を失つたといふ点から捜索をはじめました。小使は二人居りまして、代る代る宿直をするのですが、ゆうべは木村といふのが番をしました。解剖室の鍵はズボンのポケツトに入れて持つて居たさうですが、はじめ僕がどうして鍵をなくしたのかとたづねても言ひませぬでしたけれど、段々問ひつめて行くと、妙なことを白状しました。何でもゆうべの九時過ぎに、小使がもう寝ようとしますと、白い手術衣(しゆじゆつぎ)を着た病院の医員らしい男が、ぶらりとはいつて来たさうです。御承知のとほり、こちらの大学では病院と基礎医学の教室とは廊下続きになつて居るので、医員たちはよく基礎医学の教室を訪ねに来ますから、それはちつとも珍らしいことではありません。
その男の顔を木村は今迄一度も見たことがないさうですから、無論名前などは知らず、況んや何科に勤務して居るかをちつとも知らなかつたけれどいかにも旧知のやうに話しかけたので、機嫌よく挨拶をすると、その男は、
「小窪教授は見えないか。」とたづねたさうです。
「もう、とつくに御帰りになりました。」と、木村が答へると、
「さうか。」といつたまゝ、別に帰らうともせず、小使室(こづかひしつ)の椅子に腰をかけたさうです。
それからその男は快活な声で色々な話をしかけ、しかもなかゝゝ(※9)話上手なので、木村も思はず釣りこまれて、長い間お相手をして居ると、しまひにその男は、
「一ぱいやらうぢやないか。」といひ出したさうです。
木村も、好きなお酒のことですから、すぐそれに賛成して、その男の命令で、電話をかけ、附近の料理屋から、御馳走を取り寄せて畳の上で食べたのださうです。
それから、だんゝゝ(※10)酔(よひ)がまはつて、木村はいつの間にか眠つてしまつたさうですが、ふと寒くなつて気がついて見ると、時計は二時を過ぎて居て、あたりには誰も居らず、枕元には杯(さかづき)や皿が散(ちら)ばつて居りました。
多分例の医員は途中で帰つて行つたのであらうと思つて、あたりを取り片附けようとすると、猛烈に頭が痛んだので、そのまゝ床をとつて再び眠つてしまつたのですが、解剖室の鍵をなくしたことは、僕が今朝九時になつてそれを借りに行くまで気がつかなかつたさうです。
僕は多分その医員が、木村に酒をのませ、ひそかにその中に麻酔薬を投じて彼を熟睡させ、彼のポケツトから鍵を奪(と)つて解剖室をあけ、村井さんの死体を盗み出したのだらうと推定して、さて、その医員は果して病院のものか、又は部外(ぐわいぶ)(※11)のものが医員の風を装つて来たのかを知らうと思ひましたが、小使相手ではさつぱりわかりません。何でもその男は帽子をかぶらずに来たさうですから、院内のものだといへばいひ得るのですけれど、死体を盗み出さうとする計画である以上、院内のものらしく見えるやうに装つたと考へることは想像するに難くありません。
木村といくら話し合つても、それ以上のことはわかりませんでしたから、こんどは、果して村井さんの死体が大学の構外へ持ち出されたか、それとも、まだ構内にあるかを調べようと思ひました。医科大学といふところは死体が一つや二つ殖えたり減つたりしても別に怪しまれないのが常ですから、死体を隠すには屈強な場所であります。それと同時に、病院といふところは、死体を、怪しまれずに、運び出したり運び入れたりするに都合のよいところであります。で、僕は先づ門衛のところへ行つて、昨夜(ゆうべ)、いくつ死体が運び出されたかをたづねました。いや御笑ひになつてはいけません。病院は元来病気を治すところでありますけれども、最近は少しく解釈を異(こと)にして来まして、比較的上手に死なせる所といふ意味を持つに至りました。ですから、大きい病院になりますと、大てい一晩に二つや三つの死亡があるのであります。
