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あら浪 第七十九回 苦楽の移り目

不木生

 兄上が無事である事は最早疑ふの余地を持たぬ。少しも知らずに暮したと言ふものゝ、自分は実に早まつた事をしたと、恥かしく覚えた。
「お清さ! 私は兄様に済まぬ事をしたわ!」と言ふ言葉は少なからず元気を帯んだ。
「奥様が、この通り無事にお為りになつて兄様も嘸お喜びで御座いませう!(」)(※1)
「叔父さまにもお清さにも、誠に世話を懸けて………」
 諦覚は雪子の心根に為つて、
「聞いて見れば藤枝氏は、女に殺されたと言ふ話ぢや、実にお前の心を察する。けれども、お前は、今から新らしい生涯に入るのぢや、即ちもとの井上雪子と言つても宜い。先日谷中で、話を聞いて、お前の苦悶を、察したが、何とも致し方がない。事が進むで来ると手の附け様がないものぢや。今は然し、藤枝家の系統を、腹から去つてお前はもう過去の首綱を、潔く切つたと同じぢや、丸で鏡の様に、花が来れば花を映し、花が去れば再び澄むのぢや。何にしろ無事になつて呉れて、私は喜ばしい」
「奥様を、こんな辛い目に逢はせたのも、皆なあの………」
「お清さ、もう……」
「罪は皆自分で償つて了ふのぢや、自分から作り出した罪は尚更のこと、自ら醸さぬ罪でも、甘んじて果たさなくてはならぬ事もある。この世は荒なみである。罪のあるものにも、ないものにも平等に打ち寄せるのぢや、人間はその間に混つて、高くなつたり、低くなつたりするのだ、だからして人間は、向ふ見ずに、進むで行く外は無いのだ、然し荒なみも平安に帰する時節はある、其の時こそ、云ふに云はれぬ(※2)楽な境界となるものぢや。」
 この間、雪子は(※3)(つらつ)ら、身の上を追懐した。過去の経歴が、巴渦(うづまき)を為して、浮んで来る、彼(あれ)や此(これ)やと辿つて、果(はて)は一の身体を犠牲として運命の前に供へた事や、苦痛を脱却した今の状態に及んで、恨みもせず、歎きもせず、たゞ美はしいパノラマを見る様な気になつて見たいと願つた。
 ふと、あの時若し死んで居たらば、といふ気になつて、思はず身を竦めた。
 更にあの、子の事に及んだ、水を飲むだが、動機となつて、育つべかりし子は、闇から、闇へと、突き放された。子も自分も共に死ねば、罪は軽くて済むと思つたが、それでも、子にとつては何の罪もないのを殺すことゝなる。更に今は其の子が死んで自分は生き残つた。先夜の夢の中で、父が語り聞かせて呉れた詞(ことば)には、親の罪悪が、子に報ひたゞけである、けれども藤枝の家系は茲に滅亡せねばならぬ。これも我が計らひで起つた事ではなく、皆、自然の成り行きが然らしめたのである。と言つても何だか、気の毒でもあり、惜しくもあり、また悲しくもある。
「奥様! 日本橋の叔父様は、この事を御承知で被在(いらつしや)いますか?」
「遺書(かきおき)をして出て来たから、屹度、御覧になつて居るわ」
 あの時、筆を取つた心地が真に、真に……………昨日と今日の変化。苦痛と歓楽との移り目、雪子はまだ、動(やや)もすれば、其の古(いにしへ)に遡らうとする。
「嘸(さぞ)、驚いて見えますでしよう」と雪子の顔を眺め、「早う、御報せして上げたう御座ります」
 折から閾を跨いで、利吉は戻つて来た。
「御客様がある!」とお清に(※4)(めくば)せした。

(※1)原文閉じ括弧なし。
(※2)原文ママ。
(※3)人偏に「青」。
(※4)目偏に「旬」。

底本:『京都日出新聞』明治44年5月22日(第4面)

【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」

(リニューアル公開:2009年1月19日 最終更新:2009年1月19日)