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あら浪 第七十六回 運命の迫害

不木生

 姑は又もや、医者へ駆けて行く。利吉は能ふ限りの尽力をした。諦覚(たいかく)は手を出す事が出来なかつた。
 雪子は夢ながらに子を生んだ。
 其の子は勿論、呱々の声を挙げなかつた。水に溺れたのが一原因であると頼んで、来て呉れた医師は語つた。
 雪子は再び奇麗な蒲団の上に横(よこた)はつた。逆上(のぼせ)の為、物は言へなくなつたがすやすやと寝息は聞えた。
 我が家にて産をする事も出来ず、他人の家にて而(しか)も流産とありては、其の心細さを推し量つて、お清は何を以てこの悲哀に代ふべきかに当惑した。悲しみ極まつて死を企て、僅かに息の根を繋いで、更に流産の苦悶に逢ふ。それも雪子に取りては初産である。不憫さにも程こそあれと、お清の小さき胸は張り裂ける位であつた。
(※1)出来るものなら、貴女の身代りがしたう御座います(※2)と先日の夜(よ)雪子に語つた言葉は、犇々(ひしひし)と思ひ出されて、身を摺り寄せて雪子の傍で泣いた。
 然し雪子の身に取りては、今の場合となつて、或(あるひ)は幸福(しあはせ)であつたかも知れぬ。実に腹の子は、雪子の迷ひ胤であつた。
 腹の子を無事に産み出すことは、雪子は幾重にも苦痛であつた。彼女はそれが為に深く深く、迷ひ込むだのである。両(ふた)つの肺臓を以て呼吸して居る間は、雪子は如何様(どんな)にも解決が附かなかつた。
 人生とゞのつまり(※3)は死である。何事にも最後の解決を下すは、死より外にないのである、心狭い雪子の心が、遂にかくの如く、決定したのも無理は更に無い。
 今は然し乍ら、其(その)(まよひ)の胤を取り除いた。即ち縲紲(るいせつ)はこゝに於て外れたのである。所謂、此(これ)からは過去の生涯を全然脱却する事が出来るのである。
 何から何まで悉く雪子は無我夢中であつた。それ故果して、これ等を知り得たであらふか、なれども呼吸は甚だ寛(ゆるや)かであつた。
 諦覚は繰り返し、激烈なる運命の迫害を目撃した。この先、何が起るかと転(うた)た恐怖の念を催した。彼もお清も、勝清の死んだ事や、広子の歿した事は少しも知らなかつたから、たゞ現前の出来事に対(むか)つて、不覚(そぞろ)に、暗涙に咽んだのであつた。
 姑と利吉は寝(しん)に就いた。諦覚に勧めたけれども、強いて彼は辞退して、夜もすがら看護に余念なかつた。蚊帳の中では、三人が、思ひ思ひの態度をして、お清と諦覚はあまり多くを語らなかつた。
 短かい夜は知らぬ間にほのゞゝ(※4)と明けて、何時しか、戸の目から、明りが洩れた。
 すると間もなく姑は起きて、がらがらと雨戸を明けた。椽先(ゑんさき)には花壇の様な(※5)が作つて、夏菊が、赤や黄の色を交へて、とりゞゝ(※6)に咲きたかつて居た。
 涼しい、朝の空気が、室(しつ)の中まで流れ込むで、ふわりと蚊帳が動いた。お清は立つて蚊帳を取り外すと、五六羽の蚊が、争つて暗がりの方へ飛んで行つた。
 諦覚の方に背を向けて寝て居た雪子は、ぱちりゝゝゝ(※7)と瞬いて居た。お清が傍へ近寄つた時、
「お清さ!」と叫んだ。
「奥さま! わかりましたか?」と其(その)儘雪子の枕元に坐つた。
「お世話になつたね―」と言ふ声と諸共、頭(かしら)を擡(あ)げ様とした。
「貴女! そうしてはいけませぬ」と睫毛に宿つて居た涙を溢して、雪子を制するのであつた。

(※1)(※2)原文は二重括弧。
(※3)原文圏点。
(※4)原文の踊り字は「ぐ」。
(※5)原文ママ。
(※6)原文の踊り字は「ぐ」。
(※7)原文の踊り字は「く」。

底本:『京都日出新聞』明治44年5月19日(第4面)

【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」

(リニューアル公開:2009年3月23日 最終更新:2009年3月23日)