で、門衛に聞いて見ましたところ、幸ひにゆうべ番をした男が居まして、前後三回死体が運び出されたといふのでした。その運び出された時間をきいて見ますと、(といつて肥後君は手帳を出してながめ、)十時頃と十二時頃と三時頃とだつたさうです。医員がついて来て、死亡者だといへば、別に一々取調べないで門をあけることになつて居りますから、ゆうべも、いつもの通りに振舞つたとのことでした。さうして夜分のことであるから、医員の顔も覚えて居らねば、かつぎ出した人夫がどんな風をして居たかもさつぱり覚えて居ないとの事でしたが、これはまことに無理もないことです。
そこで、僕は、その三つの死体が、どの科から送られたものであるかをしらべました。その結果、内科と婦人科に一つづつ死亡があつたばかりで、その他には、どの科にも死亡がないとの事でした。かう言つてしまへば簡単ですが、この取調べには相当に時間を費しました。さうして、内科の死体が運び出されたのは十時頃、婦人科の死体が運び出されたのは三時頃だといふこともわかりました。で、残る問題は、十二時頃に運び出されたのが、どの科の死体かといふことになりますが、これを村井さんの死体だとすれば、恰度うまく説明がつく訳であります。
そこでもう一度、門衛に逢つて、十二時頃に運び出された死体にはどんな人がついて居たかときゝますと、門衛は、暫く考へて居りましたが、
「十時のときと三時のときには、女の人がついて居ましたが、十二時のときは、男の人だけでした。」と、申しました。
「人夫の数は?」
「二人でした。それに医員と、もう一人若い人がついて居ました。」
「医員は一しよに、門外へついて出たか、それとも、門から引きかへしたかね?」
「何でも一しよについて出られたやうに思ひます。」
これで、いよゝゝ(※12)その医員といふのが、教室の木村に御馳走を振舞つた男らしく思はれて来ました。で、その医員に見覚えがなかつたかときゝますと、何しろ、暗い門燈の光で見たのだからわからなかつたとの答でした。
これだけのことが知れてから、僕は再び教室へ戻つて、小使の木村に、ゆうべ訪ねて来た男の風采やら、男の語つたことについて色々たづねましたが、やつぱりとんと要領を得ませぬでした。
そこで僕は、この男と小使とが一しよに酒をのんだ室(しつ)にはいつて、何か手がかりになるやうなものはないかと隅から隅へ調べましたが、さすがに用心深いその男は、何の手がかりも残して置きませぬでした。杯(さかづき)や茶碗はすでに料理屋の男衆が持つて帰つたあとですから、その男の指紋を採るわけには行かず、又、たとひ指紋を採つたところが、早速にその指紋の持主を知る手段とはなりませんから、折角、こゝまで調べあげても、結局は仏作つて魂を入れぬことになつただけでした。
それから僕は、それ以上探偵の歩を進めることが出来なくなりましたので、小窪先生の意見をたづねようと教授室へ行きましたが、先生は不在でした。研究室や解剖室を捜しましたけれど、やつぱり先生の姿は見えませんでした。小使にきいて見ると、先生はたしかに教室内に見える筈だとの事でしたから、再び教授室に行つて見ると、なるほど隅の方に先生の帽子がかゝつて居ました。て、手洗(てうづ)にでも御行きになつたかも知れぬと思つて待つて居ましたが、なかゝゝ(※13)御見えになりませんでした。
その時ふと、僕は書棚の一隅に、卒業生の記念写真帖が数冊積んであることを見つけました。これはいゝものが見つかつた、ことによつたら、件の男はこの大学の卒業生であるかも知れない。さうすれば卒業生の写真帖の中からその男を見つけ出すことが出来るかも知れない。かう思つて早速そのうちの二三冊をもつて行つて木村に見せましたが、その時はじめて、探偵小説に書かれてあるやうなことは現実ではあり得ないと思ひました。探偵小説ならば、沢山の写真を見て、「あつた、あつた、これです。」とその中の一つを指すのが普通ですが、どうしてなかゝゝ(※14)沢山の写真の中から、記憶の中(うち)の人をさがすことは至難なことです。ことに木村は年をとつて居ますので、どの顔も同じやうに見えるらしく、それに、たとひ卒業生であるとしてもその男がいつ卒業したのかわかりもせず、或はまつたく、別な人間が医員を装つて居たのかも知れませぬから、僕はたうとう諦めてしまひました。
