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あら浪 第七十三回 水死した女

不木生

 彼此(かれこれ)云ふ間も無く、黒い塊は近寄つた。
 船頭は艪を捨てゝ、艫から舟底へ飛び降りた。
 水死した女! 取不直(とりもなほさず)、彼はやんやと水の中から抱き上げた、憐れなる女は最早呼吸(いき)の根も絶えて、青白い顔が、月に照された。
「南無阿弥陀仏」と思はず諦覚(ていかく)は唱へた。
 先刻(さつき)、堤塘(つつみ)の上で、何気なく思つた事が有の儘実現せられたのを、不思議とするより外はなかつた。
 自殺だ! 故意に死んだのだ。
 今日は色々の事に邂逅(でくわ)す日だ、同時に彼は曲折多き世の配合を考へずには居られなかつた。たつた自分一人が目撃する範囲でさへ、か程であるからは、広い世間の舞台では、どんなに多くの転変が、行はれて居ることかと、彼は不覚(そぞろ)に身を顫はせた。
「まだ間がないらしいから、事に依つたら助かるだらう」と船頭は女の身体を俯向けて、菰を巻いて腹に支(か)つた。装束(なり)や髪から見れば卑しからぬ女である。而(しか)も女は姙娠して居る。
「気の毒相に、腹に子まであつて」と船頭は言ひ放つて、再び忙(せ)はしく艪を漕いだ。
 この時諦覚は思ひ当る事があつて、女の傍につかゝゝ(※1)と寄つて、暫らく見つめて居たと思ふと、矢庭に、
「雪子だ!」と叫んだ(※2)
「御承知の方ですか?」
「私の姪だ!」と声は異様の響(ひびき)を伝へた。
「え、そうですか」と太(いた)く驚いて、「それでは尚更……」といふ内に、はや岸に着いた。
 急いで船を繋いで、船頭は雪子を肩から背負つた。ぽたゝゝ(※3)と全身から水が垂れた。雪子は舟の中で大方(おほかた)、水を吐いたが、彼はなほも注意して、巧みに運んだ。
 諦覚は其の跡から従(つ)いて行つて、そして雪子が何故(なにゆゑ)に斯様な哀れとも極みない死に様をしたのであらふかと考へた。
 思ひ当る、先日谷中の墓地で、其の消息の一斑は聞き知つて、且(かつ)は其(その)際、雪子が姙娠して居る事も知つた。畢竟(ひつけう)夫の為に起つた破目であらふ。それとしても身投を覚悟する迄には、余程の事があつたに違ひ無からう。若しも此の儘息が吹き返さずに、死んで了(しま)つたとしたらば、兄の時雄は、如何(いか)程嗟(なげ)くであらうか。現に先日無事であると報知をして置いて、時雄が甚だ楽しんで居る所へ、その有様となり果てたら、時雄は如何(いか)に落胆するであらう。寧(いつ)そ始めから知らずに済んで了(しま)へば、それでよいが、知つた上にこの始末となつては嘸(さぞ)かし、力を墜すに違ひないと思へば、如何(いか)にもして蘇生せしめたいといふ念(おもひ)は頻りで、宜(よ)い都合にめぐりあつた上は、全力を尽すと心に誓つた。さるにしても、雪子のこれ迄の苦悩(くるしみ)は察するに余る。死を決行するは容易ならぬ事である。あゝ無情! 気の毒なのは雪子の心中である。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と小声に唱へた。
 道の程半丁ばかりで、とある家の前に来た。萱葺の屋根で、農家としては左程卑賎(いや)しからぬ構居(かまへ)である。門(かど)先の流し場で、茶碗でも洗ふのか、鏘然戞然(かちやりかちやり)と槙林(かど)の外まで聞えた。
「此所です!」と振向いて、諦覚に告げ乍ら男は曲つた。
 井戸側(いどばた)の女を見るや、
「お清や、着物の着替を出して呉れ、この通り川へはまつた女の方を助けて来たから」
 女は不審相に眼を配つたが、男の背に負(おふ)つた女を見るなり、点頭(うなづ)いて家の中へ走り込んだ(※4)
 戸口を潜(くぐ)る拍子に、出逢つた女は年のころ、五十ばかりの年恰好である。
「母さん、早速火を焚いてくれ!」と男は性急に頼んだ。
 諦覚の姿を見ると、怪訝な顔もしたが、何も言はずに奥の勝手元へ駆け入つた。

(※1)原文の踊り字は「く」。
(※2)原文ママ。
(※3)原文の踊り字は「く」。
(※4)原文ママ。

底本:『京都日出新聞』明治44年5月16日(第4面)

【書誌データ】 → 「小酒井不木小説作品明細 1911(明治44)年」
【著作リスト】 → 「雑誌別 小酒井不木著作目録(小説の部)」

(リニューアル公開:2009年3月16日 最終更新:2009年3月16日)