それから、僕は、死体が門外に運び出された後(のち)、どの方角へ持つて行かれたのかを調べねばならぬと考へましたが、これは到底僕の手では出来ないことゝ思ひ、とにも角にもこれだけのことを報告しようと、遂に小窪先生にはお逢ひしないで、とりあへずこちらへやつて来たのです。』
鹿島刑事は肥後君の語る間、時々にこりゝゝゝ(※15)として、熱心に聞いて居たが、この時うれしさうな顔をして言つた。
『いや、よく調べて下さいました。たしかにその男が死体を盗んだと見做してもよいですなあ。そこで残る問題は、その医員風をしたのが誰だかといふことになります。小使が人相をはつきり語り得ないのは無理もないけれど、人相といふものは、こちらから導いてきゝ出さねば、たとひ知つて居ても言へぬものです。例へば眼鏡をかけて居なかつたか、黒子(ほくろ)が顔になかつたか、金歯をはめて居なかつたか、などとたづねると、存外それを覚えて居るものです。ですから、うまくきゝ出したら、案外よく、男の人相がわかるかも知れません。あなたが小使に御きゝになつた時、その男は丈(せい)が高かつたか低かつたか又、髭を生(はや)して居たか居なかつたかぐらゐは御答へしたでせうなあ?』
『それは言ひましたよ。』と、肥後君は言つた。『丈(せい)は小柄で、短い口髭を生(はや)し、色は浅黒かつたといふことです。けれど、これだけの人相の男は、世間にザラにあるではありませんか。』
この言葉をきくなり刑事は何か心に思ひ当ることがあつたと見え、
『え、それは本当ですか。何かもうそれ以上にわかつて居りませぬか。』と、言葉せはしくたづねた。
肥後君は刑事の興奮にすつかり驚いてしまつた。
『それ以上は知りません。心当りでもおありですか。』
刑事はそれには答へないで、畳みかけてたづねた。
『小使の木村はまだ教室に居りますか。』
『居る筈です。』
『電話をかけてたづねて下さいませんか。』
『何をたづねるのです?』
『わたしと一しよに電話室へ来て下さい。』
呆気(あつけ)にとられた肥後君を刑事は引き摺るやうに階下(した)へ連れて来て、電話室にはいり法医学教室へかけさせた。
『木村が出ました。』と、肥後君は言つた。
『それでは、ゆうべの男は前歯に金歯をはめて居なかつたか、きいて下さい。』
肥後君は木村に事情を告げて刑事の言葉を伝へ、その返事をきいて言つた。
『前歯の下歯に金を入れて居たさうです。』
刑事は声顫はせて言つた。『それでは鼻のわきに黒子(ほくろ)がなかつたか、きいて下さい。』
肥後君は言つた。『向つて右の頬の鼻に近いところにあつたさうです。』
『有難う。もう切つて下さい。いや、大へんなことになりましたよ。』と、鹿島刑事は平素の落つきをすつかり失つて言つた。
『どうしたのです。一たい誰なのです。何が大変なのですか。』と、肥後君は面喰(めんくら)つて叫んだ。
『ゆうべ小使のところへ行つたのは、村井さんの家(うち)へ出入りする殿山医師です!』
この言葉をきくなり、肥後君はぎくりとした。暫くの間二人は電話室の前に立つたまゝ顔を見合はせた。
『それでは村井さんの死体を盗んだのは殿山医師でせうか。』と、肥後君は喘ぐやうにしてたづねた。
『さあ、それはまだ、何とも言へません。若し、殿山医師が死体を盗んだとすれば、村井さんの死に関係があると推定しなければなりませんが、今はその動機がちつともわかつて居りません。いや、全く私は今迄少しも殿山医師を怪しいと思ひませんでしたよ。尤も、今になつてよく考へて見れば、いろゝゝ(※16)怪しいところもありますなあ。毒薬の使用といひ、丸薬のケースの紛失といひ、殿山医師の所為(せい)とすれば、最も自然に解釈がつきます。それに……』と、刑事は暫らく考へた。『それに先刻(さつき)電話をかけたところ、殿山医院は留守なのです。実は、殿山その人は今日(こんにち)村井家をたづねて、夫人を診察し、二時頃に中澤さんと一しよに自動車で出たのですが、中澤さんは薬剤をとりに行つたのですけれどその儘村井家へ帰らず、又、用事がすんだらこちらへ来る約束になつて居るのですけれど、いまだに顔を出さぬところを見ると、どうも変だと思ふのです。』
『それでは、あの中澤さんの受取つた脅迫状は、殿山医師の出したものでせうか。』と、肥後君も心配さうな顔をして言つた。
『それを私も案じるのですよ。若しさうだとすると事態は容易ならぬものに思へます。』
刑事はそれから何事をか決心したやうに、漸くもとの冷静にかへつて言つた。
『あなたは二階の室(へや)へあがつて居て下さい。これから私は、人を走らせて、殿山医院の様子をさぐらせ、序(ついで)に中澤さんの下宿をもたづねさせて見ますから。』
肥後君が二階へ上つて待つて居ると、鹿島刑事は程なくしてはいつて来た。もうその時分はあたりが薄暗くなつて居たので、刑事はスヰツチを捻つて電燈をつけ、窓ガラスを閉めて、暫らくの間、室(へや)の中を、うつむき加減にあちらこちら歩きまはつて、
『中澤さんは押毛ばかりを怪しいものと思ひこんで居ましたが、こりや少し考(かんがへ)をかへなければなりませんなあ。』と、刑事は歩きながら言つた。
『然し。』と肥後君は反対した。『押毛と殿山医師との間に連絡があるものと考へても差支ないではありませんか。』
刑事は立ちどまつてじつと考へた。『そりや、さう考へられないことはありません。実はまだ御話ししませぬでしたが、教室でおわかれしてから、色々のことを知りましたよ。』
かう言つて刑事は、椅子に腰を下し、今朝法医学教室を出てから東円寺をたづねた事、それから遺言状を発見した事、次で市川家を訪問した事などを順序正しく語つて、最後に言つた。
『さういふ訳ですから、あの死亡広告は村井さん承知の上で押毛が出したことゝ思はれます。さうして村井さんに模擬葬式をやらせ、ひそかに殿山医師に殺させたとすれば、なるほど一応筋道がたゝぬことはありません。けれども、若しさうだとすると、色々の疑問が起ります。押毛は何の為に逃げたか、令嬢は何のために姿をかくしたか、又、あの脅迫状は何のために発せられたのか、さつぱり解釈がつきませんよ。』
『さうですねえ。』と、肥後君も考へながら言つた。『いよゝゝ(※17)事件は複雑になつて来ました。然し、小窪先生の仰しやつたやうに、如何に事件が複雑して居ても、真実はたゞ一つきりですから、事件の核心をつかめば、すべてのことが、さらゝゝ(※18)と説明がつくと思ひます。今はまだその核心がつかめて居ないだけです。』
『事件の核心をつかむことは容易ではありませんよ。事件が自然に発展して、むかうからつかませてくれない以上、こちらからつかむことは恐らく永久に出来ますまい。』かういつて鹿島刑事は再び立ち上つて、室(へや)の中をあちらこちら歩いた。『この上はたゞ、押毛といふ人物が、どういふ性格であるか、彼が如何なる経歴を持つて居るかを知つて、それによつて、彼が果して、人を殺すやうな男か又はさうでないかを判断しなければなりません。それには、押毛の家宅捜索をするより外はないです。実は今日、中澤さんと約束して一しよに出かけることになつて居たのですが、いまだに中澤さんは来ませんから、使ひのものが帰り次第、あなたと二人で聞天館へまゐりませう。』
鹿島刑事は再び中澤の安危を心配しはじめたと見え、黙りこくつて、せはしさうに歩きまはつた。もうその時は秋の日もとつぷり暮れて、電燈の光が、二人の姿を印象派の絵のやうに窓ガラスにうつして居た。
と、突然誰かゞ扉(ドア)をあけた。刑事はそれを見るなり、少しく興奮してたづねた。
『どうだつた?』
『殿山医院はみんなが留守で、いくら表のベルをならしても誰も出て来ませんでした。』と部下の刑事は答へた。『近所できいて見ましても、誰一人消息を知つて居るものがありません。暫らく様子をうかゞつて居ましたが、誰も出入(ではい)りをしませんから帰りました。それから中澤さんの下宿へ行きますと、主婦(かみ)さんが出て来て今朝九時頃にお出かけになつたきりだと言ひました。』
刑事は肥後君と顔を見合せ、それから部下の刑事に向つて言つた。
『それでは、これから殿山医院をづつと見張つて居てくれないか。わしは公園前の聞天館へ行つて、用事が済み次第そちらへ廻るよ。』
『承知しました。』
部下の刑事が去ると、鹿島刑事は肥後君に向つて言つた。『中澤さんの安危が気にかゝるけれども、どうにも仕様がありませんから、これから聞天館へまゐりませうか。時にあなたは、お腹(なか)がすきはしませぬか。』
『いゝえ、二時半頃に昼飯をたべたので、ちつともひもじくありません。』
『それでは家宅捜索を済ましてから一しよに食事をしませう。』
二人は連立(つれだ)つて階下(した)へ来た。出がけに刑事は村井家へ電話をかけ、中澤が薬剤を持つて帰つて来たかをたづねると、まだお帰りがないので夫人(おくさん)も心配して居られますと、お竹は告げた。
電車に乗つて凡そ七分、二人は聞天館を訪ねて事情を話し、すぐさま押毛の部屋に案内された。案内役の主人は一昨夜以来一度も押毛から電話はかゝらず、又、押毛のところへ電話をかけてよこす者もなかつたことを告げた。
聞天館には日本式の部屋も洋式の部屋もあつたが、押毛はその洋式の部屋を借りて居た。扉(ドア)には錠が下りるやうになつて居たので、主人は鍵を出してそれをあけた。室(へや)は八畳敷ほどの大(おほき)さでリノリウムが敷かれ、その一隅(ぐう)にはベツドが置かれて、その傍に本箱と机と椅子とがあつた。窓ガラスのむかうは中庭になつて居るらしかつたが、電燈があかるいので、よくわからなかつた。
『押毛さんはいつからこゝへ下宿したかね?』と刑事は主人に向つてたづねた。
『たしか八月の末(すゑ)で御座いました。』と、若いに似合はず白髪の多い頭をもつた主人は答へた。
『それ迄は何処に居たのか知つてるかね?』
『誰がたづねてもそれをちつとも仰しやいませんのです。けれど、非常に快活なお方で、金ばなれがよろしいから、みんなが大切にして居ります。』
刑事は肥後君とちら(※19)と眼を見合せた。
『どんな人と交際して居たかね?』
『別に親しいお友達はないやうで、めつたに訪問客はありませんでした。』
『時々外出はしたかね?』
『外出はよくなさいました。』
『特別な人から手紙が来たやうなことはなかつただらうか。』
『一二度、外国の手紙がまゐりました。』
『え? 外国から? どこの国からだか気がつかなかつたかね?』
『よく覚えて居りませぬが、アメリカでなかつたかと思ひます。』
『ふむ。』といつて、刑事は室内をながめまはした。さうして肥後君を顧みて言つた。『どうもこの室内の様子では、アメリカあたりで生活したことのある人のやうに思はれますなあ。』
『僕はまだ外国で生活したことはありませんが、さう考へても差支ないやうな気がします。』
それから刑事は主人にむかつてたづねた。
『村井さんがこちらへたづねて来られたことはなかつたかね?』
『一度も見えなかつたやうです。いつも電話がかゝると、押毛さんはこちらから出向いて行かれました。』
刑事はそこで主人を去らしめ、先づ押入をあけると、洋服箪笥とトランクがあつた。いづれも錠が下りて居たので、刑事はたゞその外部を検査したが、最近日本で買つたものであるから、押毛がこれまで何処に居たかを知るに由(よし)なかつた。
それから刑事は机の抽斗をあけて検べたが、たゞ化粧道具などがはいつて居るだけで、これといふ注意をひくものはなかつた。
『手紙などはきつとトランクへ入れて居るのでせう。それとも焼くか破るかしてしまつたかも知れませんなあ。』
かういつて刑事は次に、摺ガラスのはまつて居る本箱の戸をあけた。中は洋書が大部分を占め、日本書や数冊の雑誌がぎつしりつまつて居た。
肥後君は近寄つて暫らく眺めて居たが、
『や、みんな探偵小説ばかりだ。』と、さもゝゝ(※20)驚いたやうに叫んだ。
然し、刑事も驚かざるを得なかつた。
『え? みんな探偵小説? それぢや、中澤さんも、考(かんがへ)を変へなきやならん。』
『何故です?』と、肥後君は、言ひながらも書物から眼をはなさなかつた。
『探偵小説の好きな人間は、実際の悪事はやりませんからなあ。』
『はゝゝ。』と肥後君は笑つて、それからひとりごとのやうに呟いた。『英米の探偵小説のクラシツクから、新らしいものも可なりにある。チエスタートンが好きだと見えて、だいぶ読み古されて居る。十月号と十一月号の「新青年」に、十月号の「探偵趣味」がある。』
かういつて、肥後君はそのうちの読み古された一冊を取り出した。さうして暫らくの間ページを繰つて居たが、やがて、
『おや!』
と叫んだ。刑事は何を発見したのかとそばへ寄ると、肥後君は無言でページの上を指した。見ると其処には、
┌ 中 澤 保
└ 村 井 富 子(※21)
と、鉛筆で落書がしてあつた。
『ふむ。』と刑事は思はず唸つたが、『其処のところにはどんなことが書かれてありますか。』とたづねた。
『これはチエスタートンの「ゼ・マン・フー・ニユー・ツー・マツチ」といふ探偵小説です。この落書のしてあるところは、「ゼ・ツリース・オヴ・ブライド」といふ短篇でして、たしか、今年の正月の「新青年」増刊号に、小酒井不木が、「孔雀の樹」と題して訳しました。』かう言つてから更に語気をつよめた。『いや、これで、村井さんのこんどの計画は、押毛が主謀者だつたことがわかります。』
『えゝ? それはまたどういふ訳ですか。』と、刑事は急に好奇心にかられて言つた。
肥後君は語つた。『この「孔雀の樹」といふ小説の中には、英国の南部の海岸に住んで居るヴエーンといふ豪士が出て来ますが、恰度村井さんと同じ性格の人で、非常に冗談好きなのです。その広大な領内に、むかしアフリカから持つて来たといふ孔雀の樹がありましたが、その土地の者は、その樹が一種の熱病をふりまき、人間をも取つてたべるといふ迷信を持つて居ました。で、ヴエーンは、その迷信を何とかして打破したいと思ひ、あるときその孔雀の樹の下で一夜をあかしましたが朝になると、何処へ行つたか姿が見えなくなりました。土地の人はヴエーンが孔雀の樹に食べられてしまつたのだと信じていよゝゝ(※22)伝説を怖れましたが、その実ヴエーンは、地下の洞穴から逃げて大陸へ渡り、二ヶ月程過ぎて無事に帰つて来たのです。そこに色々な探偵的事情がからまつて、非常に面白い小説ですが、どうやら村井さんのやり口はこの主人公ヴエーンのそれと似て居ます。一旦姿をかくして再びあらはれるといふ所などは、この小説からヒントを得たといつてよいと思ひます。』
『さうかも知れませんなあ。』と、刑事は賛成した。『そこのところにその落書のしてあるところを見ると、その小説と、今度の事件とは何だか関係があるやうですなあ。然し、その楽書(らくがき)(※23)は一たいどういふ意味でせうか。よく人はにくい人間の名を落書するものですが、さういふ場合には、きつと、鉛筆でその名前に何か彼(か)か、傷がつけてあります。こゝにはそんな傷はつけてありませんから、どうもこれは、中澤さんと村井令嬢の結婚を希望して居るやうですなあ。』
『僕もさう思ひます。』
『中澤さんがこれを見たら、定めし苦笑することでせう。もうその外(ほか)のところに、そんなやうな落書はありませんか。』
肥後君は読み古されて居さうな書物を一々取つてその頁を葉繰り、それから新らしい書物を開いて見たが、別にこれといふ落書はなかつた。で、最後に「新青年」を取り上げて検査し、それから「探偵趣味」を葉繰つた。
『あツ、こゝにも同じ落書があります。』と、肥後君は、失つた宝石を見つけた時のやうな声で言つた。
刑事がのぞきこむと、其処には「奇術師」といふ標題が書かれ、ミツドルトン作、田中早苗訳としてあつた。
『えゝ? 奇術師? はゝあ、それでは奇術師を雇つて、忽然と姿を消すといふやうな小説ではありませんか。』
『さうですねえ、これは男の奇術師が、毎夜その細君を舞台の上で消して見せるのですが、ある夜、見事に細君が消失して大(おほい)に喝采を博したけれど、その儘、細君は本当にどこかへ消えてしまつたといふ一種の怪談です。』
『さすがにあなたは探偵小説通ですなあ。』と、刑事は感心したやうに言つた。『さうですか、するとやつぱり押毛がこれ等の探偵小説を読んで、今回のことを計画したと考へてもよいやうですなあ。』
『待つて下さいよ。』と、この時、肥後君は言つた。『この「探偵趣味」は九月二十日発行ですから、押毛の手にはいつたのは九月の末だらうと思ひます。それだのに、姿をかくす計画は、どうやら九月のはじめに既に出来て居たらしいから、一寸そこが変だと思ひます。』
『然し、その「孔雀の樹」とかいふ小説ののつて居る原書はづつと前からあつたのでせう? さうすれば、一旦姿をかくす計画をして、それから偶然この雑誌を読んで更に奇術師を雇ふことにしたと考へても差支ありますまい。いや、何にしても事件は少しづつわかつて行くやうな気がします。』
『さうですねえ、これで押毛が、村井さんの姿をかくす計画をした主脳者だといふことはどうやらわかりましたが、さて、一たい何のために村井さんが姿をかくさうとしたかは、まだわかつて居りません。単に世間をあつといはせるつもりか、或(あるひ)は又、何か重大な理由があつてさうしなければならなかつたか……』
肥後君が皆まで言はぬうちに刑事は遮つた。『そこですよ、わたしは、はじめからそれが知りたいと思つて居たのですが、まだ少しもわかりません。今日のあなたの捜索の結果、殿山医師が突然、事件に関係を持つて来ましたが、殿山医師にどういふ動機があるかはまだわからず、その殿山医師もどうやらみんなと一しよに姿をかくしたらしく、その上中澤さんまでが……』
こゝまで言つたとき刑事の顔には不安の色が漲つた。
『いや、どうももうぢつとしては居れません。家宅捜索の結果、これだけのことが知れたのは満足だとして、これから、殿山医院の近所まで行つて、見張らせてある刑事の報告をきゝませう。』
肥後君は、刑事の語る間、「探偵趣味」のページを葉繰つて、何か書いてないかを検べ、刑事が言ひ終つたとき、恰度最後のページに達したが、突然、何を見たのか、
『おやツ。』と叫んだ。
あまりに声が大きかつたので、刑事は思はずのぞきこんだが、欄外に書かれてある鉛筆の文字を見たとき、刑事は肥後君の驚く意味がわからなかつた。が、肥後君は二の句のつげない位驚いたのである。それもその筈、其処には横書きに左(さ)の文字が列ねられてあつた。
殺人=犯人の心−被害者の心(※24)
(つゞく)
(※1)原文の踊り字は「ぐ」。
(※2)原文の踊り字は「く」。
(※3)(※4)原文の踊り字は「ぐ」。
(※5)原文ママ。
(※6)(※7)原文の踊り字は「く」。
(※8)原文ママ。
(※9)(※10)原文の踊り字は「く」。
(※11)原文ママ(送りがなも)。
(※12)(※13)(※14)(※15)(※16)(※17)(※18)原文の踊り字は「く」。
(※19)原文圏点。
(※20)原文の踊り字は「く」。
(※21)原文では両者の氏名を「{」で結んでいる。
(※22)原文の踊り字は「く」。
(※23)原文ママ。
(※24)原文ではこの一文のみ太字でゴシック体。
底本:『新青年』昭和2年4月号
【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1927(昭和2)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」
(リニューアル公開:2009年12月31日 最終更新:2009年12月31日)